セキセイインコ、君に敬す
ドリームキャッチャーの制作依頼にあたり、わたしは何日間も、夜もよっぴいてキーボードを叩きまくり、ネットでドリームキャッチャーについて調べまくった。パーフェクト、わたしはいつだってそれを求めてやまない。今までの人生、頑張ってきた。そう思う。いつもパーフェクトを目指していたから。もちろん、結果それが少しの残念さをともなうこともある。けれど、わたしは再度、そんな残念など無視して、またパーフェクトを目指す。今はパーフェクトなドリームキャッチャーを手に入れようと深夜にキーボードを叩いている。パーフェクト。それを常に求めることをやめることがない。そういうった風が今だった。そしてこれからも多分そうなのだろう。
また悪夢を見、また芋虫になるんて、そんな面倒なことはまっぴらだ。それにはハイブリッドなドリームキャッチャーが必ず必要なはずだ。
ネットで調べた限り、それによるとインディアン、イド族が最も優れた最もデザイン性のクオリティーも高いドリームキャッチャーを製作する能力があるとのことだった。
ただ、そこには少し難点があって、インディアンのイド族は少数民族であって、その民族間にしかそうやすやすと心を開かないらしいのだ。
けれどわたしはいつの間にか学んでいたのだ。後悔っていうやつ。後悔の初源は無だ。生まれてこなければよかったという結論に、後悔の初源を求めて考えて考えてみると、そこに行きつく。よってなにかことに当たるといっても、なるべく軽く、なるべく身軽に、そう、フットワークも軽く、思った瞬間と同時といってもいいくらいに行動に移した方がいいのだ。練りに練った計画や地図など、持たぬままの航海。それは果敢な勇者しかなしえない冒険に似ている。
わたしは翌日から軽く、けれどゆっくりと旅の準備を整えていった。その間のある日、昔の友人から電話がかかってきた。なにやら相談があるという。
「久しぶりね」
「そうね、ご無沙汰しちゃったわ。でも電話をくれてありがとう」
「三十歳のバースデーカードありがとう。そして三十一歳のバースデーカードは送られてこなかったわ」
「あら、ごめんなさい」
「いいのよ。それほどまでにあなたからのバースデーカードを欲しいっていうほどでもないしね」
「あら、そうなの?」
「ところでね、そんなわたしの三十一歳のバースデーカードをあなたに忘れられたことなど本当はどうでもいいの。今日は三十一歳のわたしという女子から、あなたというもうすぐ四十を迎える女子に相談にのってもらいたいことがあって」
「できる限り精一杯答えさせてもらうわ」
「あなたって人は、サイゼリアに一人で行く場合、何をオーダーするのかしら?」
「それってとっても簡単な質問だわ。マルゲリータピザをWチーズで。辛みチキン、ああアイスシナモンフォッカチオよ。たまには赤ワインのグラスを2杯くらい飲むわね」
「そう、やっぱりそうよね。わたしはね、できることなら、ペペロンチーノとアイスシナモンフォッカチオと、小エビのカクテルサラダと、あの青豆の上に半熟卵が乗っかってるやつと、プロシュート、これら全部をオーダーしたいの。それなのにわたしがオーダーするのはいつもきまって、ペペロンチーノとアイスシナモンフォッカチオ。それのみなの」
「なぜ?食べきれないかもっていう危惧からくるの?」
「あなたも以前より私に意地が悪くなったわ。食べれるわよ。全部」
「じゃあ、そのペペロンチーノとアイスシナモンフォッカチオしかオーダーできない理由って?」
「恥ずかしいからよ」
「ああ、そういうメンタルな問題なわけね」
「そうなの。ところでまたあなたって人は、ラーメン屋に一人で行った場合、何をオーダーするのかしら?」
「チャーシューメン。そして餃子だわ」
「そうよね。わたし本当はチャーシューメンと半炒飯と餃子をオーダーしたいのはやまやまなのよ。けれどできない。でも卵のトッピングはオーダーできる。これってどうしてなのかしら?」
「肉にむしゃむしゃと食らいつく三十一歳ではなく、卵程度は軽くトッピングしちゃうわっていう三十一歳でありたいっていうことかしら」
「そうなのよ。よくご理解いただけたわ。卵は食べるけど、肉に猛然と食らいつく三十一才に見られたくない………じゃあ、いつになったらわたしは食べたいものを自由に食べることができるようになれるのかしら?」
「あなたはきっと何をしているときでも、他者の目を想定する癖みたいなものがあるって思う。そしてそんな他者の目はたいがいはないし、あなたが恥ずかしいと思うようなオーダーをして、どこかの他者がそう思ったとして、でもそんなのその他者が家に帰ってテレビを見て、少し笑ったらもう忘れちゃうような、そんなことにしか過ぎないわ。若さゆえかもしれないし、そこに少しの異性へのこう見えたいという意識があるのかもしれない。無意識であってもね」
「あなたに相談するんじゃなかったわ」
「あら、わたしなにか失礼なことでも言ったかしら。そうだとしたら謝るわ」
「だって、そんなのわたしが男性にいつもモテたくてモテたくてしょうがない色キチガイの女だから、小食ぶって半炒飯もチャーシューも餃子も、食べたくて食べたくてしょうがないのに我慢して、しゃれっ気を出して卵をラーメンの背油の浮いた海の上にトッピングして己に酔っている三十一歳っていうことに、あなたの意見を尊重するならよ?そうなるじゃない。あなたに相談したのが間違いだったわ。あなたはきっといつかゴミになる」
「あなたはいつかきっとゴミになる」
電話を切る間際の友人の言葉が妙な余韻を残した。少し気味の悪い予言だった。けれど、と思う。そう、ダーリンだってわたしだって当然いつかはゴミにしかなりえない。すべからく生き物とはそうできている。でもと思い返す。生きたまま、わたしが生きたまま、ゴミになることもありうるのではないだろうか? だってこの前は芋虫にさえ変身してしまったのだから。これはあながち一笑にふせない予言かもしれない。それならば素敵なドリームキャッチャー、パーフェクトなドリームキャッチャーを手に入れることは、わたしにとって急務だ。
ドリームキャッチャー。これはインディアンに伝わる伝統工芸で、枕元につるすと悪夢を吸い取ると言われている。この度、わたしはあまりにも絶望的な悪夢を見たがために芋虫に変身してしまったのだから、インディアン、中でもイド族に力を借りようと思ったのだ。ダーリンの知人の知人に訳してもらい、イド族にはドリームキャッチャー制作の依頼はしてある。そしてだいたいいつ頃わたしがイド族の住むイド村に着くかも知らせてある。
もちろんイド族の代表、長宛に手紙は投函したが、返事は帰ってきていない。けれどわたしは最近図々しい思想が脳に芽生え、わたしにとってわたしの幸福追求が何よりも第一優先だと思っている。イド族やイド族の長の事情など鑑みてはいられない。そんなものはないかのようにスタートしてしまうことが今のわたしの幸福追求につながるのだ。不安な夢をもう見たくない。
ソーセージと玉ねぎとピーマンと焼き肉のたれとサラダ油。ポテトチップスのノリ塩とバウムクーヘンは山ほど用意し、サラダ油以外は冷凍した。現地に付いたらすぐに大掛かりなバーべキューセットとそれらの入った冷凍庫を、現地でレンタルするキャンピングカーに積む予定だ。
旅は順調に運んだ。わたしは朝ごはんもお昼ご飯も夜ご飯も、ソーセージと玉ねぎ、ピーマンを、じゅうじゅう焼いて、焼き肉のたれをぶっかけて食べ、ダーリンと暮らす高層マンションの中では、バウムクーヘンとはケーキナイフで輪切りに切って、ケーキ皿に乗せフォークでいただくというのに、キャンピングカーの中で食べるバウムクーヘンっていうやつは白い薄紙をびりびりと破いて、手を突っ込んでちぎって食べた。おそらく、人っていうやつはそういうものなのだろう。そうだ、そういえば飛行機の中でもそうだった。ダーリンが隣にいるときは、小さな声で談笑したり眠ったりしながらも、いつも足を組みその上にブランケットをかけ、パンプスを履いていた。それが、今回は「冒険」と密かに名付けている、今回の旅においては、飛行機の中でブーティーのチャックをおろしスポンッと投げ捨て足を開き、その上にブランケットをかけて眠りこけていた。人っていうやつはそういうものなのだろう。
八日目にそのイド族が住む村に着いた。村の入口に屈強な男たちがさまざまな皮やビーズであしらわれた装飾品を身に着け立っている。ちょうど夕暮れの時で、今までキャンピングカーの中でのろのろと引きこもりのように過ごしていたわたしは、その低い山々が連なる、その地平に今まで長く生きてきたが、こんな夕日は見たことがないっていうような、それはそれはバカでかい夕日が沈んでいく最中で、その夕日のくせして妙に情熱的でギラギラしたような光を背後に受けたその男たちを神々しく見せた。
そのうちにおそらくそのイド族の「長」と思われる男性が現れ、私の車に近寄ったので、わたしは慌てて車から降り、どうしてかいいか分からなかったために、丸腰であることを動作で強調した後に、長に手を合わせてその直後に土下座した。それを見た長は余裕のある笑い方で笑顔を見せ、わたしの手を取って立ち上がらせ、握手を求めもちろんわたしもそれに応じた。けれど長がどんなに友好的な態度をとろうとも、村人たち、イド族はわたしに心を開いていないようだった。それは彼ら彼女らの表情から察せられた。そこでわたしはキャンピングカーの中に戻り、解凍されてから三〇分ほど経ったマグロと、キャンピングカーの中に置いた「踊り炊き」の炊飯ジャーで炊いた、新潟魚沼産のコシヒカリを大きな盥で酢飯を作ったものを、実はおさおさ怠りなく用意していたので、早速寿司を握り始めた。
何故わたしが寿司を握れるのだろう、それはそうだ。実はこの旅に出発する一カ月前から、わたしは寿司の握り方の猛特訓をシャブ中でジャンキーなバブル景気時代に寿司職人をやっていた、YOUという男から受けていたのだ。シャブ中でジャンキーだから、やはり目やにが止まらなかったり、鼻水を垂らしていたり、よだれが口角にたまっていたりすることはあったが、腕は確かだった。YOUはバブルの名残なのか、タクシーが死ぬほど好きでしょうがないといつもいつも言っていた。寿司を握っているときもそうつぶやいていた。わたしに会うと一言目は
「俺はタクシーがどうしようもなく好きなんです」
と言っていた。。免許は持っていない。けれどいつもいつもタクシーに乗ることを夢見ていた。わたしはそのYOUに、
「自分にとって自信がつくまでに納得できる腕が身に着いたら、シャブでキメているときにフェラチオをしてあげる」
という約束をして寿司を握る猛特訓を受けたのだ。そしてある日、妙に自信が湧いてくる寿司を握ることができ、そこでYOUを無理やりタクシーに押し込み、一万円をにぎらせ、その寿司をタッパーに入れてマンションへ持ち帰り、ダーリンに食べてもらうと、
「この寿司は、どうしたんだ? 随分おいしいな」
という感想をいただき、そこでそのYOUを着信拒否にし、ラインもブロックした。
わたしは村の入口に、簡易用の少し懐かしい花柄の折り畳み式のテーブルを4つ並べ、それらのテーブルいっぱいにマグロの寿司を並べていった。さび抜きだ。
初めにやはり、長が寿司を手に取り口にほおり込んだ。そして咀嚼し、ごっくんと飲み込み、笑顔を見せ、村の人々に、手ぶりも交え、なにやら言っている。すると遠巻きに寿司の並べられたテーブルを囲んでいたイド族の人々が、みな寿司に手を伸ばす。そして、長のように咀嚼しごっくんと飲み込む。そして子供もおばあちゃんも皆が、寿司を飲み込むと笑顔になるのだ。ああ、わたしが、それはジャンキーに教わったおすしだけれどもさ、そのお寿司をね、食べてくれた人が、笑顔に変わるってさ、なんかさ、いいよね。なんかいいよね。わたしがもし芋虫のままここにいたら、こんな笑顔、多分見れなかった、などと思うのだった。暗くはなってきたが、山の稜線から差し込む、まだまだだぞといった夕日の力の限りの光線が目に直接差し込み、痛さに思わず涙が出た。そして大きなくしゃみを二回した。
長は村の男に何かを言って、それは何かを命令したようにも見えたのだが、その男はわたしが長に宛てて出した手紙をもってやってきて、長はそれを手に取った。そしてわたしを一回抱きしめると、グーとばかりに親指を突き出して、手紙をひらひらさせた。
どうやらイド族は寿司の余韻にわたしの依頼を飲むつもりらしいということはなんとなくわかった。わたしは村の中へと案内された。まるで皇太子が手芸工場を視察でもするかのように、わたしはドリームキャッチャーの製作所を案内され、視察した。そしてまた長は、グーとばかりに親指を突き出した。わたしは少し戸惑いと照れがあったが、わたしも同じく、グーとばかりに親指を突き出し、長に向かって笑ってみせた。
ドリームキャッチャーの制作は、それぞれの過程に置いて、別々のテントの中で行われていた。初めは製作所、つまり制作されているテントが小さすぎるような気がしたが、どうやら一般家庭はもっとこじんまりとしているらしい。長とその周辺の屈強なコックが大きそうな男性とわたしでテントの外で交渉が始まった。
長は両手を使って丸めてみせる。多分ドリームキャッチャーの大きさっていう意味だとわたしは理解した。いいや、まったくもってそんなに小さなものじゃない。それをもっと大きくという意味を伝えようとして、わたしは
「モア―」
と言った後、顔が真っ赤になった。今のはどうやっても「モア―」という発音に誰にも聞こえたに違いないけれど、わたしはそうじゃなくって「モア」と言いたかったのだ。長が今度はもうちょっと両腕を広げ、「これくらいでどうだ?」とばかりにわたしの顔を見る。
「モア―」
わたしは小学校卒業時の出来事を思い出していた。卒業式の練習だ。校長先生が、一人一人の名を呼んでいく。それにたいして「はいっ」と答えて一回立ち上がる。それだけの練習だったのに、毎回わたしの番でその練習は滞ってしまうのだ。わたしは「はい」とも「はいっ」とも言えず、毎回「はーい」と返事をしてしまうのだ。校長先生がもう一回と優しく言って、わたしの名を呼ぶが、またわたしは「はーい」と言ってしまう。どうしてわたしってのはこうなのだろう。今はとても大切で丁寧にふるまわないといけない局面だっていうことは卒業式だろうとドリームキャッチャーのイド族への依頼だろうと、理解しすぎりほど理解している。それなのに「モア―」だ。卒業式本番を迎え、それまで「はーい」としか言えなかった私が、奇跡的に本番では「はい」と答え姿勢のいいバレリーナの優雅さをともないながら立ち上がり、芸子のようなしとやかさでまた椅子にすわるという先生方の心配をふっとばす出来を見せた。それは何故なのかわたしにもわからないし、わたしはバレエも芸子の修行もやっていなかった。
長は手ぶりで示す。
(これくらいか?)
「モア―」
(これくらいか?)
「モア―」
(これくらいか?)
「モア―」
(これくらいか?)
「モア―」
(これくらいか?)
「モア―」
長は男を一人呼び、二人分の腕で円を描く。
(これくらいか?)
「モア―」
(これくらいか?)
「モア―」
「モア―」
(じゃあ、これでは?)
「OK」
わたしはモアとかオーケーと言う言葉が世界共通語であるのか寡聞にして知らない。よってオーケーと言いつつ先の長に倣い、グーとばかりに親指を突き出した。そして「OK」という言葉が世界共通語であるのかないのか、わたしは今だに知りえていないけれど、そのグーとばかりに親指を突き出したことが功を奏したのか、それもわからないけど、なにかその長と男、わたしの間に「相互理解」といったような伝統的な親和感が生まれ、その日は長の大きなテントの中で、蚊に刺されつつも朝方まで酒を飲んだ。その部屋にいる女性の数からして、長は性欲が強い方らしかった。
それからは言葉が通じないゆえもあり、わたしがキャンピングカーでゴロゴロしていれば、ドリームキャッチャー制作終了の知らせを勝手に知らせてくれるだろうとタカを踏んで、キャンピングカーに引きこもった。ソーセージと玉ねぎとピーマン、ポテトチップスのノリ塩とバウムクーヘンならまだたっぷり残っている。わたしは着替えに持ってきていたパジャマのウエストがきついということにある夜気が付いた。太ったらしいのだ。わたしは大量の着替え用のズボンを持ってきてはいたが、それらのサイズはすべてXSだった。お裁縫をやったことがないわたしでも大きいものを縮める方が、小さいものをひろげることよりはるかに簡単そうに思えたし、それは実現可能のような気もしたが、今回はその小さいものを広げるという難易度の高いお裁縫になるだろうということは予測できる。
どうせ暇なのだ。わたしはキャンピングカーの中でウエストをひねってみたり、軽い腹筋をやってみたり、逆立ちをしてみたりして、ショーツにブラトップという部屋着で過ごした。
けれどそれはいけないなにかの予兆となってしまった。イド族のあのコックのでかそうな男がふいにキャンピングカーを訪れたのだ。どうしていいかわからなかったわたしはバウムクーヘンでも出してもてなそうと、彼をキャンピングカーのリビングに招いた。
「君は美しい」
「とても魅力的だ」
彼はそう言ったと多分に思えてならなかったわたしは、不穏な空気を感じ取り、バウムクーヘンの白い薄紙を急いでびりびりと破き、バウムクーヘンを千切って彼の口に押し込んでみた。彼はわたしの美しさや魅力的だという事実をバウムクーヘンのおいしさが凌駕したと感じたのだろう。バウムクーヘン一本を夢中で食べ、去っていった。
ダーリンが懐かしかった。
「部屋着」で外に出てブルーシートを敷き、満天の星空を眺める。ダーリンに会いたい。けれど今わたしがやっていることはダーリンとこれからもむつまじく暮らしていくための方便への道程だ。わたしは間違ったことをしているわけでもないし、大きなコックも簡単に受け入れるような私ではない。最近は夜は少し肌寒い。わたしは少しは痩せたのかな?別にXSじゃなくってもかまわないけれど、旅先で着るズボンがないっていうのは大いに困るということを知った。XSでなくてもいいし、Sでなくてもいい。MでもよければLでもXLでもXXLでも構わない。すべてが欲しいと思ったことがあるような気がする。今は何もいらないと思う。もしかしたらドリームキャッチャーさえいらないのかもしれない。わたしがXSからXXLにジャンプアップしても特に何かが変化するわけでもないような気もする
そんなことを考えていたら、背骨が溶けるようにだるくなっていく。このままブルーシートごと地中に、地球の芯までもとろけるように落ちていくような気がした。、
エコーに火をつける。すると今度は身体全体が軽くなっていって、宙に浮かんでいるような気持ちになる。そこかしこに懐かしい犬や猫、小鳥がいる。とても元気そうだ。そして虫歯など一回も持ったことがないように、痛みを知らない。そんな風にとても楽しそうだ。わたしは子供のころから動物が好きで、親にねだっては様々なインコや柴犬やとらネコを飼った。ありがちな、「世話は結局お母さんに」っていう顛末にはならず、わたしはきちんと世話をした。そしてそれらのペット達が死ぬときもそばにいて、きちんと生きている状態から死んでいる状態、または生きている状態から、死んでいく過程にある状態、完全に死んで灰になった状態をきちんと見届けた。
成長してみたら案外わたしはさみしかった。特に芋虫であったころはことさらにさみしさっていうことを考えさせられた。
選んできた気もする。けれどただ単に選ばれてきただけのような気もする。いろんなものを捨ててきたような気がする。けれどそれは見た目だけで、いつもそれらは心の奥深くに沈殿していたような気もする。必死に流れに逆らった。けれどそれらは今思うと、大きな流れの中に埋没して、結局は流されていただけだったことに気が付いたこともあったような気がする。
切ったスイカの断面、黒い一輪挿しにさされた赤紫の牡丹一輪の美しさ、ラムネを飲み終わったそのガラス製の容器。深夜に雪が積もり、朝起きてそれを窓から見たときのまぶしい雪の発光、すべてすべて美しい。今はそれを所有したいなどとわがままを言う気にはならないけれど、いつかすべてを所有したいと願う時がくるのかもしれない。わたしにはそれすら予言する能力がない。そして別にわたしがこの世にいなくとも、それはどうでもいいことなのだろう。もしかしたら、わたしがこの世にいなくなることによって、罪がいくつか減るのかもしれない。身に覚えのない罪を着せられたら、それに対して堂々と抗弁し、罪びとの焼き印を拒めばいいのだし、罪を犯したことを理解すれば罪びとの焼き印を躊躇なく受け入れなければならない。それは他の誰にしてもだ。ただ死は結構意外に大きな波紋を描く。死も生も池にぽちゃんと投げ込まれる。投げ込まれた生は再び浮かんでくるが、死は波紋を大きく描いた後、静寂を呼ぶ。何も変わらない。池の藻もそう長くは揺れていないし、立っている葦もそのままだ。生と死はそういうものだ。ただ、その生と死の間に、恋愛とか失恋、受験の成功、就職、結婚、マイホーム購入という小さな波紋を挟む。
ほら、懐かしいペット達も嬉しそうに宇宙遊泳を楽しんでいる。
こんなところに蛍がいるのだ。わたしのブルーシートの上で蛍はしばらくお尻を光らせ、わたしが目を離せずにいたら、ふっと消えた。幻だったのかもしれない。
ある晩、子供たちの嬌声や、女たちの笑い声が村から聞こえてくる。わたしはなんだろうと、部屋着の上にリラックマの、これは気球にリラックマとコリラックマと黄色いトリが揺られている柄が、パジャマいちめんに描かれているという、わたしの最も気に入っているパジャマであるのだが、それを着こんだ。村に行くためには美しく魅力的であるらしいわたしが「部屋着」というアンダーヘアものぞく格好で訪れてしまったら、青少年はもちろんオトナの男たちのコックを微細に動かしてしまうかもしれないという配慮からだった。そうして村の入口へ行ってみた。
するとイド族の村の、ちょうど真ん中らへんにある、少し大きな広場に中心に火がたかれ、豚が串刺しになって火にあぶられている。ブタからは次々と油が垂れ、そのたびに燃え盛る火がじゅっという音をたてながら大きな炎が上がる。女たちは何かの動物の皮をよったものにビーズや毛を通し飾られた装飾品を身体中に飾り、腰を使って踊りを踊っている。子供たちもメノウのピアスをつけ、女の子は唇とほほに赤い化粧をし、大人の真似をして腰を振ったり、女の子が男の子を笑って付きとばしたりしている。
そして男たちは八人で一組になり、神輿を担いで火の回りを回っている。そういった神輿は全部で三つだ。神輿を担ぐ男たちは「ウンショイ」と掛け声を上げる。まるでこの村全体が「ウンショイ」と言っているみたいに聞こえる。
「ウンショイ」。わたしは心が震えた。日本では神輿を担ぐとき、「ワッショイ」と言うではないか。「ウンショイ」と「ワッショイ」。似ている。確かに似ているじゃないか。わたしはこれは大きな発見であると思った。イド族の話す言語は、日本語と兄弟であるとか、いとこであるとか、はとこであるとか、もしくはなまりであるとか、そう言う関係性が見られるのではなかろうか? わたしは武者震いのような震えを身体に感じるとともに、この発見をダーリンの知人に、もし言語学者がいるとするなら伝えようと、両のこぶしをしっかりと握ってそう誓った。しびれるようにそう思ったのだ。わたしはなぜかトイレに行きたいな、と思った。尿意であった。
その光景を見ながら、そして少しの尿意に耐えながら、その光景をぼんやりと眺めていると、村の長のテントのある、奥の方からどんどこどんどこという太鼓の音に歩みを合わせ、一団の男たちがひと固まりになりやってくる。そしてその中の先頭に立つ長はわたしの目の前でぴたりと止まって笑顔を見せる。どんどこどんどこと言う太鼓の音がぴたりと止まる。炎に照らされたわたしと長の顔は、赤黒く光っている。わたしはどうしていいか分からなかったが、そこはわたしの資質の核をなす、迎合性と饗応性を発揮してみせて、満面の笑顔を見せながら、グーとばかりに親指を突き出した。すると長もグーとばかりに親指を突き出した。正直このグーには飽きていたし、最初の面白さももうすり切れていた。ゆえにわたしのグーも億劫だったし、また長にグーされても特段喜びは薄かった。
しかしそれは序章だっのだ。わたしはグーをめんどくさいと心の内で密かに思ったことを長に対する侮蔑であった、軽視であったと大いに反省し、この先長く多分生きていくのだろうが、このこと、胸に刻む。と固く思った。つまり長の後ろにはわたしのために作られた大きなドリームキャッチャーを担いだ男たちがいたのである。それは円周がブルーの皮ひもでコーティングされていて、その縁の中はクモの巣のように白い糸が貼り廻らされ、何本もの皮ひもが同じブルーで垂れ下がっており、わたしには何の石かわからないが、様々な色の大きな石が皮ひもに通され、その先端には様々な動物の毛がつながっている。毛と一口に言っても、それは獣らしきもののグレーの毛であったり、鳥のようなものの鮮やかな羽であったりした。微笑む長にわたしは今度こそはと、心のうちで「おい、覇気を出せ、本気を出せ」と大いにカツを入れ、ここぞとばかりに本気のグーを見せた。そしてもしかして本当にわたしの読み通りならば………と思うのだ。日本語とイド族の言葉が兄弟であったり、いとこであったり、はとこであったり、なまりであったりするのならば、日本語で「ありがとう」と言ってもかまわないのではないか? と思えたのだ。わたしは「ありがとうございました」と言ってみたが、特に反応はなかった。そしても一回「ありがとう」と言いなおしてみたが、特に反応はない。それでもわたしの仮説には揺るぎがないのだが、多少がっかりした。そしてその晩の宴を楽しみ、少し酔ってなんだかわからないが、やけににやにやして長にスキンシップばかりをしていたリラックマのパジャマを着たわたしは妻たちの危機感を煽いだのか、わたしは長の妻たちに運ばれ、キャンピングカーに戻った。
わたしは今宵の、日本語とイド族が使う言葉の関連性という仮説から来たのでもないだろうが、日本を離れて今やっと日本語でコミュニケーションをとりたいと突然の腹痛のように思った。いろいろ考えてみた。様々な人のいろんな顔が浮かんでは消える。本当にさみしいっていうわけでもないだろう。蛍の幻。そんな光が淡く見える。わたしはつまらない「彼氏ができたらもちろんあなたに一番最初に知らせるわ」という修辞的な会話などしたくなかった。そして十分に充電されたスマホをタップし、クロネコヤマトを呼び出した。
「いつもありがとうございます。クロネコヤマトです」
「荷物の依頼をしたいのだけど」
「はい。かしこまりました。持ちこんでいただければお安くなります」
「ううん。いつもはあなた方のサービスを利用しているの。つまり持ち込んで料金を割引していただくっていうサービスをね。でも今回は集荷していただきたいの」
「かしこまりました。ではお名前と電話番号、ご住所をお願いいたします」
わたしはよどみなく伝え、村の入口で待っているとこれもよどみなく伝えた。
「では大きさと、お荷物の重量をうかがってもよろしいですか?」
「ザクッと答えてもいいのなら答えたいって思うのだけど、それすらできないの。なんていうのかな、比較できるものも手元にはないの。そういうことって、前もって想像し、準備する事柄だったってことに、うっかりしていたわたしを許してね。本当にごめんなさい。比較するといっても、そうね、箱に入ったバウムクーヘンくらいだし。つまり、計量するものが手元にないのよ」
「はい。了解いたしました。では料金の確定は集荷する際にということにさせていただきます。では確かに。明日伺いますが、お時間の指定は?」
「午後一四時から一六時の間でいいかしら?」
「はい、かしこまりました。午後一四時から一六時の間に。では明日伺います。ありやとうござーす」
翌日の一五時、クロネコヤマトはやってきて、大きなドリームキャッチャーを見ても、特段驚きも興味もみせず、測定し重さを測り、さっさと梱包したかと思うと煙のように去っていった。わたしは本音を言うと、「おお、この大きなドリームキャッチャーよ!」であるとか、「おお、この美しいドリームキャッチャーよ!」とでもいったような契丹の驚きを込めた言葉がクロネコヤマトたちから発せられるのを期待していたのだが、わたしが出したポテトチップスのノリ塩に手も付けることなく「ドライに」去っていった。しょうがない。これも。これは彼らの職業であり、彼女を助手席に乗せる車を買ったり、乳飲み子に乳をやったりしているのだから、と諦念した。
さよならだけが人生だ、という言葉がある。今わたしもそう感じる。イド族は村の入口に全員と言っていいほど集まっていて、わたしとの別れを諦めきれずにいる。それはわたしにとってだってそうだ。
わたしは長にたいして本気のグーをして、長も座った目をして本気のグーをやり返す。その時、長だけではない。イド族の人々皆と、やっとつながった、そんな気持ちになった。さよならだってそう悪いわけじゃない。長とわたしのグーには涙目と少しの鼻水が混じっていたのだ。そう、さよならを言う今、イド族とわたしはつながっている。長の厳しい眉間に縦皺を寄せた目を見つめ返し、そしてイド族の皆をぐるりと見渡し、わたしはキャンピングカーに乗り込んだ。わたしは運転席の窓を開け、思わず「さようなら」と振り向いて大きな声で言った。するとイド族の人々は
「ばいばーい」
と叫びながら手を振るのであった。この世はまだまだ広い。まだ解けずにいる謎なんていくらでもあるのだ。
空港へ向かう。多分行きと同じスピードならば、八日間で空港まで着くはずだ。今回の旅ではポテトチップスのノリ塩を案外消費しなかったなと思う。そしてそうだな、随分バウムクーヘンを食べた、そう思う。わたしはバウムクーヘンをまた取り出し、助手席に置いて、片手でちぎって口に放り込んだ。ん?と思う。いつものバウムクーヘンと少し味が違うように感じたのだ。わたしは車をとめ、キャンピングカーの後部に回り、バウムクーヘンが大変大量に入っている洗濯籠、これは百均で買ったものだが、その中をくまなく調べた。そこにあるバウムクーヘンはすべてノーマルなものだった。今食べたバウムクーヘンを子細に調べると、適当に破いた白い薄紙に「バナナ味」と書かれている。
「ラッキー!」
わたしは快哉を思わず声に出してしまった。聞いている人などもちろん誰もいない。あまたのバウムクーヘンの中に一つだけ紛れ込んでいたバナナ味のバウムクーヘン。しかもそれはノーマルなものよりおいしく感じられたのだ。わたしは今ついている。
旅の帰りには必ずセンチメンタルが付きまとう。幼い頃の家族旅行の際の帰り道。道は暗く、山々はもう見えず、国道には等間隔の電燈とガソリンスタンドやファミリーレストラン、コンビニやパチンコ屋が連なる。それを見ていると泣きたくなる。幼い私は旅の帰りのセンチメンタルに弱かった。それは多分幼さからだけではないと今も思う。それはわたしの生に根ざした何かのような気がする。それでいてとても一般的な感情のような気もする。今度図書館で調べようと思う。今のわたしにもそれが訪れていた。イド族の人々との別れ。いつまた見るかわからない情熱的な夕日。見事な曲線を描く山々の稜線。再会はいつになるのか未定だし、再会が叶わないかもしれないそんな人や物や景色や事々。けれどわたしは今思う。
「ラッキー!」
帰り道の一日目、わたしはバナナ味のバウムクーヘンを恐ろしい引きの力をみせて、それを引いた。これがラッキーといわずに何をもってラッキーだというのだろう。そうも思った。これは幸先がいい。ドリームキャッチャー。わたしが欲しいすべてのもの。ワンピースを焼かれてもそれほど怒らないかもしれないが、ドリームキャッチャーを焼かれたら大いにぶんなぐるだろうという予想はつく。
旅は愉快にとまでは行かないが、順調に進む。小さなころ、ドリトル先生を夢中で読んだ。わたしにも旅の道連れに、動物の仲間がこのキャンピングカーの中にいればいいのに、と思う。例えば犬であるとかキジであるとか猿であるとか。そう、想像とは無限ではないことくらい私だって知っている。
八日間のキャンピングカーの旅は終わった。トヨタレンタカーに着いたのはもう夜で、飛行機は明日にしなければならず、わたしは空港近くのホテルをとった。八日間車を運転してきた。当然疲れている。首や肩、腰が凝っているような気がする。部屋に入るとすぐにベッドにうつぶせで倒れるように横になり、履いていたナインのビーサンを左右の足をぶんとばかりに振って脱ぎ捨て目を閉じた。
わたしは来月で四十歳になる。四十歳。なにかいいことがありそうだ。わたしは過去もそう思ってきた。十代の頃は二十歳になれば楽になれる、二十代になれば三十歳になれば楽になれる、そう思ってきた。そして今は四十歳になれば解放される、そう思っている。
お風呂に入ろう、そう思って、服を脱ぐ。バスタブに四十度のお湯をためる。バスタブからあふれ出るお湯を、わたしは裸でしゃがみ、ただぼんやりと見ている。そしてやっとバスタブにつかると、勢いよく滝のようにバスタブの外側のふちをお湯が流れていく。一気には排水溝に入っていけないお湯たちが洗面器を浮かべてみせる。またそれも一興。そんなことは今思わなかった。
入ってみるものの、なにかがわたしを焦らせる。さて、と口に出してみる。何も起こらないし少し水中で動かした両足にお湯が揺れるのみだ。わたしはもう一回「次いこ次」と言ってみる。そしてシャワーの栓をひねった。
水圧が心地いい。やっぱりキャンピングカーのシャワーはどうしても水圧が弱くって、頼りない気持ちになった。重い布団をしまってタオルケットにチェンジする時に感じるもののような気持ちなのかなとも思ったが、やっぱり最後まで多少のストレスは感じていた。ホテルのシャワーの水圧はとても強く、わたしはシャワーを出しっぱなしにしてシャンプーし、身体を洗い、顔を洗おうとHABAで買った泡立てネットにパーフェクトホイップを山ほど注入して泡立て、バレーボールほどの泡を作った。それを目を閉じ顔に乗せる。
背中に強い水圧の、シャワーを感じながら、顔に泡をのせたまま、目を閉じたままていた。もう目を開けたくないな、そう思う。なぜだろう。もう目を開けたくないな。このままでいい。この温度でいい。なぜって、目を開けるのがもうめんどくさいからだ。見るのってもうやだな。もうめんどくさいな。このままでいたいな。けれど目が見えない状態で生きていこうっていうわけでもなさそうだ。もしかしたら死にたいらしい。その死にたいという気持ち。わたしのルーティンのどこかにいつも隠れていて、時に顔を出す、そんなことはとうに知っている。
少し後に気が付いた。ほとばしるシャワーが床のタイルにあたる音だ。それはなぜか切羽詰まって聞える。ああ、そういうのも勘弁だな。今死の近くにいる。
四十才。解放されるって思っていたけど、もしかしたら何も変わらないのかもしれないな。だって二十代になっても、三十代にやっとなれても、思い返してみるとそう何も軽くはならなかったって気がする。別に重くなったとも感じなかったけれど、期待したように軽くもならなかったっていう気がする。
風呂から出ると、少し驚いた。予定ではもう眠ろうと思っていた十時をはるかに過ぎていたのだ。わたしはバスルームで何をしていたのだろう。何もしなかった。シャンプーし身体を洗い、顔を洗った。バスタブに少しだけ浸かった。ただそれだけだ。わたしはどうやら二時間をバスルームで過ごしていたらしい。
そして理解はしている。今死を身近に感じてしまうのは疲れと、言葉も通じない、よってコミュニケーションが難しい、そんな異国のホテルにいて、その部屋はとてもしけっていて、壁紙がすすけている。窓のそばには、スプリングが壊れた茶色い沈みすぎるソファがあって、その場所の照明が点滅を繰り返す。そうだ死にたくなるのなんて当たり前だし、自殺っていうのはそういった条件さえ整えられればいくらでも起きうることだ。そんなことは当たり前なのだ。心がささくれだつ。そういう条件だ。
わたしは湖でゆっくりと船ごと落ちていくように眠った。
翌日は晴天で飛行機の上から山にかかる薄い雲を眺めていたが、それにもすぐに飽きて、ホテルで朝、必死に探し出したナインのビーサンをまた脱ぎ散らかして、ワインを飲んで眠ってしまった。わたしは誰か他者に「よく寝るなあ」と評されても否定しがたいほど、ぐーぐー眠り、そのうちに日本についた。
その時に旅の帰りのセンチメンタルは忘れていて、突然ダーリンを思い出した。決して薄情ではないつもりだ。けれどダーリンの顔を見、抱き付いたりキスをしたりハグしあったりっていうことを想像したのは、成田からのタクシーの中だった。
タクシーから降り、荷物を引きずりながらマンションへ向かうと、登山で使うようなテントが、マンションのロビーの前にあって、訝し気にのぞいたわたしの顔をテントの透明なビニールの部分からのぞいていた男性が見ていて、直後その男性と目が合い、なにかその男性は見覚えがあるような気もし、なにやら稲妻でも落ちたかのように運命的に見つめあった。するとその男性がテントから這い出てきて、
「奥さん、お待ちしてました。クロネコヤマトです」
と言った。
「あら、随分待たせちゃったかしら?」
「いえ、俺たちも今来たばかりです」
と婚前のカップルがとうに先に喫茶店に着いているのに、「今来たばかり」と修辞的に言うがごとくの修辞的返事をクロネコヤマトはした。わたしは少しイラッとしたが、それも彼らの職業の一端なのだろう。そう彼女を助手席に乗せる車はどうしても必要だし、乳飲み子は乳を与えなければ死んでしまうのだ。わたしは気分を一新し、機嫌を損ねたことを反省して、こっちよ、とクロネコヤマトを先導してオートロックを開け、エレベーターに乗った。
今日は思えば日曜日だった。ダーリンは玄関でゴルフ道具の手入れをしていた。そしてわたしを見るなり
「ハニー! 戻ったんだね。君が戻ってくれてとっても嬉しいよ。この喜び、どうたとえたらいいか、僕にはわからない。以前文学少女だったっていう、君ならこの気持ちを何かにたとえられるのかな?」
と言った。
「わたしたちは運命的に出会って、運命に従ってこうして一緒にいる。それなのにしばらく顔を見れなかったからって、それって大したことじゃない。けどね、ダーリン、運命の間柄って、お互いを見れば、あっという間もなく強い吸引力で引き寄せられる、そういう存在ってことね」
そしてわたしの後から玄関を入ってくるクロネコヤマトの男性四人をぼんやりと口を開けたまま眺めながら、
「ハニー? 随分平べったくて、随分大きな洗濯機を買ったんだね。それっていうのは世界の中でもハイブリッドなのかい?」
わたしの心ははやっていた。ダーリンがドリームキャッチャーを洗濯機と間違えても、訂正するいとまがないくらいに心がはやり、脈拍も百十を超えていたのだ。わたしはクロネコヤマトの四人を寝室に先導した。
「うーん」
呼応するようにそこにいたすべての人間が同時に言った。もちろんわたしもだ。
「これは」
またまさに我々は同時に言った。イド族の村の中で見たドリームキャッチャーは寝室に持ってくると大きさを増した。けれどそれっていうのはありがちなことだ。店頭で見た冷蔵庫はキッチンで案外でかい。それを知っていたはずのわたしであったが、これは、とつぶやかざるを得なかった。
「僕に一計がありまして」
クロネコヤマトの一人が口を開いた。
「俺っていうのは死ぬほど釣りが好きでして。いつも作業着のズボンの左ポケットには釣り糸が入っていまして」
そして別のクロネコヤマトが口を重そうに開いた。
「実は俺っていうのは死ぬほどパチンコが好きでして。いつも作業着のズボンの左ポケットにはクギがはいっていまして」
寝室はその言葉の後に沈黙に包まれた。あとの二人もなにか言うのかとわたしは待っているつもりもあったのだが、その二人はぼんやりしているのみだった。
そののち作戦会議が開かれた。釣り糸で同じ長さのわっかを作り、クギを天井に刺し、ドリームキャッチャーを固定するっていうことが、彼らの一計であった。ドリームキャッチャーとはそんな風な使い方をするものではない。けれど今、ベッドの枕もとの壁一面をフルに使ってもそのドリームキャッチャーを設置できないという現実は、悲しいけれどわたしのミスであると認めなければならないとも思ったし、それでは、と
「みなさんのアイディア、とても優れているわ。その通りにお願いするわ」
と言うしかなかった。わたしにもほかのアイディアなど浮かばない。
一人のクロネコヤマトは天井にクギを打ち、一人のクロネコヤマトはそのクギに同じ長さの釣り糸を打ち付けられたクギから垂らし、ドリームキャッチャーはかなり下の方で固定され、ぶらりと宙に浮いた。
「本当にありがとう。やっぱりあなたたちってプロフェッショナルね。どんな状況、どんな困難があろうとも切り抜けることができるんだわ。わたしにはきっとできないことよ。本当にありがとう」
けれど釣り人とパチンカーは大活躍を見せたのは認めるが、残りの二人のクロネコヤマトはぼんやりとしているだけだったのだ。この二人には何の役割があるのだろう。またはあったのだろう? わたしは訝しく思った。けれどわたしは四人に等分のチップを渡し、クロネコヤマトを玄関まで見送り、その後ろ姿にクロネコヤマトの先進性とその左傾ぶりに感心したのち、ダーリンとリビングでくつろいだ。話したいことはたくさんあったが、わたしはほとんどすべての出来事を順番にゆっくりと丁寧に話したかった。わたしはソファの前に置かれたオットマンに足を乗せ、
「わたし、飛行機の中で履いていたブーティーのチャックを下げるなり、スポンッスポンッと投げ捨てて足を開いて、その上にブランケットをかけて眠ったの」
とまでしか話せなかった。それは鎮静効果があるっていうハーブティーを、ダーリンが入れてくれたせいかもしれなかった。ハーブティーっていうのは多弁とまっすぐに反対の心理を導くものなのかもしれない。そしてまたそのハーブティーのせいなのかはわからないけれど、ホテルで感じたような妙な焦燥感は消えていた。
夜眠るとき、ダーリンはぶらぶらとぶら下がったでっかいドリームキャッチャーを眺めながら
「最先端のハイブリット洗濯機ではなかったわけだ」
と言った。そして続けて
「旅の中で、よく眠れたかい?」
と聞くので
「寝すぎるほど眠ったの」
と答えた。
「旅の中で、よく食べれたかい?」
「食べすぎちゃって太ったの」
「そうか、それはよかった。俺のカウンセリングにはたくさんの眠れなくて食べることが億劫な人が相談に訪れるんだ」
「そんな相談に、ダーリンはなんて答えるの?」
「それはつらいだろうね。お察しするよ。僕にできることがあれば何でも言ってほしいし、君がなにか話したいことがあれば、存分に僕に話してくれないかって、答えるのさ」
「それで相談者は話し出すものなの?」
「それはね、たいていが大いに話すんだ。そのすべてに僕は同意して最後に付け加える。『君、僕を君の友達、あるいは親友だと思ってほしい。いつでも来てほしい』ってね。とても儲かってる」
「そう」
「そう」と言うのが精いっぱいで私は眠ってしまった。いつもわたしが先に寝てダーリンの方が先に起きているなって少し考えてみたけれど、引きずり込まれる様な睡魔には勝てず、眠ってしまった。
翌朝起きてすぐ隣に横になって眼鏡をかけているダーリンに向かってわたしは大一声、
「怖い夢を見たわ」
と言った。するとダーリンも
「僕もなんだ」
と言う。
「わたしが見た夢っていうのはタイで大きな象に踏まれてぺちゃんこに圧死するっていう夢なの」
「どうしたことだろう、ハニー、ああ、グッドモーニングの挨拶を忘れていたね、キスをさせてほしい」
そう言ってダーリンはわたしの頬にキスをして
「それが俺もなんだ。そう、タイだ。そこで俺も大きな象に踏まれてぺちゃんこに圧死してしまった」
不思議なことにわたしたちは同時に同じように笑い出してしまった。恐ろしい夢。それを二人で見た。そして今大笑いしている。一人よりもやっぱり結婚っていう、ある程度永遠を意識した習俗にのっとって二人でベッドで眠る、そういう人がいる方がなんぼか幸福なのかもしれない。来年はどこかへダーリンと蛍を見に行きたい。天井からぶら下がっているドリームキャッチャーはかすかに揺れていた。