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戦慄する宮廷魔導師長

 色々な魔法が出てきますが、俺様は、凄まじい種類の魔法が使えるんだぞ! と常に言い張りたい魔導師長が、わざと細かく区分しているため、本来はもっと大雑把な設定になっています。


 久しぶりに登場した側室の口調が変わってしまった……こちらの方がそれっぽい気がするので後日修正しておきます。


 7月11日 誤字修正 ご指摘ありがとうございます。また人名違いでした……。

 


 


 宮廷魔導師長ニコラウス・ボットの前で、最も優秀だと噂されていた魔導師育成学園特待生の一人が崩れ落ちる。

 魔法の使い方を上手く導けるようにと、設立された魔導師育成学園の歴史は古い。

 過去に英雄と呼ばれた魔導師の大半は、学園の出身だ。


「……またか」


 手を挙げれば周囲で控えていた教師が血相を変えて地に伏している特待生を抱えると、ニコラウスの視界から素早く消え失せた。


「どいつもこいつも使えない。この程度の扱きに耐え切れぬのであれば前線になど立てはせんというのに……」

 

 長く平穏が続いてはいるものの、ここ最近では北の大国ヴォルトゥニュ帝国が次の標的をミスイア皇国に定めたという噂が実しやかに囁かれている。

 まだ上層部内での噂に過ぎず公にはできないが、早急な準備が必要であろうと、ニコラウスの指導は苛烈を極めていた。


 何も知らぬ癖に! と怒りを堪え切れぬ溜息を吐く側で、伝令としては優秀な魔導師がニコラウスに耳打ちをする。


「本当か?」


「はっ!」


「ちっ。仕方ない。後は任せたぞ」


「ボット様のお心のままに」


 深々と腰を折る魔導師を視界の端にすら映さずに、学園の応接間へと足を速める。


「全く。転移魔法があれば苛つかずにすむものを……」


 奥歯をぎりぎりと噛み締めながら悪態をついた。



 ニコラウスの妻・ダニエラは優秀な転移魔法の使い手だった。

 転移魔法は希少魔法の一つで血縁による継承のみで得られ、修練だけでは取得不可能な魔法とされている。

 だから仕方なく美しくもないダニエラを妻に選んだ。

 跡継ぎには絶対転移魔法を継承させたかったから。

 それ以外に理由は何一つない。


 ところがダニエラは簡単に孕まず、ようやっと孕んだかと思ったら女児・ベッティーナ一人しか孕めずに石女となった。

 挙句、転移魔法が発動できなくなってしまったのだ。

 子に魔法が継承されると、母体はそのまま魔法使える場合と、発動できなくなる場合があった。

 確率はほぼ五分五分。


 だが、まぁそれを理由に離縁できるかと思えば、使えなくなっても良かった。

 子に魔法がきちんと継承されていたならば。


 しかし、生まれたベッティーナに転移魔法は継承されなかった。

 ニコラウスの鑑定魔法によれば、人並み程度の治癒魔法と人並み以下の神聖魔法、そして人並み以上の生活魔法しか使えなかったのだ。


 赤子の状態で三系統の魔法が使えるなんて、素晴らしい! と、周囲は沸いた。

 防御系に属する治癒魔法、混合系に属する神聖魔法、特殊系に属する生活魔法。

 後は攻撃系の魔法を持っていれば奇跡の四系統持ちと崇められただろう。


 生まれながらに三系統の魔法が使える人材は奇跡とまではいかずとも希少だった。

 才能ある者が修練を重ねても系統を増やすもは難しいとされている。

 三系統の内一つが攻撃系の魔法であれば、ニコラウスも多少はベッティーナに目をかけたかもしれない。

 だが、強いて使える攻撃魔法が人間相手では意味のない神聖魔法では話にならなかった。


「それでもまぁ、学園に入れさせるのは決定しているがな!」


 突き詰めた修練の果てに新しい系統を覚えた例も皆無ではないし、転移魔法の覚醒も有り得る。


 月の物が始まれば子を孕ませることもできるだろう。

 法律上禁止されているが抜け道はいくらでもあるのだ。

 そう考えれば、魔法継承できなかった男児よりは悪くない。


 今は使えなくなったダニエラと共に別宅へ押し込んでいるが、一人で身の回りの手配が出来るようになったらベッティーナだけを呼び戻して、ダニエラとは離縁するつもりでいる。



「お待たせいたしました」


 扉の前で声をかけて、応接間の扉を開く。


「っと!」


 物凄い勢いで抱きついてくる身体を抱き締める。

 扉を素早く閉めていなかったら、二人揃って廊下へ転げ出てしまっただろう。

 今度ばかりは溜息を押し殺して、初めて抱き締めた時は壊れるほどに華奢だった、今は随分とふくよかになっている皇帝のただ一人の側室カルラ・ツィーゲに、努めて穏やかな声をかけた。


「如何されましたか? カルラ様」


「私を助けるのじゃっ! 宰相は、大丈夫ですから安心してください。としか言わぬし、神殿長は、神罰が下されるまでお待ちください。としか言わぬっ! もう、おぬしだけが頼りなのじゃっ!」


「……麗しきカルラ様の御身に、どんな難事が起きたのでございましょう? どうか、ニコラウスめにお教えくださいませ」


 身体強化魔法を使って抱えたカルラをソファへ丁寧に座らせると、生活魔法で手早く準備を整えて紅茶を勧める。

 ごくごくごくと喉を鳴らして紅茶を飲み干す様子は下品極まりなく、それ以上に淫らだった。


「皇帝陛下にばれたのじゃ! や! 陛下は知っていたのじゃ!」


「何を、でございましょう」


「わらわの子が、全員陛下の種でないのをじゃ!」


 雷にでも打たれたかのように全身が硬直する。

 視界が一瞬闇色に染まった。



 皇帝とカルラの初夜。

 側室に上げる事が決定しても、カルラを拒絶し続けている状況を打破しようとニコラウスを呼び出したのは、宰相だった。

 幻影魔法でエレオノーラの幻を見せれば、間違いなくカルラを抱くだろうから、初夜に忍んでいて欲しいと言われたのだ。


 カルラからも宰相からも多額の報酬を出すと言いくるめられ、魔法を重要視しようとしない皇帝への反発心もありニコラウスは当日。

 皇帝へ欲情魔法の上に、幻影魔法を重ねた。


 その、結果。


 ニコラウスは、鬱陶しいほど赤い花を散らせた全裸のカルラの隣で、同じく全裸で存分に性交へ及んだ後のけだるさと何とも言えない爽快感を抱えて目を覚ましてしまったのだ。


 皇帝はボットの魔法からまんまと逃げ果せただけでなく、側室を犯すと言う不貞をニコラウスへ与えた。


 己のいた形跡は痕跡除去魔法で綺麗に消せたが、避妊魔法は弾かれた。

 弾かれるのも当然だ。

 その時、既にカルラは子を孕んでいたのだから。


 皇帝の子でないのは間違いなかったが、己の子ではないのにも間違いはなかったので、安堵した。

 安堵した、はずだった。


 生まれた子が男児で宰相の子だと教えられるまでは。


 皇帝の子でないのなら。

 宰相の子でいいのなら。

 自分の子でもあっていいだろうと、思ってしまった。


 皇帝にカルラを抱かせることに失敗したにも関わらず、ニコラウスはそれを報告せずにカルラと宰相から報酬を得た。


 だが、それでは絶対的に足りなかった。


 孕んでいるのを黙っていた宰相とカルラへの怒りは解消しきれず、わざわざ重ね掛けまでした魔法を全てニコラウスへ返して見せた皇帝には憎悪すら抱いたのだ。


 だから、カルラを自分の意思で抱いた。


 淫乱な性質のカルラは、忍んで拝見した初夜の美しさが忘れられず一度だけ! と必死の体を装って見せれば簡単に何度だって股を開いたし、宰相は誰の種であっても皇帝の子が増えるのは賛成で文句どころか共闘の姿勢を見せた。

 一番憎かった皇帝は表向き無関心を貫いていたが、内心では腸が煮えくり返るほどの怒りを抱えているだろうと思えば、溜飲も下がった。


 簡単にニコラウスの子を産んだカルラは、皇帝の種ではない子を孕み続けて今では五人の子持ちで、正妃ではないにも関わらず次期後継者の母として皇室での地位は盤石であると見なされている。

 このまま皇帝は宰相の子であると知りながらも長男を次期後継者として、正式に任命するだろうと、ニコラウスは信じて疑わなかった。

 相愛だったエレオノーラを失って自棄になっているから、後継者など誰がなろうと歯牙にもかけぬのだと。



 だからこそ、今。

 カルラの発言を聞いて驚きを隠せなかった。

 何の意図を持って、今更、カルラにその旨を告げたのかと。


「もしかして……アレクサンドラ様を後継者にするとおっしゃられたのですか?」


 皇帝の実子はアレクサンドラ唯一人。

 長く神殿へ押し込み冷遇していたが、先頃皇帝の命令でエレオノーラの居室へ身を移したと聞いている。

 また掌を返したように溺愛しているとも。


「そうではないっ! 後継者にするとは断言されておらぬ! ただ……第一王位継承権はアレクサンドラにあるとおっしゃったのじゃっ!」


「そうで、ございますか……」


 宰相の子は、優秀であったが浮名を流しすぎていて後継者の自覚が薄い。

 何故息子の放蕩を宰相が諌めないのかが不思議だ。


 それに引き替えアレクサンドラの評価は恐ろしく高い。

 皇帝の長い冷遇期間のせいで上層部からの評価は低いが、民からの評価が絶大だ。

 国の安定には巫女姫の祈りが不可欠だという、伝承が強く根付いているせいだろう。

 騎士団、魔導師達からの評判も良い部類に入る。

 治癒師として、巫女姫として、魔導師としてですら優秀なのだ。

 神の加護に妨害されてか一切の鑑定ができていないが、少なくとも並外れた治癒魔法と神聖魔法は持っているはず。


 どこまでが神の加護によるかはニコラウスには判別できない。

 神殿長曰く、あんな小娘に神のご加護があるはずもない。ただ王族継承の特殊魔法を無意識に使っているのだろうな! とのことだった。


 それならば検証せねばなるまいと、ニコラウスは色々と試してみた。

 今でも隙を見て試している。


 擦れ違いざまに致死毒魔法を使ったが、一晩伏せっただけだったので解毒魔法を。

 洗脳魔法で従わせた魔獣を嗾けたが、魔獣が毛一本すら残さずに霧散したので幻の存在消滅魔法を。

 自宅から呪殺魔法を放ったが、そのまま返されたので王族継承の呪返魔法を。


 一日中、一週間連続、規則性を出さず長期間に渡って。

 自ら、生徒達を使って、後ろ暗い組織に任せて。


 あらゆる魔法を仕掛けたが、アレクサンドラは国最高の魔導師であるはずのニコラウスが文献以外で見たことがない魔法を自在に使って、全て完璧ではないにせよ防ぎ切っていた。


 冷遇するくらいなら、学園に欲しかったと今でも思っているが、どうやらそれは永遠に叶わないようだ。


「……陛下の御心を伺ってまいります」


「! おお! さすはニコラウスじゃ! 早く、陛下の御心を聞いてたもっ!」


 上目遣いに輝く瞳で見詰められる。

 下半身は多少ざわつくが、そこに愛は一欠けらもない。

 それでも恭しく手の甲に額を押し付けて、颯爽と王宮へ向かった。



 常におられるはずの皇帝執務室へ向かうも姿がない。

 門番に尋ねれば、アレクサンドラと共に別の場所に居ると言う。

 だが、場所は教えて貰えない。


「急ぎの用があるのだっ!」


 声を荒げるも、門番は口を噤んでいる。

 ここは力押しが早いだろうと、洗脳の呪文を無詠唱で思い浮かべるが……弾かれた。


「恥知らずも大概にしてするがよいっ!」


「……アンネマリー、様」


 門番を庇うように立ちふさがったのは、皇帝と側室の長女とされている、その実はニコラウスとカルラの娘。


「こやつは私が連れて行こう。迷惑をかけたな」


「とんでもございません、アンネマリー様。恐れ入りますが、宜しくお願いいたします」


「うむ」


 皇女に相応しい堂々たる態度でニコラウスの襟首を掴んだアンネマリーは、首を垂れる一人一人に気軽に挨拶を返し、数え切れぬほどある部屋の一つの前に止まった。

 事前通達のなかった客を一時待たせておく部屋の内の一間を素早く開けたアンネマリーは、ニコラウスの背中を蹴り飛ばし、静かに背中越しに施錠をする。


「あんね、まりー、さま?」


「この外道がっ!」


「っ!」


 大音声魔法を使ったかのように、部屋中がびりびりと鳴るほどの怒りを極めた声音にニコラウスは頭を抱えて丸くなった。


「貴様のような、ゲスが、私の、父などとっ!」


「どなたに、聞かれたのですかっ!」


 秘密はどこから漏れるか解らない。

 知る人間は少なければ少ないほど良い。

 愚かにもエーデルトラウトに秘密をばらしてしまったカルラを上手く誘導して、それ以上の口は噤ませた。

 故に、アンネマリーはニコラウスが実父だと知らなかった、はずなのだ。


「……陛下の血を受け継いでいないのは、薄々勘付いていたが……よもや……貴様のような害悪の血を継いでいたなどとっ! あぁ……おぞましい……」


 ニコラウスの質問に答えずにアンネマリーはひたすら呪詛を吐き続ける。


「アレクサンドラ様を妬んで貶めようとするより、エーデルトラウト殿を疎んで辱めようとするよりっ! 貴様を憎んで消さねばならなかったというのにっ!」


 カルラの派手な美貌を受け継いだアンネマリーは、操る魔法もまた派手なものだった。

 国で唯一攻撃系最高峰の爆炎魔法を自在に操る。

 ニコラウスであっても防ぎ切ることは難しいだろう。

 敵に回すのは頂けない。


 だからこそ、自分の魔導師としての才能を色濃く受け継いでいるアンネマリーが誇らしくもあり、表向きは臣下の礼を取り続けたのだ。

 アレクサンドラのように完全に隔離されてしまった数少ない例外はさて置き、魔法の才に秀でた者は皇族たりといえども、一定期間学園に在籍しなければならない。

長い期間ではなかったが、いざと言う時自分の手駒にできるように、教え導いてきたつもりでもいた。


「……私がアレクサンドラ様にしてきた長年の不敬は許されるはずもない。忠誠を極めている父を持つエーデルトラウト殿と違い、私の父は、父親はっ!」


 ニコラウスを憎々しげに凝視する瞳は真紅。

 血の涙が滲んでおり、白目までが赤く染まっている。


「母親は誰一人陛下の子を産まなかった淫乱。父親は魔道の為ならどんな悪事にも手を染める外道。そのっ! 血を受け継ぐ私が……この先、すべき事は……この国と共に朽ち果てるのみ!」


「何をおっしゃっているのですかっ!」


「なぁ? 外道。貴様は愚かだから、教えてやろう。貴様がアレクサンドラ様に放った悪意は全て、神の加護によって軽減され、弾かれた」


「……はぁ?」


 ぞわりと爪先から頭の天辺までを冷たい何かが走り抜ける。


「神の加護による制裁は信心深ければ深い程に重い。死に至ることはないが、死の方が優しいと呼ばれるものまでもある。貴様が今までわかりやすい報いを受けなかったのは、妻と子が身代わりとして受けていたからだ」


 ダニエラは決して信心深い性質ではなかったが、それでもベッティーナに祝福を受けさせるべく決まった日時には必ず神殿を訪れていた。


 ダニエラが出産と同時に転移魔法が発動できなくなったのも、妙に病弱になったのも。

 ベッティーナに転移魔法が継承されなかったのも、無駄に育ちが悪いのも。

 ニコラウスの身代わりとして報いを受けていたのだとしたら、納得ができる。


「しかし、今。貴様は神の加護を理解した。実感もした。反動は、彼女達に押し付けられたものの比ではないぞ?」


「悪意なぞっ! 私はアレクサンドラ様に、悪意を向けた事なぞっ!」


「ならば、尚悪い。実験材料にアレクサンドラ様を使ったのだというのならば貴様もまた、何らかの実験材料として使われるであろうなぁ」


「そんな、馬鹿なっ!」


 魔法と加護を間違えるなど、本来なら有り得ない。

 あれは確かに魔法だった。

 それは間違えていない。

 だが、ニコラウスは加護の判別はできない。

 神殿長に言われるがままに信じていただけだ。


 もし、神殿長に嘘を吐かれていたのなら。

 魔法に限りなく近い、むしろそのものの加護が、存在するの、なら。

 今まで自分が、やって、きた、こと、は!


「ひぃいいいい!」


 全身から冷や汗が噴き出した。

 歯ががちがちとうるさく鳴っている。

 膝は今にも砕けんばかりに笑っているようだ。


「今更、どんな謝罪も、贖いも意味はないだろう。だがしかし! これ以上の不敬と無体は止めておいた方がいい。罪と罰が重くなるばかりだからな!」


「あん、っ! あんねまりーさまはっ!」


「私は、アレクサンドラ様がこの国から出て行かれるまで、その御身を陰から御守りし、出てゆかれて後は、国の亡びを見届けてから果てる」


 怒りは鳴りを潜めているが、背筋を凍らせるような覚悟が浮かんでいる。

 皇帝の血など一滴も引いていないにもかかわらず、有言実行な性質と絶対的な威圧感は皇帝に瓜二つだった。


「不敬を極めた裏切り者の顔なぞ陛下もアレクサンドラ様も見たくないだろう。即時消えよ!」


「で、ですがっ!」


「消えよっ!」


 どん! と太い火柱が燃え上がる。

 周囲を焼かないはずのこけおどしの炎は、ニコラウスの顔を焼いた。


「ひぎぃいいいっ!」


 痛みに絶叫を上げながら、アンネマリーに背を向ける。


「……魔導師育成学園長の地位は剥奪されている。以後、学園内に入ることは許されぬ。アレクサンドラ様が国を出られれば、今までの不敬に対する正式な沙汰が下されるであろう。それまでせいぜい、身辺を整理しておくのだな!」


 鎮静魔法で痛みを軽減させながら走り去るニコラウスに向けられた言葉は、絶望に足を踏み入れようとしていたニコラウスを、更なる深淵へと突き落とすものだった。



 何度治癒魔法をかけても火傷で引き攣れた肉の感触が消えず、苛々するニコラウスの前には閉ざされた学園の門がある。

 普段であったのならば、近付いただけで自動に開くはずの門は、一向に開く気配がない。


「私だっ! 帰ったぞ! 門を開けよ! ニコラウス・ボット宮廷魔導師師だぞっ! 学園長だぞっ!」


 大音声魔法までも使ったが、門は開かず、返事もない。


「急ぎの用だっ! 転移魔法保持者を一人寄越せっ!」


 門が開かずとも用が果たせればいい。

 苛つきながらも思い直し、仕方なしにニコラウスがそうと叫べば、そこがどんな場所であっても転移魔法保持者が瞬きする間で隣に侍ったのだが、どれほど待っても誰一人として現われはしなかった。


「くっそっ!」


 学園長の地位は完全に剥奪されたようだ。

 宮廷魔導師長の方が権限は上なのだが、出てこない所を考えればこちらも剥奪もしくは凍結された可能性が高い。

 このまま叫び続けると犯罪者として囚われる危険性すら出てきた。


「仕方、ないか」


 ローブの裏ポケットの中、幾つか忍ばせてあるうちの一つを取り出した。

 訪れた場所であれば一度だけ指定して瞬間移動できる転移石はとても高価だったが、この際背に腹は代えられない。

 最初にどこへ転移しようか迷い、ダニエラとベッティーナを住まわせている別荘への転移を決めた。



 不便極まりない場所にある別荘は、貴族から譲られたものだ。

 二人を隔離しておくのにはちょうど良いと思っていたが、転移魔法が使えないとなれば話は変わってくる。

 

「加護による報復が私宛に発動するなら、ダニエラ達に向けた報復は薄まっているはずだ」


 ベッティーナが覚醒している可能性もある。

 どこへ逃げるにしろ、転移魔法があれば格段に移動が楽になるのだ。

 発動の有無を確かめなければならない。


「ダニエラっ! 屋敷へ戻るんだ! 急ぎ準備をしろっ!」


 鍵を開けて叫びながら別荘の中へ足を踏み入れる。


「おいっ! どこに居るんだ、ダニエラっ! ベッティーナ! 伏せっているのかっ!」


 お待たせして申し訳ありません、旦那様、と。

 転移魔法が使えなくなったダニエラは、それでも素早くニコラウスの前にベッティーナと共に姿を現わして、頭を下げるのが常だったのだが返事すらない。


「ダニエラっ! ベッティーナっ!」


 体調が不良の時は、催眠魔法を使って深い眠りについている時もある。

 ニコラウスは二階の寝室へと足を運んだ。


「……ここにも、いない、だと?」


 しかし、開け放した寝室には寝た形跡のない綺麗にベッドメイクされた親子二人が揃って眠れる大きなベッドがあるだけだった。


 ひたひたと全身を侵食しつつある違和感を必死に打ち消しながら、部屋という部屋の扉を開けてゆく。

 二人が入れぬようにと念入りに施錠をしたはずのニコラウスの書斎に、それは置いてあった。


 小箱が一つ。

 中身は恐らく指輪だろう。

 古びた様子に見覚えがある。

 小箱の下には書類と封筒に入った手紙が二通。

 剥き出しの書類は離縁届。

 ダニエラとベッティーナのサインがあった。


「文字、何時の間に書けるようになったんだ?」


 たどたどしい筆致で、にこらうす・ぼっとさま、と書かれた手紙の封を切る。

 一枚の便箋には一言。


 さようなら。


「どこへ、行った? お前達に、ここ以外に行ける場所なぞ! 生きていける場所なぞ!」


 ある訳がないっ! と叫びながら、もう一通の手紙の封を切った。



 ニコラウス・ボット様


 この手紙をボット様が読まれる頃には、私達はミスイア皇国を出ていることでしょう。

 アンネマリー様がわざわざ僻地にまで赴いて下さり、ボット様の罪を全て教えて下さいました。

 このままでは連座になり、ベッティーナまでも罰せられる可能性が高いから逃げるようにとの仰せでした。

 逃げるための準備も全てして下さいました。

 何故ここまでして下さるのかと問うたら、ボット様の血を継ぐ子の中で、唯一人不憫に思うからだとおっしゃいました。

 私は存じませんでしたが、アンネマリー様以外にもまだ子がおられるのですね?


 ボット様は私に秘密を多くお持ちでした。

 あえて問わなかったのは、私にも秘密があったからです。

 

 私は石女ではありません。

 転移魔法の発動にも何ら問題はありません。

 ベッティーナも転移魔法を発動できます。

 

 ボット様は認めようとなさいませんでしたが、私とベッティーナの魔導師としての才、実力はボット様では遠く及ばぬほど、高いのです。

 故に鑑定結果は、私達に興味を持たぬよう偽装をしたのですよ。

 真実を教えなくて良かった。

 よもや貴方が、実娘を犯して孕ませようと考える鬼畜だったとは思いもしませんでしたので。


 二度とお会いする事はないでしょう。

 ボット様には、ベッティーナを与えて下さったことだけは感謝しております。


                                      ダニエラ



 優秀な子を残すことは才ある者の嗜みだ。

 皆やっている。

 望む者に種をくれてやって何が悪い。

 ニコラウスの種を望む者は多かった。

 子も少なくない。


 だが、ニコラウスが認めた子はベッティーナだけ。

 ニコラウスが満足できる才を継げた者は他に一人としていなかった。

 アンネマリーの力は誇らしいが、認められたくもないだろう。


「ベッティーナの才は、私ではなく、ダニエラの才を継いだものだったというのか? だとしたら、私は?」


 才無き者だったというのか。


「ない。それはない。アンネマリー様は私の力を継承したのだ。失ったとはいえ学園長や宮廷魔導師長まで上り詰めたのは、才無き者には不可能だぞ。そう。私は天才だ。まだ大丈夫だ。幾らでも手は打てる。この国で駄目ならダニエラ達のように他の国に行こう。まだ転移の石もある。そうだ! 魔導師を優遇する国は少なくない。知己だって多くいる。よし! 善は急げだ!」


 絶望を振り切るように大きく首を振ったニコラウスは拳を握り締めて屋敷へ転移すると、即座に逃げる準備を始めた。



 簡単に国を捨てる決意をしたニコラウスであったが、さして時間を置くことなく、逃亡先が一つ、また一つと封じられていくのを知る。

 神の加護による報復がゆっくり、ゆっくりと確実に増大していくのを止まらない戦慄と共に自覚せざる得なかった。



 逃亡先がさくさくと潰されていく様子も書くか迷ったのですが、時間的に難しかったので止めました。

 

 次回は宰相か側室の予定です。

 

 お読みいただきありがとうございました。

 次回も引き続きお楽しみいただけると嬉しいです。

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