5ー3
「なりません」
「しかし、フーリエ殿」
「なりません」
案の定、だめだった。もう30分以上も同じ押し問答を目の前で続けられ、アリシアはこっそりとため息をついたのだった。
「聞いていた以上に、頑固な方のようだ……」
ついにフーリエ女官長を説得することを諦めたクロヴィスが、女官長がいなくなった後で、疲労をにじませて呟いた。はじめは理詰めで攻めようとした補佐官も、一切表情をかえない女官長を相手に、完全に半目になってしまっていた。
「王女は深窓の乙女であってこそというのが、女官長の信念だもの。本人は、死んだ母にかわって、私を立派な乙女にしようと燃えているの。責めないであげてね」
「それにしたって、あれはひどい。こちらの言葉など、何も届いていないという顔だ……」
この頭の切れる男にしても、あの鉄仮面ぶりは難攻不落の要塞だったらしい。げんなりと肩を落とす補佐官をしたがえ、さてどうしたものかとアリシアは思案した。
はじめは乗り気でなかったアリシアだが、この男が熱心にすすめるのだから、思い切って城の外に行くべきかもしれないと思い直したのだ。だが、今のやり取りを見る限り、あの女官長をうなずかせるのは不可能だ。
「決めたわ、直談判するわよ」
「女官長以外に、ですか?」
再度あれを説得にいくべきか否か、ぶつぶつと独り言を続けていたクロヴィスが、虚をつかれたようにアリシアを見る。それを見上げて、少女は力強くうなずいた。
「だれも、その決定を覆せない人。もちろん、この国の王様よ」
「城のそとに行きたいの? シアが?」
「そうなのよ、お父様」
かくして、その日の夕食の席で、アリシアはジェームズ王に頼み込んでいた。牛肉のワイン煮込みに舌鼓をうっていた王は、突然の娘のたのみごとにアーモンド色の瞳をぱちくりと瞬かせた。
「どうしたんだい? いまは何か城下で祭りがある時期でもないよね」
首をかしげる王に、アリシアはひざの上でぎゅっと手をにぎった。当然、この席にクロヴィスは同席していないから、自分自身の言葉で父を納得させねばならない。一呼吸おいてから、アリシアは自分の気持ちを正直に話した。
「この国に住む人たちのことを、ちゃんと知りたいの」
まっすぐに王をみてアリシアがいうと、ジェームズ王の顔が、にこやかな父のものから国を統べる王のものへと変わった。
「前に君に、自分の正しいとおもうことを貫き、色々チャレンジしてごらんと話したね。城下にいくことは、その助けとなることかな?」
「はい」
決して目を逸らさずに、アリシアははっきりと頷いた。
「城の外にでて民の心に触れることは、今の私にもっとも必要なことだわ」
「いいよ。いってらっしゃい」
あっさり頷いた王に、拍子抜けしたのはアリシアだった。思わずテーブルの上に身をのりだして、牛肉を食べようとする父に確認する。
「ほんとうに? フーリエには反対されたのよ?」
「アンリのことは、私に任せなさい。うまく言っておくよ。ふふふ、直接わたしに言うから何かと思えば、やっぱり彼女に反対された後だったんだね」
愉快そうに笑ってから、ジェームズ王はグラスに入ったワインを掲げた。
「護衛をつけること。無茶をしないこと。この二つを守ってくれれば、私から口をだすことはないよ。――たくさんの学びを、君が得られますように」
その言葉とともに、グラスの中で赤い液体が優雅に揺れたのだった。
そうこうして、アリシアは二人の侍女に飾り付けられるに至ったのである。
(これはこれで、目立つのではないかしら)
姿見で前やうしろを確認しながら、アリシアはそんな感想を抱いていた。
お忍び視察ということで、服装のコンセプトは「城下に屋敷をもつ、貴族の娘風ファッション」だ。町にふらっと出てきた気軽さをイメージし、色合いやデザインを華美でないようにまとめつつ、王女の特徴である青い髪はしっかりと隠せるようにする。
……という、肝心なポイントはしっかり押さえているものの、いわゆる「ほにゃらら頭巾」の色違いみたいになっているのは、気のせいではないだろう。
「ねぇ、アニ、マルサ。せっかくだけど、もうすこし地味な服にするわけには……」
「却下です! これで完成ですぅ!」
「きゃあっ!」
途端、マルサがアリシアを人形よろしく抱きすくめ、すりすりとほおずりをし始めた。はわわわわと意味のない言葉しか出せないアリシアを抱っこしたまま、マルサはうっとりとため息をついた。
「ああ、もう、いっつも可愛いと思っていましたけど、この服は反則ですぅ! なんてすばらしい小動物感! いっそ、オオカミさんのかわりに、私が食べちゃいたいですぅぅぅぅ!」
「こら! 姫様が困っているでしょ!」
おねがいだから食べないでほしい、とアリシアが遠い目をしたところで、アニがマルサの手をひきはがした。
「アニぃ……」
「ほらほら。もうこわくないですよ、アリシア様。マルサにはちゃーんとお仕置きしておきますよ」
わきわきと手を動かすマルサを牽制しながら、アニがアリシアの頭をぽんぽんと撫でる。と思ったら、アニの顔がぽっと赤くなった。
「ところで姫様、ちょっとためしに「ねぇさま」って呼んでくれません?」
「――――あなた方」
背後からぞっとする冷気をはらんだ声がひびき、アリシアの両肩を広い手が包んだ。決して乱暴ではなく、しかし断固として侍女から王女を引き離したクロヴィスは、ぴくぴくと口元の笑みをひきつらせていた。
ちなみにクロヴィスの方も、ちゃんと視察用に変装させている。この視察の中で、アリシアとクロヴィスとは「貴族の若旦那と、年の離れた妹」という設定だ。
その設定に従ってロングコートを着こなした彼は、きっちりとしつつもラフさがあり、とっくにその美貌になれたはずのアリシアでさえ、ときめいてしまいそうだった。……その紫の瞳が、ケダモノを見るような目で侍女を見つめていなければ。
「行きましょう、アリシア様。ここには、あなたの身を脅かす者しかいないようです」
ささっと侍女たちの目からアリシアを隠すように、クロヴィスが前に立つ。途端に、二人の侍女から大ブーイングが起こった。
「ずるいですよぅ! 今日一日アリシア様を独占するんだから、今のうちに姫様をもふもふさせてくださいよぉ!」
「下がりなさい、変態。あなた方が頭をひやすまで、姫様の御身は私がお預かりします」
「なによ、ひとりで紳士ぶっちゃって! クロヴィス卿が一番の変態のくせに!」
「なっ! 私のどこが変態だと!?」
「休暇を楽しむ貴族の子息バージョン」のクロヴィスに、アニは勝ち誇ったように指をつきつけた。
「設定だなんて上手いこといって、アリシア様に「お兄さま♡」って呼ばせるための策でしょ! ぜんぶお見通しよ、この変態!」
「どういう発想しているんですか、あなたは!?」
頭上でぎゃーぎゃーと言い争う従者たちに、アリシアはそっと両耳を指で塞いのだった。




