16-5
ハイルランドの空に、空砲が響く。それを合図にして、3日間にわたる建国式典がエグディエル城で幕開けした。
式典には、国中から多くの来賓が招かれた。枢密院はもちろんのこと、ジュードのような領主や貴族、東西南北それぞれを預かる騎士団の長、音楽家や画家などの芸術家、名のある商人たち――。
建国式典では伝統として、建国王エステルと守護星とで結ばれた〝契約〟を、様々な手法で再現する。その最も代表的なものは、守護星の庇護の体現者である時の王を司祭に据えた、典礼儀式だ。
祭儀は、かつてチェスター侯国で信奉されていた〈星読教〉の形式によるものである。そのため、今となっては失われた言語での祈りや斉唱、神話を題材にした典礼が行われるなど、どこか浮世離れした雰囲気を漂わせる。
初日がほぼ終日をかけて典礼儀礼が行われ、続いて二日目に行われるのは、市内と城とを結ぶ大通りで催される建国パレードだ。ここでは追撃者の手を逃れ、精霊や星々に導かれてハイルランドにたどり着き、守護星と契約を結ぶまでを演目で再現する。
そして三日目、最終日となるこの日は半日をかけて国王と来賓者とが席を囲む大規模な昼餐会が開かれる。その後、式典の締めとなる舞踏会が催されるのだ。
王族でありハイルランドの王位継承者と目されるアリシアも、当然すべての式典に参加する。基本的には顔を出してさえいれば問題ないとはいえ、次々に行事が移り変わる中では、なかなかどうして忙しく思える。
一方のクロヴィスも、主要主要の場面ではアリシアの側に来て控えてはいたが、それ以外の部分では、やはり補佐官として忙しく立ち回っていた。
そうしたわけで目まぐるしく最初の二日間が過ぎ去り、三日目の昼餐会を迎えていた。その中で、アリシアは地方院長官ダン・ドレファスに声を掛けに行った。
「失礼、ドレファス夫人。ご主人を少しばかりお借りしてもいいかしら?」
「これは、アリシア様。っと、ナイゼルも一緒じゃねえか」
夫人に代わり、野太い声で答えたのはドレファスだ。彼の連れである夫人や子息、令嬢が止めるわけもなく、ドレファスはナプキンで豪快に口まわりをぬぐってから、すぐに立ち上がった。
昼餐会の最後を飾るデザートが出るのを待ち、人々はのんびりと歓談している。そうした楽しげな声を背景に聞きながら、アリシア、筆頭補佐官ナイゼル・オットー、ドレファス長官、そしてもう一人が柱の陰に集まった。
残りの一人、それは、地方院シェラフォード支部長代理のダニエル・サザーランドだ。
彼はリディの従兄弟であり、普段からリディと共にシェラフォード支部の運営に携わっていたという。アリシアも彼に会ったのは二日前の典礼が初めてだったが、リディと違って気の小さいところはあるものの、なかなか芯のある青年という印象は受けていた。
「リディから手紙、ですか……?」
そのダニエルが、恐る恐るといった様子で口を開く。リディより年上だと聞いていたが、大きな背を丸めて上目遣いにこちらを見る様をみていると、なんだか親とはぐれ迷子になった子犬を見ている気分になる。そんな感想を抱きつつ、アリシアは頷いた。
「ええ。まず、彼が元気でいることが確認できたから、ここにいるメンバーには伝えておくわ。それで、内容なのだけれど……」
そういって、アリシアは先日クロヴィスと話した内容を、掻い摘んで説明する。ちなみに、ナイゼルとジェームズ王とは、あらかじめ話をしてある。その上で判断を仰いだところ、ドレファスとダニエルには伝えておこうという結論になったのだ。
「宰相エリック・ユグドラシルといえば、お隣の女帝が君臨してからというもの、ずっとその右腕を務める男じゃないですか。そんな男が、ロイドと通じてたっていうんですか?」
「まだ断定はできないの。けど、リディはその線で動くことにした。そう、この手紙からは推測することができるわ」
目を丸くしたドレファスは、しばし唖然とした。それから、頭を抱えた。「かーっ」「情けない」「王の右腕が、なんたる醜聞」などと口走っているから、一本気で筋の通らないことを嫌うドレファスにはよほど許せないことだったのだろう。
そんなドレファスにおろおろとしつつ、ダニエルはアリシアとナイゼルとを見た。
「そ、それで……、そのことを知った私たちは、どうすればいいのでしょう?」
「それについては、私から説明しましょう」
眼鏡をかちゃりと押し上げながら、ナイゼルが一歩進み出る。アリシアではなく筆頭補佐官が口を開いたということは、すなわち、それがジェームズ王からの指示であることを意味する。素早くそれを理解したダニエルが、やや猫背気味の背を伸ばして緊張する。
「ドレファス。至急で南方騎士団と連絡をとり、万が一の際にすぐ動けるように、国境の警戒レベルを引き上げてください。本当にユグドラシル宰相が手を引いているなら、彼もまた、軍を動かしやすい立場にありますから」
「わかった。てわけだ、ダニエル。俺もサポートするが、シェラフォード支部での調整はお前に動いてもらうぞ。で、お隣のジェラス公爵領だが……、ファッジにはどこまで話していいんだ?」
「彼にも、手紙の内容を伝えるつもりだ。公爵も、リディのことは気に掛けていましたし」
「ああ。そういやあいつは、こーんな小さな頃からリディを知ってるんだもんなあ」
親指と人差し指に隙間をつくって、ドレファスが肩を竦める。その隙に、アリシアは再び口を開いた。
「それで、建国式典が終わって落ち着いたら、シェラフォード支部に視察に行こうと思うの。ダニエルは慌ただしいスケジュールになるけれど、構わないかしら」
「し、視察ですか!?」
「何をビビってるんだ、お前は。アリシア様直々に足を運んでもらうんだ。そこは光栄に思うところだろうよ」
一気に震え上がったダニエルの背中をばしばしと叩いてから、ドレファスは力強く頷いた。
「もちろん、大丈夫です。俺自身もその頃にシェラフォード支部に足を運ぶつもりだったんで、ご一緒させていただきます。そこで、みっちりびっしり、防衛体制を確認できればと」
「うええ、長官も来るんですか!?」
「当たり前だろうが‼ リディがいないってのに、お前だけに任せられるか!」
途端に騒がしくなったドレファスとダニエルのやり取りに、ナイゼルはやれやれと首を振り、アリシアは小さく吹きだした。くすくすと笑いながらも、ドレファスのような面倒見が良い人物が地方院長官でよかったと、改めてそんなことを思うのだった。
そしてついに、舞踏会が始まる。
ご婦人方の華やかなドレスが、ダンスホールを色鮮やかに彩る。軽やかなワルツの調べに乗って、ある紳士は令嬢の手を取って優雅に踊り、ある老紳士は歌を口ずさむ。
アリシアはというと、基本的には父であるジェームズ王にエスコートされながら、改めて来賓の人々に声を掛けて回っていた。
アリシアを幼い頃から見てきた枢密院貴族やメリクリウス商会の面々などは、声を掛けると朗らかに挨拶を返し、久々の会話に興じてくれる。だが、初めて話す者などは、ハイルランドの青薔薇と称されるアリシアの美貌にしばしぽかんと口を呆けた後、やや緊張気味に答えてジェームズ王に笑われるというのがほとんどであった。
長い時間をかけてほとんど全ての来賓者に声をかけ終えた頃には、時折ダンスに応じたこともあり、アリシアはへとへとに疲れていた。といって、舞踏会という公式の場でだらしない姿を見せるわけにもいかず、夜風を求めてアリシアはバルコニーへと抜け出した。
誰もいないのをいいことに、アリシアは手すりにもたれて、暗闇の向こうに浮かぶ小さな街灯を見つめた。ここからでは城壁に阻まれてみることは出来ないが、今頃は星祭も最終日を迎えて、エラム川に灯籠を流すべく人々が集まっているはずだ。
そうやって城下に思いをはせていると、王女の背中に声が掛けられた。
「こんばんは、アリシア様。ご一緒させていただいては、お邪魔になりますか?」
「ジュード‼ ううん、もちろん大歓迎よ」
振り返ったアリシアは、そこにローゼン侯爵ジュード・ニコルの姿を見つけて、顔を綻ばせた。すると彼は、おなじみの愛嬌のあるえくぼを浮かべて、嬉しそうにアリシアに並んだ。
ジュードの手には、細いシャンパングラスが2客握られている。片方をアリシアに渡すと、チンと軽やかな音を立てて乾杯をした。
「式典はどうだった? やっぱり、退屈だったかしら?」
「存外楽しめましたよ。久しぶりに出てみると、興味深いところがあるもんで。特に、建国にまつわるストーリーは面白いですよね。メリクリウスの商人たちも、喜んでいましたし」
朗らかに笑うジュードは、相変わらず正直だ。「けど」と言いながら、彼はグラスを持っていない方の手を掲げて、うんと伸びをした。
「舞踏会となると、話は別です。そろそろ僕としては、星祭にでも繰り出して羽を伸ばしたい頃合いですよ。実のところ、あなたも同じじゃないですか? だから、ここにいる」
「すごいわね。ジュードには、心を読まれてしまうみたい」
「心を読んでいるのではありません。商売人的な勘というやつですよ」
勘ついでに、もう一つ当てて見せましょうかと。
そういってジュードは、悪戯っぽくウィンクした。
「僕が声を掛けた時、あなたは一瞬、別の誰かを期待した。ふふ、そうですね。例えばそれは、クロくんだったのではないですか?」
驚いて、アリシアはぱっと顔をあげた。だが、薄暗がりの中でこちらを見る侯爵は親しみを込めた笑みを浮かべるだけで、そこには茶化す様子もなければ、といって咎めるような色も決してなかった。
それでアリシアは、思い切って口を開いた。
「気づいていたのね」
「あなたがクロくんを慕っているということを、ですか? そりゃあね。知ってましたよ。商売は、心の機微を読むのも仕事みたいなものですから」
楽しげに笑ってから、ジュードはグラスを軽く煽る。次にアリシアを見たとき、その目はひどく優しい色を浮かべていた。
「それで、ついにあなたは、長い片想いを成就させたわけだ」
「そんなことまでわかるの!?」
「残念! 今のはカマかけですよ。けど、そうなんですね! いやあ、めでたい‼」
悪びれもなく「カマかけ」などと言っておきながら、ジュードはまるで自分のことのように、手放しで喜んでいる。一方、うっかり嵌められたアリシアはというと、ついジュードを見上げる視線が恨めし気なものとなってしまう。
自分に向ける王女の視線が不穏であることに気づいたジュードは、「怒らないでくださいな」と苦笑した。
「僕はね、とてつもなく嬉しいのですよ。あなたが選んだのが、どこぞの〝王子様〟なんてあやふやなものじゃなくて、ずっと傍で支えてきたクロくんだということがね」
「……一応、釘を刺しておくけれど、内緒よ? 隣国との縁談話もはっきりと消えたわけでもないし、お父様もまだ知らないのだから」
「もちろん、心得ています。しかし、身分がなんです! 立場がなんです! 人は皆、生まれながらにして平等かつ自由ではありませんか!」
「こ、声が大きい!」
力強く拳を握りしめた侯爵を、慌ててなだめる。こうも声を張って力説されてしまえば、話しの内容がどうの以前に、単純にアブナイ人に見えてしまう。
冷や冷やするアリシアだったが、ジュードは落ち着いたもので、一瞬のヒートアップを冷ますようにひらひらと掌を振った。そして、再び手すりに身を預けつつ、城壁の向こうに見え隠れする街並みに顔を向けたまま懐かしそうに目を細めた。
※長くなるので、一度きります。




