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宴は、たいそうに見事なものだった。
軽やかに奏でられた音楽にのせてドレスの裾がふわりと広がり、囁くように人々の笑い声が響きあう。間を縫うように動き回る給仕たちによってグラスは常に満たされ、甘ったるいような酒の香りをあたりに漂わせた。
正直なところ、大国エアルダールが開く宴ということで、どんなにか仰々しい会が開かれることだろうと、アリシアは身構えていた。しかし実際は、その真逆であった。
音楽はむしろ大衆が楽しめるような軽快なものであり、趣向を凝らした飾りつけは舞台装飾のように華やかでありながら、どこか親しみを感じる温かさがある。煌びやかな王宮で開かれているのに、まるで市井で開かれた祭りに訪れているようだ。
と、アリシア好みの宴ではあるのだが。
(視線が、痛い……)
洋扇で口元を隠したご婦人が、世間話に興じた風にみせかけた紳士が、物珍しそうにアリシアに視線を送る。ここまでおびただしい好奇の目にさらされるのは、いかに公務なれしたアリシアといえども、さすがに居心地の悪さを覚える。
おまけにだ。
「いつ、ご婚儀を行われるのかしら」
「顔をみせたということは、もう間近なのだろう」
「もしかしたら、今宵に婚約を発表するつもりなのかもしれないぞ」
(だから、どうして結婚するのが当たり前みたいになっているのよ!!)
「どうぞ、アリシア」
飽きるほどに聞こえてくるヒソヒソ話に、ひとり打ち震えるアリシアの前に、細長いグラスが差し出された。透き通る琥珀色の液体から顔をあげると、今宵のエスコート役であるフリッツの深緑の瞳と視線が合わさった。
「ありがとうございます」
「いえいえ。ほら、乾杯しよう」
アリシアが礼を言って受け取ると、フリッツはついと唇をつりあげて、自身のグラスを掲げて軽くぶつけあわせた。
平然とグラスを傾ける王子に、周囲の声を気に留めた様子はない。聞こえないわけもないだろうに、よくぞ気にならないものだとアリシアが感心していると、そんな彼女をみてフリッツは首を傾げた。
「君はずっと難しい顔をしているな。何か、心配事でも?」
「あ、いえ。そういうわけでは……」
まさか「あなたとの結婚を噂されて、困っています」と正直に答えるわけにいかず、アリシアは曖昧に首を振った。だが、そんな王女の複雑な心境などお見通しであるとばかりに、王子は深緑の目を細めた。
そして、一束たらしたアリシアの青髪を手ですくいあげ、口づけた。
「ちょ、なっ……!」
「おや。これは失礼」
驚いて、思わず後ろに飛び退ったアリシアに、フリッツ王子はくすくすと笑みを漏らした。
「と、突然なにをなさるのですか!」
「君がよそ見ばかりをするからだ」
抗議の意味をこめてアリシアが軽く睨めば、王子は余裕をにじませて腕を組んだ。そんな何気ない仕草でさえ、いちいち絵になるのが腹立たしい。
「今宵、君のパートナーはこの私だよ。周囲を気にする余裕があるのなら、もっと私のことを見てもらいたいものだ」
「はぁ……」
まったく悪びれる風もないフリッツに、アリシアは二の句が継げなくなる。そんな彼女の耳に、ふたたび聞き捨てならない声が飛び込んできた。
「まあ! なんて仲睦まじいご様子」
「やっぱり、フリッツ様はあの方を妃に迎えるおつもりなのよ」
慌てて見上げれば、相変わらず王子は周囲の声を気に留めた様子はない。
(まさか、今のはわざと……?)
だが、アリシアは確信を抱いた。今のは、民衆に対するパフォーマンスだ。二人の縁談を望む人々の声に応えて、あえて親し気な様子を見せたのだ。
「おいで。クラウン夫人が君を呼んでいる」
警戒を強めたアリシアはそれとなく王子から距離をとろうとしたが、そんな試みはすぐに打ち破られた。大きく開かれたガラス窓の向こうに目をやった王子は、何かに目をとめたと思いきや、アリシアの腰に手を回してさっさと歩き始めたからである。
エスコート役である王子を振り払うわけにもいかず、仕方なくされるがままアリシアがついていくと、王子はテラスを降りてガーデンへとアリシアを導いた。キャンドルが浮き上がらせる道を歩いていくと、白布がいくつも垂れ下がるテントへとたどりついた。
その中に置かれた長テーブルで歓談を楽しんでいた人々の中で、一人の女性が立ち上がって手を振った。
「こんばんは、アリシア様。まあ! 昼間のドレスも素敵だったけれど、それもすごくお似合いよ」
「ベアトリクス様!」
ほっとしたアリシアは、にこにこと手招きをする夫人のもとへと近づいていった。キャンドルの灯だけでは、長テーブルについている人々の顔はみえなかったが、このままフリッツと二人きりでいるよりは、他の人々との会話に混ざったほうがよほど気楽だと思ったのだ。
そう、思ったのだが。
「ああ、アリシア。そなたもここに来たのだな」
「っ、陛下!!」
横から掛けられた女性としては低い声に、アリシアは飛び上がった。慌ててそちらに顔をむければ、しどけなく椅子に身を預けた女帝が、面白いものを見つけたようにアリシアを見上げていた。城の方に背を向けて座っていたため、気が付かなかった。
「申し訳ありません。まさか、エリザベス様がいらっしゃるとは思わず」
「そう慌てるな。せっかくの気持ちの良い夜なのだから」
面倒そうにひらりと手を振って、女帝がアリシアの謝罪を遮る。そして、ちらりと自身の隣の空き席をみた。―――そこに、座れということだろう。
「こちら、ご一緒させていただいても?」
「もちろんですよ。さあ、殿下もどうぞ」
「ありがとう、ベアトリクス殿」
覚悟を決めてアリシアがにこりと問いかければ、ベアトリクスは嬉しそうに女帝の隣を二人にすすめた。それで、アリシアとフリッツも並んでそこに加わった。こっそりと王子を盗み見れば、フリッツは澄ました顔をして腰掛けていたから、あらかじめアリシアを連れてここに来ることが決まっていたのかもしれない。
目が慣れてくると、彼女の隣には宰相ユグドラシルも座っており、その向かいには娘のシャーロットもいるのがわかった。
さらに奥へと目をやって……、見慣れた黒髪を見つけたアリシアは目を丸くした。
「クロヴィス? お前、こんなところで何をしているの?」
「クロムウェル殿をこちらにお連れしたのは、私なのです。色々とお話していたら、つい、興が乗ってしまいまして。勝手なことをして、申し訳ありません」
立ち上がり目礼をしたクロヴィスにかわり、わずかに眉をさげて微笑んだのはユグドラシルだ。その後を継いで、軽くひじをついた女帝が妖艶に微笑んだ。
「そなたの華々しい活躍ぶりを、この者に話してもらおうとしていたのだ。ちょうどいい。アリシア、そなたの口から聞かせてもらおうか。そなたが立ち上げた商会だが、あれには私もたいそう興味がある」
「まあ。それはすばらしいことですわ。メリクリウス商会のことは、こちらでも話題となっていましたもの。わたくし達も、聞いてみたいわよねえ」
「それは、もう! どうやってあんなに立派な商会を作り上げたのか、ぜひお聞きしたいです」
「皆さま方のお耳汚しとならなければよいのですが」
揺らめくキャンドルの灯をきらきらと瞳の中に輝かせて、シャーロットが期待に満ちた声を弾ませる。それに気圧されていたから、アリシアは反応が遅れてしまった。
「私も興味があるな」
すっかり注意をそらしていたアリシアに王子はぐいと身を乗り出すと、まるで恋人のように彼女の耳元に顔を寄せた。突然耳元で響いた甘く艶やかな声に、アリシアが文字通りに飛び上がって振り向けば、女性のように長いまつ毛に縁取られた目が細められた。
「差支えなければ教えてほしい。私がまだ知らない、君のことを」
(……えっと、つまり、なに?)
甘く端麗な顔で微笑むフリッツに、しかし、アリシアの頭に浮かぶのは戸惑いだけだ。
何せ、前世でシャーロットと共に逃亡した姿があまりに強烈に焼き付いているせいで、王子に邪険に扱われることを覚悟すらすれ、こうして親し気にふるまわれるのは全く予想していなかった。
というか、はっきりいって薄気味悪い。
と、天使だの神の使いだのと称えられるフリッツ王子に対し、あんまりな感想を抱いたアリシアである。が、彼女以上に辛辣な反応を示すものが一人いた。
「これは殿下。そのように情熱的に見つめられては、我が主人が緊張してしまいます。殿下の眩いお姿は、陛下よりいただいた絵姿を軽く凌駕するものですから」
にこやかに、やんわりと困った笑みを浮かべて、クロヴィスが王子をたしなめる。アリシア以外の人々には、そのように映ったことであろう。
だが、付き合いの長いアリシアは見抜いていた。あの補佐官は、まったくもって微笑んでなどいない。いや、むしろ非の打ちどころのない美しい面差しの下で、ふつふつと怒りを煮え滾らせているのだからたちが悪い。あれは、そういう目だ。
(お前はお前で、何をそんなに怒っているのよ!?)
「クロムウェル殿のおっしゃる通りですね。けれども、アリシア様とフリッツ様があっという間に親しくなられたみたいで、わたくし安心しましたわ」
「本当ですね。さすがはアリシア様です!」
予想外な反応をみせたクロヴィスだけでもアリシアは頭を抱えそうなのに、さらにクラウン夫人とシャーロットがのんびりとした口調で追い打ちをかける。シャーロットに至っては、尊敬をこめてきらきらと瞳を輝かせるのだからなおさらだ。
やたらと距離をつめようとするフリッツ王子と、妙になついてくるシャーロット。おまけに、アリシアにしかわからない絶対零度のまなざしで、王子を射抜くクロヴィス。
誰か一人くらい、想定の範囲におさまってくれ。
そう、アリシアは肩を落としたのであった。




