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セキセイインコ、君に敬す  作者: 多奈部ラヴィル
8/12

セキセイインコ、君に敬す

「うーん」

わたしは朝ごはんを一人で食べていた。ぼんやりと牛乳を飲んだら、口の端からこぼれた白い牛乳がテーブルに点とした円形を描いた。

 最近はどうも朝ごはんをダーリンと一緒に食べられずにいる。ダーリンが巨大なドリームキャッチャーを眺めながらベッドに入っているときも、わたしは最近、ゲームをしている。ファイナルファンタジー。FFだ。わたしが育つ過程でゲームをやるっていう経験はなかった。そう、FFはダーリンに借りたのだ。

「芸術の修行に疲れたら、これで気分転換をするといい」

先々週の日曜日、ゴルフへ出かける前に、機器とソフトをリビングのテーブルに置いてくれて、機器の操作をわたしが納得するまで教えると、さっと行ってしまった。

 わたしは正直に言うとこのファイナルファンタジーというゲームに没頭した。芸術の修行。それは今のところ、それも正直に言ってしまえば、何をすればいいのか、よく分からない。つまりはダーリンに言われる通り、今までは日々精進しようと思うあまりに、ダイニングの椅子に座ってエコーを吸い、コーヒーをがぶがぶ飲みながら、時々「よいしょっ」などと言いながら過ごしていたけれど、最近はそれが自分に与えられた、人生の中最もすべきこと、宿命と、昼も夜もファイナルファンタジーに明け暮れていたこと、それはダーリンに言っていないのだ。

 

そうして十一月一日になったことをキッチンで牛乳を垂らしながらカレンダーをふと見ると、ああ、大掃除。と嫌な気持ちになった。そうして唸ってしまったのである。

 毎年毎年思う。ダーリンと過ごすこの家。今年こそは窓のさんになんらホコリ一つも置いていないっていう風に完璧にきれいにしたい。風呂場には洗面器や湯おけさえ光を放ち、台所も非のつけようがなく、換気扇さえくるくると楽し気に回り、リビングの床はワックスをかけられ磨き上げられ、つるんと転びそうなほど、カーテンはエコーの香りなどみじんも放たず、ソファの下は無を表現し、トイレからはなんというかフローラルな雰囲気と香りが漂い、天使さえ降りてきたがりベッドの布団だけじゃない、家じゅうの布団っていうやつがとことんレイコップをかけられ、わたしが集めた雑貨、「転びそうになっているバレリーナ」と題された石像や、冠をかぶった「威張るセキセイインコ」と題された文鎮、、「真珠を巻いた光る豚」という貯金箱、そういったもの物を、一回他の場所に移すや否やそこを水拭きし、そうするや否や素早く乾かし、これもよく拭かれホコリ一つない、転びそうになっているバレリーナだって、威張るセキセイインコだって、真珠を巻いた光る豚だって、ハーモニーを奏でるように絶妙に配置、だれも弾かない、弾くことができない、グランドピアノだって、たまには掃除が必要かもしれない。そんなことを十一月一日から、折にふれて思い出し、考えざるを得ず、そんな掃除がわたしにできるだろうか? 否できるはずがない、と途方に暮れて、ファイナルファンタジーにさえ身が入らなくなってきたのは、十二月に入ったころだった。

 

ある日、昼間っからファイナルファンタジーをやっていたが、そう熱を帯びることもなく、エコーを口にくわえっぱなしだった。そのエコーをインドで買った灰皿に置き、大きなため息をついて、手を頭の後ろで組み、こんなわたしに何ができるっていうんだろう、まさか天啓が降ってきてわたしの身体に乗り移り、大掃除をやりまくってくれるわけでもなさそうだし。とぼんやり思った。そう思ってみると、なんだか自分がとてもちっぽけで役立たずで、むしろ虫でいろとまで考えてしまい、昼間っから意気消沈し、晩御飯を作ろうと思って買いものに行けば、その日のメニューはチンジャオロースだっていうのに、ピーマンを買い忘れ、七時二六分に帰ったダーリンを半ば義務的にハグし、そうかといって口を開かず、ピーマンがないくせにもくもくとチンジャオロースを作り始め、赤ワインを注ぎ、ダーリンと乾杯したけれど、いつも言う「今日もお疲れ様、ダーリン、わたしにはダーリンがどうしたって必要よ」と言うことも忘れてしまい、ただ「あのね、これってね、緑が足りないチンジャオロースっていうテーマの作品なの」とピーマンを買い忘れた反省もなく、ダーリンの顔も見ずに、小ずるく言って、人間、本当のことばかり言って生きているわけじゃないと自己反省も特になく、モリモリ食べてさっさと食事を終え、「ダーリン? まだ食べ終わらないの?」という目つきでじろりとダーリンをにらみ、ダーリンはそれに気がついたようで、口の中に入っていた白米を一気に飲み込んでみせた。

 

 久しぶりに二人でベッドに入る。ベッドに入る際、わたしはドリームキャッチャーに頭がぶつかり、今ドリームキャッチャーはぶらぶらと揺れている。このようなミスはいつものことだ。けれどダーリンはそんなミスを犯したことがない。おかしいな、といつも思う。       

つるされたドリームキャッチャーは毎晩見ていてもバカでかく、襲ってくるようにさえ見える。これでは悪夢を見そうだ、そう思うこともたびたびあるが、ダーリンがそのドリームキャッチャーについてどういう感想をもっているのか、それを求めたことはない。それは少し怖くて、躊躇していたのだし、その質問をいつかできるかっていうことも己に自信がなかった。そしてそれはわたしの生のあるうち、一生のテーマであるのかもしれなかった。


「最近の君ってのは哲学的煩悶に悩んでいるように見える」

ダーリンが静けさの中でそう言う。

「やはり、そう見えるのね!」

わたしは嬉々として答える。

「わたしはね、今哲学的に家の清潔とは? っていう問題に煩悶してる。それは昼間もそうなの。芸術の修行をしているときもそれは訪れる。押し寄せてくる。押しては返す。それをね、ずっと、ずっとよ? 繰り返してきた。悩んできたの」

「家の清潔?」

「そう、家の清潔っていう、哲学的な問題よ」

「それは、ホームクリーニングをよんだらいいだろう」

 天啓。もしかしたら神はダーリンなのかもしれぬ。ダーリンに天啓が降ってきたというより、神そのものがダーリンで、その神が「ホームクリーニング」と発したような気さえしたのだ。


 ホームクリーニング。一晩経ってもダーリンの言葉はその余韻をわたしに残していた。思いつかなかったなあ、とベッドから身体を起こし、先に起きていたダーリンに再度心の内で「ホームクリーニング」という言葉をかみしめながら、

「おはみ、ダーリン」

と言った。ダーリンも

「おはみ、ハニー」

と答える。

今日も朝ごはんは納豆だ。ダイニングテーブルに向かい合って座り、黙って納豆をこねくり回す。この光景はわたしが早く起きることができたときのみの、いつもの光景だ。ある意味、矛盾はそこにあるのだが、そうとしか表現できないのだ。そう、表現。芸術家志望のわたしには矛盾さえ歓迎できる。

 もやしの味噌汁を飲みながらダーリンが口を開く。

「納豆そしてもやしっていのは、つまりパーフェクトだね」

「そう、パーフェクト」

今わたしはあくまでもダーリンに冷たい。わたしは「ホームクリーニング」で頭がいっぱいなのだ。

「昨夜のホームクリーニングの話だけど」

「うん」

わたしはそれよそれ!と身を乗り出す。まるで今目覚めた様な気さえした。

「友人がいつも大掃除っていうのは『ママさんお掃除隊』ってところに頼んでいるらしいんだ。とても評判もいいらしいよ。今日僕が予約を入れよう。だいたい何日ごろがいいんだい?」

「よくわからないんだけど、そうね、一二月三一日を除いたなるべく年末に近く」

「OK。一二月三一日を除いたなるべく年末だね。メモしたよ。じゃあ、僕はそろそろ行こうかな」

「ダーリン、ごめんなさい。昨日はピーマンを買い忘れてしまって。こういうミスってわたし本当はあんまりないの。けれどわたしは、昨日ミスを犯し、それを隠そうと芸術的な修辞を使って嘘までついてしまった。本当にごめんなさい。ダーリン。謝るわ。年の瀬にはきっととことんローストビーを食べましょう。おそばだって茹でるし、お雑煮だってつくる。ちなみに『とんでん』におせちは予約済みよ。ダーリンの好きなホタテも入っている。こんなわたしを許してちょうだい」

「それは、謝るべきことではないよ。僕は君の芸術的修辞的言葉でとても楽しい気持ちになったのだし、芸術の本質はそこにあるんだ。ピーマンの入っていないチンジャオロースっていうのは、時にとてもおいしいという、発見まであったのだから」

そう言って玄関で靴を履いたかと思うと、わたしの頬にキスをしてさっと去っていった。

 

 一二月三十日、ママさんお掃除隊は朝の九時にチャイムを押した。わたしはまだパジャマのままで、髪にワックスをつけていなかった。ママさんお掃除隊を招きつつ、洗面所で急いでワックスをつけた。そしてクローゼットを開け、なんでもないデニムに、なんでもないネイビーの襟元と袖口がよれよれののスウェットを着た。なんとなく、なんとなくそういう格好の方がいいと思ったのだ。わたしが掃除をするっていうわけでもないことは重々承知していて、そういう意味じゃない。

 ママさんお掃除隊は家に着くなり、コーヒー一杯飲まずに、奥さんはゆっくりしていてくださいねと言って、掃除を始めた。そう言われてもわたしはホームクリーニングを頼むのが初めてだったし、なにかわたしにもすべきことはないかと家じゅうを所在なくうろうろしていた。

 そしてその働きぶりを見ながら思う。これは、と。これなら本当に、

窓のさんになんらホコリ一つも置かれていないっていう風に完璧で、風呂場には洗面器や湯おけさへえ光を放つように清潔で、台所も非のつけようがなく換気扇さえくるくると楽し気に回り、リビングの床はワックスをかけられ磨き上げられ、つるんと転びそうなほど、カーテンはエコーの香りなどみじんも放たず、ソファの下は無を表現し、トイレからはなんというかフローラルな雰囲気と香りが漂い、天使さえ降りてきたがり、ベッドの布団だけじゃない、家じゅうの布団っていうやつがとことんレイコップをかけられ、わたしが集めた雑貨、「転びそうになっているバレリーナ」と題された石像や、冠をかぶった「威張るセキセイインコ」と題された文鎮、「真珠を巻いた光る豚」という貯金箱だって、そういったもの物を、一回他の場所に移すや否やそこを水拭きし、乾かし、これもよく拭かれホコリ一つない、転びそうになっているバレリーナだって、威張るセキセイインコだって、真珠を巻いた光る豚だってハーモニーを奏でるように絶妙に配置、だれも弾かない、弾くことができない、グランドピアノだって、といった掃除が実現するのではないだろうかとぶるぶると震えもきそうな気持になるのだ。

 一二時になるとおひる休憩をママさんお掃除隊は挟むようだった。手にお弁当を持っている。ダイニングに、「おじゃまします」と言って四人で座り、手作りのお弁当や、セブンのお弁当なんてテーブルに広げている。

 「わあ、みなさん、おいしそうね」

思わず感嘆の声をあげてしまった。小さなピンクの、わたしにはなんだかわからないが、キャラクターの描かれたお弁当を開けた六十歳くらいの女性のお弁当はことさらにおいしそうだった。きんぴらやホウレンソウとベーコンのソテー、唐揚げが数個、ご飯は色とりどりでノリで巻かれている。

 「わあ、ステキなお弁当ね。おいしそう!」

と、わたしは思わずその六十歳くらいの女性に声をかけた。するとその女性は立ち上がって、キッチンに歩み寄り、果物ナイフを手に持って、わたしのそばにやって来て、サクッとわたしのお腹を刺した。そして

「素敵なお宅ね」

と言った。

 それはとても静かでとてもゆっくりとしていた。BGMさえ流れていたような気もする。無言のお芝居を見ているような、夢をゆっくりと見ているような、なんとなく寝てみようかと思ったけれど、寝付けずにでかいドリームキャッチャーを眺めているような、それとも目を閉じていたような、そんな出来事だった。彼女の目を見ると黒目が点のようになっている。まるで墨汁をぽつんと水に垂らし、それが広がることなどないように。彼女は片手にナイフを持ったまま語りだす。わたしは血で汚れた床に座ったままだ。

 「奥さん、わたしはね、一昨日と昨日わたしの家の大掃除を済ませました。去年もそうでした。そう、十二月二十八日と二九日。天候が悪いと困ります。網戸を掃除するのに困ります。けれど数年に一度はそいう不運も訪れます。今年は運がよかった。その十二月二十八日と二十九日、それを使ってわたしの家の大掃除を済ませました。確かに大掃除って大変です。いろいろやることがたくさんです。でもわたしはわたしの家の大掃除を自分でやってます。毎年、毎年です。そうです。一二月二八日と二九日を使って。天候が悪いと困るのです。そう網戸を洗うのに難渋するからです。生きていく中でわたしは時に運が悪い。わたしは自分で自分の家の大掃除を一昨日と昨日やって、朝早く起きてお弁当を作って、このお宅の大掃除をしています。もちろんお金がもらえないのなら、こんな広いマンションの大掃除なんてしません。でもお金がもらえるのだから、疲れていたって、お腹が空いていたって、大掃除をします。そういうことです。

 でも不思議に思うこともあります。わたしは何故一二月三十日に、自分の家じゃない、誰かのお宅を掃除するのかなっていう、その不思議を思うんです。ああ、そうだった。お金がもらえるからだ。でもなんでお金がもらえるんだろう。ああ、奥さんがお金を払う。それをわたしがもらう。それは掃除をするからだ。いつもいつもそうです。その関係が変わることなど多分ないのです。

 奥さんは多分フレームの中の人なのでしょうね。わたしはそれを見ている側の人間なのでしょうね。わたしの家は正直に言ってしまえば団地なんです。草加の松原団地と言う駅の団地に住んでいます。三十一日には息子が家族を連れて帰省します。狭い家だし、息子の子供も、なんとなくわたしやわたしの夫、その暮らしぶりを軽蔑しているような顔をします。そういう年頃なのだと我慢しています。息子は成功しました。勉強して成功しました。団地の一室でそれは勉強していました。それで成功しました。今は小さいけれど一軒家の分譲住宅を買って、郊外でのんびり暮らしています。だから、その息子の子供、孫は、古くて薄暗く、団地のドアに窓が付いていることをとても馬鹿にします。わたしがそこにリラックマの布をかけていることも馬鹿にします。

 奥さん、どうしてなんでしょうね? どうしてそういう風に回っていくのでしょうね。一回転したら元に戻るっていう現象なのでしょうか。わたしではない他の誰かが、わたしの部屋を大掃除するなんてことはあり得ないんです。

 奥さんはいつまでも髪を整えて、過ごしている。そうフレームの中にいるから。わたしはとうに見抜いてるんです。クローゼットの中にはそれはそれは髙そうでおしゃれで素敵な服が並んでいた。乱雑に入れられた普段着だって、どこかしらおしゃれで高そうだった。いつもはそういう格好で過ごして、夕方の買い物なんかに行くくせに。今日のその格好はなんの余興ですか?その上のやつは本当はいつもパジャマ代わりなくせに」

 残りのママさんお掃除隊の女性たちが一斉にその彼女の周りに集まる。肩を支え、ダイニングの椅子に座らせて、お茶を飲むように勧めている。

 「ちょっと出てくるわ」

血を垂らしながら、わたしはそう言って、ヴィッツを出した。


 「ダーリン、四針縫ったわ」

「四針か、大したことじゃない」

「そうかしらね。ナイフっていうのはね、私知ったの。サクッとね、なめらかにお腹に入るものなのよ。きっと今後の芸術活動に役に立つって気がするの」

「君は間違えたね」

「なにを?」

「君はね、間違った。一人でヴィッツを運転して病院に着くなんて馬鹿げてる。君はね、被害者なんだ。ある女性に刺された。血が出た。助けを呼ぶべきだった。助けてくれとその手を伸ばすべきだった。それならつながれたかもしれなかったんだ。それが当然だったんだ。悪いのは刺しだ方で、君ではない。それなのに君はその女性に「悪い」と少し思ったんだろう? それは君の弱点だ。善人ぶっているし、それなら君は善人なんかじゃない。今までの人生を通してそれは君の弱点なんだ。君が刺される。それを君は刺した女性に悪いと思う。それっていうのはただ君が君のお腹を刺した、それだけっていう、とてつもない悲劇に変化してしまう。それは悲劇でしかないんだ。だから君は間違っていた。

 そして第二に、君は『一昨日も昨日も自宅を大掃除して、今日も大掃除をするなんてとっても大変ね』という具合にその女性をいたわるようなつもりで少しの同情をしただろう。それは完全に間違っているんだ。君にとっての一瞬だけかすめる、そんな感慨だったかもしれない。けどそれは違うんだ。それがその女性と君を区別させたんだ。そんなことはその女性は望んでいなかった。区別、君はフレームの中にいて、その女性はフレームの外にいる。それが多分ずっと続くだろう、その女性は、そう感じたんからなんだ。


そう憐れむと君と憐れまれる自分。そして君がその女性に悪いと思い、そんな恰好をした。その恰好、君はなんのつもりなんだ? 確かにその女性の言った通りさ、とてもわざとらしいし、明らかに恣意的なんだ。最後がわかっていて見え透いたお芝居のようなものなんだ。

そしてそんな君はその女性が入れないような『フレーム』の中で澄ましているように見える。

 そうだ。君はその女性とつながるチャンスを逃したんだ。お金を払う。それはその女性が働いた。ゆえにお金を女性は受け取る。そういう関係だ。ゆめゆめいつもはパジャマのネイビーのスウェットを選んでみたり、ゆめゆめ悪いことをしているなんて一分たりとも思ってはいけなかったんだ」 


「どうしてなの? たとえばわたしが着た襟元と袖口がよれよれのネイビーのスウェットのわざとらしさは反省できる。それは自然を裏切っていた。それは理解できるの。けれど、だって、彼女は二日間かけてご自身の家の大掃除をして、それから翌日、こったお弁当を作ってわたしたちの家を大掃除していたのよ。きっととても疲れていたと思うわ。だって彼女は昨日か一昨日、団地の網戸まで掃除したのだから。天候がよくてとてもよかったってわたし思う。わたしの胸をかすめたほんの少しの同情。それって当然の気持ちの流れにわたしには思える。わたしは、それは自然にならい、天然にならい。神にさえならっているように思える。その彼女の他の何も、気の毒に思ってもいないし、かわいそうとも思っていない。ただそれだけよ。そしてあなたが言うのなら多分私は善人ではないのでしょう。けれどわたしはこうも思う。悪人? それほどでもないってね」


突然の閉店のように、突然空が落ちてきて、真っ暗闇になった。時に空は落ち暗闇を作る。わたしは手探りでダーリンを探した。わたしはこのまま、手探りというか細いコミュニケーションの中で生きていかなければならなくなった。「ダーリン!」と虚空に叫ぶ。返事などない。もしかしたらダーリンはいなくなってしまったのかもしれない。なにかのトリックを使って。もしかしたら何かの理由でもって、ダーリンはもうわたしを愛していないのかもしれない。そうでないことを切実に願う。再会はかなうのだろうか? 

悪夢とそれが作る現実の中を、どぶの中に足を順番に突っこんで歩いているような気分だった。そう、ヒットラーも今もこうしてるのだろう。し続けているのだろう。ヒットラーが歩く後ろを倣って歩く。同じ速さで歩く。わたしは本当に悪人なのだろうか?


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