18-5
審判が開かれたのは、やはりというか謁見の間であった。正面には三人の代理人が掛けられるよう椅子が用意されているが、そのうちのひとつは玉座である。
アリシア一行の到着からほどなくして姿を現したフリッツ皇子は、当然のように玉座へと腰掛ける。続いて宰相ユグドラシルがその隣に座り、反対側には別の男が控える。アリシアの記憶が正しければ、たしか帝の相談役として城に仕える学者のはずだ。
代理人と証言者、そして審判の行く末を見守るために集まったエアルダールの重鎮たち。それらが一同に揃うなか、重苦しい音と共に大扉が開き、両脇を騎士に固められたリディ・サザーランドが姿を現す。
ガチャガチャと音がするのは、リディの両手が鎖で縛られているためだ。そのことに表情を曇らせたアリシアに気づいたのだろう。さすがにいつもよりは強張っているものの、王女を安心させるように、リディはにやりと唇を吊り上げてみせた。
リディはそのまま広間の中央へと連れられ、証言台として用意された場所に繋がれる。
「しばし堪えてほしい、隣国の客人殿」嘲りを滲ませ、皇子は口を開いた。「そなたが無実であれば、とても許される扱いではない。だが、この審判がそなたをどのように扱うべきであるか明らかにするだろう」
「お気になさらず。私の微々たる経験によれば、今までにない体験を積むことは存外悪いことじゃない。今回のことはいずれ、孫に聞かせる武勇伝にでもしますよ」
「そういう日がくることを、私も心から願うとしよう」
言葉とは裏腹の冷たい声音で言い捨ててから、フリッツは傍らの宰相に向けて右手を掲げた。それを合図にユグドラシルは立ち上がり、今ここに、エリザベス帝の暗殺未遂の容疑でリディ・サザーランドの審判を行うことを宣言した。
言うまでもなく、審判はリディにとって不利な形で進んだ。エリザベス帝の倒れた現場を目撃した侍女が証言台に立ったのを皮切りに、次々に現れる証言者たちは口々にリディこそが犯人だと〝告発〟し、その根拠を滔々と述べた。
なかには、明らかにリディを挑発し失言を引き出すための作り話とわかるものもあり、アリシアは内心ひやひやした。すっかり丸くなったとは言え、かつてのリディは怒りっぽい性格をしていた。こうも虚偽の証言が続いてはそれが復活してしまわないかと案じたのである。
だが心配に反して、不愉快そうに顔をしかめてはいるもののリディが怒り出すことはなく、彼は終始冷静に耳を傾け、何かを問われれば落ち着いて受け答えをした。それはおそらく彼が身に付けた強さの証であり、同時にアリシアへの信頼の表れだ。
「アリシア様、すこしよろしいですか?」
4人の証言がおわって小休憩が挟まれたとき、目立たないように側にきたベアトリクスがアリシアにこっそりと耳打ちをした。
「アルベルト様の身をお預かりしている協力者から、伝令が届きましたの。状況がかわり、こちらには合流せず別行動でサポートをすると」
「どういうことですか? 別行動というのは?」
驚いたアリシアが聞き返せば、ベアトリクスは僅かに眉をひそめて首を振った。
「詳細はわかりません。ですが、協力者--あの子が裏切ることはないですわ。あの子にも私たちに協力をする理由があるのですもの」
「けど……アルベルトさんが、証言台に立つことはない、と」
「はい。しかし、任せてみる価値はあると、伝令は告げておりますわ」
「そう……」
口元に手を添えて、アリシアはしばし思案した。アルベルトはあの夜に現場に居合わせたひとりであり、リディ以外に真実を語ることのできる貴重なひとりだ。彼の証言を得られないことは痛手となるし、ここに彼が姿を現さないことでハイルランドにとってさらに不利な状況を生む可能性すらある。
だが一方で、アルベルトがリディの忠実な従者であることは、エアルダールの人々もよく知るところだ。アルベルトがどれだけ真剣に真実を訴えたところで、皇子はリディを庇うために嘘をついていると一蹴するだろう。
「――わかりました。アルベルトさんの抜けた穴は、なんとかします。こちらはこちらで、できることをしましょう」
「はい。その通りですわ」
ほっと笑みをもらし、ベアトリクスが頷く。彼女がアリシアのもとを離れて席へ戻ったのとほぼ同時に、審判は再開となった。
次に証言台に立ったのは、そのベアトリクスだ。貴婦人として堂々と中央に立った彼女は、それまでの澱んだ空気を打ち払うように軽やかに、しかし反論を挟む隙を与えない明快さで次のように宣言した。
「私、ベアトリクス・クラウンは、天の星々に誓って客人リディ・サザーランド公が無実であると、ここに証言いたします」
それから彼女は、己の知る〝あの夜〟について次々に告白した。
リディ・サザーランドが、ある特命を帯びて隣国から招かれたということ。
特命は彼を派遣したアリシア王女の意志のみならず、女帝エリザベスの意志により与えられていたこと。
あの夜にリディが女帝に接触をしたのは特命について報告を上げるためであり、女帝が念入りに人払いをしたのもそのためであること。
以上に述べたようにエリザベス帝とリディ・サザーランドはある種の共犯関係にあり、彼が女帝に毒を盛ることは考えづらいということ。
はっきりとそれらを彼女が述べたことで、エアルダールの人々の間には少なからず衝撃が走った。
彼女がハイルランド贔屓であることも、混乱を治めるためにアリシアを連れて帰ってきたことも、当然みな知っている。それでも女帝がもっとも信頼を置く人物のうちひとりが、はっきりとリディを女帝暗殺未遂の犯人でないと口にしたことで、ひとびとは疑いはじめたのだ。
目の前で繰り広げられる攻防の真の対立構造――それがエアルダール対ハイルランドという単純なものではなく、実のところ皇子と女帝の、玉座を巡る争いなのではないかと。
突如浮かんだ恐ろしい可能性の答えを探るように、玉座から冷たくみなを見下ろす皇子と、自らの席に澄まし顔で座るベアトリクスとを、人々は交互に窺いみる。そんな中、三人の代理人に連なる老齢の学者が代表して口を開いた。
「証言をありがとうございます、クラウン夫人。ですが、特命というのは一体? それが明らかとされなければ、サザーランド公と陛下の繋がりがどれほど強固なものであったのか、私たちは判断できませぬ」
だが対する夫人は敢えて答えず、いっそ清々しいほどきっぱりと首を振った。
「さあ? 私は存じませんわ。なにせ〝特命〟なのですもの。どうぞ、ほかのかたに聞いてくださいまし」
そのように言って夫人が視線を送った先に、人々はたしかに質問に答えるにふさわしい人物を――ハイルランドの青薔薇、アリシア王女が立ち上がるのを見た。
四方八方から寄せられた視線を受け止めながらアリシアは落ち着いた足取りで中央へ向かい、リディのつながれた証言台の隣に立った。
空気が変わったと、アリシアは空色の瞳で人々を見渡した。さすがは外相夫人。巧みな言い回しと演出によって、続くアリシアの証言にみなが注目せざるを得ない状況を作り出した。
しかしながら、王の代理人として席を並べる宰相ユグドラシルとフリッツ皇子に慌てる様子はない。こちらが女帝とアリシアの繋がりを切り札として掲げてくるはずだと、当然予想していたのだろう。
ひじ掛けに頬杖をついて、フリッツが薄い笑みを口元に浮かべる。その横で、進行も兼ねるユグドラシルが軽く会釈をした。
「ご足労いただき感謝いたします。アリシア様、証言をお願いできますでしょうか」
「はい」
短く答えて、アリシアは小さく息を吐きだした。そうして気を落ち着けてから、改めて彼女はすっと背を伸ばし、集まる人々に向けて凛と声を上げた。
「クラウン外相夫人の証言は真実です。私、アリシア・チェスターは先の訪問の際にエリザベス様と密約を交わし、リディ・サザーランドの派遣を陛下との合意の上で決しました。ゆえに、彼の者が陛下を襲う理由はございません。私から申し上げられることは以上です」
それだけ言い終えたアリシアは、その場で淑女の礼をする。
肝心なことは何ひとつ語らずに口を閉ざした証言者に広場はざわついた。それでも、アリシアはまっすぐに正面を見据えたまま微動だにしない。すると、ふいにフリッツが立ち上がり、広間に満ちた困惑を打ち払うかのように右手を水平に払った。
「アリシア。君はこの審判を、我が国を愚弄するつもりか?」
「いいえ、殿下。そのようなつもりはありません」
「ならば君は全てを語ったというのか? 明らかにするべき真実の全てを」
「それも違います。申し上げられることは全て語ったと、そう言ったのです」
「なに?」
再び広間にざわめきが満ちる。その全てをものともせず、アリシアは澄んだ声を張り上げた。
「私とエリザベス様の契約は、ふたりの合意のうえ密かに結ばれたものです。私ひとりの判断で、証言することは出来ません。よって、公正な審判の継続のため、エリザベス様を証人としてお呼びすることを要求します」
ひとびとが耳を疑い、顔を見合わせる。だがアリシアの空色の瞳は、まっすぐにフリッツ皇子にのみ向けられている。その皇子も呆気にとられる横で、宰相ユグドラシルが眉を下げてふわりと微笑んだ。
「申し訳ありません、それは致しかねます。陛下はいま、病床に臥せっておられます。ゆえに、このように三人の代理人を立て審判を行っているのです」
「わかっています。しかし聞くところによれば、陛下の容態はすでに安定しておられるとか。長い審判のすべてに立ち会うことは出来ずとも、ほんの十数分、こちらにお越しいただくだけでも良いのです」
「私からはなんとも……。医務官の判断ですので」
「では、せめてミレーヌ殿へ参らせてください。一言、陛下のご了承を得たいのです」
「同じことです。どうか、ご理解いただけないでしょうか」
「そう……ですか」
あくまで真摯に、理性的に。ユグドラシルは、アリシアに語り掛ける。当然、彼の言い分は筋が通っているし、王女も渋々ながらそれを受け入れるしかない。そう、人々は思った。
しかし。
「ユグドラシル公、これでは約束が違います」
首を振り、アリシアは厳しい詰問口調で宰相に向けて問う。突然の呼びかけに人々が眉をひそめるなか、フリッツ皇子も初めてアリシアから目を離し、訝し気に首を傾げるユグドラシルへと視線を向けた。
「約束? 約束とはなんだ?」
「恐れながら、私には身に覚えのないことです」
「白を切るつもりですか? 閣下もまた、陛下とは別に我が国と手を結んでくださっていたではありませんか」
「何を仰っているのですか? 私には、意味がわかりかねます」
「まさか、これをお忘れなのですか?」
そういって、アリシアが目の前の台の上に何かを放る。ぱさりと音を立てて落ちたのは、丸めて結ばれた一枚の紙だ。
さらに眉根を寄せた宰相の横で、フリッツが目配せし、近くに控える兵に紙を持ってこさせる。受け取ったそれを開いた瞬間、皇子は目を瞠った。
「これは……!?」
「〝我、天の守護に誓う。我、汝を友に迎える者なり〟」
内容をそらんじてみせたのはアリシアではなく、それまで静かに成り行きを見守っていた被告人、リディ・サザーランドその人だ。通常、被告が勝手に発言をすることは許されていないが、固唾を飲んで先を待つひとびとの誰とて、彼を責めようとはしない。
そうしてリディは瞳の奥にぎらぎらと熱く燃える炎を宿し、宰相ユグドラシルを睨み上げた。
「古い誓約を立て、その証として征服王ユリウスの黒馬の刻印を押した。エリック・ユグドラシル公。あなたが、それを行った」
「違う! そうじゃない‼」
叫んだのはフリッツ皇子だ。取り乱した彼は疑惑の目を宰相に向け、「だって、お前が誓約を結んだのは……。だが、しかし」と首を振った。
やはりと、アリシアは自分たちの見立てが正しかったことを悟った。
夜の庭園で皇子とふたりで話をした際に、フリッツ皇子のなかにエリザベス帝を追い落とし、かわりに自分が王位に就くだけの野望が眠っていたように思えない。となると、彼が決意を固めたのはあの夜より後だ。
そのように考えれば、自ずと宰相と皇子の協力関係もここ最近の間に成立したものだと予測することができる。
すなわち、皇子と宰相の間に固い信頼関係はない。だからアリシアは、その柔くて脆い関係を壊しにかかったのだ。
こちらが元老院の刻印が押された誓約書を証拠に宰相を糾弾することを、当然相手も予想していたはずだ。だから真実を語ったかどうかは別にして、己がハイルランドと誓約書を結んだ経緯を、宰相は皇子に説明していたに違いない。
そこでアリシアは、フリッツにとって衝撃的な〝事実〟を――彼が最も恐れる「宰相も己を裏切っている」という可能性をちらつかせてみたのだ。宰相とハイルランドとの間にも密かに協定が結ばれているように示唆したうえで誓約書を見せられれば、彼を信頼しきれない皇子は途端に疑念を抱くのではないかと考えたのである。
(ここまで上手くいくとは、正直思っていなかったけれど……)
動揺もあらわに宰相を睨みつけるフリッツを前に、アリシアの額からは一筋の汗が滑り落ちた。
無論、先ほどアリシアたちが語ったのは嘘っぱちだ。ユグドラシルがロイド・サザーランドと誓約を交わしたのは両国の関係を崩すためであって、ハイルランドに協力するためなどではない。冷静な状態であれば、皇子もこれが罠だと気づいたはずだ。
しかしながら皇子は、本人が自覚するよりもずっと追い詰められていた。
痺れ薬とはいえ、実の母に毒を盛ったという事実。己の原動力であるはずの最愛のひとに裏切られた痛み。唯一の共犯者である宰相が自分とは異なる思惑で動いているという確信。それらは真綿のようにじわじわと彼を苦しめ、アリシアが起こした波紋を機に、もはや抑えきれない不安となって爆発したのだ。
このとき、皇子は必死に考えていた。もしもアリシアが言うことが真実であれば、最悪の場合、宰相が己と手を結んだのは彼を嵌めるための可能性が出てくる。
だとするならば、ユグドラシルの助言に従ってエリザベス帝をこの場から遠ざけたのは、果たして正しかったのだろうか。このままユグドラシルと危うい協力関係を結び続けるより、エリザベス帝を呼び、彼女の前ですべての罪を宰相に負わせたほうが賢明なのではないだろうか。
「お願いです。どうかご決断を」
「なりません、殿下! すべて作り話です!」
「フリッツ様!」
「殿下!」
アリシアとユグドラシル、ふたりの声が広間に反響する。黙れと。口を閉ざせと叫びだしそうになるのを、フリッツ皇子はどうにか堪えた。そして、己がこれから取るべき選択肢を目まぐるしく考えた。
宰相を信じ、アリシアの要求をはねのけるか。
宰相を切り、アリシアの要求を呑むか。
――どちらの道が、己を生かすか。
しかし、皇子が答えを出す前に、扉が開かれてひとりの騎士が謁見の間に飛び込んだ。騎士は一礼をしてからまっすぐに皇子の下へ向かい、人々に向け「失礼つかまつります」ともう一度謝罪をしたうえで、皇子に次のように耳打ちをした。
「ご報告です。ただいま、正門に民衆が詰めかけております。数は数百を越し、ますます膨れ上がろうとしています。王都警備隊が対応に当たっておりますが、このままでは暴動へ発展しかねません。いかがいたしましょう――」




