コミカライズ記念SS 『ありがとうを、君に』
ハイルランドには珍しい、抜けるよう晴天が王都を優しく見下ろしている。
その日、エグディエル城は朝から明るく浮足立った空気で満ちていた。
「アリシア様! おめでとうございます!」
「アリシア様、こちらをどうぞ! ささやかですけれど!」
「おっと、姫さま! どうぞ良い一年にしてくださいね」
「みんな、ありがとう!!」
すれ違った女官たちや、途中かくまってくれた料理長、たまたま出くわしたロバートら近衛騎士たちまで、出会うひとびとが次々に祝福の声を掛ける。
そんな声を浴びながら、王女アリシアは元気に城を駆け巡る。幸せいっぱい、まさに天真爛漫といった様子で鬼ごっこに興じる彼女を追うのは、おなじみ侍女のアニとマルサ、そしてフーリエ女官長だ。
王女と一緒にすっかり楽しんでしまっている侍女ふたりとは異なり、怒りは心頭、疲労は困憊な女官長は、肩で息をしながらも懸命に王女に叫んだ。
「アリシア様、お待ち、なさい!! いけません、そのような、今日、あなたは、立派な、11歳のレディに、なったのですから……!」
「あー、楽しかった!」
自室に戻ったアリシアは、料理長にプレゼントでもらった焼き菓子をほおばりながら、ほくほくと鬼ごっこを振り返った。
そんな彼女は、本日めでたく11歳の誕生日を迎えた。
そのため、エグディエル城にはお祝いムードが流れており、朝から枢密院の要人が謁見に訪れたり、遠方からもジュードやメリクリウス商会から祝辞とともにプレゼントが届けられたりしていた。
そんなこともあったので、諸々ひと区切りがついた昼下がり、城のみんなからそこはかとなく伝わる期待に応えて、アリシアはひさしぶりに大追いかけっこに繰り出したのだった。
(フーリエ女官長には、やっぱり怒られちゃったけど)
もう11歳になるのだからとか、立派なレディの心得とは何ぞだとか、あれこれたっぷりとお説教されたことを思い出し、アリシアは若干遠い目をする。
けれども、女官長の長いお説教を差し引いても、大事に思ってくれるたくさんのひとたちに元気な姿を披露することができたのだから、鬼ごっこをしてよかったと彼女は思うのだ。
「ねえ、姫様。みんなにたーくさんお祝いしてもらえて、よかったですねぇ」
「料理長も女官たちも、みんなアリシア様の可愛さにメロメロでしたもんね。ロバート様は、まあ、いつもの調子でしたけど」
「いつもと違うといえば、ナイゼル様には驚きましたねぇ。まさかあの方が、女官長から逃げる姫様を匿ってくださるなんて」
「『今日だけの特別ですよ?』だっけ? あの方もそんな一面があるのねー。お家でもいいお父さんなんだろうなー!」
空になったティーカップに紅茶を注ぎながら、侍女ふたりがきゃっきゃっと楽しそうに盛り上がる。そんな中、ふいににやりと笑ってアリシアを見た。
「あとは、そうですね。あの方の反応が楽しみですね」
「そうそう。大本命、といっても過言はありませんものねぇ」
「それって、だれのこと?」
きょとんと首をかしげて、侍女たちを見上げるアリシア。そんな彼女に、アニとマルサは同時に声をそろえて答えた。
「もちろん! クロヴィス様、ですよ!!」
「え、クロヴィス??」
ますます目を丸くするアリシアに、ふたりは思い思いにはしゃぎだす。
「だって、どんな美女に迫られようが『私はアリシア様にお仕えするので手一杯ですので』で断っちゃう、姫様命!のクロヴィス様ですよぉ? どんな顔でお祝いしに来るか、楽しみじゃないですかぁ」
「もんのすごく、キラッキラの笑顔で来そうですよね? それで、『今日という日を、ハイルランド王国の祝日に定めましょう』とか、言い出しちゃったりして!」
「そ、そこまでは浮かれていないと思うけど……」
苦笑をしつつ、アリシアはちょっぴり照れくさくなって頬を掻く。
ふたりの妄想は大袈裟にしても、クロヴィスが何にも代えがたく大切に想ってくれているのは、アリシア自身がよくわかっている。そして、それはアリシアとて同じだ。
(クロヴィスに、おめでとうって言ってもらえるのは、嬉しいな)
彼の笑顔を思い浮かべるだけで、くすぐったく、心地よい。そんな甘い期待にアリシアがひとり照れた時、ついに約束の時刻となり、扉がノックされる。
――そうして、クロヴィス・クロムウェルが姿を見せたのだが。
室内に入ってきた補佐官を見た途端、アリシアは驚愕し、思わず上から下まで全身隈なく彼を見回してしまった。
眉目秀麗、隙の無い完璧な美丈夫――。常日頃、そのようにうたわれ女性のハートを掴んでやまないクロヴィスが、今日はことごとくヨレヨレである。
身だしなみが整っていないという意味ではない。すっかり板についた補佐官の制服はよく似合っているし、美しい黒髪は今日も艶々だ。
問題は、目の下にくっきりと浮かぶ大きなクマだ。整った面立ちには隠しようのないほどの疲労が滲み、心なしか身のこなしにもキレがなく、おまけにソワソワと落ち着かない。
どう考えても様子のおかしい補佐官に、アリシアは恐る恐る尋ねた。
「あの、クロヴィス? なにか、疲れていない?」
「いえ。そのようなことはございません」
「そんなにふらふらで、全然説得力ないから! もう、わかったわ。今日はもう下がって。倒れてしまうまえに、ゆっくり休まないと」
「い、いえ! アリシア様、それは……!」
下がるように告げた途端、クロヴィスは慌てだした。上品で、そつのないいつもの補佐官としての振舞いもなんのその、年若いひとりの青年として、困り切って視線を泳がせている。
一体、クロヴィスはどうしてしまったというのだろう。奇妙に思ったアリシアが愛らしい顔をしかめたとき、何かに思い至ったらしいアニがぽんと手を叩いた。
「紅茶! 紅茶を、用意しなくてはいけないのだわ!」
「ええ? 紅茶なら、まだここにありますよぉ?」
「いいから! ほら、行くわよ!!」
目を丸くするマルサの背中を、アニがいそいそと押す。結局、なにが何やらわからないうちに、ふたりはすぐ隣の控室へと引っ込んでいってしまう。
あとには、アリシアとクロヴィスのふたりが残されたわけだが。
(クロヴィス……、もしかして、緊張している?)
向かいに座る補佐官を注意深く観察しつつ、アリシアは首を傾げた。
クロヴィスの両手は膝の上で固く組まれ、自らを宥めようとするかのように、親指が拳をさすっている。紫の瞳はまるで答えを探すかのように揺れ動き、内面の動揺をそのままにあらわすかのようだ。
こうして向き合っていると、アリシアまで落ち着かない心地になってくる。これは、自分から何かを切り出したほうがいいのだろうか。そう、アリシアがソファの上で身じろぎをしたとき、意を決したようにクロヴィスが口を開いた。
「アリシア様!」
「ひゃっ、ひゃに!?」
「どうか! こちらを……っ!!」
叫ぶようにして、クロヴィスがローブから何かを素早く取り出し、突き出した。びくりと飛び上がってから、アリシアは改めて、差し出されたそれをまじまじと見つめた。
それは、白いハンカチだった。よく見ると、可愛らしい小さな青い薔薇が、繊細な刺繍であしらわれている。決して大人びすぎていない、それでいて上品なデザインに、すっかり心奪われたアリシアはとびついた。
「わあ! すっごく可愛い! クロヴィス、これ、どうしたの?」
「僭越ながら、フーリエ女官長にご指導いただき、私が縫わせていただきました」
「クロヴィスが縫ったの!?」
先ほどとは違う理由で、アリシアはとんきょうな声を上げて、食い入るようにハンカチを見た。けれども、見れば見るほど、刺繍は完璧ですこしも貴婦人方に劣るところがない。
器用だなんだと思ってはいたが、ついに刺繍までできるようになってしまうとは。そのようにアリシアが慄いていると、クロヴィスは顔を赤らめて「今日は!」と切り出した。
「今日は、アリシア様が生まれた、大切な日です。日頃の感謝の想いを、どうしても形にし、お渡ししたかった。青い薔薇には、『奇跡』という花言葉があります。あなたを象徴する花であり、また、私にとってあなたはまさしく奇跡のような方。ですから、ご迷惑かもしれないと思いつつ、このようなものをご用意させていただいた次第で……っ」
(だからそんなに、ふらふらなのね!?!?)
緊張にぎゅっと目を瞑り、声を詰まらせながら必死に説明する補佐官を前に、アリシアは内心で叫んだ。彼のことだ。仕事以外の時間、具体的には睡眠や食事の時間を大いに削って、必死にプレゼントを用意してくれたのだろう。
相変わらずというか、いや、いつも以上に、愛が重い。若干引きつつ、改めてハンカチに視線を落としたアリシアは、――ふと気づいてしまった。
ハンカチを持つクロヴィスの手は、小刻みに震えている。その理由に思い至ってしまうほどには、彼の過去を知りすぎている。
だから少女は、仕方がないなと苦笑をした。
(……ほんと、こういうところは手がかかるんだから)
「アリシア様?」
ハンカチを受け取り、胸に抱きしめる。そうして、まっすぐに向けられた想いをまるごと受け止めて、アリシアは満開の咲き誇る花のようにきらきらと笑った。
「ありがとう、クロヴィス。すっごく、すーっごく、嬉しい! 大切にするわね」
クロヴィスが目を丸くし、続いてほっとしたような、それでいて泣き笑いのような表情を浮かべた。そんな彼に、アリシアは「ところで!」といたずらっぽく顔を覗き込んだ。
「何か大事なことを忘れていない? 私の記憶違いじゃなければ、まだお前に、言ってもらっていない気がするのだけれども」
「あっ」
しまった!と思い切り書かれた顔で、クロヴィスが息を呑む。その様子を、アリシアはにまにまと笑いながら眺める。まったく、年齢は10近くも離れているというのに、今この瞬間はどちらが子供かわかったものではない。
彼自身そう思ったのか、仕切り直しをするようにクロヴィスは小さく咳払いをする。
そうやって背筋をただした彼は、きらきらと目を輝かせて先を待つ王女に改めて向き合い、ゆっくりと口を開いた――――。
誰かが、指先で髪を遊ばせている気がする。
微かな気配に、アリシアの意識はゆっくりと浮上する。微睡みを抜け、瞼を開いたとき、アリシアは自分を見つめる紫の美しい双眼と目が合った。
「おはよう、アリシア。やっと、あなたの目が見れた」
肩肘をついて上半身を起こしたクロヴィスが、そう言って優しく目を細める。どうしようもなく色気の漂う甘い微笑みで見つめられ、アリシアは頬を染めながらシーツを引っ張り上げた。
「いじわる。寝顔は見ないでって、いつも言っているのに」
「悪かった。あんまり可愛い顔で眠っていたから、つい」
「うそ。きっと変な顔をしていたもの」
「君は心配屋さんだな」
軽やかな音をたてて、クロヴィスが額に口付ける。きゅっと目を閉じるアリシアの顔を覗き込んで、彼はいたずらっぽく問うた。
「とても幸せそうな顔をしていたよ。俺が、君の夢に妬いてしまうくらいに。一体、どんな夢を見ていたのかな」
「夢……」
言われて、アリシアは改めて考えた。たしかに目が覚める直前、何かを見ていた気がする。
残念ながら、具体的な内容は思い出せない。けれども、これだけは断言できる。
あたたかな夢。優しい夢。どこか懐かしくて、つんと鼻の奥が痛くなる夢。
「忘れちゃった。けど、とっても幸せな夢だった。たぶん昔、小さい頃のことよ」
「昔? その中に、俺もいる?」
「ええ。そんな気がする」
「だとしたら、すごく嬉しいな」
クロヴィスがくすりと笑って、額をこつりと合わせる。長い指が、アリシアの指を絡めとり、優しく包み込んだ。
「アリシア。目が覚めた君に、真っ先に伝えたくて待っていたんだ。俺に、その権利を許してくれる?」
「……うん」
まるで自分が祝われているかのように幸せそうな表情で、クロヴィスが囁く。とくとくと暖かく、心地よい鼓動に身を任せ、アリシアは小さくうなずく。
衣擦れの音が響いて、クロヴィスがアリシアを腕の中に閉じ込める。そうして彼は、まっすぐに彼女を見つめた。
――生まれてきてくれて、ありがとう。見つけてくれて、ありがとう。共に生きてくれて、ありがとう。たくさんの幸せを、ありがとう。
数えきれないほどの感謝の想いをのせて、この言葉を、君に贈る。
「お誕生日、おめでとう!」
Gファンタジー様、マンガUPにて、2020年3月16日より「青薔薇姫のやりなおし革命記」のコミカライズが連載開始いたします!




