コミカライズ3巻発売記念SS「黒と銀、そして赤の親睦会」
サザーランド家の治めるシェラフォード公爵領の大半が王家に返上され、その地に新たに敷かれた王室直轄領シェラフォード支部の長に、サザーランド家の嫡男、リディ・サザーランドが据えられてから約ふた月。
枢密院での一幕に居合わせた者でなければ驚愕の采配だったリディ・サザーランドの支部長着任だが、シェラフォード領の運営は順調に滑り出していた。
その裏には、リディやドレファス長官の努力はもちろんのこと、亡きロイド・サザーランドに仕えた者たちが、シェラフォード支部の中枢に組み込まれたことが大きい。
ハイルランド王家を建国から支え続けた名家サザーランドの、公爵家としての歴史は終わった。けれども引き継がれた想いは、矜持は、決して消えない。形を変えども、確実に未来へと紡がれていく。
それはある意味で、王国を支えてきた古い貴族の家柄に新たな可能性を切り開く、一筋の希望でもあった――。
「と。まあ、堅苦しい話は一旦置いておくとして」
自分から始めたくせに、ロバートはそう切り上げて明るくウィンクする。手に掴むのは、庶民の味方、エールがなみなみと入った大きなジョッキだ。
それを高々と掲げながら、口をへの字にしたり、微妙な表情を浮かべたりするリディとクロヴィスに向けて、ロバートは軽快に声を弾ませた。
「我ら、青薔薇の姫を仰ぐ同志三人初の親睦会に、かんぱーい!」
「ちょっと待て」
ツッコミを入れたのは、店に入ってからというものずっと、もの言いたげな顔でロバートを睨んできたリディだ。
「やい、フォンベルト。なんだ親睦会って。なんだこの面子は。ていうか、なんだこの店は!」
「おいおい坊ちゃん。やめろよ、そんな他人行儀な呼び方。俺のことは、親しみを込めてロバートって呼んでくれって言ったじゃないか」
「は・な・し・を・逸・ら・す・な!」
リディは目の前に置かれたジョッキには目をくれず、代わりに、同じくしかめ面を浮かべるクロヴィスを指さして、彼はまくしたてた。
「僕は、お前が僕に大事な話があるっていうから付いてきたんだぞ! なのに、なんでクロムウェルがここにいるんだ!?」
「……俺もだぞ、ロバート」
リディとは異なり半ば諦めたような顔をしつつ、クロヴィスも腕を組んだまま、じろりとロバートを睨んだ。
「お前が、アリシア様をお支えするうえで今後重要となる話をするというから、ナイゼル様に許可を頂いて時間を作ったんだ。だというのに、どうして店にこの方が……」
「おい。待て待て、クロムウェル」
うんざりとした声音のクロヴィスに、リディがひくりと唇の端を引き攣らせた。
「聞き捨てならないな。お前いま、僕を邪魔者扱いしなかったか?」
「ええ、しましたよ。迷惑しているのはお互い様ですので」
「き・さ・ま……っ!? い、いいか!? 僕の方が年上だぞ!? 年上なんだぞ!?」
「知りませんね。互いの年齢を明かすほど、あなたと親しくなった覚えもありませんし」
「ぬぁんだと!?」
勢い余ったリディが立ち上がりかけたところで、ロバートが間に割って入った。
「はいはい! 気持ちはわかるけど、両者そこまで!」
「「誰のせいだ!」」
クロヴィスとリディが、同時にかみつく。それを笑顔で受け流して、ロバートはひらりと手を振った。
「よく考えろよ。クロヴィスはアリシア様付き補佐官で、坊ちゃんは王国随一の重要地区の支部長。んで俺は、近衛騎士団の副隊長だ。エアルダールに渡った10人の中でも、俺たち三人が一番の出世株だ。いわば、次のハイルランドを支えるホープだぜ?」
「ま、まあな」
「出世株という言い方がどうかは置いておくとして、一理はありますね」
「だからこそ!」
クロヴィスとリディがつられてちらりと視線を交わしたところで、ここぞとばかりにロバートは居酒屋のテーブルに手のひらを打ち付けた。
「俺たちはもっと、互いを信頼し、手を取り合うべきだ。それでこそ『あの方』の――あの小さな姫さまの、期待に応えられるってもんじゃないか?」
にっと笑った銀髪の騎士に、クロヴィスとリディはそれぞれはっと息を呑んだ。
クロヴィスは言わずもがなだが、今やリディもまた、青い髪をした小さな姫君に拾い上げられ、彼女に多大な恩義を感じるひとりなのだ。
ちょっぴり照れくさそうに顔をしかめてから、リディはツンとそっぽを向いた。
「ま、まあな! あの方を悲しませるのは、僕も本意じゃないからな。どうしてもというのなら、クロムウェルとも仲良してやらんこともないぞ!」
「だからなんで、いちいち上から目線なんですか。……とはいえ、あなたが、あの方のために力を貸してくれることになったのも事実です。いつまでも顔を合わせば口喧嘩ばかりでは、あの方に申し訳がたちませんね」
「そうそう。その意気、その意気っ」
満足げに頷きながら、ロバートが改めてジョッキを掲げなおす。
「というわけで。我ら同志三人の絆とこの国の未来に、かんぱーい!」
「「かんぱい」」
今度は残りふたりも連なった。ひとりはやぶさかでもなさそうに、ひとりはどこか仕方なさそうに、ジョッキを持ち上げる。何はともあれ、三人分の杯が重なったのであった。
しかし、ここでまた一つ、新たな問題が持ち上がる。
「しかし……大丈夫なのか、この店は?」
ロバート、ついでクロヴィスがジョッキに付ける中で、リディは恐々と、どこか疑わしげな目で店内を見渡した。
「騎士団の行きつけだっていうから入ったが……。この店、僕の家の馬小屋より狭いぞ? 厨房も狭そうだし、本当にまともな料理を出しているのか?」
「そういやお前、冗談抜きに坊ちゃんだったな」
リディの発言に、ロバートがひくりと苦笑する。
そう。何を隠そう、リディは元とはいえ王国随一の公爵家嫡男。正真正銘、純粋培養のお坊ちゃん育ちだ。当然、庶民の酒場など出入りしたことがない。
であるからして、所せましと席が詰め込まれた店内も初。陽気に飲み騒ぐ客らの中に放り込まれるのも初。気のいい女将さんが次々運んできてくれる、庶民の味方のエールやら大皿料理なんかも、何もかもが初体験なのである。
ジョッキやらカトラリーやらも、ちゃんと洗ってから出されているのだろうか。そのように疑わしげにテーブルの上を眺めるリディ。その肩に、ロバートががっと腕を回した。
「ったーく! 難しいこと考えないで、いっちょぱーっと試してみろよ。ほーれ、坊ちゃんのいいとこ見てみたいっ。それ、いっき、いっき!」
「うわっぷ! や、やめろ! 僕の高貴な舌に、庶民の店の味があうわけが……んぐ……ぐ……んむ!? う、うんまー!」
無理やりエールを飲まされ目を白黒させたリディだが、すぐに驚愕に目を丸くする。それに、ロバートも「だろ?」と満足げに笑った。
「ここですかさず、串を一本。ほれ。塩漬け肉を焼いただけのシンプルな一品だが、なかなかどうしてエールに合うぞ」
「む、お前がそこまで言うなら……むむ!? うまい! うまいぞ、クロムウェル! お前も試しに食べてみろ!」
もぐもぐと口を動かしたまま、まるで宝物を見つけたかのようなキラキラとした表情で、リディはクロヴィスを振り返る。
けれどもクロヴィスの反応は、ひどくあっさりしたものだった。
「知ってますよ。この店は、何度か来たことがありますから」
「な、なんだって?」
「俺が、たまにクロヴィスを街に連れ出してやってんだ。そうでもしなけりゃ、こいつは永遠に仕事をしているからね」
がーんとショックに陥るリディに、ロバートが笑顔で補足する。するとリディは、しばらく呆然とふたりを見つめていたが、やがて目を吊り上げてぴしりと指を突き付けた。
「お前たちは、またそうやって! どうしていつも、僕を仲間外れにするんだ!」
「はい?」
「は?」
予想の斜めうえの怒り方に、クロヴィスとロバートはそれぞれ呆けた声を漏らす。けれどもリディは本気のようで、拗ねたようにぐちぐちと文句を垂れ流している。
「視察団時代からそうだ。せっかく僕がサザーランドとして連中を導いてやろうとしているのに、お前たちふたりは僕の言うことなんか聞きもしない。それどころか、仮にも2年も隣国で過ごした仲なのに、いつも二人でつるんで、僕ばっかり仲間外れで……」
「いや、仲間外れって……」
「むしろ俺は、あなたに嫌われた記憶しかないんですが……」
呆れた顔をするロバートとクロヴィスだが、リディはすっかりふて腐れた顔をしている。クロヴィスは仕方なく、フォロー……とまではいかないが、冷静に指摘してやることにした。
「だいたい、以前のあなたなら酒場に誘われたところで断っていたでしょうし、仮に足を延ばしたとして、俺がいたら気分を害して帰っていたでしょう?」
「それはそうだが、誘われないのはもっと嫌なんだ!」
「「めんどくさいな(ですね)!?」」
ロバートとクロヴィスのツッコミが勢いよく重なる。
尚も憤慨するリディはしばしぷるぷると震えていたが、ふいに静かに肩を落とした。
「わかっている。間違っていたのは僕だ」
クロヴィスが顔をあげ、ロバートがエールに伸ばした手を止めた。そうしてふたりが思わずまじまじと見つめる中、先程までの威勢が嘘のように、リディはそっと目を伏せる。
「支部長の任を受けてから、特にそう思う。僕は公爵を――父の後を継ぐと言いながら、領民のことなど何もわかっちゃいなかった。クロムウェル。お前のこともそうだ。自分の尺度で勝手に判断して、目の前から排除しようとした。世界を狭めていたのは、僕自身だった」
リディの指が、重ねた服の裾にきゅっと食い込む。落ちた瞳に深い自責の色を感じ取ったロバートは、とっさに声をかけてやろうと口を開きかけた。
だが、意外なことに、それよりも早くクロヴィスの声が響いた。
「俺は、無知であることを悪とは思いません」
ぴくりとリディの指が震える。そっと顔をあげたリディの瞳を、クロヴィスの紫の瞳が静かに見据えていた。
「大切なのは、己の無知を悟ったとき、次にどう動くかです。あなたはすでに、知らなかった世界を知ろうと歩き始めている。ならば、恥じる必要はどこにもないと思いますよ」
「クロムウェル……」
しばし呆然と、リディはクロヴィスを見つめていた。ややあって、はっと我に返った彼は、潤んでしまった目を隠そうと慌ててそっぽを向いた。
「っ、ふ、ふん! お前の正論は鼻につくとつくづく思っていたが、たまにはいいことも言うじゃないか。少しは見直してやってもいいぞ!」
「誰が鼻につくですって、失敬な」
「いいから、これを食べろ! めちゃくちゃ旨いんだからな!」
「前に食べたことありますってば!」
喧々諤々やりながら、なんのかんので料理を分け合うリディとクロヴィス。
そんな光景に、ロバートはひとり、のんびりと頬杖をつく。
そして、人知れずそっと笑みを浮かべた。
(確かに。この二人、案外うまくやっていけるかもしれませんね)
ね、姫さま?と。呟いた声は、当然『彼女』には届かない。
けれどもロバートは、街の中央にある歴史ある城の一室で、愛らしい少女がころころと鈴の音のような笑い声をあげるのが、なぜだか聞こえた気がしたのであった。