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17-3




「リディ様、リリをエスコートするよね」


「リディ様、ララをエスコートするよね」


「むむむむむむ」と、エアルダールの双子の姫君、リリアンナ姫とローレンシア姫がぷくっと頰を膨らませて睨み合う。その手で、互いにしっかとリディの手を掴みながら。


 王都警備隊の記録庫を出てすぐ、リディとアルベルトは馬車を走らせてエグディエル城に向かった。もちろん、デザイナーの付き添いで城を訪れているはずのバーナバスに接触するためだ。


 といって、王族との約束にいきなり割り込むなどという無礼は働けない。それで、試しに同席しているはずのクラウン外相夫人に使いをやったところ、向こうから姫たちのいる応接間にくるようにと返事がきたのである。


 それで、今の状況だ。


「リディ様はリリとおどるの!」


「リディ様はララとおどるの!」


「むむむむむむ!!」


「お二方共、どうか喧嘩はなさらず……」


 右手をリリアンナ、左手をローレンシアにギュッと握られたリディは、元公爵家の威厳もなく困り果てた様子。救いを求めて己の従者を見れば、肩を震わせて、笑いを必死に堪えているといった具合。


(アルベルト、貴様、覚えてろよ……)


「お二方共、リディ様が困ってらっしゃるでしょう? レディが殿方を誘う時は、もっと淑やかにするものですよ」


「そもそも、おチビさんたちにエスコートなんてまだ早いのよ、おませさん! ほら、採寸をするのだから、さっさとこちらにいらっしゃいな!」


 まったく頼りにならないアルベルトの代わりに助け舟を出してくれたのは、ベアトリクスと、イスト商会と契約しているというデザイナーの男だった。彼がぱんぱん!と手を鳴らせば、二人の姫は不満そうに「はーい」と返事をしつつも、先を争ってぱたぱたと駆けて行った。


 やれやれと肩を落としてソファに沈み込んだリディに、ベアトリクスがにこりと微笑む。


「ごめんなさいね、リディ様。お二方とも、リディ様ぐらいの殿方と会うのが珍しくて。すっかり気に入られてしまったみたいですわね」


「ああ、いえ。こちらこそ、急に押し掛けてしまい申し訳ありません」


「いいんですのよ。あの方々と引きあわせるいい機会だと思いましたから。そうだわ、この後のご予定は? よろしければ、お茶をご一緒しませんこと?」


「喜んで。採寸の間、こちらで待たせていただいても?」


「もちろんですとも。待ってらしてね。生地は選び終わってますから、そう時間はかかりませんので」


 ベアトリクスは嬉しそうに側にいた侍女に中庭にお茶の準備を整えておくよう声をかけてから、いそいそと隣室へと移動した。隣室に続く扉がしっかりと閉ざされたことを確認してから、改めてリディは『彼』へと体を向けた。


「奇遇ですね、バーナバス殿。まさか、二日続けてお会いすることになるとは」


「奇遇、ねぇ」


 呆れ半分、諦め半分に、バーナバス・マクレガーが答える。その様子から、リディたちがここに現れた真の目的を、彼が薄々と察していることが伺えた。


 それでリディも、まどろっこしい駆け引きなしに、本題に入ることにした。


「アダム・フィッシャーの事件について、記録庫の資料を見させてもらった。単刀直入に言おう。6年が経った今となっても、バーナバス殿が事件にこだわる理由はなんだ。彼は、なぜ命を落とすことになった?」


「記録庫? お前さん、あそこの記録を見たっていうのか?」


 リディの言葉に、バーナバスが立ち上がる。今にも掴みかからんばかりの気迫が彼から滲み出るが、リディは整った顔に笑みを浮かべるだけだ。一向に先を続けようとしない隣国の客人に、バーナバスはすぐにその意図を察した。


「……前にも言ったでしょう。死んだ男に真相を求めても無駄だと」


「無駄かどうかは僕が決める。あなたが決めることじゃない」


「今日、俺に会いにきたのは、ハイルランド特使としてですか?」


「そう捉えてもらって問題ない。加えて、極秘の、と認識してもらえれば完璧だが」


 室内に沈黙が落ちる。ややあって、バーナバスは嘆息した。


「この6年で、何か証拠を掴んだわけじゃない。けれども、最後に会った奴の様子がおかしかったから。だから俺は、あいつが何か厄介な事情に巻き込まれちまったんだって、そう思っているだけです」


「事件の前に、彼に会ったのか?」


「ええ。あいつの死体が森で見つかる数日前に、偶然、キングスレーでばったりね」


 そう言って、バーナバスは6年前のある夜の出来事を語り始めた。






 6年前、バーナバスはユグドラシル邸を訪ねて、王都キングスレーに来ていた。


 その頃のバーナバスは、ホプキンス商会長に商売人的才能を認められ、国内外のあちこちを飛び回っていた。その合間を縫って、宰相や奥方に挨拶する傍ら、幼かったシャーロットやその兄たちの相手をするのが、彼の習慣となっていたのである。


 ユグドラシル邸はいつも、バーナバスの来訪を歓迎し、館に泊めることをすすめてくれた。時に誘いに乗ることもあったが、毎度と世話になるのも忍びなく、ほとんどは商会として付き合いのある宿を利用した。


 その時も、バーナバスは町中に宿をとっていた。ユグドラシル邸で晩餐を共にしたあと、彼は自身の宿に戻るためにキングスレーを歩いていた。そんなとき、暗がりにうずくまる一人の旅人の姿を目にした。


 酔っ払いか宿無しの行き倒れかと思い、バーナバスは隣を行き過ぎようとした。その旅人が、声を発するまでは。


 〝……バーナバス、か?〟


 〝……アダム? まさか、アダムなのか!?〟


 半信半疑で立たせてやれば、それは随分と前に商会から姿を消した親友、アダム・フィッシャーだった。


 色々と尋ねたいことがあったが、彼は疲労と空腹とでよろめいていた。それで、とりあえずバーナバスはアダムを支え、近くの酒場へと移動をした。


 さて、なぜか一文無しの――それも、まるで身一つでどこかから逃れてきたかのように、服は全身擦り切れていた――アダムに食事をおごってやりながら、バーナバスは首を傾げた。しばらく見ないうちに、友の身には何があったというのだろう。


 〝お前さんは一体、どこで何をしてたんだ。恩義を蹴ってまでイストを出て行ったというのに、なんだってそんな死にそうな風貌で帰ってきたんだ〟


 〝……すまなかった。バーナバス。お前にも、何も言わず〟


 〝何も、ね。ああ、そうだ。紙きれ一枚残しただけで、身をくらませやがって。俺も、ユグドラシル様も、随分とお前さんを探したんだぜ〟


 なのに、足取りを摑むことは出来なかった。


 個人的な理由でユグドラシルの手を煩わせるのは忍びなかったが、宰相自身もアダムの身を案じて、各方面に手を回して彼の行方を追ってくれた。それでも見つからないとなれば、よほど周到な準備をして身を眩ませたとしか思えない。


 だがアダムは、言えないと。

 この数年間のことは聞いてくれるなと。


 頑なに、そう貫いた。


 代わりに彼が繰り返したのは"失敗した"という言葉だった。


 〝失敗した。しくじったのさ、俺は。『あの方』は失望なさっただろう。きっと、見切りをつけられただろう……〟


 全てを諦めきった乾いた笑みを浮かべて、アダムは強い酒を煽る。まるで、そうすることで自身を痛めつけようとするように。


 仔細を知らぬバーナバスは、それでも友を激励した。一回の失敗がなんだと。商会にいた頃を思い出せと。失った信頼を取り戻すのは容易ではないが、それで腐るくらいなら死ぬ気で挽回してみせろと、そのように話して聞かせた。


 自身でも、なんとありきたりで中身のない言葉だと思った。だが、アダムはバーナバスの激励に、懐かしそうに目を細め、嬉しそうに笑い声を上げた。冗談を言ってるのではないぞと苦言を呈せば、昔と変わらぬお前がおかしいのだと返された。


 それから、かつてに戻ったように親友二人は酒を酌み交わした。アダムも次第に快活さを取り戻し、商会にいた頃のように冗談を口にし、愉快に酒を飲んだ。


 すっかり夜は更けた。いい気分になったまま、バーナバスは友を連れて自身の宿へと向かい、彼のためにもう一つ部屋を取ってやった。ベロベロになったアダムを部屋に押し込み、自身もフラフラになりながら、バーナバスはひとつだけ友に釘を刺した。


 〝いいか。明日はユグドラシル様のところにお前さんを連れて行くぞ。あの方も、随分心配されてたんだ。間違っても逃げようなんて気を起こすんじゃねぇぞ〟


 その言葉を、アダムがきちんと聞いたのかは定かではない。ただ彼は、うつ伏せに倒れたベッドの上で力なくひらひらと手を振ってみせた。バーナバスも眠気が限界であり、それに軽く手を振り返してから扉をぱたんと閉ざした。


 それが、生きているアダムを見た最後だった。







「翌朝、俺が迎えに行くと、部屋はもぬけの殻だった。あいつは、いなかったんだ」


「再び、姿をくらませたということか?」


「……そういうことに、なるだろうな」


 眉をひそめて言葉を濁したバーナバスに、リディは首を傾けて先を促した。すると、やや迷ってからバーナバスは嘆息した。


「なんせね。次に見たとき、あいつは死体でしたからね。それに、宿屋の人間の誰もが、アダムが外に出ていくのを見ていないという。……俺が部屋に戻ったあとに何かあったんじゃないかと、疑りたくもなりますよ」


 バーナバスによると、その日の夕方にアダムの死体が森の中で見つかったという。


 発見時の状況は、王都警備隊の記録にもあった。見つけたのは見回りにあたっていた兵士で、連れていた番犬が騒いだのでいつもより森の奥にまで入っていったところ、発見したとのことだった。


 隣室と隔てる扉は、まだ開かない。中では二人の姫君がきゃあきゃあとはしゃいだ声を上げているのだろうが、その声がこちらまで届くことはなく、室内はリディたちが話す以外は寂しいほどに静まり返っていた。


「リディ様。お前さんがアダムを追っているというなら、教えてくださいよ」


 答えを見つけられなかった6年を悔やむように、バーナバスは呻いた。


「アダムの言っていた、『あの方』ってのは誰なんです? ――そいつが、アダムを殺したっていうんですか?」






 城の中庭のサロンで、ささやかな茶会が催された後。ベアトリクスらに礼を言ってから、リディとアルベルトは退席した。


 すっかりリディを気に入ったらしい二人の王女が、去っていく彼らに無邪気に手を振る。それに返してやりながら、リディは後ろを歩くアルベルトにささやいた。


「どう思う、アル。僕は、アダム・フィッシャーが痣の男であると考えて間違いないだろうと、そう踏んだが」


「私も旦那様と同意見です」


 同じく囁き声で、アルベルトは答えた。


「死亡した時期や、その前の様子。何より『失敗した』との言葉。それは大旦那様の……ロイド様とのことを指しているのではないでしょうか」


「だろうな。ならば『あの方』というのは、黒幕のことだろう。――ようやく、尻尾を捕まえたぞ。姑息で、卑劣な、あの者のことを」


 そうと決まれば早い。リディたちの追う黒幕は、元老院に在籍するエアルダールの高官だ。孤児院出身という身寄りのない身で、かつ商人見習いという立場にあったアダム・フィッシャーに目をつける可能性のある者など限られてくる。


 と、ここまで考えて、リディはぴたりと足を止めた。


 理由は二つある。一つは、アダムが痣の男である場合に、自然とある人物が容疑者として浮かび上がってくるためだ。そしてもう一つは、その容疑者――宰相ユグドラシルが、回廊の先に立っていたためだ。


ごくりと、後ろでアルベルトが唾を飲み込む音がした。


 西日に当たるのを逃れるように、宰相は奥の薄暗がりの中にたたずんでいる。その中でも、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべているのがわかって、逆に背中を冷たいものでひやりと撫でられた心地がした。


 いつまでも立ち止まっているわけにもいかず、リディは足を踏み出した。一歩、一歩と慎重に進んでいけば、そのたびに心臓がどくどくと嫌な音を立てた。


〝父上……、父上‼︎〟


 地下牢を駆ける足裏に伝わる石畳の硬さも、触れた肌の冷たさも、まるで昨日のことのように思い出せる。


 あの日、嘆き、許しを請い、縋り付きながら、どれほど時間が掛かれども必ず借りは返すと固く誓った。


 その仇敵が、目の前にいるかもしれない。

 この男がロイドを、――父を、切り捨てたのかもしれない。


 胸の内に荒れ狂う感情のすべてを、リディは平然とした表情の下で飲み込む。そうして近くまでいくと、宰相の細身の体を覆う深緑色の装束がふわりと広がり、彼は優雅にお辞儀をした。


「リディ殿。この国で、何か不自由をされてないかと案じておりましたが、杞憂だったようです。お元気そうで安心いたしました」


「お気遣い感謝いたします。おかげ様で、何一つ不自由などしておりませんよ」


「それはよかった。アルベルト殿も、何かありましたら遠慮なく私に教えてください」


「ありがとうございます」


 柔和な笑みを浮かべて、再度ユグドラシルが軽くお辞儀をする。緊張を相手に悟らせないように注意しながら、リディもそれに応える。そのまま別れようとした時――宰相が、彼らを呼び止めた。


「王都警備隊の記録庫に入られたとか。お気をつけください。あなたが陛下に殊更に目をかけられていることを、よく思わない人間もいる。此度の行いは、あまりに目立ちすぎます」


 すぐ近くでアルベルトが身を強張らせたのが確認せずともわかる。一拍置いてから、リディは強気に口角を吊り上げて振り返った。


「さすがユグドラシル様。この国において、あなたには何一つ隠し事ができませんね」


「買い被りですよ。多くの事柄が、私の耳に入りがちであるというだけです」


「だとしても随分と耳が早い。まるでどこかで私の行動を見張っていたようだ」


「お気を悪くなさらないでください。立場上、そうせざるを得ないこともあるのです」


 軽く首を傾げて、宰相は申し訳なさそうに眉を下げる。


――そうだ。エリザベス帝とアリシア王女の秘密の協定のもとに、このタイミングで特使として送られたリディの動向を、誰もが興味を抱いている。


 黒幕であろうと、なかろうと。ユグドラシルには、リディを見張る理由がある。

 ……それを為し遂げる〝目〟も、彼なら自然と持ち合わせている。


 対峙する宰相に、リディも慇懃に胸に手を当てて答えた。


「ご忠告感謝いたします。この国の方々との間に溝を生むのは、私の本意ではない……。今後、気を付けましょう」


「ご理解いただけて安心しました。リディ殿の頭上に、守護星の導きがありますよう」


 宰相は柔らかく微笑み、今度こそ背を向けて回廊の向こうへと歩き去っていく。その背中が角を曲がって見えなくなるときまで、リディとアルベルトはずっと目を離すことをできずにいたのであった。




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