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エドモンドが語り始めたのは、アリシアが出会う前、まだクロヴィスが王立学院に通う学生だった頃の話だった。
「あいつさ、よく一人で町を歩いていたんだ」
エドモンドが初めて彼をみかけた時も、やはりクロヴィスは一人で市場を歩いていた。異国の商人ですら珍しい漆黒の髪に紫の瞳、おまけにあの美しい風貌とあって、クロヴィスの姿は相当町中で浮いて見えたという。
話しかけたのは、エドモンドの気まぐれだった。店番をしていて暇だったし、クロヴィスの方も特に時間を急いでいる様子でもなかったので、時間つぶしがてら物好きな貴族の坊ちゃんの相手をするのも悪くないと思ったのだ。
「何しているんだって聞いたら、授業が休みだから散歩しているんだって。変な奴だと思ったよ。高級店がある方面をぶらつくならわかるけど、貴族が市場なんざ歩いて何が楽しいんだって」
そう聞いたら、クロヴィスは困ったように笑ったという。
市場は気楽なのだと。ここなら誰も自分を知らず、自分も誰も知らないから。
「そん時のクロがさ、あんまりあっさり寂しいこと言うもんだから、気になっちまったんだ。だからかなぁ。あいつに、俺が知っているこの町を教えてやることにしたんだ」
勝手に、補佐官の過去を聞いてしまっていいのだろうか。そう戸惑いつつも、アリシアはエドモンドが語るのをさえぎることはできなかった。
瞼の裏に蘇るのは、慰労式典でリディ・サザーランドに理不尽な言葉をぶつけられて、苦痛に表情をゆがめていた姿だ。
なぜ、クロヴィスが人目を避けて市場に来ていたのか、アリシアにはわかる。式典の後で知ったことだが、クロヴィスの黒髪と紫の瞳は、大罪人にして彼の祖父であるザック・グラハムの特徴であったのだ。
アリシアは幼さ故にそれを知らなかったが、王立学院に通う貴族の子息たちは、一目見てクロヴィスがグラハムの血筋の者であると見抜いたことだろう。そして、彼の抜きんでた優秀さを妬み、リディのように攻撃の材料としたのだ。
そうした煩わしい物事から逃れるため、彼は貴族の目がある場所を避けた。そして市場という、通常は貴族が顔をださない場所に安息を見出した時に、彼はエドモンドに出会った。
「お兄さまは、あなたと一緒にいて、楽しそうにしていた?」
「ああ。ちょっとしたことに、いちいち感心していたな。しまいには、屋台で買ってその辺で食うのすら物珍しいって顔するからさ、貴族の坊ちゃんってのは本当に世界を知らないもんだと俺も驚いたよ」
それを聞いて、アリシアはくすりと笑ってしまった。きっと真面目な彼のことだ。エドモンドが教えてくれる町に関するあれこれを、ものすごく熱心に覚えていったのだろう。
特に待ち合わせなどをしたわけでなかったが、いつどこにクロヴィスが現れるかエドモンドも要領を掴んだ。そして道で出会うたびに、無理やりにでも彼を連れまわして町のあちこちに顔を出すのが習慣となっていた。
ここまで生き生きと話してきたエドモンドが、ふいに表情を曇らせた。
「けど、ある日さ。学院の同級生っていうのに、あいつが絡まれているのを見ちまったんだ」
一人で町をあるくクロヴィスをみつけて、声をかけようとした矢先だった。不穏な笑みを浮かべて貴族の学生が近づいてくるのをみて、エドモンドはとっさに物陰に飛び込んだのだという。
「いけ好かない金持ちのぼんぼん」のイメージが、そのまま服を着て歩いているような奴だったと、エドモンドは吐き捨てた。
その後の展開は、アリシアが想像した通りだった。グラハムの血筋であることを持ち出し、散々な侮蔑の言葉を投げつけ、せせら笑ったのだ。
「俺、難しいことは知らないから、奴らが言っていることの半分もわからなかった。けど、すっごく腹が立ったんだ。だって、罪人の血がどうとか……。あ、ごめん」
鼻息荒くまくし立てたエドモンドが、アリシアを見てきまずそうに眉を下げる。アリシアとクロヴィスの兄妹だと信じている彼は、“罪人の血”という言葉に アリシアが傷つくのではないかと思ったようだ。
「ううん。それより、エドモンドはそれを聞いても、お兄さまを嫌いにはならなかったの?」
「ならねえよ!!」
憤慨した様子で、思いのほか強く少年は断言した。
「あいつの事情は知らねぇけど、俺とクロは友達だぞ! そんなに簡単に、大事な友達を嫌いになるわけないだろ!」
アリシアは、ほっとして肩の力を抜いた。孤独な貴族の秀才と、友人の多い職人の息子。随分とちぐはぐな組み合わせではあるが、クロヴィスはなんと良い友を持ったのだろう。
「なのにさ、あいつ何も言い返さないんだ。どんな暴言吐かれたって、じっと黙っているだけで、俺はそれも腹が立ったんだ」
いままさに目の前で起こっている出来事のように、エドモンドは顔をしかめた。
むかついて、腹がたって、何度もエドモンドは物陰を飛び出していって、むかつく“学友たち”を殴ろうと考えた。だが、それを止めたのはクロヴィスだった。エドモンドがいきり立つたびに、彼が隠れている物陰を牽制して、外に出ないようにとどめさせたのだ。
だから、せめて学友たちがいなくなってから、エドモンドはクロヴィスに嚙みついた。なぜ、止めたのだと。どうして、言い返さないのだと。




