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4-6


 重く、冷たくまといつく、暗い水の底。


 遠い呪いの唱和が、オレンジの炎となって逃げ場を奪い。


 黒き死神が、憎しみの裁きを下す。



 そうしてまた、少女は自分の悲鳴で目を覚ました。





(ああ、もう。こんな調子で、本当に未来を変えられるのかしら)


 ひさしぶりに、ぽっかりとスケジュールが空いた午後。鋸壁の凸凹のうえにちょこんと腰かけて、アリシアは膝の上に頬杖をついた。


 家庭教師の長い長い授業にもなんとか食らいつき、時にはクロヴィスに手伝ってもらい、集められるだけ知識をかき集めて。


 だが、近年の情勢に戦争の火種となる事柄は見当たらず、とすると、やはり女帝エリザベスの気変わりが戦争のきっかけであった可能性が高いが、そんなもの、10歳の少女にどうやって防げというのだ。


(ちょっと、ヒントが足りないというか……。不親切じゃないかしら、星の使いさん)


「アリシア様!?」


 瞼の裏に浮世離れした美少年を思い出して、ぼやいていたアリシアの耳に、背後で息をのむ声がした。てっきり、周囲には誰もいないと思っていた王女が驚いて振り向くと、こちらを見たまま顔をひきつらせたクロヴィスの姿があった。


「クロヴィスじゃない。こんなところで、何をしているの?」


「他の補佐官と、法務府にむかうところで……。と、そんなことはどうでもいいのです!」


 なるほど、彼の肩越しに後ろを見やれば、数人の文官が回廊に立つのが見えた。頭を揺らして、そちらをよく見ようとしたアリシアに、普段の冷静沈着さから想像がつかぬほど慌てた様子でクロヴィスは詰め寄った。


「いますぐ、その場所からお降りください。万が一、風に煽られでもし、アリシア様が落ちてしまったら大変です!」


「風に? やだわ、私、そんなにどんくさくないわ。それに、今日は風も穏やかで、こんなに気持ちのいい空じゃない」


「そういう問題ではなく……!」


「おーい、クロヴィス。俺たちは、法務府に向かうからなー」


「は!? なにっ!?」


 手を振り去っていく同僚たちに、クロヴィスはぎょっとしたように目をむいた。澄ました顔で何でも答えてくれる優秀な補佐官が、今日はひどく取り乱していることを愉快に思いながら、アリシアは肩を竦めた。


「みんな、私がここに座っているのなんて、とっくに見慣れているのよ。なんせ、この場所は私のお気に入りで、しょっちゅう座っているんだもの」


「つまり、こんな危険な行為を、何度もしていると……」


 安心させるつもりでアリシアは言ったのに、クロヴィスは重いため息と共にこめかみを押さえた。


と、何を思ったか彼は、アリシアの隣にきて塀にもたれて並んだ。


「決めました。アリシア様がそこを降りられるまで、私もこの場所を離れません」


「えっと、他の補佐官たちを追わなくていいの?」


「ただ、書類を受け取りにいくだけです。アリシア様の身をお守りする方が、よほど大事です」


「……ちょーっと、過保護すぎない?」


「なんと仰っても無駄です。ここは引きません」


 切れ長の目でじっとりとこちらを見るクロヴィスは、本人が言う通り、アリシアが塀を降りるまでは梃子でも動かなそうだ。


 やれやれ、これでは考え事を続けるのも難しそうだ。優秀な補佐官をいつまでも足止めするわけにもいかないと、アリシアが塀を降りようとした時、外の景色に視線をうつしたクロヴィスが軽く目をみはった。


「さすがは、元は軍事拠点の要所として建てられた城……。この場所からですと、城下が一望できますね」


「良い眺めでしょ? 市井の人々や郊外のお屋敷、街を横断するエラム川や青々と茂る緑の森。今日みたいに天気がいい日は、うーんと遠くに目を凝らすの。この国のすべてが、見えるんじゃないかって」


「アリシア様のお気持ちも、わかる気がします」


 得意げに胸を張れば、若き補佐官は感心したように景色に見入った。それに気を良くしたアリシアは、次々に建物を指差しながら、城下町について知っていることを披露した。


「あそこに見える赤い屋根はね、町の人たちに人気のパン屋よ。焼き菓子も作っていて、それはすぐ売り切れてしまうわ。でね、あのオレンジ屋根は、マダム・エルザの仕立屋。社交シーズン前は、マダムは朝から晩まで大忙しだわ」


「ほお。よくご存じですね」


「あとね、クロヴィスはエラム川の灯篭流しは見たことある? たくさんの灯篭で川がオレンジに染まって、とっても綺麗なのよ。そうだわ! 次の星祭の夜、ここで……」


 言いかけて、アリシアははっと言葉に詰まった。前世で、自分は星祭の夜に死んだのだ。それも、目の前の青年に胸を貫かれて。


 ふいに口を閉ざした主人に、クロヴィスは秀麗な顔をわずかに傾けた。だが、深く追求しようとはせず、すぐに城下町に視線を戻した。


「アリシア様は、市井に行かれたことがあるのですか? 大変お詳しかったので、もしかして視察で町に出られるなど……」


「あ、ううん。実は、ぜんぶ侍女たちの受け売りなの。私は一度も、このお城を出たことがないから」


 ごく自然に会話の流れが変わったことに感謝しつつ、アリシアは気を取り直して首を振った。すると、クロヴィスは意外そうにアリシアを見て瞬きをした。


※一度きります。

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