コミカライズ2巻発売記念SS③「ローゼン卿のひとり前夜祭」
ハイルランドの貿易拠点のひとつ、港町ヘルド。海を通じて様々な場所から人々が集まるこの街は、一年を通じて非常ににぎわう。
人が集まるということは、すなわち飲み屋や宿屋も栄えるということ。メインとなる大通りには、日が暮れると同時に今日も多くの商人たちが旨い酒と料理を求めて集まる。
その一角にあるパブ、バスコスの館。そこに通い詰める常連のひとりが、ヘルドのあるローゼン領の若き領主ジュード・ニコルであるということは、この街に頻繁に顔を出す者なら誰でも知っている事実である。
「こんばんはー! どうも! 今晩も賑わってるね!」
オレンジ色の温かな光が、窓から道に漏れ出す。それに頬を緩めてから、ジュードはにこにこと店の入り口をくぐった。途端、振り返った馴染みの商人たちが、次々に彼に手を振ってくれる。
「いよう、ご領主殿!」
「こっち来いよ! 席空いてるぜ」
「ありがとう、ありがとう! じゃあ今夜は……ここにお邪魔しようかなっ」
顎に手を当てて少しだけ悩んだふりをして、ジュードはとあるグループの中にすとんと納まる。ジュードはこうやって、日によって交わるグループを変えていた。そうすることで色んな話が聞けるし、領主という立場上、様々な商人と関わったほうが彼らの中でもバランスがとれるのである。
迎える商人たちもなれたものだ。明るい緑色の瞳できらきらと身を乗り出すジュードに、さっそくパブの主人が声を掛ける。
「どうする? 一杯目は、いつも通りエールにするかい?」
「それも魅力的だけど……、いいや、今日はグレモアをお願いするよ。もちろんロックでね」
「おお? 一杯目から飛ばすじゃねえか。どうしたんだ、めずらしい」
いきなりウィスキーをいれたジュードに、先に呑んでいた大柄の商人が目を丸くする。さっそく用意されたグラスを受け取りながら、ジュードは残念そうに肩を竦めた。
「それがさ、明日はちょっとお客人が来る予定で。今晩はあまり長居ができないんだ」
「へーえ? お客人? ジュード様に?」
「ご領主さまがそんなに気を遣うなんて珍しいな。一体どこの大商人様だ?」
「あ、わかったぞ! あれだ、また意地悪な地方院のお役人だな?」
ほかの商人たちも、盛り上がって次々に予想する。からんと一度氷を揺らしてから、ジュードはやれやれと首を振った。
「ぶっぶー! みんな、不正解! 正解は、王都にお住いのお貴族様さっ」
――正確には、お貴族様もお貴族様、この国を統べるジェームズ王の一人娘、アリシア王女殿下であらされるのだが、何もそこまで話す必要はない。さも億劫だという顔をしてウィスキーを飲んでみせれば、商人たちは口々に同情してくれる。
「お貴族様か。そりゃまた、面倒な約束が入っちまったな」
「まったくだよ。この僕、変人ジュードに会おうだなんてさ、世の中には酔狂な方もいたもんだ」
「ちがいねえ!」
がはははと笑って、商人たちはバシバシとジュードの肩を叩いたり、「まあ、飲めよ!」と次のウィスキーを勧めてきたりする。ひとしきり盛り上がって話題が次に移った頃、ひとりの商人がこそりとジュードに囁いた。
「んで? そのお貴族様って奴。よく会う気になったな。普段のあんたなら、色々と理由付けて断っちまうだろ」
「あはは。僕のこと、本当によくわかってるよね」
あっけらかんと笑って、頬杖を突く。さあ。どこまで話したものだろうか。軽くウェーブした金色の髪の合間から、ジュードは推し量るような笑みを浮かべる。
声を掛けてきた男は、この港町の中でジュードがもっとも信頼をおく男だ。年はジュードと同じでまだ若いが、鼻が利き、時流を読むことに長けている。いずれローゼン領で行っている磁器の研究が上手く行った暁には、卸先は彼のいる商会にしようと決めていた。
皆がほかの話題で盛り上がっているのをちらりと確かめてから、ジュードは苦笑をした。
「正直に言うとね、僕がお断りできるような立場の方じゃないんだ」
「そりゃまた。随分な大物に目をつけられたもんだな」
「でしょう? いくらヘルドが要港だって言ってもね、何も好き好んで僕なんかに会いに来なくたっていいじゃないか。社交シーズンすら王都に顔を出さず、自領に引きこもっている変人なんかにさ」
からころと氷を揺らす。氷が溶けだし、程よくウィスキーと混ざり合ってきた。それを一口含んで喉を湿らせてから、ジュードは緩やかに笑みを浮かべた。
「だからこそ、楽しみでもあるんだ。あちらさんが一体、僕に何を言いたいのか」
――ハイルランドに咲く青き薔薇姫。そのように呼ばれる、10歳の幼い王女のことを、ジュードは頭に思い浮かべる。
いろんな意味で王都と疎遠な彼は、当然アリシア王女と面識がない。とはいえ、何がどう商機に結び付くかわからないため、ジュードは王都の事情にもある程度は通じている。そのうえで言わせてもらえば、王女アリシアはごく普通のお姫様。それ以上でもそれ以下でもない。
王族とは言っても、所詮は10歳の少女。何かしらの功績を残すような年でもなければ、婚約者選びについて本格的に騒がれるような年でもない。亡きリズベット王妃に似て大層愛らしいということ以外に、目立った情報はこれまで耳に入ってこなかった。
だが、そんな少女が、わざわざ山々を越えて自分に会いに来る。それも、一度地方院で却下された提言について詳しく話をしたいからと言って。
事前に仕入れた情報とはこれっぽっちも結びつかない、まったくもって想定外の行動。これはもう事件と言っても過言ではない。
(アリシア姫様と、その補佐官クロヴィス・クロムウェル、だったっけな。いったい、どんな人たちなんだろう)
まだ名前しか知らない二人に、ジュードは想いを馳せる。確信はないが、何か愉快なことが起こりそうな予感がする。商人的勘が、彼にそう告げていた。
にこりと笑って、ジュードは声を弾ませる。
「ここだけの話、僕は目一杯歓迎して差し上げるつもりだよ。遠路はるばる来てくださるわけだし、なにより僕を呼びつけるんじゃなくて、こっちに足を運ぶっていう姿勢が素晴らしい。王都の方々にこそ、僕はヘルドの街を見ていただきたいからね」
「なーんだ」
楽しげに言うジュードに、商人は苦笑をする。ジュードのために新しい一杯をカウンターに頼んでやってから、彼はくいと眉を上げた。
「散々面倒そうなオーラだしてたけど、あんた、ちっとも面倒なんて思ってないじゃないか」
「しっ。内緒だよ」
隠し事をするように、ジュードは唇に人差し指を当てる。そうやって、まるで悪戯が成功した子供のように笑ってから、彼は茶目っ気たっぷりにウィンクをした。
「明るく、楽しく。それが僕のモットーさ」
――そんな夜から一月ほどたった頃。同じパブの同じ席で、ジュードは彼に『メリクリウス商会』という新商会の構想を持ち掛けることになるのだが、それはまだ先の話である。
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