5-13
「クロヴィス、お前は私に、王になれとでもいうの?」
王女が発したその質問に、補佐官が答えることはなかった。ふいに外で悲鳴が上がり、馬車が急停車したからだ。
「な、なに?」
「姫様、ご無礼をお許しください」
とっさに外を確認しようと窓に近づいたアリシアを、素早くクロヴィスが抱きかかえた。そうして王女を腕の中に庇ったまま、補佐官は紫の瞳をするどく光らせて、外を警戒した。ロバートの声がドアの外から響いたのは、そのすぐ後だった。
「旦那様、ロンにございます。扉を開けますよ」
「ああ」
短い返答のあと、扉が薄く開いてロバートの顔がのぞく。これで外からは見えないと判断したのか、従者然とふるまっていた演技を彼は解いた。
「悪かった。後ろで、子供が別の馬車にひかれかけただけだ。すぐに出発する」
「待って!」
なんとなく嫌な予感がして、顔を引っ込めて戻ろうとした騎士をアリシアは止めた。
「そのひかれそうになった子は、大丈夫だったの?」
「ああ、ええ、まぁ。大丈夫ですよ」
あいまいに笑った銀髪の騎士に確信をして、アリシアはクロヴィスの腕を抜け出し、ロバートが薄く開いた扉を完全に開け放った。
果たして、アリシアの勘はあたっていた。
夕刻で道が混んでおり、ほとんど進めなかったのだろう。アリシアたちの馬車はまだエドモンドと別れた場所のすぐ近くであった。そして、問題が起きたと思われる馬車と子供を見て、アリシアは空色の目を大きく見開いた。
(あれは、教会の!)
停止した馬車の前で縮こまる子供は、一人ではなかった。名前は、なんだったろうか。話の続きがききたいと、クロヴィスを呼びにきた子たちだ。3人の子供が地面にしゃがみこんでいて、それを庇うようにエドモンドが馬車の前に手を開いて立っている。
ぱっと見ただけで、遠ざかるアリシアたちを見送ろうと、通りまで出てきてしまったのだと想像がついた。そうしてみている前で、教会の大人が通りに飛び出してきて、大慌てで馬車の御者に頭を下げている。
見たところ子供たちに怪我はなく、御者も顔をしかめているが怒鳴り散らしたりする様子はない。事態は、このまま収まるかと見えた
その時、馬車の扉が開いた。
出てきた人物を見て、げっと声を漏らしたのはロバートだ。
「よりによって、お前かよ。リディ・サザーランド……」
見覚えのある赤みがかった髪を指で遊びながら、不機嫌そうに馬車を降りたのは、旧使節団メンバーにして公爵家嫡男、リディ・サザーランドその人であった。
遠くから王女が固唾をのんで成り行きを見守っているなどとはつゆ知らず、リディ・サザーランドは馬車を降りると、ふふんと鼻を鳴らした。そして、髪を左手でもてあそびながら、自分の馬車を止めた不届き者たちをじろりと見たのであった。
ところで、この時のリディはたいへん不機嫌であった。
公爵家の次期当主としての座が確定しているリディが、王都に足をはこぶことは滅多にない。だが、今日は珍しく地方院に用があり、仕方なく馬車に乗ってわざわざ遠くまで来てきた。
にもかかわらず、手紙の行き違いがあって必要書類が足りなかったり、彼自身の短気が災いして担当と喧嘩してしまったりして、せっかくの遠出がまったくの無駄足に終わってしまったのである。
いくら枢密院でも群を抜いて発言力がある貴族の家だろうと、ハイルランドのお役所は甘くは見てくれない。そんなわけで、非常にむしゃくしゃした状態であったのは、子供たちにとってもリディにとっても不幸な偶然だった。
「なぁ、アル。僕は早く帰りたいと言わなかった?」
次期当主がわざと大仰に肩をすくめて嫌味をいえば、御者はあわてて頭を下げた。
「申し訳ございません。トラブルがございまして……」
「若旦那様、悪いのは私共なのです!!」
「ふぅん……?」
言われずともわかっていることだが、あえて返事を濁し、リディはうずくまって震える子供と青ざめる保護者らしき女とを交互に見た。その中に、一人だけリディのことを気丈に見上げる子供がいることに、彼は顔をしかめた。
気に入らない。実に、気に入らない。
右手に握る派手な彫をほどこした杖で、リディは地面を何度か叩いた。今日はなんという厄日だ。さっさと領地に戻ることすら、こうして邪魔されるなど。
だから本人にしてみれば、それはちょっとした八つ当たりだった。
「おい、女。僕をだれと心得る? 見たところ、孤児とその世話係といったところだな。その程度の者が、公爵家の道を荒らすのか?」
「申し訳ございません。どうか、お許しを……っ」
「ただ許せと? お前ごとき身分が、ずうずうしいことだ」
怯える子供たちを庇う世話役の顔を杖で上向かせて、リディは意地悪く笑みを浮かべた。
「さて、どうしようか。僕が睨みを聞かせれば、町のしがない教会一つ、簡単になくなってしまうだろうよ」
「そんな……!」
「じゃあ、代わりにお前は何をしてくれる」
いよいよ青ざめて震えだした世話役に、リディの口元は三日月の形に吊り上がった。嘲笑を張り付けたまま、周囲には聞こえないよう、しかし女の耳にはこびりつくよう、ねちっこく続けた。
「地に頭をこすりつけて、非礼を詫びるか。それとも、その体で僕を慰めるか。ふん。見てくれだけはいいから、それも悪くない。なんなら、少しばかりは金を弾んでやろう」
若い女の耳が羞恥に赤く染まるのをみて、リディはわずかに溜飲が下がる心地がした。
もちろん、この女を抱くなどもってのほかだ。本当に手を出したところで教会がサザーランド家を訴えるようなことはないだろうが、何かあっては後が面倒である。何より、脅して無理に女を連れ込んだとなれば、さすがに評判がよろしくない。
理不尽に当たり散らすのも、このあたりが限度であろう。(意外にも)引き際を心得た公爵家の次期当主は、もう一度鼻を鳴らしてから、戯れを切り上げて馬車に乗り込もうとした。
「……あやまれ」
その背中に、少年の声が鋭く投げつけられた。




