3-2
不毛の土地、ハイルランド――。
その地に、命からがら逃げ伸びてきた人間たちに向かって、星の使いは問いかけた。数多の精霊が住まい、その加護が覆うこの大地は、人の世を作るには少々厳しい土地である。それでも、この地に根を張るつもりかと。
すると、エステルは星の使いに答えた。我らは、星を神とたたえる者。空に星が輝く場所であれば、どこであれ、導きのままに生きましょう。
その言葉を気に入った星の使いは、エステルと契約を結び、その土地を統べる王として祝福を与えた。それが、ハイルランド王国の始まりである。
「実際、エステルはよくやったよ。人には厳しい自然の中、民と共に試行錯誤を重ねて、生きる術をものにしていった。僕の祝福があろうがなかろうが、うまいことやったんじゃないかな」
「あなたが建国王エステルとどうして契約をしたのかは、歴史の教師に嫌ってほど聞かされたわ。それより、私との契約のことを教えて!」
目を閉じて感慨にふける星の使いに、アリシアは焦れて先を促した。これからいいところなのに、とぶつぶつ言いながらも、星の使いは口を開いた。
「エステルとの契約は、実は君との契約と深くかかわるんだよ。彼と契約したとき、僕が彼になにを言ったのか教わったことはある?」
「えっと……、“ハイルランドを守護する守り星として、王国をとこしえの繁栄へと導こう”だっけ?」
「そう! さすが王女様、大正解だよ。ところが契約に反して、僕はハイルランドが滅亡するのを見逃してしまった。それが、あの夜さ」
「滅亡!?」
アリシアが目を丸くすると、星の使いは意外そうな顔をした。
「気づいていなかった? 君が死に、フリッツ王が寵姫と逃げてしまったことで、ハイルランドは統率者を失ってしまった。そんな国が、長く生き延びられると思う?」
「そう……だったのね」
ずきりと胸が痛んで、アリシアは目を伏せた。どういう経緯で「あの夜」を迎えるに至ったのかはわからないが、とにかく、自分の代でハイルランドの栄光ある歴史を終わらせてしまった。それも、脈々と王国を支えてきた、偉人達の名が刻まれた場所で。
「私とあなたの契約がわかったわ。あなたは時間を操り、私にやりなおしの機会を与える。その代償として、私は二度目の生でハイルランドを救い、建国王との誓いを守る手助けをする。ちがう?」
「ものわかりのいい子は好きだよ。君って、10歳の割に頭が回るって言われない?」
嬉しそうに声を弾ませた星の使いに、しかし、アリシアの方は表情を暗くした。
「けれど、無茶よ。未来を変えるなんて、出来っこないわ。夢に見るまで、前世のことなんてすっかり忘れていたのだもの」
「何を言っているのさ。君はすでに、前世と違う道をひとつ選びとったじゃないか」
戸惑うアリシアの手を、星の使いがそっと包んだ。つられてアリシアが顔を上げると、星の使いは色素の薄い瞳にアリシアを映し、親しみを込めた笑みを浮かべていた。
「クロヴィス・クロムウェル」
形のよい唇がその名前を呼んだ時、アリシアの心臓がどきりとはねた。まぶたの裏に、跪いて頭を垂れた美しい男の姿が浮かんだ。
「君の推察どおり、前世では君とクロヴィスの間には、あの夜までなんの関わりもなかったんだ。けれど君の機転で、二人の間には重要な絆が結ばれた。これは僕の予想を超えた、すごい変化だよ」
一瞬だけ泣き出しそうに見えた顔や、敬愛を込めてアリシアを見つめた瞳を、アリシアは思い出していた。星の使いが言うほど、未来を変えたという実感は彼女にはなかったが、あの夜とはクロヴィスの印象がだいぶん変わったのは確かだ。
「アリシア、これを見てごらん」
星の使いがくるりと手をまわすと、その手に細長い木筒が現れた。見覚えのある形状のそれに、アリシアはあっと声を上げた。
「あの夜、意識が途切れてしまう前に、それと同じものをみたわ」
「これは百色眼鏡というものだよ。田舎の方の町に、これを作った職人がいるから、機会があったらぜひ行ってみるといいよ」
星の使いはいたずらっぽく笑いながら天を指さし、木筒を手のひらで転がした。満天の星空を見上げたアリシアは、飛び込んだ光景に唖然とした。なぜなら、木筒が転がるのにあわせて、天の星がぐるりと回ったからである。
「何が起きているの!?」
「言ったでしょ。これは、百色眼鏡。中に入れた合わせ鏡のトリックで、持ち手が回すだけで映し出す景色を如何様にも変えてくれる。面白い道具さ」
君がやろうとしていることは、これと同じだよ。
星々がきらめきながら、次々に違う空を形作っていく。その幻想的な光景に目を奪われたアリシアと並び、星の使いもまた天を見上げながらそう言った。
「人も国も、世界に存在するピースは前世と同じのまま。けれど、君が何を選びとるかによって、描かれる景色は無数に変化していくんだ」
星の使いが木筒をまわすのをやめると、空の星々もまた動くのをやめ、元の静かで吸い込まれそうなほどに美しい夜空へと戻った。
「クロヴィス・クロムウェルをそばに置くことで、この先がどう変化していくかは、僕にもわからない。けれど、彼を選ぶことで新たな未来を切り開いたように、君の選択次第で“革命の夜”を回避するだってできるんだ」
アリシアの空色の髪が、風にのってふわりと広がった。
前世の夢を見た後から、ずっと胸のうちにくすぶっていた不安が、一気に晴れていくような心地がした。
もちろん、状況は何も変わっていない。前世について、夢でみた以上のことをアリシアは知らないし、星の使いも教えるつもりはないらしい。だけど、すでに違う道を開いているという事実が、少しは未来を明るく照らした気がした。
「やりなおしの機会は、一度だけだよ。僕が手を貸せるのも、ここまでさ」
急速に、周囲の景色に霞がかっていく。そろそろ夢が覚める頃合いなのだろうなと、アリシアは直感的に理解した。広大な丘や満天の星空が自分から遠ざかっていくのを感じながら、アリシアは少年に手を伸ばした。
「また、あなたに会える?」
「あるいは、ね。たとえ、アリシアが僕を見つけることが出来なくても、僕は君を、この国を見守っている。それだけはわすれないでね」
アリシアの小さな手に、少年の細い指が一瞬だけ触れた。だが、それはつかの間のことで、星の見える広大な丘は遥かかなたへと遠ざかり、ベッドの上で目覚めたアリシアは、自分が天蓋に向けて手を伸ばしているのを見たのだった。




