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“どうして、何も言い返さないんだ!? 悔しくないのかよ!?”
途中で口出しできなかった鬱憤を晴らすように、エドモンドがクロヴィスに噛みついたとき。黒髪の青年は、ただ静かに肩を竦めた。
“俺は、憎まれても当然の存在だ。言い返すようなことじゃない”
その、あまりにあっさりとした物言いに、エドモンドは一瞬ひるんだ。事実、クロヴィスの顔には、悲壮も無念も浮かんでいなかった。まるで、本気で自分は憎まれても仕方がないと信じているみたいだった。
“なんだよ、それ。俺は許せねぇぞ!! そ、それに……、お前がそんな風にいわれっぱなしだったら、お前のこと大切に思う奴が悲しむだろ。母ちゃんとか、泣くだろ?”
“その心配はないよ、エド”
端正な顔に苦笑をうかべて、淡々とクロヴィスは否定の言葉を紡いだ。
“父も母も、俺のために涙など流さないさ。だから君も、そんな風に心を痛めないでいいんだよ”
「本当に、何でもないことみたいに言うんだ。それで、俺、クロは家族とうまくいってないんだと思ってた」
側にいさせてほしい。あれは、そういう意味だったのか。
祖父の特徴を引き継いで生まれたクロヴィスを、疎んじたのは他人だけでなかったのだ。いや、むしろ血縁であればこそ、グラハムを想起させる彼のことを邪魔に思ったのかもしれない。
「たから、あいつがアリスを連れてきたのが、すっげえ嬉しかったんだ。ちゃんと、クロにも味方してくれるやつがいるんだって、一人じゃないんだって」
有能な補佐官が、どうも“グラハムの血”に関してだけは偏狭であるわけがようやくわかった。グラハムの呪縛の根っこは、アリシアが思っているよりもずっと深く、クロヴィスの中に巣くっている。
要は、本人ですら気づかない根底のところで、クロヴィスはアリシアのことも信頼しきれてはいないのだろう。だから、側にいたいだなんて、アリシアにとっては当然でピントのずれた答えがでてくるのだ。
(……なんで、なんでそんなにお前はバカなのよ)
その優秀すぎる頭脳に舌を巻いたことは数知れないが、バカだアホだと罵りたくなったのは初めてだ。
無性に腹が立って、アリシアはベンチの上に仁王立ちした。隣でエドモンドが目をまん丸にしているが、構うものか。陽だまりの中に座る背中を睨みつけてから、足の裏で木製のベンチを思い切り蹴り、アリシアはわからずやの補佐官に突進した。
そして、勢いそのままにクロヴィスの背中に飛びついた。
「ぐはっ!?」
「アリスが! アリスが錯乱したー!」
「アリスがクロのことつぶしたー!」
背中に強烈な一撃をくらったクロヴィスの口から、その類稀なる美貌の顔には決して似合わない潰れた声が漏れる。和やかな雰囲気の中でお話とやらに聞き入っていた子供たちも、突然の乱入者にぎょっとして騒ぎ出した。
「アリシ、アリス!? 一体どうしたのですか?」
動揺しつつも、とっさに偽名の方で言い直したあたり、クロヴィスはさすがと言うところだろう。
だが、アリシアはそれには答えず、かわりに彼の首にしがみつく両腕の力をさらにぎゅっと強めた。
「あー! アリスがクロをしめ殺すー!」
「クロが死んじゃうー!」
10歳の子供の力で大の男が絶命するわけもないのだが、それを突っ込めるような大人は、絶賛まともに声を発せない状況であった。
自分はいつの間に、背後から絞め殺してしまいたいほどの怒りを王女から買ってしまったのだろうか。なかば本気でクロヴィスが己の行いを振り返り始めた頃、アリシアがぽつりとつぶやいた。
「昔、私が泣いていると、お母さまが抱きしめてくれたわ」
「――――アリシア様?」
主人のただならぬ様子に、軽くせき込みながら、他の子供たちには聞こえないようクロヴィスが囁く。
答えないアリシアにじれたのか、身じろぎをしてクロヴィスがこちらを振り向こうとする気配があった。だが、表情をみられるのは気恥ずかしくて、アリシアは補佐官の首の付け根に顔をうずめた。
「どうされたのですか? 一体何が……」
「さみしい時は、さみしいっていうこと」
抱き着いたまま、せめて声だけは毅然とアリシアは命じた。周囲には聞こえない微かな声を聞き漏らさまいとするように、クロヴィスがぴたりと動きを止めた。
「つらい時は、つらいっていうこと。悲しい時は、悲しいっていうこと。ずっと私のそばに仕えていたいのなら、これらをちゃんと守りなさい。約束よ」
アリシアからは表情をうかがうことは出来なかったが、補佐官が小さく笑みをこぼした気配がした。前に回したアリシアの小さな手にあたたかな指がそっと触れ、心地よい低く澄んだ声が穏やかに答えた。
「とても、難しい指令です。あなたと出会ってからというもの、私の毎日は幸せそのものなのですから」
ほんとうに?
それを聞きただす前に、きゃっきゃっと子供たちがはやし立てた。
「わかった!! アリス、クロが僕らとばかり話しているから、さみしくなったんだ!」
「やいやい、アリスの甘えん坊! 」
「だれが甘えん坊よ!!」
思わず顔をあげて猛抗議すると、こちらを指さして子供たちがケタケタと笑い声をあげた。いつの間にか、隣でエドモンドも笑っている。
何か言い返してやろうとアリシアが息をまいたとき、小さく吹き出す声がした。みると、クロヴィスまでもが子供たちにつられて笑っていた。初めて目にする、青年の心から楽しそうな笑い顔に、アリシアは何やらどうでも良くなってしまった。
(ま、いっか)
アリシアが彼を頼りにしていること。友人として、彼を心配するものがいること。
今は信じられなくても、クロヴィスを必要とするものがいることを、いつの日か彼が信じられるようになればそれでいい。
(とんでもなく有能なくせに、変なところで手がかかるんだから)
いつまでもはやし立てる子供たちを追いかけまわしながら、アリシアはそんなことを考えて苦笑をした。




