5-12
外で馬がいななく声がして、馬車がかたりと揺れた。どうやら、ロバートが城に向けて馬車を出発させたらしい。
だがアリシアは外を確認することはせず、怪訝な顔をして、微笑む補佐官を見上げた。
「どういうこと? 革命の後で、王国が滅んだから?」
「当たらずと遠からず。もっと、直接的に彼らに繋がる事柄がありますよ」
そういってから、まるで内緒話でもするかのように、クロヴィスは人差し指をたてて唇に当てた。
「今日出会った者たちが、革命の夜にどう過ごしていたと考えますか?」
“殺せ。エアルダールの犬を殺せ”
“ハイルランドの誇りを穢すものを殺せ”
くらりと眩暈がおそい、アリシアは目頭を押さえた。
「アリシア様、大丈夫にございますか?」
「気にしないで。星霜の間にくらべたら、断然ましよ」
手を伸ばそうとする補佐官に笑みを返して、アリシアは姿勢を正して深い息をついた。何度か呼吸を繰り返していると、耳にこびりついた呪いの唱和が次第に遠ざかり、変わって町ゆく人々のざわめきが戻ってきた。
気分が落ち着くのを待ってから、アリシアはゆっくりと瞼を開いた。
「……たぶん、革命に参加していたと思うわ。町のひと全部が、立ち上がったみたいだから」
アリシアはどこかで、あの夜に呪詛の言葉を叫びながら乗り込んできた市民たちを、気味の悪い化け物のように思っている節があった。
だが、それは大きな間違いだった。
今日出会った人々は、気味の悪い化け物でも、気性の荒い革命者でもなかった。アリシアがたずねれば笑顔で答え、愛する家族がいて、日々を堅実に生きるハイルランドの民だった。
「それが正しいでしょう。エグディエルの町で革命が起きた場合、多くを占める職人たちの参加がなかったとは考えづらいですから」
「あんなに優しい人たちが、あの恐ろしい革命に参加していたなんて……」
「生活が脅かされれば、市民は立ち上がります。前世で即位したフリッツ王は、この国に圧制を敷いたのではありませんか?」
アリシアは、驚きに空色の瞳を見開いた。革命者として対峙したクロヴィスは、まさにそのことについてアリシアを糾弾したのだ。
主人の表情を肯定とみて、クロヴィスは息を吐いた。
「簡単な予測です。戦勝国の王子が敗戦国の王に即位したとき、多少の反発は免れない。しかし、革命が起きるともなれば、それなりの理由があるものです」
革命でハイルランドが滅亡するより先に、民の暮らしは崩壊していたのだと。冷静そのものに未来を分析してみせる補佐官に、アリシアはじっとうつむいた。
「ひどいのは、フリッツ王だけではないわ」
前世での己を思い出して、アリシアは唇をかんだ。
よみがえった記憶の中で、アリシアはフリッツ王子に心底惚れこんでいた。臣下に呆れられ、寵姫との逃避行を見せつけられてもなお、フリッツを庇っていたのだ。彼が民にした仕打ちに対し、抗議したり止めようとしたりしたとは考えづらい。
あたたかくアリシアを迎え入れ、言葉を交わしてくれた人たちの顔が、次々に浮かんでは消えた。市場で、職人工房で、教会で。ハイルランドという王国に根付き、愛する者たちと懸命に生きる人々。
その生活を壊したのは、自分だ。
「“愛におぼれ、心の目を曇らせ、民から背を向けた結果がこれだ。あの世で己が罪を悔やむがいい”」
アリシアが呟くと、クロヴィスが怪訝そうに眉を寄せた。それに、アリシアは苦笑した。実はこの言葉、前世でクロヴィスが口にしたものだが、忠実なる補佐官がそれを知る方法はないのだ。
「命を奪われた時、言われたのよ。――前に私のことを、上にたつにふさわしい人間とほめてくれたわね。けど、本当はその逆。民を想うより、自分の恋心を優先させた」
「しかし、今回はそうならない」
アリシアを勇気づけようとしたというより、もはやそれは断定だった。それほどに、クロヴィスの紫の瞳は、まっすぐにアリシアを見つめていた。
「少なくとも、私が知るアリシア様の目は、限りなく澄んでおられます。そんなあなたなら、この国の未来を背負うということが、どういうことかお分かりのはず」
なるほどねと心の中でつぶやいてから、王女は聡明な瞳を補佐官に向けた。
「国を守るということは、民を守るということ。あなたは、私にそう言いたいのね」
答えるかわりに、美しい補佐官は唇をゆるやかに吊り上げた。
少しだけ疲れを感じて、アリシアは再びふかふかの背もたれに体を沈め、馬車の揺れに身をゆだねた。それでも、小さな心臓はどきどきと胸を叩き、口にしたときの緊張の余韻を感じさせた。
民の命を守り、生活を保障する。
確かにそれは、アリシアの生まれ持った立場あればこそ出来る報い方であり、同時に、未来を変えるという契約にも直結する。
あらためて、星の使いは意地悪だと思った。王国の未来を託す。そう、彼に告げられた時から薄々とわかっていたことではあるが、10歳の少女が背負うにはなんと重い責任であることだろう。
ただ、国の滅亡を防ぐだけではだめだ。
王国に住まう人々が、平穏に暮らせる未来を勝ち取る必要があるのだ。
(けれど、まるでそれって……)
アリシアは考え込んだ。
一国の命運を背負う存在。
臣民を守る絶対的守護者。
それらが示すに最もふさわしい名を、アリシアは口にせずにはいられなかった。
「クロヴィス、お前は私に、王になれとでもいうの?」




