5-6
広場にたちならぶ路面店と、そこに色とりどりの野菜やらフルーツ、そして雑貨なんかが並べられている光景に、アリシアはおもわず感嘆の声をあげていた。
「わぁ! これが市場なのね!」
広場には買い物にきた人たちや、お店を出している人なんかであふれていて、あちらこちらで熱心にはなしこむ姿が見える。中には、そんな人々の様子をカンバスに描いている画家の卵らしき若者や、楽器をならして観客を集めている男なんかもいる。
目を輝かせてきょろきょろ首をめぐらせるアリシアに、クロヴィスは紫の目を細めた。
「やっぱり。あなたは、ここが気に入ると思った」
「ええ。市場って、すごく楽しいところね」
声を弾ませた時、視界の端で何かがきらりと輝くのがみえた。そちらに目をむけた途端、アリシアは思わずクロヴィスの手をほどいて、その場所へと駆け寄った。
「すごい。どれもこれも、とってもきれい」
「あら、かわいいお嬢さん。どこの子かい?」
目を輝かせて走ってきたアリシアに、ちょうど店先に商品をならべていた女性が目を丸くし、次いでにこにこと腰をかがめた。。
アリシアが走っていったのは、ガラス細工ばかりを並べた出店だ。美しいカットで模様をつけられたグラスや、日の光をうけてきらきらと輝くブローチなどに、アリシアの目はすっかり釘付けであった。
「これ、全部売り物なの?」
「そうさ。うちの旦那の弟子たちがつくったの。商会に売るにはちょっと不格好だけど、市場の中では一品だよ」
「こんにちは、マダム。妹が、突然に失礼いたしました」
置物やら飾りやらにアリシアが夢中になっていると、頭の上で低めの心地よい声が響き、肩にそっと手が置かれるのを感じた。はっとしてアリシアが見上げると、背中にぴたりと寄り添ってクロヴィスが立っていた。
上質なロングコートをはおり、高貴さをにじませて挨拶の言葉を口にしたクロヴィスに、女の人は目をまん丸に開いて、あわてて頭を下げた。
「おやま! 貴族の方々でしたか! これはこれは、失礼しました」
どうやら、あんまりアリシアが元気に走っていったものだから、はじめは貴族のうちの娘だと認識されていなかったらしい。
といっても、アリシアのほうもびっくりしていた。にこにこと親し気にはなしかけてくれていたおかみさんが、急に態度がかしこまってしまったからだ。
そのことにためらいを覚えつつ、アリシアは上目遣いで女の人にお願いをした。
「あの、手に取って、近くで見てみてもいいですか?」
「けどねぇ……。とても、貴族の方の目にかなうようなものじゃないのよ。お嬢さんみたいな子は、商会とかを通じて商品を探した方がぜったい良いのではないかしら」
難色を極める交渉に、救いの手を差し伸べたのはクロヴィスだった。
「この子ははじめて市場にきたのですが、実は、私は何度も足を運んでいるのです。ここの活気が好きで、今日は、妹にもそれをわかってもらいたくて」
「あらま。貴族の若旦那さまが、市場にねぇ」
意外そうに、おかみさんはぽかんと口を開けた。そこでダメ押しとばかりに、クロヴィスはにこりと微笑んだ。それも、サービス精神満載に、きらきらと輝く笑みを。
「今日という日の記念を、妹に授けたい。マダムにお許しいただけるなら、この子へのプレゼントを選ばせていただいても?」
落ちたなと、アリシアは冷静に分析した。
現にマダムはしばしぽぉーっとクロヴィスに見惚れたあと、一気に笑み崩れて手をひらひらと振った。
「やだわぁ。許すもなにも、いいに決まっているじゃないか。お嬢ちゃん、とっても素敵なお兄さまで幸せだねぇ」
「ははは……」
目の前で、従者がご婦人を篭絡する様をみて、アリシアは曖昧な笑みを浮かべた。ていうか、クロヴィスのあんな笑み、自分ですら向けてもらったことがない。なんとなく面白くなくて、アリシアは柔らかな頬をかすかに膨らませた。
「さ、アリス。好きなものを選びなさい。……アリス?」
「おやまぁ! お嬢ちゃん、大好きなお兄さまがほかの人に笑いかけたりするから、嫉妬しちゃったんだね!」
「な、ちがいます!」
「そうなのか、アリス?」
「ちがうってば!」
アリシアが真っ赤になって否定しているというのに、おかみさんもクロヴィスも笑うだけだ。クロヴィスに至っては、フード越しにアリシアの頭を撫でたりしていて、そんな仕草もアリシアの調子を狂わせた。
(ぜったい絶対、お城に戻ったら何か仕返ししてやるんだから)
すっかり「お兄さまモード」になりきった従者に、気恥ずかしいからという理由で、物騒なことを王女は胸のうちも固く誓った。
そうとは知らず、クロヴィスの方はガラス細工をいくつか手にとって、アリシアが見やすいように近づけた。
「ほら。あなたが見たかったのは、これなのでは?」
ブローチを目の前にさしだされたことで、直前までの物騒な考えは一気に吹き飛んだ。そっと手にとると、それはアリシアの手の中できらりと光りを放った。
そのブローチに使われているガラスは、アリシアの髪や瞳と同じ明るく澄んだ青だ。その表面に複雑にカットがほどこされていることで、まるで宝石のような輝きを放っていた。
「きれい……」
「――――あなたの、青ですね」
ふわりと身をかがめて、クロヴィスが並んでアリシアの手をのぞきこんだ。思いの外、近くで響いた補佐官の声に、アリシアの心臓はどきんと高鳴った。
どきん?
感じたことのない胸の高鳴りに、アリシアは首を傾げた。
なんだろう。悪夢にうなされた後や、白昼夢に恐怖したときの嫌な感じとは違う。なのに、どことなく気分が落ち着かなくて、ちょっぴり胸がいたい。
そんな風に考え込んでいるうちに、クロヴィスの方は支払いを済ませてしまったらしい。おかみさんがアリシアの手の中のブローチを掴み上げ、ポンチョの胸元につけてくれた。
「ほら! すごく似合っているよ! うちの弟子も、お嬢ちゃんみたいな子に作品をつけてもらって、幸せだねぇ」
満足そうにうなずくおかみさんからクロヴィスに視線をうつすと、優しく細められた紫の瞳と目があった。
――――今度は、きゅっと胸が痛んだ。
(なによ。なんなのよ!!)
「クロ?」
きゅっだか、どきんだか、さっきから妙な主張をする己の胸をアリシアが叱りつけた時、近くで少年の声が響いた。




