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15-3



 騒ぎが起こった翌日、ようやく空が白み始めた早朝に、予定を半日以上も繰り上げてアリシア一行は王都キングスレーに向けて出発をした。


 窓から振り返り、ここ数日滞在したクラウン外相の館にアリシアが別れを告げていると、向かいに座る外相夫人ベアトリクスが頬に手をあてて、肩を落とした。


「ごめんなさいね、アリシア様。サンプストンを出る前に、最後に港の周辺をご案内できればと思っていたのだけれど」


「いいんです。港の周りは初日に見せていただけましたし、この地で為すべきことは悔いなくすべて終わらせたはずです」


 アリシアが笑って答えれば、夫人はすまなそうに眉尻を下げつつも、それ以上泣き言を言おうとはしなかった。……すでに館を出る前に、「あれを食べさせてあげたかった」「あれを見せてあげたったのに」と、散々嘆いた後ではあったのだが。


 出発をはやめた理由は、もちろん、昨日の統一帝国派の動きがあったためだ。とはいっても、やはり彼らは金で雇われただけの者たちで、その後ろで糸を引いていた本当の統一派は別のところにいる。だが、念には念を入れて、再び騒ぎが起こる前に王都へ戻ったほうがよいと外相らが判断をしたのだ。


 それに今回の騒ぎは、アリシアらハイルランド側がどう受け止めるかとは別問題に、女帝にしてみれば醜態を他国にさらしたに等しい。


 あのエリザベス帝が、外交の場で顔に泥を塗られておきながら、笑って矛を収めるような人柄であろうはずもない。サンプストンから早々にアリシアをうつしたのも、この後で行われるだろう大規模な掃討を見据えてのことに違いなかった。


 騒ぎの裏にいた本物の統一派が見つかった後のことを考えると、アリシアの胸は憂鬱なもので満ちた。当然、ハイルランドの代表としては(大事にはならなかったにせよ)身を危険に晒されたことを切り札に、女帝を何かしらの交渉に着かせるぐらいの気概が必要であるのはわかっている。


 だが、そうした公人としての立場とは別に、自分の来訪をきっかけとして血が流れることになるのは、なんとも嫌な心地がするものだ。


 表情ひとつ変えることなく、女帝が審判を下すことがわかるからこそ。


「エリザベス帝は不思議な方ですね。臣下への慈悲を覗かせたかと思えば、一瞬後には、為政者としての厳しい面が顔を出す。エアルダールの地を踏んで、唯一あの方については、ここに来る前よりもわからなくなりました」


「血も涙もない、冷酷無比の女帝陛下。諸国でエリザベス様は、そのように言われているのでしょう?」


「……私からは、なんとも」


「あら、そうね。ごめんなさいね、意地悪な質問だったわ。それに構わないのですよ。陛下はそうした噂ですら、武器へと変えてしまうお方だから」


 ころころと可憐に笑うベアトリクスからは、姪御への深い信頼を見てとることができた。エリザベス帝は今の立場へと押し上げたのが彼女だったことを思い出し、アリシアは居住まいを正してあらためて問いかけた。


「ベアトリクス様。私はこの目で隣国を、エアルダールを見極めるために、この地を踏みました。まだ知らぬあの方のことを、私は知りたいのです。――ベアトリクス様はなぜ、エリザベス様を王座に推薦したのですか?」


 しばらくの間、ベアトリクスはまるでアリシアの問いかけが聞こえていないかのように、窓の外に視線を向けたままだった。だが、ややあってから、その顔に柔らかな笑みが浮かんだのであった。


「なんだか懐かしいわ。昔のあの子を相手にしているみたいで」


「そう、なのですか?」


「ああ、けど、あの子のほうがもっと手厳しかったわね。泣く子も黙る女帝陛下の片鱗は、思えばあの頃からあったのかもしれないわ」


 独り言のように呟いて、ベアトリクスはくすくすと笑う。恐らく彼女の目には、アリシアと同じ年の頃のエリザベス帝の在りし日の姿が、ありありと浮かんでいるのだろう。


 アリシアも少女の頃のエリザベス帝を想像してみたが、すぐに断念した。物心ついた時からエリザベスは絶対統治者としてエアルダールに君臨しており、それ以前、彼女がどのような少女時代を過ごしたかなど、欠片も思い描くことはできなかったのだ。


 ゆっくりと瞬きをしてから、ベアトリクスがアリシアに視線を移す。そして彼女はエアルダールの外相夫人としてではなく、血のつながりを持つ年長者として目を細めた。


「ねえ、アリシア様。少しだけ昔話がしたい気分なのです。付き合ってくださるかしら」






「冷酷非情の、女帝エリザベス。王位継承権から最も遠いところにいた、聡明で美しい、ひとりの若い女でしかなかった彼女をそのように変えたのは、この国そのものでした」


 からからと馬車の歯車が回る音が響く中で、ベアトリクスは静かに語り始めた。


 幼い頃、エリザベスはキングスレー城ではなく、母方の貴族の家が所有する地方の城で過ごした。王の血を引くとはいえ庶子という身の上により、あくまで貴族の娘として育てられたのである。


 王妃への配慮もあり、基本的に幼いエリザベスは王家と顔を合わせることはなかった。ベアトリクス自身、クラウン外相のもとへ嫁いで王家を出てみて初めて、エリザベスとの面会がかなったほどだ。


 初めてエリザベスと会った日のことを、まるで昨日のことのように思い出せると、夫人は微笑んだ。


「この子は飢えていると、そのように感じましたわ」


「飢えている、ですか?」


「ええ。まだ幼いというのに、あの子の瞳は愛に飢え、知識に飢え、世界に飢えていた。こんな田舎の城は、この子には小さすぎる。この子はより大きな世界で、偉大な人となるだろう。そう確信したからこそ私は、あの子の後見人となることを決めたのです」


 それから彼女はベアトリクスのもとで過ごし、初期教育を含めるあらゆる教育を施された。クラウン夫妻が子供を持たなかったこともあり、外交で諸国を回る時は、エリザベスが連れていかれた。アリシアの父、ジェームズと初めて会ったのも、この頃だという。


 月日は流れ、すべてに飢えていた一人の少女はやがて、才能にあふれ、挑戦的な眼差しを持つ美しい女へと成長した。


 大きく流れが決したのは、エアルダールの先王エドワードが病に倒れた年であった。


「エリザベス様が即位する前、エアルダールが荒れていたことはご存知?」


「伺っております。祖母も、かなり胸を痛めていたとか」


「……ええ。そうです。状況が日に日に悪くなっていたというのに、王が倒れて初めて、私たちは王国が転覆の瀬戸際にあることに気がつきました。もっと前に、出来たこと、すべきことはたくさんあったはずです。しかし私たちは、領主らの言葉を鵜呑みにし、悲鳴を上げる民の声に耳を貸さなかった。とんでもない、愚か者であったのです」


 絶望に打ちひしがれたその時、ベアトリクスの頭には天啓のように、一つの考えが浮かび上がった。


「私がなぜ、あの子を育てていたのか。何を成し遂げるために、あの小さくも可愛らしい城から足を踏み出したのか。すべてはこの日のためだったと気づいたとき、私の全身には震えが走りました。国を救うのはあの子しか―――エリザベス様しか、ありえない。今でも私は、その考えに間違いはなかったと思っていますわ」


 実際、エアルダールの状況は最悪だった。


 王位継承権筆頭にあった第一王子は王国を傾かせた当時の元老院に取り込まれており、彼が即位したならば、王国が崩壊の一途を辿るのが目に見えていた。といって、第二王子は生まれつき病弱であり、第三王子に至っては自ら王位継承権を手放す始末。第一王女は他国の王に嫁いだ後で、第二王女は王の器という意味で頼りない。はっきりいって、手詰まりだ。


だからこそベアトリクスはのろしを立ち上げるがごとく、年の離れた妹のように育てたエリザベスにすべての願いを託し、次期王へと推薦した。


「当然、反対の声が多く、特に第一王子と彼を擁立する貴族たちとは真っ向から対立することとなりました。けれども、エリザベス様は素晴らしかった。あの方の野心、飢え、溢れんばかりの才覚。そのすべてが実を結んだ時、あの方は本当の意味でこの国に生まれた。……女帝エリザベスの姿が、そこにはあったのです」


 その後の顛末は、アリシアも知っている。妾の子にしか過ぎなかった一人の女が統治者の椅子を得るまでの物語は、あまりに有名だ。


 多くの元老院貴族が、自国の領で行っていた不正を白日の下に晒され、表から追いやられた。爵位を奪われただけならばいいほうで、投獄や幽閉、処刑すらもあり得る厳しい沙汰が下された。


 そこまですれば国の体制そのものが揺らいでしまいそうなものだ。しかし、そもそもエアルダールは崩壊の一歩手前まで追い詰められていたし、腐敗した元老院に虐げられていた人々がエリザベスを味方したため、かろうじて国の形を維持していた。


 こうなると面白くないのは第一王子で、彼は一つの企てをした。……すなわち、敵対するエリザベスを暗殺しようと目論んだ。


 しかしながら、企みは未然に暴かれ、失敗に終わる。さらにいえば、その事件が決め手となり第一王子は王位継承権を剥奪され、幽閉された。


 その数カ月の後、彼は牢の中で衰弱して死んだという。


「同じ頃、不幸にも第二王子も持病を悪化させて亡くなりましてね。そりゃあもう、様々な憶測が飛び交いましたわ。毒を盛ったのだろうとか、刺客を放ったのだろうとか、実はエリザベス様は黒魔術に手を染めた魔女なのだとか。人って面白いですわね。想像力というのは、どこまでも果てしないものですよ」


 第一王子、ついで第二王子がこの世を去り、第三王子は最初から争いから身を引いている。最後の頼みの綱と持ち上げられた第二王女の夫エリック・ユグドラシルは、協議の後、自らエリザベスに道を譲った。


 そうしてエリザベスは、玉座を手に入れた。

 彼女に逆らう者は、今のエアルダールにはいない。


「ベアトリクス様。その、一つだけ、不躾な質問をよろしいですか?」


「ええ。もちろんですとも」


 にこりと微笑んで、夫人が頷く。そのことに後押しされるように、アリシアは思い切って感じていた疑問を口にした。


「陛下が手を下し、第一王子と第二王子の命を奪ったのだと、広く諸国で噂されています。しかし、それが嘘であるならば、なぜ陛下は否定なさらないのでしょう?」


 ベアトリクスの言葉を信じるならば、第一王子は牢で不幸にも亡くなったのだし、第二王子に至ってはたまたま時期が重なっただけだ。それにアリシア自身、直接エリザベス帝に会ってみて、第一王子はともかくとして、対立候補ですらなかった第二王子をわざわざ彼女が殺すよう命じるとは思えないのである。


 だが、クラウン夫人はしばらく考えてから、いたずらっぽく笑みを漏らした。


「だって、否定する必要なんてないんですもの」


「え?」


 つまり、噂は本当であったということだろうか。どきりとして聞き返すアリシアだったが、ベアトリクスが答えたのは別の理由だった。


「エリザベス様が行った改革の数々は、どれも急進的で、通常ならばこれほど短期間では成し遂げられないものです。それを可能にしたのは、あの方の才覚―――そして、恐怖です。あの方は噂によって向けられる悪感情ですら武器にしてしまわれた。恐怖を煽るのは、むしろ好都合だったのです」


 それに、噂が本当かどうか、そんなことはどうでもいいのだと。

 窓の外に視線をずらしながら、ベアトリクスは呟いた。


「私たちは強い王を求め、エリザベス様はそれに応えた。レイブンとジノ……二人の王子の訃報が届いた時、あの方は私以外の誰にも知らせることなく、礼拝堂で静かに祈りをささげました。理由は一つ、当時すでに言われてた“冷酷無比の女帝”とのイメージを壊さないためです。あの方以外の誰が、ここまで国のために身を捧げることができましょう?」


 強い人だと、素直にアリシアは思った。そして、父が彼女の手腕を認め、同時に隣国を警戒する理由を初めて真に理解した。確かに女帝エリザベスなら、エアルダールにとってハイルランドが必要だと思った暁には、どんな手を使ってでも、それこそ戦争で血を流してでも、奪いにくるに違いなかった。


 血縁者として―――そして幼き日のエリザベス帝の保護者として、ベアトリクスは困ったように眉を下げ、アリシアを見た。


「アリシア様のことを、陛下は高く買っています。自分とは異なる為政者との資質に惹かれ、フリッツ様の側にいてくれたらと望んでいるのでしょう。あの方が、このように誰かに執着することはほとんどありません。……いえ、これ以上はやめましょう。あなたはすでに、御心を決めているようですから」


ベアトリクスが口を閉ざしたことで、馬車の中に沈黙が落ちた。アリシアは窓の外に視線をずらし、流れる景色を見ながら、キングスレー城で待つ深緑の瞳を持つ女帝のことを思った。


エリザベス帝と向き合うべき時が、すぐ近くまで迫っていた。





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