表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化&コミカライズ】青薔薇姫のやりなおし革命記  作者: 枢 呂紅
18.青薔薇姫のやりなおし革命記
130/155

18-4




「シャーロット。母さま、いつお元気になるの?」


「母さまに、まだお会いしてはいけないの?」


「リリ様、ララ様……」


 季節の花の香りが甘く漂う、キングスレー城の中庭にて。噴水のふちに腰掛けるシャーロットは、ドレスの裾に縋り付いて不安そうに己を見上げる双子の姫君に、なんと答えるべきか返事に窮していた。


 そのとき、彼女の頭に浮かんだのは、地下牢で一通り情報を共有したあとにアリシア姫が見せた、強い意志を宿した空色の瞳であった。


 地下牢にて集った、あの後。騎士ロバートが口火を切ったのをきっかけに、まずリディ、次いでシャーロットが、エリザベス帝が倒れた「あの夜」にまつわる事柄についてアリシアに報告した。


 シャーロットが話したのは、以前リディに説明したのと同じ、自分がフリッツと父を疑うに至った経緯だ。加えて、そもそもなぜフリッツを「様子がおかしい」と思えたのか――その、特別な関係についても告白をした。


 フリッツに想いを告げられ、密かに恋仲となった。その事実を口にしたとき、シャーロットの足は恐ろしさと罪悪感とに震えた。


 フリッツとの関係について、シャーロットは誰にも打ち明けたことはない。彼は次期皇位が約束された皇子で、自分は宰相の娘とはいえ血のつながりのないただのもらい子。皇子は心配する必要はないと繰り返したが、彼女にしてみれば到底結ばれるはずのないふたりであったからだ。


 それに、わずかな時間しか話す機会はなかったが、シャーロットはアリシアの持つ凛とした強さ、その人柄に強く惹かれていた。だからこそ、自分の行いがアリシアを裏切るものに思え、罪悪感に苦しんだのである。


 しかし、涙と震えとともに真実を告白したシャーロットを、アリシアは少しも責めなかった。それどころか彼女を労い、受け止めてくれた。


〝教えてくれて、ありがとう。すべてを打ち明けるのは、とても勇気がいることだったと思うの〟


 なだめるようにシャーロットを抱きしめてから、アリシアは力強く頷いた。あとは自分たちに任せてと。己を貫くまっすぐな眼差しはとても眩しかった。


 それを最後に、シャーロットは先に地下牢を後にした。雰囲気から察するに、リディやアリシアはまだ本題を口にしていないようだったが、フリッツや父が接触してくる可能性を考えれば、自分が多くを知るべきではないと判断したのだ。


「ねえ、シャーロット。兄さまもね、元気がないの」


「とってもこわいお顔をしていたの」


「リディさまにも会えないの。みんな、会ってはいけないというの」


「母さまに会いたいの。シャーロット……」


 2組のそっくりな瞳に、途方にくれたような頼りない自分の姿が映り込む。そのことに気づき、シャーロットは己を叱咤激励した。そして再度アリシアを思い浮かべ、双子の姫たちにとって自分も同じように頼もしく見えることを願った。


「大丈夫です。リリ様、ララ様」


 小さなふたりの手に己のそれを重ねて、シャーロットはリリアンナとローレンシアに笑いかけた。


「お城にはアリシア様が来ています。ベアトリクス様もアリシア様も、リディ様も。みんなが力を合わせているんですもの。それにフリッツ様も、あの方も、本当は……」


「兄さま‼」


 目をまん丸にして後ろを見つめたリリアンナ姫に、シャーロットは思わず立ち上がって振り返った。すると噴水のちょうど反対側、生垣で作られた通路の間に、無表情でこちらを見つめるフリッツ皇子の姿があった。


 心臓を摑まれたように胸がきゅっと痛みを覚える。皇子はそんな彼女を一瞥してから、双子の妹たちへと呼びかけた。


「リリアンナ、ローレンシア。風が冷えてきたから、部屋にお戻り。お前たちまで体を壊してしまっては、母上が心配する」


「……はい、兄さま」


 声音は優しいが有無を言わさない皇子に、双子の姫は素直に兄の後ろへ控える侍女のほうへと歩いていく。ふたりが侍女に連れられて城へと去っていくと、その場にはシャーロットとフリッツ皇子だけが残された。


 皇子と顔を合わせるのは、謁見の間で彼がベアトリクスと言い合ったとき――シャーロットが、己はリディの味方につくと彼に示したとき以来であった。


 シャーロットは彼が身を翻すのを待ったが、フリッツは先ほどと同じ場所に立ったまま動こうとはしない。仕方がないので自分が立ち去ろうかと彼女が思い始めた頃、ふいに皇子が動き、こちら側へと大股に回り込んできた。


「フリッツ様、わたしは」


「黙っていろ」


 一気に間合いを詰めた皇子はそのままシャーロットの肩を掴み、唇を奪った。荒々しい口付けは容赦なく言葉を封じ、拒むことを許さなかった。


「言ったはずだ」


 ようやく唇を離した皇子は、乱れた金髪の合間から鋭くシャーロットを見据えた。


「私は、君の都合など考慮しない。君が肩入れするのがあちらであろうと――君が私を選ばずとも、君を自由になどしてやらない」


 怒りと渇望。それらが綯い交ぜになったフリッツの視線を受け止めながら、シャーロットは思い出していた。


 謁見の間で牢へ入れられたリディ・サザーランドの世話役になることを告げたとき。壇上を降り立ち去りかけた皇子は、一度足を止め、ちょうど今と同じことを彼女に囁いたのだ。


 全部あのときと――初めて唇を奪われた宴の夜と同じだ。自分を押さえつける力、言葉、視線、その全てに抗えぬ強さがあるというのに、どこかに悲壮が混じる。


 失いたくない。誰にも奪わせない。

 そんな切願が、彼の面差しに影を差す。


 だが、それでも。


「だめです!」


 自分に出来る精一杯の力で、シャーロットは己を閉じ込めるフリッツの固い胸を押しやった。そして彼女は、自分を見下ろす皇子をキッと睨みつけた。


「フリッツ様。私は弱いです。なんの力もない、殿下には遠く及ばないただの小娘です。けど、そんな私だけど。あなたを止める、これだけは諦めちゃいけないんです!」


「私を拒むな、シャーロット」表情をゆがめて、彼は問う。「私はこの国のすべてを手に入れる。誰にも邪魔をさせない。誰も私のものは奪えない。無論、君も……。私が創る新しい世界で、君に何の不満がある?」


「あります! 大ありです!」


 叫んだ声の激しさに怯んだのか、肩を摑むフリッツの手が緩まる。その隙をついてシャーロットは彼の手を払い、皇子と距離を取って向かい合った。


「フリッツ様。あなたは、あなたのために王になるおつもりですか?」


「……何?」


「フリッツ様は自分のことしか見えてません。戦争になったら、弱いひとたちはどうなるんです? リリ様は? ララ様は? ううん、それだけじゃない。街に、国に、たくさんのひとの涙が、苦しみがあふれるんですよ?」


「それがどうした。大いなる王を前に、国民は従うものだ」


「ええ、そうです。抗うことも、世界を変えることもできない。だから傷ついたって――たとえ本当の家族と引き裂かれたって、文句も言えずに受け入れるしかないんです」


「それは……」


 はじめてフリッツの瞳が揺れた。さすがの彼も、愛しい恋人の身にかつて起こった悲劇を「致し方のないこと」と一蹴するほど冷酷にはなれなかった。


 そのわずかな変化を、シャーロットは見逃さなかった。否、見逃すわけがなかった。なぜなら彼女は皇子を――かつて彼女を守ってくれた優しさを、双子の妹たちに向ける視線のあたたかさを信じているのだから。


「待っています。あなたが私を、私たちを本当の意味で愛してくださることを」


「……っ! シャーロット!」


 振り返らず、シャーロットは駆けた。ドレスの裾を翻し、生垣の間を走り抜ける彼女を追いかける者はいない。それでも彼女は、足を緩めようとしなかった。


 しばらくして息の上がった彼女は、大きく肩を揺らしながら藍色に染まり始めた空を見上げた。そこには、きらりと輝く一番星があった。


〝誰も、――母も、私を認めはしまい。偉大なる王の栄光の影で、日を重ねるごとに小さな失望がつみあがる。その重みが、苦しみが、君にはわからないだろう〟


 かつてフリッツから零れ落ちた言葉が、ぐるぐると彼女の頭のなかを駆け巡る。


 彼が言う通りだ。シャーロットには、皇子を追い詰めたものの半分も理解することはできない。そして同時に、どうすれば彼の重みを取り除いてやれるのか――どうすれば彼を正しい道へと導いてやれるのか、その方法もわからない。


 それでも、彼女は。


「殿下……フリッツ様。見えますか。星、すごく綺麗ですよ。ちゃんと見えてますか?」


 彼女は、庭園にまだいるであろう彼が、同じ空を見上げていることを願った。

 ――この星が彼の道を示してくれることを願った。






 初秋の風が吹き、落ち葉がはらはらと舞う。薄雲の張る空から注がれる日差しは思いのほか温かく、これから始まる熾烈な争いを忘れさせるほどに穏やかだ。


「気分はどうです? ま、長年煮え湯を飲まされてきた相手とこれから対峙しようってときに、聞くことじゃない気もしますが」


 馬車のなかでそのようにアリシアに尋ねたのは、向かいに座るロバートだ。多くの場合、彼女と同乗するのは黒髪の補佐官であるのだが、その不在とあって、代わりにロバートが王女を守る最も近い剣として馬車に乗り込んでいるのである。


 騎士の言葉を受け、アリシアは改めてリディと地下牢で交わした内容を思い返した。


 痣のある男にまつわる推理と、アダム・フィッシャーの奇妙な死。

 宰相ユグドラシルに関する〝噂〟。

 事件のあった夜と、皇子の冷ややかな笑み――。


「問題ないわ」そう言って、アリシアは頷いた。「リディはちゃんと、役目を果たしてくれていた。彼が摑んでくれた真実は、私たちの武器となるわ」


「ははっ。相変わらず、姫さまは度胸が据わってらっしゃる」


 くつくつとおかしそうに笑ってから、ロバートは軽く肩を竦めた。


「ひとつ不満があるとすれば、ここにあいつがいないことだ。頭は切れるし、機転も利く。友達ってひいき目なしに、今日の対決にクロヴィス以上にふさわしい男はいないでしょう」


「そうね」


 昨日のことを思い出し、アリシアも笑った。常にアリシアの側に控えているはずの補佐官の姿がないことに気づいたリディが、「あいつ、ライバルたる僕のピンチにいないだと……⁉」と取り乱したのである。


「あいつはどうしますかね? おっかけこっちに来ますかね? それとも国に残って、外交策でも練りますかね?」


「わからないわ。手紙には、来いとも来るなとも書かなかったもの。……けどクロヴィスなら、必ず最善の解を導き出してこの危機を救ってくれる。その力が、彼にはあるわ」


「信じているんですね。あいつを」


「ええ。心の底から」挑戦的に微笑み、アリシアは答える。「知っているでしょう? 6年前、私が手を摑んでからというもの、あの人はいつも期待を上回り続けてきたわ」


「ちがいない」


 そのとき、馬車ががたりと揺れて止まった。ロバートが窓から確認するのと同時に、外から御者がキングスレー城に到着したことを告げた。


 扉が開かれ、先に降りたロバートに手を引かれてアリシアは外へと一歩を踏み出す。目の前にそびえたつ華美な造りをしたキングスレー城を見上げ、アリシアは大きく息を吸い込み、吐く。そして彼女は、空色の瞳でまっすぐに前を見据えた。


「行くわよ」


 ロバートを筆頭とする護衛騎士たち、そして別の馬車から降りて合流したベアトリクスに向けて、アリシアは声を上げた。


「絶対に、王国を守ってみせる――!」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ