コミカライズ1巻カウントダウンSS② 難しいお年頃と父の苦悶
ハイルランド王、ジェームズ王。ふくよかな体に人好きのする笑みを浮かべた丸顔。そんな親しみ深い印象に反して、先を見据えた鋭い慧眼の持ち主。
賢王と名高い彼のジェームズ王であるが、そんな彼にも弱点がある。
彼は大層な、美食家である。
「……陛下」
うずたかく積まれた書類の山の中で、黙々と提言書に目を通す一国の主。勤勉そのものととれる王の姿を前にしておきながら、しかし、その一の補佐官ナイゼル・オットーは難しい顔で王を見ていた。
「またそんなに菓子を召し上がって……。食べすぎは体に毒ですよ」
「む。お主はまた、そんな意地悪を言う」
ばつの悪そうな表情で、ジェームズ王は書類にサインする手を止める。けれども、ペンを持つのと反対の手には、しっかりと調理長お手製のクッキーが握られたままだ。
抗議のつもりかぱくりとクッキーを口に放り込んでから、ジェームズ王は口を尖らせた。
「このクッキーは私が食べているのではない。私の脳が食べているのだ。だから、仕事をしている間なら、いくら食べても問題ないんだね」
「その言い訳は聞き飽きました。大体、それが真実であるのなら、その体はどう説明をつけるのです? 私の記憶が正しければ、ひと月前より少々大きくなられましたよ」
「いたいけな王を捕まえて、デブ呼ばわりするのはお主ぐらいだね?」
「そのようなことは申しておりません。陛下がそう受け止められたのなら、陛下御自身が、そうした懸念をお持ちだったのでしょう」
どうやらこの件については、分が悪いのは自分らしい。そう気づいたジェームズ王が、早々に白旗を上げてクッキーが山盛りになった皿を遠ざける。それでも彼は、名残惜しそうに皿の縁を指で撫でた。
「けど、頭を使うと甘いものが食べたくなるのは本当なのだよ。このところは込み入った案件が多いからね。私も、食べ過ぎてしまうのがよくないのは分かっているが」
「私も一切合切食べるななどと、鬼のような言い分を通すつもりはございません。食べるだけ食べて動かないのが問題なのです。せめて朝夕に少しの散歩。その習慣だけでもつけていただければ」
「だけどねえ。ただ歩くのもやる気が、ねえ」
うだうだと文句をたれるジェームズ王。するとナイゼルは、ここぞとばかりにきらりと眼鏡を光らせた。
「このままではいずれ、アリシア様に嫌われてしまっても、ですか?」
「シアに?」
突如重々しく告げた腹心の部下に、ジェームズ王はごくりと息を呑む。王が身構えるなか、ナイゼルは眼鏡の奥で切なげに視線を流した。
「……陛下はご存知ないのですね。年頃の娘の、難しさを」
「……と言うと?」
「娘というものは、10歳を超えた頃に豹変します。話しかけてもそっけない返事しか戻ってこない。ひどいときには返事すらない。目を合わせない。同じ部屋に入れば、すぐに出ていく。――陛下は、その原因がわかりますか?」
「何か、怒らせてしまったんじゃないのかな」
「いいえ」
怯えた目を向けるジェームズ王に、ナイゼルは重々しく首を振る。それから彼は、強い実感を込めて次のように告げた。
「思春期、ですよ」
「思春期……?」
「はい。父親が何をしたかなど関係ありません。特に深い意味はないけれども、父親が気持ち悪い。一緒にいたくない。そういう時期が、女の子には訪れるのです」
「そ、そんな! 回避する方法はないのかね!?」
「もちろん、程度の差はあります。妻に聞いたところによると、中にはそういった時期を迎えることなく大人になる娘もいるそうです。……ですが、もしもです。もし、そうした難しい年頃の折り、父のだらしない一面を知ってしまったらどうでしょう。父が節操なく菓子を口にし、ぷくぷくと肥え太る様を知ってしまったなら……」
ジェームズ王は顔を青ざめさせた。
奇しくもアリシアは10歳になったばかり。素直で愛らしく、自分に尊敬の目をむけてくれる愛娘が、ある日急に変わってしまったら。
〝お父様ったら、自分の体の管理もできないのね〟
頭の中で、アリシアが憐れみの目で自分を見てくる。それだけでもつらいというのに、さらに想像のアリシアは、ほとほと呆れた顔でこういった。
〝……だらしない、お父様。もう口も聞きたくないわ〟
「ダメ、ダメ、ダメ、ダメー! シアに嫌われるのは、絶対に嫌だー!」
「そうでしょう、そうでしょう」
頭を抱えて震えるジェームズ王に、ナイゼルが何度も頷く。にっこりとほほ笑んだ彼は、どこから取り出したのか、ウォーキング用の軽装を主にすっと差し出した。
「本日から、歩いていただけますね?」
それからしばらくの間。急に健康に目覚めたらしいジェームズ王が、城内を熱心に歩いて回る姿が城のあちこちで目撃されたのだった。




