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17-6

ダンスク城塞の通称を、「暮れの西城」に変更いたします。

更新済み分については、随時修正していきます。





 今より昔、エアルダールに混乱があった。


 荒れ果てた国庫、利権を争うだけの政治。一部の富める者が私腹を肥やし、弱く貧しき者たちは打ち捨てられた。


 その最中に皇位継承闘争は起きた。元老院に傀儡として取り込まれた第一皇子レイブン。庶子でありながら、才覚にあふれたエリザベス。ふたりの争いは、レイブンの投獄という形で決着がついた。


 レイブンが投獄されたのは、ダンスク城塞――暮れの西城だ。この事実を知るものは多くはないが、第一皇子が牢に入れられてから、エリック・ユグドラシルが彼の牢を訪ねたことがあった。


 先導する兵に扉を開けてもらいユグドラシルが牢の中に入ると、硬いベッドの上で僅かに体を起こしたレイブン皇子は、にやりと唇を吊り上げて旧友を迎えた。


〝来たか、兄弟。どうだ、俺も落ちぶれたものだろう〟


〝ええ、まったくです〟


 冗談めかして手を広げて見せる元主人を、ユグドラシルは様々な感情が入り乱れる複雑な表情で見下ろす。数ヶ月のうちに、皇子は随分と痩せた。精悍で、王族らしい堂々とした居住まいの面影はそこになく、地位を追われた男の哀れな末路があるだけだ。だから、ユグドラシルは再び同じ言葉を口にする。


〝まったく……本当に、あなたは馬鹿なことをした〟


〝やめろ。牢に入ってまで、どうして貴様の小言を聞かねばならん。滅多にない来客だ、もっと俺を楽しませてくれてもいいだろう〟


 そう言って、レイブンはぐるりと牢の中を見渡す。牢といっても、中はひどく質素ながら一応はベッドや椅子、机など、最低限部屋としての体裁は整えられている。彼の身分を考えれば、投獄よりは幽閉に近い扱いなのだろう。


 だが、暮れの西城に満ちた淀んだ空気は、確実に皇子を蝕んでいた。ユグドラシルの前で、皇子は激しく咳き込んだ。苦し気な体を支え、ゆっくりと横たえてやると、胸の奥底に巣食うものを宥めるようにレイブンは深く長い息を吐き出した。


〝俺はもう終いだ〟と、皇子は天井を眺め告げた。


〝貴様の言う通り、馬鹿なことをした。すべては、俺の脆弱さが招いたことだ。驕り、己を過信し、耳触りのいい言葉だけ聞き入れた。俺を見捨てた貴様の判断は、正しかったのだ〟


 ユグドラシルは答えない。否、答えようがなかった。


友として、補佐役として、ユグドラシルはレイブンの第一の理解者であり、忠実なる僕であった。そのレイブンと対立し、彼の元を去ったユグドラシルの覚悟は相当なものであり、渦巻く感情を一言や二言で言いあらわせはしない。

 

そんな友の葛藤をおそらく察しながら、レイブンはユグドラシルへと手を伸ばす。果たして、その手を受け止める資格が己にあるだろうかと彼が躊躇していると、皇子はユグドラシルの裾を掴んで自分の方へと友を引き寄せた。


 お願いだ、と。聞いたことのない声音で、皇子は懇願した。


〝あいつらを――元老院の奴らを、助けてやってくれ〟


〝……それは、本気で言っているのですか?〟


 すっと目を細めたユグドラシルの声は、彼自身が驚くほどに冷たく響いた。


 王国が傾いたのも、レイブンが今のような状態に陥ったのも、すべては元老院のせいだ。だというのに、この期に及んで何を甘いことを、というのがユグドラシルの意見だ。


 加えて、次に玉座に座るのはエリザベスでほぼ決まりだ。すでに元老院の半数以上を追いやっている彼女が、今更、その手を緩めるとも思えない。


だが、否定的な姿勢を見せる友に、レイブンは一層強く縋る。


〝今の立場に残してやれとまではいわない。それでも……っ!〟


〝レイブン! っ、あなた……!?〟


 興奮したのがまずかったのか、先ほどよりも激しくレイブンが咳き込む。身をよじって苦しむ皇子に、慌てて身を屈めてその背中を撫でてやったとき、ユグドラシルは皇子の手に赤い血の花が咲いているのをみた。


〝それでも、〟と、言葉をなくしたユグドラシルに、皇子は息を整えながら続けた。〝俺とは違って、奴らには時間がある。やりなおす時間が〟


 弱腰であった父王を諫めず。国を傾けて尚、己を傀儡に取り込み保身に走った元老院の面々を変えることも出来ず。すべては己の責だと、レイブンは言った。


〝王族として、ケジメは俺が取る。それで十分だろう?〟


 ユグドラシルは瞼を閉じた。そして、相変わらず我が主はなんと甘いことだと呻いた。


 元老院と距離を取れ、彼らを解任せよと。何度となく言い募ったユグドラシルに、いずれ彼らとも折り合いをつけるとレイブンは答えた。だが、そんなことはどだい無理な話だった。己のことだけを考え甘い蜜を吸ってきた者共が、今更に改心などどうしてできよう。


 エリザベス暗殺の企てにしたって、そうだ。レイブンは決して口を割らないが、彼はエリザベスの死など望んでいなかった。巷では悪臣の甘言に惑わされレイブンが刺客を放ったなどと言われているが、とんでもない。すべては元老院が勝手を働いただけ。エリザベスもそれをわかった上で、玉座を得るための道具として事件を利用したのだ。


 しかし、側近としての目には彼の危うさ、至らなさとして映っても、長い友人として見ればその甘さは最後まで嫌いになれなかった。そう、この最後のときでさえも。


〝そんな、〟胸の奥底が焼け付く心地がしながら、ユグドラシルは吐き出した。〝そんなお人好しでいるから、あなたは駄目なんだ〟


〝お人好しはどっちだ〟呆れたような目をして、皇子は苦笑した。〝俺のこの様を見て、それでも、そんな顔をしてくれる貴様のほうが、よほどお人好しな人間だと思うがな〟




 友であり、かつては主従であったふたりの密やかな会談からほどなくして。


 エアルダール帝国第一皇子レイブンは、静かにこの世を去った。




 窓の外で、枯葉が一枚木から舞い落ちる。窓を背負って執務机に向かうエアルダール宰相エリック・ユグドラシルが、それに気を向けることはない。彼が慣れた様子でさらさらと筆を走らせていると、扉がノックされ、皇子からの使いが彼へ言伝を届ける。


「それはよかった」穏やかな表情で筆を置き、宰相はふわりと微笑む。「すぐに伺いましょう。皇子にも、そのようにお伝えください」


 ほどなくして、ユグドラシルはとある豪奢な扉の前に立つ。ちょうど入れ替わるように中から出てきた医務官と二言三言を交わしてから、宰相は室内にするりと入った。


「殿下、参りました」


「来い。母上が目を覚まされた」


 首だけ振り返って、フリッツ皇子が側に来るように彼に告げる。


 部屋の中央には大きなベッドがあり、彼らの王、エリザベスが身を横たえている。彼女の視線は天蓋の裏に向けられたままだったが、ユグドラシルが近くに立つと、ゆっくりと瞬きをした。


「なんの毒かと思えば、生温い。ただの痺れ薬とは……」


「そのように軽く見てはいけません、母上。体の自由を奪われれば、剣を突き立てられようが、首を締められようが、抵抗することが出来ないのですから。痺れはじきに消えますが、完治するには七日ほどかかるとのことです」


「七日、か。……短いが、ことを急ぐなら十分すぎる時間だな。一度回り始めた歯車を止めることは難しい。それが戦争となれば、尚更に」


「母上の御身は、ミレーヌ殿にお移しします。ですから心乱さず、隣国とのことはすべてを私にお任せください」


 女帝からの返答は何もない。皇子はそのことを意外に思ったのか僅かに眉を顰めたが、伝えるべきはすべて伝えたとばかりに彼はひらりと身を翻す。皇子に続いて宰相も退室しようとしたとき、その背を女帝が引き止めた。


「なぜ殺さなかった」


 足を止めた宰相は、ゆっくりと振り返る。その視線の先に、自分をまっすぐに見据える深緑の双眼がある。ユグドラシルを見据えたまま、「薬を盛ったのは、お前だろう」と続けた。


「コトを起こすなら、余が死ぬか、そなたが死ぬかしかなかった。なぜ中途半端に生かした」


「なぜ……。そうですね。あなたにはきっと、私の行動の全てが無意味で、理解に苦しむものに見えることでしょうね」


 いつもの、それこそ、執務中の王と宰相のやりとりと同じに、答えるユグドラシルの声は穏やかなままだ。ふたりしかいない広い部屋で、彼とエリザベスとはしばらく見つめあった。


 やがて、先に口を開いたのはユグドラシルだった。


「覚えていますか? 私たちの始まりも、こうしてふたりきりでした。そこであなたは、ひとつの嘘をついた」


 口を開きかけた女帝に、宰相は首を振る。


「行為そのものを責めているのではありません。国を治めるため、嘘はときに必要だ。ただ、あなたのついた嘘のうちのひとつが私にとっては重要な意味を持ち、今日まで私を突き動かした。それだけの話です」


「レイブンとの約束、か」


 ため息混じりに吐き出された言葉に、ユグドラシルの顔から笑みが静かに引いた。


 その昔、レイブン第一皇子が暮れの西城で静かに息を引き取ったあと。第二皇女を妻に娶っていたユグドラシルは、皇位継承候補としてエリザベスの対抗馬に指名され、彼女とふたりきりの会談に臨んだ。


 会談の舞台となった小部屋に入ってすぐ、ユグドラシルは義妹に告げた。自分はあなたと争うつもりはない。皇位は譲って構わないと。


 では、なぜ会談の場を設けたのかと、当然エリザベスは彼に問うた。これに対しユグドラシルは、皇位を譲るにあたって条件があると答えた。


 その条件こそ、エアルダールとハイルランドの「統一」だったのだ。


〝ハイルランドとの統合? 義兄上はむしろ、そのような世迷い事を吹き込む連中とレイブンとを引き離そうと動いていたと記憶しているが〟


〝殿下。私は、大エアルダール帝国の建設が、保守派とそれ以外の者たち、分断された我が国の人々をひとつに再統合する鍵となると考えているのです〟


 ユグドラシルは訴えた。厳しい追及を受けて中心人物の多くを失い、さらにはレイブンも亡くした元老院は、すでにまとまりを欠いた有象無象の集まりだ。彼らはもはやエリザベスの脅威にはなり得ない。


 であれば、エリザベスがすべきは混乱を長引かせることではない。過去の過ちを許し、その手を取って正しき道へ導くこともまた、君主の務めであろうと。


「統一帝国を余が掲げれば、反発する保守派たちも余を認める。そうすれば、あとはそなたが連中をまとめあげ、大人しくさせてみせよう。あのとき、そなたは余にそう言ったな」


「ええ。そしてあなたは、しばらく悩んだ末に頷いた。私の提案を受け入れ、エアルダールの混乱を終わらせようと」


 約束は結ばれ、玉座に座る者とその隣に控える者とが決した。そのあともふたりは数日にわたって新体制について話し合い、扉が開かれた。


 だが、女帝は約束を覆した。


 戴冠式の日。新たな皇帝として姿を現したエリザベスは、戴冠の儀の最後、王城のバルコニーでの演説の中で、ハイルランドとの統合の可能性をはっきりと否定した。


 約束が違うと詰め寄るユグドラシルに、エリザベスは冷たく返した。自分が約束をしたのは、エアルダールの混乱を終わらせるという点についてだと。


〝では、はじめから私の提案を受けるつもりはなかったと……!〟


〝そうではない。連中と手を取り合うことに意義を見出したなら、余はそなたの言うようにハイルランドを取るつもりだった。だが、その必要はないと判断した〟


 こともなげに言い放つ主君に、ユグドラシルは激昂した。歯を食いしばり、拳を握りしめた彼の瞼に浮かぶのは、亡き主人の最期の姿だった。


〝彼らとて‼〟気づけば、宰相は叫んでいた。〝彼らとて、あなたが手に入れた国の一部ではないのですか!?〟


〝だからこそ、いらぬのだ〟どこまでも冷淡に、女帝は答えた。〝余の目指す新しき国に、残念ながら連中はいないのだ〟


 戴冠式での演説を境に、旧元老院と新王の対立は決定的となった。反発した保守派の貴族たちを次々に排除し、女帝は改革に向けて足場を固めた。新しき未来を切り開く女帝の輝かしい軌跡の裏で、死罪に幽閉、財産没収と容赦ない処罰が下され、多くの者が表から去った。


 レイブンの最期の願いを、ユグドラシルは叶えることが出来なかった。


「なあ、ユグドラシル。そなたの行動に、何の意味がある」


 ユグドラシルが見下ろす先で、女帝が目を細める。


「レイブンは死んだ。奴の取り巻きも姿を消した。だというのに、今にしてなぜ、ハイルランドを取る。そなたは何に執着している」


「意味などありません。少なくとも、私以外にとっては」


 細い身体に疲れを滲ませ、ユグドラシルは静かに立つ。そうして彼は何故か寂しげに、ここにいない誰かを思い浮かべたように、悲しい笑みを口元に浮かべた。


「これは私の個人的復讐であり、挑戦なのです。あなたが否定し、あなたがいらないと撥ねつけたものを、私は手に入れることが出来るのか。私には、あなたの選択を覆す力があるのか」


 ですが、もっと興味深いことが出来たと。そう言って、ユグドラシルは身を屈めた。


「天の星々に誓って、告白します。あなたに薬を盛り、隣国の使者にその罪を被せて戦争の口実にすることを決めたのはフリッツ殿下です。殿下は、あなたを超える偉大な皇帝となることを渇望している。私は、その背中を押して差し上げたにすぎません。統一帝国という偉業を成し遂げれば、女帝陛下を超える偉大な王として歴史に名を刻むでしょうと」


「な……」


「事実を知ったあなたは、どうしますか?」


 目を見開いた女帝の顔を覗き込み、宰相は静かに問いかける。


「我が子であっても、容赦なく裁きますか? それとも主義を曲げ、あの方だけは見逃しますか? いっそのこと、共に隣国を奪いますか? もっとも選択がどれにせよ、私は一向に構いませんが」


「その下らぬ酔狂が原因で、そなたの首が胴を離れてもか」


ぎりりと歯を噛み締め、唸るように女帝が告げる。体の自由がきかないために身を横たえたままだが、視線だけは鋭く、彼を射殺さんばかりである。だが、対するユグドラシルは小さく笑いを漏らすと、ゆっくりと首を振った。


「それこそ、どうでもいいことですよ。この結末を見届けることが出来るならば」


 その言葉を最後に、ユグドラシルは彼女の側を離れた。彼が部屋の外に出るのと同時に、待ち構えていた医務官らが中に入っていく。女帝の身を、敷地内の別殿であるミレーヌ殿へと移すためだ。


 そこで宰相は、てっきり自室にでも戻ったかに思われたフリッツ皇子が、窓にもたれて立つのを見つけた。ユグドラシルがそちらへと足を向けると、皇子はすっと通った形のよい眉を不機嫌そうに寄せて、開口一番「遅い」と苦情を言った。


「私を差し置いて、こそこそと動くな。母上に何を聞かれた?」


「つまらぬ事柄です。少しばかり、昔話を」


「そのような答えで私が満足するとでも?」


 皇子が素早く動いて、ユグドラシルの肩のあたりを摑む。鋭い光を帯びた深緑の瞳を見返しながら、確かに彼は女帝の血を引いていると、そのような感想を宰相は抱いた。しばらく口を閉ざしたままユグドラシルが待てば、皇子は苛立ちをにじませつつも「まあ、いい」と手を離した。


「お前にどういう意図があろうが、事は既に動き出している。途中で逃げ出すことは、お前も、そして私にも、出来はしまい。最後まで付き合ってもらうぞ」


 皇子の言葉に、やはり宰相は穏やかな笑みを浮かべた。なぜなら、皇子を〝付き合わせて〟いるのはむしろ、自分の方であるからだ。もちろん、その事実を皇子本人が理解しているかは別にして、である。


 喜んで。そう、宰相が皇子に答えようとしたとき。


 回廊の先から小走りに駆けてきた兵が、彼らへの来客を告げたのであった。





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