5ー16
己の主人が何を気に病んでいるのか、クロヴィスはもちろん承知していた。だからわざと、並んで一緒に窓の外を眺めながら、その名を口にした。
「大丈夫ですよ。エドはきっと、許してくれます」
ぴくりと小さな頭が揺れて、ややあってから空色の瞳が気弱にクロヴィスを見上げた。
「本当に、そう思う?」
「ええ、必ず」
しょんぼりと問うアリシアに、にこりと笑みを添えて補佐官は頷いた。
“お前、嘘ついていたのかよ”
リディ・サザーランドが慌ただしく退場した後、アリシアは彼らに改めて謝罪をした。それは、枢密院に所属する名家が犯した非礼についてだけではなく、己の身分について偽ったことを含めてであった。
彼女は最後まで、自分が王女であることを明言はしなかった。しかし、従者として命令に従ったクロヴィスとの関係や、リディ・サザーランドとのやりとりを見ていれば、彼女が本当はどういった身分の人間であるかなど、簡単に推測できたはずだ。
世話役や他の子供達がただただ驚く中、エドモンドだけは反応が違った。
“クロも、妹だなんて言って、俺のこと騙したんだな”
“すまない。この方の安全を思えば、そう言うしかなかった”
どこか悲しげに、しかし責めるようにアリシアとクロヴィスを見つめてから、エドモンドは教会の子供たちが止めるのも聞かずに走り去ってしまった。
(当然だわ。エドモンド、クロヴィスに仲がいい家族がいたことを、自分のことみたいに喜んでいたんだもの)
妹と紹介されたときのぎょっとした顔や、楽しかった思い出を生き生きと話す姿を思い出して、アリシアはきゅっとドレスを握りしめた。仕方がなかったとはいえ、エドモンドに嘘をついてしまったのは事実だ。
それに自分のせいで、クロヴィスまでエドモンドに怒られてしまった。このまま、二人の関係が壊れてしまったらどうしよう。
窓の外に目をこらせば、オレンジの屋根が立ち並ぶ家々が見える。近くでみるそれらは城から見下ろすよりずっと綺麗で、人々の笑顔でカラフルに色づいて見えたのに。
「やっぱり、私はだめね。前回も今回も、町の人とうまくやるのが下手みたい」
空色の髪をゆらして、王女は困ったように笑った。すると、窓の外をながめていた補佐官が、何かに気が付いておやと口を開いた。
「……どうやら、そう決めつけるのは早計のようです」
彼の視線の先を追うと、そこには銀色の髪をなびかせ、見晴台の上を駆けるロバートの姿があった。
ドレスの裾をつまみ、くるくると回るらせん階段をアリシアは駆け下りる。その後に従うのは、もちろんのことクロヴィスだ。
柔らかな頬は上気し、緊張のためか彼女の息はわずかに乱れていたが、王女は走る己の足をゆるめることはなかった。見晴台もつっきり、すれ違う兵や文官に何事かと首を傾げられながら、ようやくアリシアは正門の上の見張り台へとたどり着いた。
「エドモンド!!」
塀に手をついて身を乗り出したアリシアの視線の先で、市場で出会った気さくな少年、そして教会で出会った子供たちとその世話役とが、城をぐるりと囲む壁の外からこちらを見上げていた。
「アリスだー!」
「ばか、アリスじゃなくて、アリシアさまだろ?」
「わー! ほんとに、おひめさまだー!」
アリシアの姿に気づいた教会の子供たちが、一斉にうれしそうに手を振る。そんな中、仏頂面を浮かべるエドモンドに、アリシアは思わず叫んだ。
「ごめんなさい、わたし……!」
「あのさ!!」
アリシアのことを遮って、エドモンドが顔を上げて叫んだ。だが、その後の言葉は続かず、まるで何かを葛藤するかのように口をもごもごと動かしては、眼差しだけはつよくアリシアを見た。
すると、彼らの来訪を知らせた後で一足先に戻っていたロバートが、塀に頬杖をついてもたれかかりながらにやにやと笑った。
「どうした、少年。二人に会うまで動かないっていう、さっきまでの気概はどこにいった? ああ、姫様にみてもらいたかった。君の必死さといったら……」
「ちょっ、うわっ、ストップ!!」
何やら雄弁に語りだしたロバートを、顔を真っ赤にしたエドモンドがぎゃあぎゃあと叫んで止める。それから、固唾をのんで続きを待つアリシアを見上げ、すっと息を吸い込んだ。
「ありがとな!」
思ってもみなかった言葉に、アリシアは空色の目を見開いた。
「さっきの奴に啖呵切っているの、すっげえかっこよかった! 俺のこと、こいつらのこと、守ってくれてありがとな」
「けど、わたし、あなたに嘘をついていた……!」
「ああ、もう、それはいいんだよ!!」
塀を掴むちいさな手に力がこもり、アリシアは悲し気に目を伏せた。だが、それを吹き飛ばすように、少年は己の頭をかきむしった。
「お前がクロを大事におもっているのが本当なら、それでいい。俺に教えてくれたことは、嘘じゃないんだろ?」
「私? アリシア様、彼と何か話したのですか?」
唐突に自分の話題になって驚いた補佐官が、きょとんとした顔をしてアリシアを見る。それには答えずに、王女は美しい青年の顔を見上げた。
“好きよ。決まっているじゃない”
クロヴィスのことを、どう思っているのか。そうエドモンドに問われた時、アリシアが伝えた答えはすべて本心だ。こくりと頷いてから、塀の外の少年にアリシアは叫んだ。
「当たり前でしょ!」
「だったら、やっぱり俺とお前は、友達だ!」
夕陽のオレンジの光に照らされて、少年がにかっと大きく笑う。友達。その言葉の響きに、アリシアの心臓は大きく跳ねた。




