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17-7




「まあ、殿下。しばらくお会いしないうちに、なんだか随分と雰囲気が変わられましたこと」


 謁見の前に姿を現したフリッツ皇子と宰相ユグドラシルを見てすぐ、外相夫人ベアトリクスはそのように首を傾げた。


 統治者が倒れ、その〝犯人〟はすでに牢の中。今後の対応を思えば、今は少しの時間も惜しいといったところだ。だが、ベアトリクスの血筋を考えれば無下に出来る相手ではなく、仕方なく皇子は謁見を受け入れたのだ。


 とはいえ、皇子は不機嫌さまでは隠さずともよいと判断したらしい。彼は足早に夫人の脇を通りすぎると、通常であれば王が座る場所に腰を下ろし、冷ややかに訪問者を見据えた。


「ベアトリクス様。あまり、あなたにこのようなことは言いたくないが、今は非常に忙しい。要件があるならば、手短に済ませてもらえるとありがたいのですが」


「ええ、もちろんですとも。今はエアルダールの明暗を決する一大事。お話に華を咲かせる時間はないですわね」


 大いに頷いた夫人は、頰に手のひらを添え、悩ましげにため息を吐く。


「実は、我が家でお預かりしている隣国のお客人が、昨夜から戻ってきませんの。大切な方に何かあったのではと、わたくし、心配で心配で……」


フリッツ皇子は、思わずベアトリクスをまじまじと見た。続いて、彼の深緑の瞳はいっそう剣呑なものとなった。


「……その客人であれば、案じることはない。地下牢に閉じ込めてある。屋敷に使いをやり、報せを運ばせたはずだが?」


「まあ!」と夫人は叫んだ。「報せは本当でしたのね。大変、私、とても信じられなかったものですから……。けれど、いったいどのような咎で?」


「いい加減にしろ! ふざけているのか?」


 ついにフリッツは立ち上がった。しかし、怒りをあらわに夫人を見下ろした皇子であったが、静かに微笑みを浮かべたベアトリクスと目があった瞬間に息をのんだ。終始にこやかだった彼女の顔が、急に仮面のように思えたためである。


 相手に悟られないよう動揺を飲み込むフリッツの前で、夫人は小首を傾げた。


「ふざけてはいませんのよ。本当にわかりませんの……。陛下は何者かに毒を盛られたと聞きましたが、その犯人がリディ様であるということですの?」


「……そうだ」


「リディ様が毒を入れたところを、どなたかご覧になった?」


「いや」


「まあ。では、身体の自由の利かない陛下を、傷つけようとした?」


「そうではない、しかし……」


「あらあら。なら、陛下がリディ様を捕まえよと仰った……」


「あの者は、陛下が倒れた場にいた! 陛下に異変があったとき、部屋にいたのは奴と従者だけだ!」


 声を荒げたフリッツに、しかしながらベアトリクスは小さく肩を竦めた。


「そこに座っているだけなら、私でもできますわ。そうでしょう、エリック。あなたもそう思わなくて?」


「――そうですね。仰る通りです」


 ですが、と宰相が口を開く。だが、彼が言葉を続けるより先に、我慢のならなくなったフリッツが宰相を遮った。


「陛下が倒れ、この国の者ではない人間が居合わせた。これ以上に怪しい人間が、ほかにいるとお思いか? 疑わしき者を牢につなぐことに、何の問題がある⁉」


「ああ、なるほど。リディ様は、犯人として疑わしい〝だけ〟ですのね!」


 ぱっと顔を輝かせた夫人に、フリッツ皇子は再び虚を突かれる。皇子は気が付かなかったが、彼の視界の外で、宰相ユグドラシルはぴくりと眉を動かしていた。ぴんと空気が張り詰めるなか、ベアトリクスはあくまで朗らかに笑顔を浮かべる。


「では殿下。至急、審判を開かねばなりませんね」


「審判、だと?」


 夫人の言わんとすることを理解できず、皇子が顔をしかめる。だが、夫人は皇子相手ではなく、むしろ宰相に聞かせようとするように、エリック・ユグドラシルにちらりと視線を送った。


「ええ。審判ですわ。殿下もよくご存じでしょう? 我が国では罪状が疑わしい際、皇帝の御前に証人を呼び、裁きを行うのです」


「しかし、それは無理だ。陛下は、まだ安静が必要で……」


「皇帝が不在の場合、3人の代理人を選出し、その合意を以て審判を下す」


 は?と、今度こそ皇子の口から呆けた呟きが漏れた。思わず宰相に向けられたフリッツの瞳には、「そうなのか?」とはっきりと戸惑いの色が浮かんでいた。その様子を前に、ベアトリクスは気の毒そうに首を振った。


「ご存知ないのも無理ないことですわ。皇帝が不在。そのようなこと自体が、この国の歴史上でほとんどないのですもの。私はこの法が適用される場面を目の当たりにしましたので、たまたま知っていただけです」


「目の当たりにした? 皇帝が不在……、まさかっ」


 はっとして、皇子は目を見開いた。彼はすぐに気づいたのだ。王国の歴史で言えば比較的に近い昔、自分が生まれる少し前、エアルダールに皇帝が〝不在〟の期間があった。そのとき、まさに審判が必要となる大きな事件があったではないか。


「――母上の、暗殺計画か」


「そのとおりです。あの事件の際、三人の代理人による審判が開かれました。そうでしたわね、エリック。たしか、あなたは代理人のひとりになることを望んだのだけど、それが叶わなかったのではなかったかしら?」


「つまり、お前もこの展開を予想できたというわけだな」


 唸るように呟いて、フリッツは宰相を睨む。予想がついていながら、敢えて黙っていたのではないか。そのような疑念に駆られて皇子が宰相を見たわけだが、視線を受け止めるユグドラシルは沈黙を貫くだけだ。


 ぎりっと奥歯を噛みしめ、フリッツは無理やりユグドラシルから視線を外し、夫人へと戻した。まずは、この厄介な訪問者をどうにかせねばと判断したのだ。エリック・ユグドラシルへの追及は、そのあとでゆっくりと行えばいい。


「とにかく、今は一刻の猶予もない。南では、オルストレやリーンズスが同盟を結ぼうとしている。そんなときに、帝国の威信を揺らがせるわけにはいかない。隣国の使者が陛下に毒を盛ったのならば、武力をもってこれに報い、我が国の威信を内外に知らしめるべきだ」


「ごもっともな判断ですわ、殿下。しかし一方で、法には敬意を払わねばなりません。先人たちが試行錯誤を重ねた、その結果なのですもの」


「ならば、その代理人審判とやらを、早急に終わらせるまでだ!」


 話は終わりだと言うようにフリッツは勢いよく立ち上がると、ふたりの代理人および証人の選定を行うよう、ユグドラシルへと指示を出した。無論、あとひとりの代理人は皇子自身が務めるつもりである。


「あなたも、あの者の無実を信じるならば証言台に立てばいい。もっとも、あなたには外相とともに隣国へと報せを運ぶよう命じてある。無事に、審判に間に合えばいいがな」


「安心なさって。私、いざとなれば馬にも乗れますの。それと殿下。あとひとつだけ」


「まだ何かあるのか!」


 立ち去りかけていたフリッツが、苛々と吐き捨てる。夫人は余裕を崩さぬまま、にこりと微笑みを返し、手をぱんぱんと二回打ち鳴らした。高い天井のためにその音は大きく響き、おそらく外にまで伝わったのだろう。ややあって、控えめに謁見の間の戸が開いた。


 そこに現れた姿に、皇子はがんと頭を殴られたような衝撃を受けた。


「シャー…ロット」


 固まる皇子の視線の先で、シャーロット・ユグドラシルが薄く開けた戸の隙間から入室し、ぺこりと頭を下げる。顔をあげたとき、怯みも迷いもなく、シャーロットは皇子と父である宰相とを順番に見つめた。


 二の句を継げずにいる皇子の前で、夫人はシャーロットをひらりと手で指し示した。


「審判の結果が出るまでは、リディ様は隣国の客人。ですから、世話役をひとりつけることをお許しください。彼女でしたら、お二方ともよく存じているでしょう? ここにいる全員が安心して任せられる子を、ちゃんと選びましたのよ」


「……君も、私を選んではくれないのか」


 シャーロットに向けられたフリッツの表情が、傷ついたように歪む。だが、シャーロットはほんの少しだけ悲しそうに目を細めたものの、全身から滲む固い決意が揺らぐことはない。しばし気まずい沈黙がその場を満たすが、穏やかな声がそれを破った。


「私は賛成です」


 果たして声を上げたのは、しばらくの間、静観を貫いていた宰相だった。明らかにショックを受けた様子の皇子を庇うよう、さりげなく夫人との間に立つと、ユグドラシルはシャーロットに向けてにこりと笑みを浮かべた。


「クラウン夫人の仰るように、審判が決するまでは客人は丁重に扱わなければならない。とはいえ、牢からお出しするわけにはいかない。――お前が傍にいてお世話をするのならば、私も安心だ。殿下、よろしいでしょうか?」


「…………好きにしろ。〝客人〟に失礼のないよう、立派に務めを果たすがいい」


「はい、殿下」


 ありがとうございます、と。礼儀正しくお辞儀をしたシャーロットにちらりと視線をやってから、フリッツは今度こそ檀上から降りた。道を譲った少女の脇を通り過ぎるとき、彼はほかの者には聞こえないように二言三言を囁いた。その返答を待たずして、皇子は謁見の間を後にした。


 コツコツと、硬い床を靴底が叩く音が響く。その後ろに続くもうひとり分の足音に耳を澄ませながら、皇子の胸の内は雪の朝のように冷たく張り詰める。


 誰も、本当の意味では彼を必要としていない。

 だから彼は、自分の居場所を自らの力で得ることを欲した。


 しかしながら、己が求められていないことを意識するからこそ、フリッツが誰かを心から信じることはない。いまは手を結んでいる宰相にしても、同じことだ。


 ―――唯一、心を得たいと願った少女にしても、それは。


「……それでも私は、もう立ち止まることはできないんだ」


 誰に言い聞かせるでもなく零れた呟きは、季節外れに凍えた空気の中に紛れて消えていったのであった。






 ズキズキと、後頭部に鈍い痛みが走る。ついでに言えば背中も腰も、なんなら、全身どこもかしこも節々が痛い。


 微睡みの中、体を蝕む不快感にリディが小さく呻いたとき、カチャカチャと金属がぶつかる音がした。つられて薄く目を開くと、徐々にはっきりしていく視界の中にふたりの人物の姿を見とめて、彼は思わず跳ね起きた。


「クラウンふじ、いっつぅ!?」


「大変! リディ様、どうぞそのまま静かにしていてくださいな。シャーロット、すぐに傷の手当を! 駄目ですわ。怪我されてるのに、そのように激しく動いては」


「いいや、このくらい別にどうってことな、つぅ‼︎」


「やっぱり。後ろ、腫れちゃってます。それとおでこ。少し、切れてますね……。大丈夫ですよ、すぐに手当しちゃいますから」


 素早くしゃがみこんで頭部の傷を確認したシャーロットが、両手を握りしめて頼もしく頷く。そして宣言通り、てきぱきと布で傷口回りを清潔にし、さらに薬を塗りこんでいく。そのまま彼女は、強がりを言う暇もなく為すがままでいるリディの頭部に、あっという間に包帯を巻きつけてしまった。


「完成です! あとは、あまり頭を動かさないほうがいいので……。そう、そうやって、後ろに寄り掛かって座ってください。ぐらぐら動いちゃだめですよ!」


「あ、ああ。ありがとう。……それで、その、クラウン夫人。あなたは、なぜここに?」


 そのように問いかけるとき、リディの声は僅かに緊張で震えた。しかし次の瞬間、柔和に微笑み返したベアトリクスに、ほっと胸をなでおろした。


「もちろん、リディ様との約束を守りにきたのですよ。この身に流れる王族の血の誇りにかけて、あなたとハイルランドの友であり続けると誓ったでしょう?」


「よかった……! では、アルは、――アルベルトは、無事に屋敷にたどり着き、あの夜に起きたことをあなたに伝えたのですね?」


 安堵に表情を緩めたリディであったが、アルベルトの名前が出た途端、今度はベアトリクスが顔を曇らせた。


「実をいうと、アルベルト様とは、直接はお会いできていませんの。屋敷の周りの警備が厚くて、とてもじゃないけれど近づけない様相でしたから……。けれど安心なさってね。とある筋にお願いして、そちらで保護していただいています。審判――それについても、ご説明しなくてはね。とにかく、それが始まる頃には合流できるよう、こちらで手配いたしますわ」


 そうして彼女は、この場にくる直前に繰り広げたという、皇子や宰相とのやり取りの内容をリディに説明した。


リディは言われた通り、なるべく大人しくこれまでの経緯に耳を傾けた。だが、身の回りの世話役としてシャーロットが傍に控えることと決まった件については、思わずがばりと前に身を乗り出した。


「シャーロット殿が⁉ しかし、それは、」


「駄目ですってば! リディ様、後ろにちゃんと寄り掛かって!」


「わ、わるかった」


 勢いよく動いたリディを咎め、シャーロットがすかさず叱責をひとつ。対するリディも、うっかり言いなりとなって、慌てて元の姿勢に戻って謝罪をひと言。そのやり取りにくすりと笑ってから、クラウン夫人は首を振った。


「彼女のことは心配いりませんわ。シャーロットはきちんと、覚悟と意志を以て、この場に立ってくれているのですもの」


「ですが、彼女は……」


 戸惑いを込めて、リディはシャーロットを見る。なんたって、シャーロットはユグドラシルの娘だ。加えて、クラウン夫人には、ユグドラシルがリディの追う黒幕であるかもしれないということも伝えてある。それらを踏まえれば、彼女はむしろ味方に引き入れるべきではない人物だと判断できるはずだ。


 しかし、そんなリディの疑問に答えたのは、シャーロット本人の告白であった。突然、シャーロットは「ごめんなさい!」と叫ぶと、呆気にとられるリディの前で頭を下げたのである。


「もしかしたら。いえ。たぶん、きっと。リディ様を陥れたのは私の父と――、そして、フリッツ殿下なんです」


「……どうして、そう思ったのかを伺っても?」


 どのように答えるべきか迷った末、それだけをリディは問い返した。まさしく彼女の言う通りであるのだが、まさかシャーロットの口からそれを聞くとは思わなかったのである。


 するとシャーロットは、身を縮めつつも覚悟を決めたようにぶるりと小さく震えてから、すべてを打ち明けた。自分とフリッツ皇子が特別な関係であること。皇子の様子がしばらくおかしかったこと。最近になって父と皇子が共にいることが急に増えたこと。


「エリザベス様が倒れ、リディ様が捕まったと聞いたとき、おかしいと思ったんです」


 目に涙をうっすらと溜めたまま、シャーロットの告白が続く。何かの間違いではないか、――何か、背後でよからぬことが起きているのではないか。不安に突き動かされるまま、シャーロットは皇子と会った。そして、リディを犯人と決めつけるべきではない、このままでは戦争になってしまうと訴えた。


 だが皇子は、首を振った。そして言ったのだ。

君は、何も心配しなくていい。あと少しで、すべてが上手くいくから、と。


たった一言ではあったが、嫌な予感が確信に変わるには十分であった。


「殿下はずっと、エリザベス様を超えることを強く望んでいました。けど、こんな方法は間違ってます! 誰かに罪を擦り付けて、しなくてもいい戦争を起こすなんて、そんなの……」


 なんとしてでも皇子を止めなくては。その一心で、シャーロットは続いて父のもとへと急いだ。だが、結果は同じことだった。極めて理性的で、温厚な父とは思えない判断。それが物語るのは、父と皇子は繋がっており、父もまた、この〝暗殺劇〟を裏で操っているのだということだった。


「私には、難しいことはわかりません。殿下が目指す像の大きさも、父がなぜこんなことをするのかも、全然わからないんです。だけど……、だけど、このままじゃたくさんの人が傷つくって、それだけはわかるから。だから、私……!」


 強い光を瞳に宿したシャーロットを見て、リディは、ああ、と小さく呟いた。大切なひとだからこそ、間違った道を進もうとしているならば、全力で止めたいと願う。それは、かつてリディの胸に熱く沸き起こった感情と同じものだ。


「あなたの決意はわかりました。――ならば、クラウン夫人。あらためて、教えていただきたい。黒幕は……ユグドラシル宰相は、必ず私を有罪にしようとするでしょう。この先、私たちはどのような手を打つべきか、その展望は見えているのでしょうか?」


 リディの視線を受けて、ベアトリクスは頷く。


「考えがありますの。もっとも、これは、我が国にとっては賭けとなりますが……」








 様々な思惑が交錯し、歴史の歯車を動かす。

 ばらけていた欠片が集まり、新たな様相を浮かび上がらせる。


 満天の星々の下、神秘的な丘の上で、少年は手にもつ木筒をくるりと回す。


 木筒を覗き込んだまま、少年はにこりと口元に笑みを浮かべた。




 新たな未来への扉は、あと少しのところに迫っていた。





次回、アリシアに戻ります。

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