18-6
謁見の間でリディ・サザーランドの審判が開かれた日の早朝。エアルダールの港町サンプストンに、ハイルランドからの一隻の船が入港した。
サンプストンの沿岸警備隊は初め、隣国との情勢を鑑みて船の乗組員の上陸を阻もうとした。だが、イスト商会が長ダドリー・ホプキンスからの強い要請が入り、少々のごたごたはあったものの彼らは上陸を許された。
ダドリーがわざわざ要請を入れたのは、もちろん船がメリクリウス商会のものであったからだ。予定より随分と到着が早いが、もともと商談の約束をしていた相手。しかもダドリーの優れた商売人的勘が、今回の商談で相手は「とんでもないギフト」を持ってくるに違いないと告げていたのである。
エリザベス帝の庇護があるからと、また勝手をいいやがって。警備隊の一部から冷ややかな視線を向けられながらも、港でどーんと構えるダドリーにそれを気にする様子はない。と、軽やかに船から降り立ったとある男の姿に気づいたダドリーは、もともと小さな目をさらに細くした。
「ダドリー! 友よ!」
「ローゼン卿、ご無事でなによりですぞ」
大股に歩み寄った背の高い男――ローゼン侯爵ジュード・ニコルの抱擁をうけとめたダドリーが、その背中をぽんぽんと叩く。体を離したジュードは、相好を崩して小太りな商会長を見下ろした。
「いやあ、助かった。警備隊の頭が固いのには困ったものだね。君の口利きがなければ、僕はこのまま船でヘルドに逆戻りするか、……ちょっと、その辺の崖からよじ登って入国しちゃうところだったよ」
「そうならなかったことに感謝しよう。さすがのイスト商会も、密入国者を庇うのは少々骨が折れる。もちろん、そうするだけの価値があれば、手間も苦とは思いませんが」
肩を並べて二、三歩進んだところで、くいっと眉をあげてダドリーがジュードを見上げる。問いかけるような商会長の眼差しを受け、ジュードもまたメリクリウス商会の代表として含みのある笑みを浮かべた。
「価値は大ありさ! むしろお釣りがくるほどだよ。なんたって今日は、僕ですら予期してなかったギフトのオマケ付きなんだ。……これが君にとって〝ギフト〟となるかどうかは、君の腕次第だけどね」
そう言って、ジュードは振り返って背後を指し示す。ちょうどダドリーがつられてそちらを見たとき、目立たないよう長いローブを片手に抱えひとりの男が――アリシア付き補佐官クロヴィス・クロムウェルがサンプストンの港に降り立った。
すぐに彼がハイルランド王女のいちの側近であると気づいたダドリーは目を丸くした。次いで、声を上げて笑い出した。
「なるほど、なるほど! これは確かに大したギフトですな!」身体を揺らして笑ったあとで、ダドリーは目を細めた。
「喜びなされ、ローゼン卿。天の守護星は、たしかにあなた方に微笑まれたようですぞ」
予想以上の好反応に、クロヴィスとジュードは顔を見合わせる。だが、それもつかの間のこと。用意された馬車に乗り込み、クロヴィスとジュードはすぐにサンプストンを離れた。
やたらと先を急ぐダドリーを不思議に思いつつも、時間が惜しいのはこちらも同じ。幸いダドリーの馬車が先導したおかげで検問も問題なく過ぎ、一行はスムーズにキングスレーへと入る。そうしてイスト商会の帝都の拠点へと到着したとき、クロヴィスはようやく、ダドリーが上機嫌であったわけを知った。
「クロヴィス様!? どうしてここに!?」
目を丸くして頓狂な声を上げた相手に、クロヴィスはもう少しで、それはこちらの台詞だと返しそうになった。こめかみを押さえ、しばし困惑が去るのを待ってから、改めて彼は自分たちを迎えた先客を――リディの付き人としてエアルダールを訪れていたサザーランド家使用人、アルベルトを労った。
「ご無事で何よりです、アルベルト殿。さっそくですが、色々と状況を教えていただけますか?」
〝行け、アル。行先はクラウン外相邸。夫人を頼れ。真実を彼女に伝えるんだ〟
リディに命じられ、助けを呼ぶために窓から夜の庭園へと身を躍らせたアルベルトが、その後どうなったのか。彼がイスト商会の支店にいる理由を明らかにするには、まずそこから話をしなければならないだろう。
あの夜、ちょうど雲に月が隠れていたことや警備の兵が女帝の倒れた現場のほうに引きつけられたのが幸いし、アルベルトは意外とすんなりキングスレー城を抜け出すことに成功した。しかしながら、その後が苦戦を強いられた。
リディが捕まると同時に、一緒にいたはずの従者の姿が見えないことが明るみとなったのだろう。すぐに王都警備隊が、アルベルトを探してあちこちを警戒して回るようになったのである。
それでも彼はリディの命を遂行するべく、人目を避けてクラウン外相邸を目指した。だが、なんとか屋敷の近くまではたどり着いたものの、屋敷周りは特に警備隊の数が多く配置され、とてもじゃないが気づかれずに近づくのは不可能だった。
だが、捕まったリディを思えば猶予はない。彼の立場なら即刻処刑になる可能性は少ないとはいえ、安全を確保するには一刻も早くベアトリクスに真実を伝える必要がある。
かくなる上は、無理やりにでも警備を突破しようか。多少の危険が伴うが、最終的に夫人の前で口が動けば問題あるまい――。
そうアルベルトが判断して茂みから飛び出そうとしたとき、その肩を摑んだ者がいた。それが、イストの副会長バーナバス・マクレガーだったのである。
「バーナバス殿は、なぜアルベルト殿の保護を?」
一通り話を聞いたところで、クロヴィスは向かいに腰掛けるバーナバスへと問いかける。ちなみに、この場には彼らのほかにもジュードとアルベルト、そしてここまでクロヴィスらを連れてきたダドリーの5名が集っていた。
「理由か……。それを理解してもらうには、少し時間がかかるんですがね」
クロヴィスに問われたバーナバスは、そう言って額にかかる前髪をかき上げ、自身がベアトリクスの協力者としてアルベルトを匿うことになった経緯を話し始めた。
その日、バーナバスがアルベルトの姿を見つけたのは偶然だった。いつものように仕事を終えた彼が商会を出たとき、街に警備隊が溢れ、女帝が倒れたとの噂が流れていた。それだけでも驚きだったが、さらに隣国の使者、リディ・サザーランドが犯人として捕まったらしいと、人々は口にした。
噂を聞いたバーナバスは、とっさにリディが身を置くクラウン邸へ向かった。彼が親友アダム・フィッシャーの足跡を追っていると明らかにしたのは、つい先日のこと。それ以来、バーナバスはどうにもリディのことが気になっていたのである。
だが、着いてみれば王都警備隊がうようよとうろついており、噂の真意を確かめるどころの騒ぎではない。まさかと焦る心を抱えて、続いてバーナバスはユグドラシル邸へ向かいシャーロットを訪ねようと考えた。そうして屋敷を離れようとしたとき、まさに暗がりから飛び出そうとするアルベルトを見つけたのである。
「それで彼を連れてここまできて、そこで俺はアルベルト殿から聞かされたんだ。リディ様を嵌めた男が誰か、……俺の、友人を殺した男が、ユグドラシル様だってことを」
ずっとそんな気がしていたのだと、バーナバスは絞り出すような声で告げた。なぜなら、アダムが義理を尽くし、あそこまで焦燥を見せる相手と言えば、孤児院から己を見出してくれたユグドラシル以外にあり得なかったのである。
信じたくはなかった。それでも、真白な布に滲む一点の染みのように、疑いは彼の胸から消えなかった。だからこそ彼は、友人の死を悼む以上の熱意と執着を持って、アダムの死の真相を追っていた。そうすることで、敬愛する恩人への疑念を晴らしたかった。
だが、彼の願いと裏腹に、疑念は真実へと変わってしまった。
バーナバスは悩んだ。恩人としてのユグドラシルと、友の命を奪った敵としてのユグドラシル。そして、商会の後援者である女帝への反乱者としての、ユグドラシル。この先、己はどのようにエリック・ユグドラシルと向き合うべきなのか。
結果、彼はベアトリクスに接触し、彼女の協力者としてアルベルトを匿い、来る審判の日にはキングスレー城まで彼を送り届ける約束をしたのである。
「俺は元孤児で、今はイストの副会長だ。どちらにせよ、このまま戦争が起こるのを黙って見過ごすわけにはいかない。あの人の真意を突き止めるのも、自分の中で整理をつけるのもその後でかまわないと、そう考えたんだ」
事情を打ち明けられたダドリーも、すぐにそれを了承した。イスト商会としては女帝陣営の筆頭であるベアトリクスに恩を売るチャンスであるし、最悪リディが審判に負けて宰相に睨まれても、バーナバスひとりの暴走だったと言い張れば問題ないと判断したのだ。
「いやはや、運命というのは悪戯だね。いろんな偶然が重なって、僕らはここに集うことができたわけだ」
やれやれと肩を竦め、ジュードが笑みを見せる。
「とはいえ、これで一安心かな。予定通りなら、そろそろ審判が始まる頃合いだ。アルベルトくんと共に僕らも城に向かい、アリシア様と合流しよう。あとは正々堂々、宰相閣下とやり合おうじゃないか」
「……本当に、それでいいのでしょうか」
意気揚々と拳を握りしめたジュードとは対照的に、クロヴィスは顎に手を添えて思案する。意外な反応を見せる補佐官に、ローゼン侯爵は首を傾げた。
「ここまで来て、何を言っているんだい。クロくんが海を渡ったのは、アリシア様の下へ行くためだろう?」
「バーナバス殿。クラウン夫人とは、どれほど密に連絡を取り合っていますか?」
ジュードの質問には答えず、クロヴィスがバーナバスを見る。突然話を振られた副会長はきょとんと瞬きをしつつも、すぐに的確に答えを出す。
「一日に一度から二度。向こうから使者が来て、毎回俺が対応している。最後に連絡がきたのは、今朝のことだ」
「夫人は、エリザベス帝について何か言っていますか? 陛下と接触できたかどうか、など」
「いや。陛下とお会いすることは叶わなかったと、それだけだ。なんどか謁見の要請はしたらしいが、医務官が首を横に振っているとの一点張りらしい」
「なるほど。それはユグドラシル宰相からの返答、ということですか?」
「厳密には、フリッツ殿下だ。陛下が倒れてから、城での指揮は殿下が執っていると聞く。って言っても、実際はユグドラシル様が色々助言をしているんだろうが」
バーナバスの返答に、クロヴィスは再び考え込む。
言うまでもなく、審判において鍵となってくるのはエリザベス帝の存在だ。アリシアらもそれをわかった上で審判の場に女帝を連れ出す策を練っているだろうし、対する宰相もそれを阻むことだろう。
だが、策が上手くはまって女帝を呼ぶことが出来たとして、果たしてそれで上手くいくのだろうか。
クロヴィスの頭にあるのは、エリザベス帝がいまでもアリシアの味方となりうるかどうかだ。ベアトリクスはイスト商会――具体的にはダドリー・ホプキンスがこの件から手を引くことを恐れて伝えていないのだろうが、おそらく宰相はフリッツ皇子を味方につけている。そうでなければ、女帝本人に毒を盛るなどという大それたことはしないはずだ。
苛烈な性格で知られる彼女のことだから、通常であれば宰相を許しはしないだろう。しかし、世継ぎであるフリッツが共犯だと知ったとき、彼女がどういう判断を下すかは未知数だ。皇子を庇うため宰相に同調し、リディこそ犯人だと証言する可能性だってある。
黒髪の補佐官は、さらに考える。
審判が始まる前に、アリシアたちは女帝と接触できていない。だからこそ彼女は、審判を勝負の場ととらえている。そしてジェームズ王からの命はアリシアを救えということだ。彼女と合流しろとは言っていない。
ならば、己が取るべき最善の道はなんだ。
彼女の先を読み、導く光となる策は。
「キングスレー城へは向かいます。ただし、審判のためではありません。それより先にすべきことがある」
クロヴィスの言葉に、部屋のひとびとの目が一斉に彼へと向けられる。期待と興味、それらが入り交じった視線を受け止めて、クロヴィスははっきりと告げた。
「エリザベス帝に会います。皆さん、手を貸してください」




