15-2
繰り返しになるが、太陽の光をいっぱいに取り込む心地よいサロンにいるのは、ロバートとクロヴィスの二人だけだ。
エアルダール側の騎士は屋敷の外を固めているし、ハイルランドの騎士たちは別場所に休ませてある。外相夫妻やあちらの使用人が聞き耳を立てていないのも、当然、確認済みだ。それすら気づけないようでは、近衛騎士団長の名が廃るというものである。
だからロバートは、中々口を割ろうとはしない友人に、再度話を促した。
「アリシア様と何かあったんだろ。話してみろよ。少しは助けになれるかもしれないぞ?」
「ほっといてくれと言ったろう……。これは俺の問題だ」
「やだね。護衛騎士としても、補佐官のお前が上の空では困るんだよ。大事な姫さまに迷惑かけたくないだろう?」
アリシアに深い忠誠を誓うクロヴィスは、主人の名を持ち出されれば滅法弱くなる。それをわかったうえでロバートが口に出せば、散々渋った後ではあったが、案の定クロヴィスはぽつぽつと少しずつ―――宴の夜のことを語り始めた。
友の良き理解者を自負するロバートは、話し手にとって最もちょうどいい塩梅に身を乗り出して、親身となって話を聞いていた。だが、話が進むにつれてロバートは頬杖をつくようになり、しまいには両肘をついて呆れた顔をした。
「ああ、いや。ものすごく思い悩んでいるところ悪いんだが……。お前、それは何かをしたうちに入らんだろう。ていうかさ。そこで思いとどまるなよ、意気地なしめ」
「馬鹿を言うな! 俺は補佐官で、あの方は仕えるべき主だぞ。本当に、どうかしてたんだ。なんだって俺はあんなことを……」
「あんなことってなあ……。そりゃあ、わかりきったことだろう。お前があの方のことを」
「やめてくれ。――ありえないことだ」
友が発した硬い声に、ロバートは口をつぐんだ。やれやれと思いながら向かいを見れば、クロヴィスは両手で頭を抱えており、表情をうかがい知ることはできない。しばらくたってから、ロバートは大きく息を吐いた。
「ありえない、ね。当の本人が言い張るならかまわないけどさ、それで本当の気持ちから目を逸らせていると思うなら、救いようのない大馬鹿野郎だぞ」
「……お前だって言ったじゃないか」
らしくもない言い訳めいた言葉と共に、クロヴィスが両手を頭から離す。俯いたまま、補佐官は己の両手を見つめていた。
「手を離す準備をしておけ。覚悟を、しておけと。そうすることが正しいから。俺などが手を伸ばせる相手では、伸ばしていい方ではないから。だから俺は……」
「ようやく認めたか。つくづく面倒くさいやつめ」
にやりと笑ったロバートに、クロヴィスが押し黙る。否定の言葉が飛び出さなかったあたり、従者としての仮面を決して脱ごうとしなかったクロヴィスにしては、一歩前進と言えるであろう。
それにしたって、ロバートに言わせれば実に回りくどくて今更のことだ。彼自身が自覚するずっと前から、クロヴィスは彼女のことを、主人としてではなく一人の女性として、大切に守り抜いてきたのだから。
「ああ、言ったさ。そのほうが手っ取り早いし、楽だからな。簡単に諦められる、その程度の想いだっていうんなら、さっさと捨てちまうに限る」
「お前……!」
「はいはい、気色ばむな。そうじゃないんだろ。そうじゃないから、苦しいんだろう」
面倒くさい奴めと、ロバートは口には出さず、内心で繰り返した。
「諦められない。捨てられない。捨てたくない。そうだろ? ――だったら、今度こそ覚悟を決めろ」
「……だから、それは前にも」
「違う。腹くくれって、そう言ってるんだ」
二人の間に、沈黙が訪れた。
補佐室でも群を抜いて頭が切れるくせに、クロヴィスは友の真意をはかりかねて、次に発すべき言葉を見つけられないらしかった。
途方にくれた友を後目に、ロバートはすっかり冷めてしまった紅茶をぐびりと飲み干すと、両手を頭の後ろにやって椅子の背にだらりと身をあずけた。語るべきはすべて語った。あとは正真正銘、本人の問題だ。
とはいうものの。
(姫さまも気の毒に。こいつが相手じゃ、さぞや苦労されるだろうな)
投げ出した足を優雅に組みながら、呆れ半分、同情半分に、ロバートは天井を仰ぐ。優秀にして、有能なる補佐官殿。その仮面に隠れて育まれた想いはあまりに大きく、それゆえに彼を戸惑わせ、形無しの臆病と変えてしまう。
だが、存外に愛とはそういうものかもしれない。
と、ロバートが生暖かい目で友人を見守っていたところ、ふと外が騒がしくなった。
「アリシア様、クロヴィス卿をお連れしました」
「ありがとう。中に入ってもらって」
廊下から掛けられた声にアリシアが答えればすぐに扉が開き、アニと、その後ろに控えるクロヴィスの姿が目に飛び込んできた。つい先日の出来事が一瞬だけ頭をかすめ、アリシアはぐっと息をのんだ。けれども、すぐに首を振って雑念を追い出すと、そろりと薄くカーテンを開けてアリシアは外を指し示した。
「あれよ。急に外が騒がしくなって、人々が集まっているのが見えたの」
「身なりは貧しい。商人、というわけでもなさそうですね」
「そうね。人数は……20名ほどかしら」
躊躇なく窓辺に近づいたクロヴィスが、アリシアのすぐ近くに並び、細いカーテンの隙間から外を窺う。いつもと変わらない――補佐官としての、クロヴィスだ。
あの夜以来、彼は徹底して、王女付き補佐官としての顔しかアリシアに見せてくれない。それは一見して当たり前のことのようでありながら、二人の間に奇妙な溝を生んでおり、彼に拒まれているとすらアリシアに思わせた。
だが今この瞬間、問題とすべきは彼と自分のことではない。アリシアもまた、あくまでハイルランド王女として、有能な補佐官に意見を求めた。
「クラウン外相に、自分の方でこの場は対応するから、ハイルランド側は屋敷で待機していてほしいと頼まれたわ。遠目には武装をしているようにも見えないし、私も、我が国側はまだ動くべきではないと思うけれど……お前は、どう思う?」
「問題ないかと。ただ、情報だけは必要です。今、ロバートに外の様子を探らせておりますので、しばし、こちらで待ちましょう」
そのように、クロヴィスが答えた時だった。
ばたりと扉が開き、一本にまとめた銀髪をなびかせてロバート・フォンベルトがさっそうと部屋に姿を現した。彼は肩やら背中やらを払いながら「状況がわかりやしたぜ」と口をへの字にした。
「なんのことはない、なつかしの連中だ。あれは統一帝国派の集まりだ。ハイルランドからお姫さまが来たってんで、連中が騒ぎ始めたんだ」
近衛騎士の予想外の報告に、アリシアとクロヴィスは顔を見合わせた。
「それは、間違いないことなの?」
「ええ。連中が言い争っている内容が、そっち方面の話でしてね」
「エアルダールについて数日経つというのに、今更だな」
「王都の方じゃあ警備が厳しいし、女帝のひざ元で騒いだらどんな目にあうかもわからない。っていうんで、サンプストンならばましだろうと、こっちで一旗あげたんだろうよ」
「あのぅ、すみません。その、統一帝国派? っていうのは、なんですか?」
顔をしかめるクロヴィスに、やれやれと首を振るロバート。そんな二人のやりとりに、そろそろと手を挙げたのはマルサだ。きょとんとして青年ふたりを交互に見る侍女のために、アリシアは代表して口を開いた。
「統一帝国派っていうのはね、ハイルランドをエアルダールに統合して、大エアルダール帝国を設立すべしっていう人達のことなの。エリザベス帝が即位してからはほとんどいなくなったけれど、昔はそういう人がたくさんいたそうよ」
「姫さまの言う通り。エアルダールを築いた征服王ユリウスは、もともとはハイルランドの王族でしょ。だから、祖先を同じくする王国同士、どうせなら一つにまとめちゃえっていう言い分なわけ」
「だけど、それ、おかしくないですか? もともとあったのがハイルランドで、そこから独立してできたのがエアルダールですよね。なのに、どうして大エアルダール帝国なんですか? ハイルランド帝国というのなら、まだわかるのに」
「おっと、お嬢さん。そんなこと、間違っても外の連中に言っちゃあだめだよ。連中のコンプレックスを、無意識に言い当てちゃってるからね」
人差し指を唇の前にたてて、ロバートが片目をつむる。だが、二人の侍女は何のことやらわからず顔を見合わせた。そんな二人のために後をついだのは、クロヴィスだった。
「今しがた、アニ殿が指摘した通りなのです。経済力、軍事力とあらゆる面で成長したエアルダールですが、唯一、我が国にかなわないことがある。それが、歴史です。彼らは、それが気に入らないわけです」
「建国王エステルが国を築いたのは、今のハイルランドがある場所よ。だから、どれほどエアルダールが大きくなろうともハイルランドの地を手中に収めなければ、チェスター公国の正統なる後継だということはできない。――そういう風に考える人たちにとって、ハイルランドをエアルダールに統合することは、歴史的な悲願とされているの」
「と、まあ、こっちにとっちゃあ迷惑な考えの連中だけど、そういうことを言うのは主に古い貴族の家だ。つまり、あそこで騒いでいるのは、どうせただの雇われ。ごらんよ。いくら落ちぶれたっていったって、あれはどう見ても貴族の身なりじゃない。自分は隠れたまま金で雇った連中に騒がせるなんて、なんとも肝っ玉の小さな連中だよ」
呆れたようにロバートが首を振る。しかし、本物の統一帝国派が隠れざるを得ない理由も、なんとなくアリシアには察しがつく。なぜなら、統一派と女帝とは、ほとんど反目する立場にあるのだ。
先ほどロバートが言った通り、統一帝国派のほとんどは古い貴族の家柄、つまりは女帝が即位するときに政界から追い出した元々の元老院に属していたものが多い。そうした家の大半が、荒れに荒れた前王の代、古い利権にしがみつくばかりの百害あって一利なしの存在となり果ててしまったことが露見し、女帝の改革の中で一掃されたのである。
加えて、エリザベス帝自身がどうかといえば、彼女は両国の統合に反対の意を示している。その理由は、女帝がハイルランドに戦争を仕掛けてこない理由と同じく、エアルダール内での改革の方に注力しており、領土拡大に関心がなかったことが大きいであろう。
そもそも、歴史的な悲願という大義を抜きに考えれば、ハイルランドの地を手に入れることはエアルダールにとって得策であるとは決して言えない。
建国王エステルと守護星との契約の際にも語られた内容だが、ハイルランドは人が生活を育む場所として恵まれた方の土地ではない。気候の大半が雨であり、一年の半分は寒さに震える国だ。エアルダールの方がよほど農作物も育ちやすく、過ごしやすい場所だ。
そのような「痩せた土地」を手に入れたところで、エアルダールに一体何の利があるだろう。領主制を取るならいざ知らず、中央集権で王国を治めるエアルダールにとって、わざわざ面倒を見てやらねばならない土地を増やしても、いいことなど一つもない。
だから女帝は、実質的な属国としてハイルランドを欲することはあっても、両国の完全なる統一は狙ってこないだろうというのは、アリシアとクロヴィス、おまけにジェームズ王と筆頭補佐官ナイゼルの間でも共通の意見だ。そして、ここ数年の隣国の動きを見ている限り、その読みは当たっていると考えられる。
「けれど、主義主張なんてのは意外と根深くて、しぶといもんだ。特に歴史だの文化だの、自分のアイデンティティを揺るがす類の問題は、力で抑えつければつけるほど、ぶすぶすと火を燃え広がらせちまう。そういうのが妙に鬱屈して、こっちに降りかかってくるようなことにならなければいいですけどねえ」
エアルダール側の兵が次々に門に集まって、外に集まる男たちとの騒ぎが大きくなる。
それらをうんざりと眺めてから、ロバートは外と中とを切り離そうとでもするように、カーテンの隙間を完全に閉ざしたのであった。




