セキセイインコ、君に敬す
わたしはその日、出かける際に、六年くらい前に買ったインポートのストール、これは黒地に大柄なバラの柄が描かれているのだが、それを斜め真ん中で半分に三角形に折って、顔にぐるぐる巻きつけた。ストールの端すべてに施された長めのフリンジが、それがなくともただでさえなにやら得体のしれない異な雰囲気を漂わせているのに、さらに異国情緒とでもいったようなミステリアスなオーラをプラスしていた。
待ち合わせはチーズケーキがおいしいことと、氷もコーヒーを凍らせたものでアイスコーヒーが薄まらないという創意工夫で人気のあった喫茶店だった。
友人は先に着いていて、笑顔を見せてわたしに手を振った。わたしも笑ってみせたが、ストールでくるまれたわたしの表情が、その友人に伝わったかどうかはよくわからない。友人は鉄のようなものでできた濡れた容器に入ったアイスコーヒーを飲んでいた。
「アイスラテを」
チェックの地に、白いフリルのついたエプロンを身に着けた、ニキビが少しだけあって、胸がやけに大きいウエイトレスにそう言った。するとそのウエイトレスは「これは困ったな」と言った風に首を横に振った。わたしは戸惑ったが、再度
「アイスオーレを」
とリクエストした。するとそのウエイトレスはアメリカンポップに両腕を広げてみせ、さらに首をすくめ、再度「これは困ったな」、という表情で立っている。わたしは仕方なく、友人を指さしながら、
「同じものを」
と言った。ウエイトレスは深々とお辞儀をし(その際豊かな胸がぶるんと大きく揺れたのがわたしにはわかった)、
「かしこまりました」
と言ってからメニューを奪い取るようにわきに抱え、去っていった。
わたしは運ばれてきたアイスコーヒーを少し口の部分に穴をあけてストローを刺し、少し飲んだ。すると友人がわたしにアドバイスをする。
「あなたって説明不足なのよ。アイスコーヒーとアイスミルクを半々で入れたものに氷をいれたもの、ってリクエストすればよかったのに」
「そうなの」
「そして今日のあなたって少しエキゾチックな雰囲気がするけれど、それは何故なのかしら?」
「エキゾチックを目指してるわけではないのよ。ただね、今日は顔がダメな日なの」
「鼻の頭に大きなニキビができたとか?」
「ううん」
「なにかのアレルギーで顔中が湿疹だらけとか?」
「ううん」
「旦那さんに殴られたあざを隠す」
「どれも違うのよ。変化はないの。でもね、それは変化を伴なうのよ」
「ふうん、まあ、人それぞれよね、そういうことって」
「顔がダメ」という言葉を「人それぞれよね、そういうことって」という言葉で引き取ってくれるその友人をとても大切だと、冷たすぎるアイスコーヒーが胸を焼くように痛むのと同時に心に思った。
「ケーキ、食べないの?」
とわたしは友人に訪ねた。せっかくのチーズケーキがおいしいと評判の店だ。
友人はまた笑顔をみせて、テーブルの下から大きな包みを取り出し、「ハッピーバースデー」と言ってわたしの目の前に差し出す。つたないラッピングだ。
「ありがとう、大きいわね。なに?これ?」
「昨夜焼いたの。チーズケーキよ。ベイグド。20のホールよ。今晩食べるといいわ。旦那さんと。その頃が食べごろになっているはずなの」
わたしは手にそのチーズケーキ、ベイクドを持った。
「つまりね、わたしが今チーズケーキを食べていたら、あなただって食べたくなってしまうでしょう?そしたら今晩たんんまりと食べられる量の、チーズケーキがおいしくなくなってしまうかもしれないでしょう?だからわたしも食べずにいるっていうわけ」
わたしは過去に見たいろいろな形やいろいろな色、そしていろいろ味わった感情、また友人の手が白いけれどやけに大きいことに気づいてみたりして、錯乱状態に陥った。そしてわたしの発した言葉はこうだ。
「あなたは、あなたって人は、ケーキがおいしい店に、ケーキを持ってきたの?」
「そうよ、なにかいけない?」
「ケーキをね、売っている巨乳ウエイトレスとか、ケーキを前の晩からこねくり回しているケーキ職人が働く場にあなたって人は、よりにもよってケーキを持ってきたのよ?恥ずかしいと思わないの?」
「そう言われてみるとそんな気にもなるけれど………、あなたがそこまで激昂するほどわたしって悪いことをしたのかしら」
「あなたって人はつまりはきちがいなのよ」
わたしはそう言って窓辺により、窓からその白いケーキの包みを投げ捨てた。どうしてかはわからないが、かしゃんという乾いた音がした。そして脈拍の上がった頭を外の冷たい風にさらすと、自分が行った行為に対し、何が起こるのか怖くなった。
「あなたはこの店の人たちに土下座しても足りないわ。あなたのきちがいぶりにはあきれたわ。絶交よ!」
自分が行った行為に対して巻き起こるかもしれないもの物にたいして、無性にこわくなってしまったわたしはとうとう、友人に絶交宣言までしてしまった。友人は、
「あなたがわたしに何回『絶交宣言』をしたかって覚えてる?これが四回目よ。ここのアイスコーヒー代は出しておいてね。じゃあまたね」
友人はそう言って店から出ていき、わたしは残りのアイスコーヒーをことさらにゆっくり飲み、タバコを2本吸ってアイスコーヒー二杯分のお金を払って、家へ向かった。
頭の中で、
「どうも今日は顔がダメだ」
「どうも今日は顔がダメだ」
「どうも今日は顔がダメだ」
とリフレインする。踏切で立ち止まり、カンカンカンカンという音が耳に突き刺すように響いている中でも
「どうも今日は顔がダメだ」
「どうも今日は顔がダメだ」
「どうも今日は顔がダメだ」
とリフレインする。それが止まることなく自宅マンションまで着いた。
わたしはシャワーを浴び、サーモンピンクのシルクのパジャマに気がえた。これは父の中国土産だ。顔のお手入れを済ますと、また元通りに、ストールを顔にまき、キッチンでCHOYAの梅酒を飲みながら、エコーを吸った。夜七時二六分、ダーリンがチャイムを押す。私は玄関を開け、「ダーリン、今この瞬間をわたしずっと待ってたの。あなたが帰ってくれてわたしとてもハッピーよ」という気持ちを込めた笑顔でダーリンに抱き付いたが、それがダーリンに伝わったかどうかはわからない。
「ハニー、ただいま。今日もいい子にしていたかい?おや?エキゾチックな君もまたずいぶん素敵だ」
「ダーリン、今日はお酒でも飲みながら話したいことがあって」
「すまないね、僕のかわいい子ネコちゃん。明日はとっても早いんだ。飛行機に間に合わないととんでもないことになっちまうのさ」
そう言ってダーリンは風呂場に直行し、ほかほかとした煙のような水蒸気を身体中から発しながらアクエリアスを飲んでから髪にドライヤーをかけ、「よし」と一言鏡に向かって言ったと思うと、寝室へ向かった。わたしも従順に寝室までついて行った。寝室にはキングサイズのベッドがある。ダーリンはするりとベッドに入るなり、小さないびきをかきはじめ、わたしに彼の疲れや多忙を想像させた。お疲れ様、ダーリン、と心の中でつぶやいて、ストールを顔にぐるぐる巻いたまま、マッサージチェアに座った。このマッサージチェアは結婚して1年目の春に買ったもので、ダーリンのお仕事はその頃日雇いの土木工事だったから、いつも腰が痛いと言っていて、思い切って置く場所もかまわずに深夜のテレビショッピングを金曜の夜中に見て信じる者は救われるという、誰が言ったか知らないけれど、そんな言葉さえ思い出され、そう、それで電話をかけて買ったものだ。この部屋にはキングサイズのベッドと古いマッサージチェア、そしてスタンドライトしかない。カーテンも深い緑色の遮光カーテンだ、壁にも何も飾られていない。わたしは久しぶりにマッサージチェアに座って電源を押した。「お疲れモード」にして一五分のコースに設定して目を閉じた。背もたれが下がっていき、脚が徐々に上がっていく。微妙な振動が背中に走る。わたしは宇宙に浮いているみたいだと思った。メロもこの宇宙に浮かんでいたりして、そんなことを考えていたら、眠ってしまった。そしてその眠りに落ちる瞬間に、もしかしたら、さみしいななんて思ったような気がしないでもない。