コミカライズ2巻発売記念SS①「楽しい楽しい、旅支度」
2020/12/07 コミカライズ2巻発売いたしました!!
「姫様の初遠征が決まったわ!!」
ハイルランドのとある日の午後。エグディエル城の一角、王女アリシアの居室にて、王女付き侍女のアニが腕を組んで宣言した。
「行先はローゼン侯爵領内、領主ジュード・ニコル様のお屋敷! 近くに港町ヘルドがあって、昼夜の温度差がかなりあるわ! 滞在は最大7日間! 途中フォーリスの街で一泊するから、全部で約10日分の荷が必要になるわ!」
「腕がなりますねぇ~」
アニの向かいで、マルサが両手を合わせてうんうんと頷く。のんびりした声からは察しづらいが、彼女がやる気に満ち満ちているのは目を見れば明らかである。
ぐっと手を握りしめ、アニは高らかに宣言する。
「私たちの任務は、10日間、姫様が快適に過ごせるようにすること! 気張って荷造りするわよ!!」
「お~!」
「おー!」
まったりしたマルサの声に合わせて響く、明るく元気な声。虚を衝かれたふたりが声の方を見れば、嬉しそうににこにこ笑うアリシアがいた。
当たり前のようにちょこんと二人の間に収まる少女に、アニとマルサは頓狂な声を上げた。
「ひ、姫様!?」
「なんでここにいるんですか~?」
予定では、この時間は補佐官クロヴィスと、ローゼン侯爵との交渉に向けた準備をするはずだ。するとアリシアは、あっけらかんと答えた。
「クロヴィスに時間を変えてもらったの」
「え、なんでですか?」
「旅行の準備、面白そうだから!」
空色の瞳をきらきらと輝かせて、無邪気にアリシアが声を弾ませる。……自分との時間より荷造りを優先され、この城のどこかで黒髪の補佐官が悲しんでいなければいいが。そんな心配を、そこはかとなく侍女二人は抱えた。
遠い目をするアニとマルサをよそに、アリシアは元気に手を突き出した。
「というわけで、張り切ってがんばるぞー!」
「おー!」
改めてアリシア本人の宣言と共に、さっそく遠征に向けた荷造りが始まった。
服の選定はマルサが担当。それを、アニが手早く荷物にまとめていく。アリシアはというと、たまに一緒にマルサと服選びを悩んだり、もっていきたい本を選んだりだ。
余所行きの服はもちろん、急遽ヘルドの町にお忍びで出ることになってもいいよう、先日街に出たときと同じ『町娘風スタイル』も選ぶ。クロヴィスに買ってもらったというブローチも、もちろん荷造りにつめた。
ある程度まとまってきたところで、マルサが嬉しそうに何やら引っ張り出した。
「そうだ! 大事なものを忘れていました~! 姫様、この子を持っていかなきゃですね!」
「え、なになに? って、え!?」
興味津々に振り返ったアリシアは、マルサが両手で抱えるものを見てびっくりする。それは、昔たいへんお世話になった大きなクマのぬいぐるみだった。最近では部屋の片隅に飾られたままになっていたクマを抱え、マルサは懐かしそうに頬ずりする。
「姫様、ちっちゃい頃は絶対、この子を抱っこして寝てましたもんね~っ」
「そうそう! 一回ベッドの下に入っちゃったかなんかで行方不明になったとき、『あの子がいなきゃ眠れない!』って大泣きしたりして!」
「ちょ、ちょっと! いつの話を持ち出すのよ!」
楽しげに昔話に花を咲かせる二人に、アリシアは顔を真っ赤にして抗議する。たしかにそんなこともあったが、それはもう随分前の話。いまのアリシアは、ひとりでちゃんとベッドで眠れるのである!
だが、マルサは「いいじゃないですか~」とクマを抱きしめたまま唇を尖らせた。
「だって、初めて遠くの町まで行くんですよ~。お城の外に泊まるんですよ~。夜、寂しくなっちゃうかもしれないじゃないですかぁ」
「な、ならないもの!」
「本当にー? 姫様、夜中に目が覚めた時に、ぎゅっと出来るもの欲しくないですかー?」
マルサだけではなく、アニまで加勢してくる。二人から言われると、途端にアリシアも自信がなくなってくる。確かに、この間エグディエルに出たときと違って、今回は泊りがけだ。それも10日間近く。さすがにどこかで、寂しくなるかもしれない。
「必要、だと思う?」
「はい、絶対に!」
不安になって二人に問いかければ、アニもマルサも自信満々に頷く。ややあって、アリシアはせめてもの抵抗に、そっぽを向いて唇を尖らせながら答えた。
「……持っていくのを、許可します」
「かしこまりました~っ」
嬉しそうに微笑んで、マルサがいそいそと『持っていくものたちの山』にクマのぬいぐるみを加える。その横で、今度はアニが何やら引っ張り出した。
「じゃあ、じゃあ! コレも持っていかなくちゃですよね!」
「今度はなになに? って、ええぇ!?」
またしてもアリシアは目を丸くした。アニが引っ張り出したのは、小さい頃によく読み聞かせをしてもらった絵本だった。
懐かしそうにぱらぱらとページをめくりながら、しみじみとアニが言う。
「ちっちゃい頃の姫様、この絵本がだーい好きだったんですよねー。女官長にも、私にもマルサにも! そばに誰かいると、このご本読んで―ってすぐに持ってきて。はぁー。あの頃の姫様も、すっごく可愛かったなー!」
「あぁ! ありましたねぇ。私、あの頃は絵本の中身を覚えちゃってましたぁ。あれ、今でも言えるかもっ。えっとぉ、『むかし、むかしぃ~』……」
「いやいや! そっちはさすがに必要ないから!」
当たり前のように『持っていくものたちの山』に絵本を置こうとするアニに、アリシアはぶんぶんと首を振る。すると、アニが「いいえ! 必要ですって!」と腰に手を当てた。
「さっきも言いましたけど、初めて10日もお城を離れるんです! 慣れた実家を離れるのって、結構寂しんですよ! 辛いんですよ!」
「そうですよぉ~。お家を思い出して安心できるものが、ひとつでも多い方がいいです! 私も、お家を出てお城に入った日の夜は、すこぉしウルっとしちゃいましたもん~」
「そういうもんなの……?」
わざとらしくマルサが目元を拭ってみせると、純粋なアリシアは再び不安そうな顔をする。してやったりと言った顔で、侍女二人は大きく頷いた。
「そういうものです!」
「絶対、後で役に立ちます!」
「……なんだか納得しきれないけど、いいわ。持っていくのを、許可します」
「わーいっ!」
アニとマルサは手を合わせて喜び、さっそく絵本を山のてっぺんに置く。ちょうど、クマのぬいぐるみが絵本を抱きしめているような見た目となり、半分懐疑的なアリシアとしてはなんともいえない気持ちとなった。
本当に、必要になるかしら。そんな風にアリシアが愛らしい眉をひそめたとき、アニがふと荷物の山を見て笑みを漏らした。
「私たちの姫様が、このお部屋を出て遠くに行く日がくるなんてね」
「本当ですねえ」
マルサも、改めてといった様子で荷物の山を見て、目を細めた。
「私たち、ずーっと、この部屋でアリシア様の身の回りをお世話させていただいてきましたもんねぇ」
「そうそう。それが、ついに遠征だなんて、なんだか感慨深いものがあるわよね」
並んで荷物の山を眺めるふたりを、アリシアは見上げた。
――そうか。寂しいのは、何もアリシアだけではないのだ。
ぎゅっと、アリシアは前触れなく、アニとマルサにしがみつく。突然抱き着いてきた王女に、侍女ふたりは目を丸くして同時にアリシアを見下ろした。
「ひ、姫様?」
「どうしたんですかぁ?」
「ありがとう、ふたりとも!」
ぐりぐりと頭を押し付けて、アリシアは甘える。しっかり者のアニと、のんびりとマイペースなマルサ。ふたりとも大切な従者で、友人で、姉のような存在だ。
首を傾げる二人を、アリシアはまん丸の瞳で見上げた。
「けど、どこにいっても私たちは一緒! これからも、ずっとずっとよろしくね!」
「っ!」
「姫様……」
アニがはっと息を呑み、マルサがうるうると瞳を潤ませる。一拍の間の後、侍女ふたりはまるで本当の姉妹のようにアリシアを抱きしめ返した。
「ほんと、姫様ってば!」
「私たち、ずーっとずーっと、姫様のお傍にいますからね~!」
「く、くる、くるしい! くるしいってば、ふたりとも!」
ぎゅむぎゅむと抱きしめられ、アリシアは悲鳴を上げる。その後も、アリシアの私室には、元気な三人の笑い声が響き続けた――――。
後日。ローゼン領へと馬車で発つ朝。
主人を先に馬車に乗せ、後から乗り込んだクロヴィスは、向かいに座るアリシア――の、正確には周りを固めるものたちを見て、美しい切れ長の目をぱちくりとさせた。
「アリシア様、そちらの品々は……」
「聞かないで」
顔を赤らめつつ、アリシアが即答したのも無理はない。
端から、大きなクマのぬいぐるみに、同じくらいのうさぎのぬいぐるみ。ネコ柄のクッションに、年季の入った絵本が数冊。まるでアリシアを取り囲むようにして、それらが馬車の椅子の上に並べられている。
その真ん中にちょこんと座って、アリシアは内心悲鳴を上げた。
(馬車の中は大丈夫って、ちゃんと言っておいたのにーっ!)
過保護な侍女ふたりの顔が、瞼の裏をよぎる。きっと今この瞬間も、となりの馬車で「姫様、泣いてないかしら」などと無駄な心配をしていることだろう。
羞恥にふるふると震えるアリシアをよそに、クロヴィスはしげしげとそれらを眺めていた。やがて秀麗な顔にふっと笑みが浮かんだのを、アリシアは見逃さなかった。
「っ、クロヴィス! 今、私のこと子供扱いしたでしょ!」
「まさか。大切な主人に、そのような考えを抱くなど……ふふっ」
「あ! 絶対うそ! ~~~っ、もう! クロヴィスにも一個貸してあげるわよ! クマさん、うさぎさん、どっち!?」
「では、クマさんで。ふ、ふふっ、ありがとうございます」
くすくすと肩を揺らして、クロヴィスが笑う。
――尚、馬車がエグディエルの街を出てしばらく行くまで、美しい補佐官は笑いのツボにはまり続けたのだった。