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14-5



 革命の夜に居合わせた4人の重要人物と、同時代の鍵をにぎるエリザベス帝。


 集まった顔ぶれに、一波乱が起きることを予想したアリシアだったが、実際にはそのようなことはなかった。というより、波乱が起きる暇がないほどにエリザベス帝とアリシアの間で議論の花が咲いてしまったのである。


 正確に言えば、アリシアが話したことに対して「それは違う」「こうではないか」と女帝がばっさりと切り捨て、アリシアがそれに食い下がるという流れだ。そうやって、商会の在り方やら国の体制、果ては今後の国家関係まで話が及ぶものだから、アリシアも話についていくので必死である。


 激論を交わすことしばらくの後、双方が疲れ果てたところで、ベアトリクスが感心したように手を叩いた。


「まあまあ。こんなに陛下が熱心に誰かとお話しているのを、私、ひさしぶりに見た気がいたしますわ」


「伯母上、これはそんなに呑気な話ではない。余は、このわからず屋を諭しているのだ」


 いささかげんなりとした様子で洋扇を振ってから、エリザベス帝は疲れと若干の苛立ちをにじませてアリシアに視線を戻した。


「王と民とが並び立つ王国を目指すだと。ほんっとうに従兄弟といい、揃って頭の中に花畑を育てているとしか思えぬ。いいか。皆が皆、心からお願いすれは願い事を聞いてくれると思うなら大間違いだ」


「それは、わかっております」


 対するアリシアも、疲労に苛まれながらも反論する。


「けれども、重要なのは王と民とが同じ方向を向いていることであって、君臨するのか並び立つのか、それらはどちらも国をまとめるための手段にすぎません。であれば、片方だけを間違っていると切り捨てることは出来ないと思うのです」


 それに、とアリシアはつづけた。


「身分や家柄ではなく、実力で人の価値が決まる国。陛下が改革でそうした体制を作り上げたのは、王だけでは行き届かない部分を民で支えるためかと思います。それも王と民とが並び立つ、一つの在り方ではないでしょうか」


「な……」


 唖然として、女帝がまじまじとアリシアを見る。それから一瞬の間をあけて、直前まで疲れをにじませていたのなど嘘のように、エリザベス帝は大きく口を開けて笑い始めた。


「聞いたか、ユグドラシル! 無理やりな理屈だが、妙な説得力があるぞ。何より、余にここまで食い下がってきた者が今までいただろうか」


「お見事としか言えません。これは一本取られましたね、陛下」


 上機嫌に笑う女帝に、エアルダール宰相がにこやかに頷く。とりあえず長々と続いた議論がひと段落したことにほっとしつつ、ぐったりと倒れこんでしまいたいのをアリシアはなんとか堪えた。


 席についてからというものの、アリシアはほとんど女帝としか話していない。なにせ彼女がアリシアばかりに話題を振るものだから、逃げ出しようもなかったのである。


 となりでにこにこと議論を見守っていた宰相はいいとして、他の人々は放っておいてしまって大丈夫だっただろうか。ホストでもないのにそんなことが気になって首を巡らせたアリシアは、己の補佐官の姿に目を留めた。


 クロヴィスは、隣に座るシャーロットと何かを話していた。恐らく、先ほどまで議論に熱中していた女帝やアリシアを気遣ってなのだろうが、クロヴィスはかなり声を落としており、内容を聞き取ることはできない。


 だが、話を聞くシャーロットはひどく楽しそうだった。可憐な笑顔で熱心に聞き入る姿は愛らしく、くすくすともれる笑い声は鈴の音のように心地よい。対するクロヴィスも、時折ひどく優しい笑みを口元に浮かべていた。


(……私には、彼女と付き合うのは気をつけろなんて言っていたくせに)


「どうした。何か気になるものでもあったかな?」


「あ、いえ!」


 フリッツに呼びかけられて、アリシアは我に返った。慌てて答えれば、その声に気が付いたクロヴィスがこちらに目を向ける。なんとなく二人を見ていたことを気づかれたくなくて、アリシアは無理やり別の話題を口にした。


「こちらの国の宴は素敵ですね。堅苦しさはないし、参加されている方々も心から寛いでいらっしゃるように見えます」


「アリシア様にそういってもらえると嬉しいですわね、陛下。城で開かれる宴が今のような形式となったのは、エリザベス様の世となってからなのだもの」


「そうなのですか?」


「ええ」


 思わぬ情報に聞き返せば、嬉しそうにベアトリクスが頷く。対して女帝はかつてを思い出そうとするように目を細めると、「余の改革で、宴の席につらなる顔ぶれも変わったのでな」と肩をすくめた。


「招いた者たちの中には、かつては城に上がるような身分ではなかった者も多い。だが真に報いるべき相手は、この国のためを思い、身を粉にして働いている彼らのような者たちだ。余は宴で労うのはそうした者たちにすると決めている。……彼らを楽しませるのに、格式ばかり高い宴を開いても仕方がないだろう」


「ふふふ。陛下は厳しいところはとことん厳しくていらっしゃるけれど、真に仕える者たちには優しい方なのですよ」


「誰が優しいだ。適度にアメを与えるほうが彼らの士気が上がり、余にとっても都合がいいからに決まっているだろう」


「またそんな憎まれ口をおっしゃって。素直ではありませんよ」


 ベアトリクスの軽口に女帝はほんの少しだけ顔をしかめると、思い切りグラスを傾けてワインを喉へと流し込んだ。その横顔を隣で見つめながら、アリシアは不思議な心地がしていた。


 苛烈にして、冷酷。そのように伝え聞くエリザベス帝が、臣下の労い方に心を砕いていたのは正直なところ意外であった。彼女はもっと、周囲の反応など気にしない類の人物かと思っていたのである。


 意外だったのは、それだけではない。強引な政策をとることで知られる彼女であるから、臣下の士気など関係なしに、頭ごなしに推し進めるものかと思っていた。だが、今しがたの発言やさきほどの議論の内容から推察するに、評価すべきところはきちんと評価することで改革についてくる者たちの心をきちんと掴んできたようだ。


 おそらく女帝自身が口にしたように、アメと鞭をうまく使い分けてきた面も大きいだろう。そうだとしても、民の心を掴むことで改革を成し遂げてきた女帝のやり方は学ぶべきところが多く、アリシアとしてもひどく共感してしまう。


 なにより、自分がそのような感想を彼女に対して抱いたことが、一番の驚きであった。


「……と、まあ。そなたと、色々話をしてみたわけだが」


 女帝のグラスが空いたことに気づいた給仕が、すかさずワインを注ぐ。こぽこぽと音を立てて満ちていくグラスに視線を落としたまま、女帝が口を開いた。決して声を張ってはいないのにその声は妙に響いて、奥に座っていたクロヴィスたちも顔をこちらに向けた。


 場が静まりかえる中、女帝は温度を感じさせない深緑の瞳をアリシアへと向けて、緩やかに赤い唇を吊り上げた。


「青臭いし、従兄弟殿と同じに阿呆なところもある。だが、物事への視野が広く、度胸のあるところは称賛に値する。やはり、そなたを我が国に招いたのは間違いではなかった。……どうだ。余はそなたが気に入った。やはり、我が息子の妃とならぬか」


 さらりとした風が皆の間を駆け抜け、キャンドルの灯がちらちらと揺れた。


「それはいい考えです、陛下」


 一瞬の間をおいて、答えたのはフリッツであった。


「彼女が目の前に現れて、私は確信しました。彼女こそ、私が愛すべき女性であると」


「お待ちください」


 王子の甘い告白を遮って、クロヴィスが硬い表情で女帝を見る。さきほど垣間見せていた柔和な笑みはどこかへと消え、補佐官として彼は立ち上がった。


「ご無礼を承知で申し上げます。しかし、お二方の縁談については、ジェームズ王が何度もお断りしてきた経緯があります。陛下が不在の中、この場で話し合うべき案件ではございません」


「そんなこと、言われずとも承知しておる」


「ですが!」


「黙れ」


 ぱちりと洋扇を閉じる音が響いて、思わずといったようにクロヴィスも口をつぐむ。そんな彼をじろりと一瞥して、女帝は吐き捨てた。


「遠征時代より頭角を現していたことに免じて大目に見るが、覚えておけ。余は話を聞かぬものが嫌いだ」


 空気をも凍らせるような女帝の冷たい声に、アリシアはひやりと心臓を撫でられる心地がした。だが次の瞬間、女帝はもとの妖艶な笑みに表情を戻すと、しどけなくひじ掛けにもたれかかった。


「なに、案ずるな。こんなものはただの老婆心だ。自身の目にかなう年頃の娘があらわれたならば、親としてはつい世話を焼きたくなってしまうものよ。ちょっとした余興だと思って、そう目くじらを立てるでない」


「……申し訳ありません」


 瞳を伏せて詫びると、クロヴィスは大人しく座った。だが、はたから見れば平静に見えて、ちらりとアリシアは見た彼の目は、はっきりと主人のことを案じていた。


(大丈夫。どうにかしてみせるわ)


「ねえ、アリシア。君個人の気持ちを聞かせてほしいんだ。君は、私のことをどう感じている?」


 そっと目で合図を送るアリシアに、なおもフリッツが呼びかける。意を決してそちらを振り返れば、彫刻のように整った美しい面差しが、甘く微笑んでアリシアを見つめていた。


 アリシアは注意深く、それを見返した。見返して、奥の、そのまた奥の最奥まで見通そうとした。そして、捉えた。


 王子の深緑の瞳は、アリシアへの愛を語ってなどいなかった。


「……ちゃんと、お話をしてみたいと考えています」


「へえ? 嬉しいな。私に何が聞きたい?」


 頬杖をかるくついて、いたずらっぽくフリッツがアリシアの顔をのぞきこむ。それを正面からまっすぐにとらえて、アリシアははっきりと告げた。






「色々なことをですわ、殿下。あなたと私の、二人だけで」

 





 アリシアの宣言からほどなくして、彼女はフリッツと二人で薔薇園にいた。昼間にも双子の王女に連れられて訪れた場所だが、夜になるとまた雰囲気が違って見えて、その美しさに目を奪われずにはいられなかった。


「驚いたよ。まさか君が、あの場を抜け出すことを提案してくるとは思わなかった」


「陛下には申し訳ないことをしました。気分を害されてしまったでしょうか」


「問題ないよ。あれはむしろ、君の申し出を面白がっているように見えた」


 そういってフリッツは、薔薇園の中心にある大きな鳥かごのようなドームへとアリシアを誘うと、中にある長椅子に腰掛けるよう促した。


「それで、君が私に聞きたいことというのはなんだろう。わざわざこんなところまで来たのだから、簡単な話ではないのだろうね」


「そう……かもしれませんわ」


 夜闇に咲く薔薇の間を風が駆け抜けて、ふわりと甘い香りが立ち上る。顔を上げたアリシアは、月光を受けて白く浮かび上がるフリッツ王子を見つめた。


 前世の―――やりなおしの生を受ける前の自分が、彼に夢中になってしまったのも頷ける。向けられる笑みは本物の愛情がこもっているかのように甘く、形のよい唇が紡ぎだす言葉は心をとろけさせる。


 だが。


「ここには私たち二人しかおりません。陛下もいらっしゃいませんし、私の補佐官もいない。つまり、ここでの発言は非公式ということになります」


 改まって切り出せば、一瞬だけ真意をはかろうとするようにフリッツの目が細められる。だが、この場の主導権を渡さないためにも、アリシアはそのまま続けた。


「私がお聞きしたいのは、殿下―――フリッツ様個人としての、正直なお気持ちです。私を愛すべき女性だと感じた―――あれは、嘘なのでしょう?」


「嘘であるものか。もちろん、私と君とは、まだ多くのことを知らない。しかし噂に聞くより美しく、想像を上回るほどに聡明な女性を前にして、運命を感じずにいられないよ」


「ですから、ここではそうしたお言葉は不要だと申し上げているのです」


 ぴしゃりと断じれば、いよいよ訝しんでフリッツが眉根を寄せた。


「君もずいぶんと頑固だね。いや、つれないといった方がいいか。なぜそうまでして、私の気持ちを否定するんだ?」


「闇雲に否定しているわけではありません。ただ、あなたが私を好きになるなど、ありえないことだと知っているのです」


「へえ。ありえない、ね。どうしてそんなことが言い切れる」


「殿下のお心は、すでに別の女性が占めているはずですもの」


 アリシアがそれを口にした瞬間、虚を突かれたように、フリッツの顔からすべての感情が抜け落ちた。しかし、それはつかの間のことで、すぐに多くの女性を虜にする甘い笑みを浮かべた。だからアリシアは、彼が次の言葉を口にする前に畳みかけることにした。


「シャーロット・ユグドラシル」


 効いた。今度こそ手ごたえを感じて、アリシアはこっそりと手を握りしめた。


 その名が出た途端、フリッツは目に見えて凍り付いた。ただただ静かに目を見張る王子に、刻み付けるようにアリシアは繰り返した。




「シャーロットです、フリッツ様。あなたは、彼女のことを好いているはずです。」




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