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安堵する騎士総団長の妻

 皇国はドイツ人名を使っている流れで、お菓子もドイツ菓子にしてみました。

 美味しいですよね、ドイツ菓子。

 自分はケーゼクーヘン(ドイツチーズケーキ)が至高です。

 

 ハートモチーフという言葉を使いたかったのですが、ドイツ菓子と違って違和感を覚えたので、違う表現に変えました。

 上手く伝わっているでしょうか?


 この辺りの匙加減を毎回悩みます。

 些細な部分とは思うのですがね。




 治癒の能力に長けたエレオノーラには猛剣姫と呼ばれていた時分、とても世話になっていた。


 聡明な王にはしかし無駄な敵が多く、結婚しても寵愛深く可憐な巫女姫は暗殺対象としても、拉致の対象としても狙われていたのだ。

 王は夫……当時は婚約者だった……オイゲンのつがいであるブリュンヒルデの武勇と忠誠を信じ、エレオノーラの側に侍るただ一人の女性騎士として秘密裏に取り立てた。

 畏れ多い信頼に応えるべく王宮内での暗殺や拉致全てを退け切ったが、その都度酷い怪我をしてしまった。


 そんな時、何時だって半泣きのエレオノーラが丁寧に治癒してくれたものだ。


 元々の身分が高くなかったが王と婚姻を結ぶべく形だけの公爵家養女となったエレオノーラは、同じく辛うじて貴族と言える身分から女の身で武勲をあげて、極々限られた者しか知らぬとは言え王妃専属女性騎士の職にまで上り詰めたブリュンヒルデを、己の身を守る女騎士としてだけでなく、友人……親友のように扱ってくれた。


 外見同様に愛らしく、どこまでも優しい、得難い女性ひとだった。


 神に溺愛さえされていなければ、今も隣に侍れていたのではないか、そんな風に切なく思い出さずにはいられない。


 だから、正直。

 エレオノーラの忘れ形見である、アレクサンドラに対する扱いは腹に据えかねるものがあった。

 何度も直訴しようとしてできなかったのは、オイゲンが盲信と言っても大げさではない忠誠を王に誓っていたのと、エレオノーラが花綻ぶように笑いながら、幾度となく王への熱烈な愛を語っていたからだった。


 夫が信じ絶対の忠誠を誓う相手が。

 親友が愛し永遠を誓った相手が。

 己の愛娘でもあるアレクサンドラを、何の理由もなく酷い扱いのまま放置するはずがない、と思い直し。

 何らかの理由があるのではないかと、そんな風に考え始めたのだ。


 エレオノーラから神の溺愛が移った、エレオノーラの懇願で新たな加護が与えられた、などと噂が流れてきたのもある。


 実際、アレクサンドラは酷い状態にありながらも、決して殺されることがなかった。

 言葉で傷つけられることは多くあっても……それは幼い身にとても、とても辛かったと思うのだが……身体に傷をつけられはしなかったのだ。

 正確には傷つけようとした相手は、逆に傷を負った。

 二度と、傷つけようとは思わぬ悲惨さだったらしい。


 隠蔽体質の神殿の情報を得るのは難しかったが、少なくともアレクサンドラの心身はかろうじて損なわれていないという状況を見出すことはできた。


 アレクサンドラは確かに神の加護を受けているのだろう。

 だからこその冷遇だったのだ。


 アレクサンドラに関しても神の許しがなければ口の端にも登らせてはならない数多の約束事が多くあったのは、エレオノーラの側に居れば十分に推察できた。

 せざるを得なかった。

 何時だって歯切れ良く愛くるしい笑顔のエレオノーラが、切なそうな微笑を浮かべて言葉を曖昧にする時は、決まって神が絡んでいたようだ。 


 指摘もできなかった。

 確認もできなかった。

 恐らくそれすらも禁忌に触れるからだ。


 だからある朝。

 エレオノーラが忽然と姿を消し、王がエレオノーラは神に召されてしまったと、無表情のまま止まらない涙を流す姿を見た時も、何も問えずにただ。

 王の前で、王と同じく底の見えない深淵のような悔恨を胸に秘めて滂沱するしかできなかった。


 悲しみ過ぎて封印していたらしいエレオノーラに関する数多の記憶を思い出た時、ようやっと悟ったのだ。

 どんなにアレクサンドラを不憫に思っても、幼かったアレクサンドラの代わりに唯一事情を知る王が手を差し伸べるまでは、距離を保たねばならぬのだと。


「ふぅ……」


 好奇心溢れる数多の目線を纏った覇気だけで沈黙させて、エレオノーラの部屋の前に立つ。

 ノックをしようとすれば、かちゃりと施錠が解かれ扉が開いた。


「ようこそおいでくださいました、ブリュンヒルデ様」


 優美に腰を折り、エレオノーラが着ていたフリルとレースがふんだんに使われている可愛らしいデザインをした淡いピンク色のドレスを摘まんだアレクサンドラの姿を目にした瞬間、ブリュンヒルデは硬直した。


『いつもありがとう、ヒルデ!』


 エレオノーラが扉を開く時、決まって告げてくれた言葉の幻聴まで聞こえる。


「……ブリュンヒルデ様?」


「……! あ! 大変失礼いたしました。此度はお招きありがとうございました!」


 常に貴族夫人らしく控えていた声音を制御できずに、女性騎士としての挨拶をしてしまう。


「こちらこそ。お忙しい中にご足労頂きましてありがとうございます」


 開け放たれた扉の向こう。

 エレオノーラが居た頃とほとんど変わらない様子がブリュンヒルデの涙腺を潤ませる。


「どうぞ、お入りくださいませ」


 そっと手首を取られるので、そのまま足を踏み入れた。

 途端、涙が溢れ出てしまう。


「不敬をっ! 申し訳も、ございません!」


「……母上との想い出がお辛かったですか? 色々とお話を聞きたくて、こちらの部屋にとお呼びしたのですが……部屋を移りましょうか?」


「いいえ! 違うのです! エレオノーラが居た時と変わらないのがとても、嬉しくて。彼女がそこに居るようで……嬉しくて……思わず! 泣けて、しまいました」


 仄かに香る生花はエレオノーラが好んだ物が生けられている。

 それと一緒に恐らくは、アレクサンドラが好きな花も慎ましやかに添えられていた。


 まるで母子が仲睦まじく寄り添っているようにも見えたのだ。


「父上にも良く心配されます。もっと自分の好みに変えても構わぬのだぞ? とおっしゃっても下さるのですが……私と母上の好みは近しいようですね」


 手首を取ったままで、エレオノーラのふわっとした儚さとは違う、けれどもしなやかでブリュンヒルデにはとても優しく感じる所作でソファへ誘ったアレクサンドラは、やはりエレオノーラがしたように頓着なく手ずから茶の準備を整えてくれる。


 手伝わなくてはいけないと思いつつも、何もかもが胸に沁み入る懐かしさで見守ることしかできない。


「服も……愛らしい母上の好みでは、私には似合わないと解かっていてもつい、可愛らしくて着てしまうのです」


「……とても、とてもお似合いですわ。アレクサンドラ様は大人っぽくいらっしゃるから、そうしてエレオノーラの……エレオノーラ様の服を着ておられると、落ち着いた愛らしさが大変微笑ましく感じられます」


 はにかむアレクサンドラが愛らしく、言葉遣いを整える余裕が僅かに生まれる。


「どうぞ、ブリュンヒルデ様。母上の事は昔通りにお呼びくださいませ」


「……それでしたら、アレサンドラ様。私の事はヒルデとお呼び頂けないでしょうか?」


「母上がそうとお呼びでしたか?」


「ええ。尊い御身でしたのに、私のような者を親友として扱って下さいましたわ」


「それでは、お言葉に甘えてヒルデ様と……」


「ありがとう、ございます。大変……大変、嬉しゅうございます」


 滲む涙をハンカチーフで抑える。

 持ってきたハンカチーフはエレオノーラの手による刺繍が施された物だった。


「そういえば、アレクサンドラ様。こちらのハンカチーフをご覧になっていただけましょうか?」


「……繊細で温かみのある、素敵な刺繍がなされたハンカチーフですね」


 ブリュンヒルデはアレクサンドラの目の前で、小さな箱を開けて見せた。

 中には豪奢で繊細な薔薇のレースが周囲に取り付けられ、中央部分以外を緻密な薔薇の刺繍で丸く囲った純白のハンカチーフが収まっている。


「私には似合わぬと、ずっと保管して置いた物で恐縮なのですが、エレオノーラの手なので、アレクサンドラ様に受け取って頂ければと思いまして、お持ちいたしましたの」


 薔薇のサッシェと共に丁寧に保管しておいた物だ。

 不敬に当たるかとも思ったが、このまま死蔵しておくよりはアレクサンドラが使った方がエレオノーラも喜ぶのではないかと思ったのもあったが。

 母親の手製の持ち物を持って嫁ぐのが、この国では幸せの決まり事になっている。

 王がきちんと手配している可能性もあったが、ブリュンヒルデは母親の親友の立場として、自分以外に贈れる者がいない気もしたのだ。


 あの側室に、そんな真似ができるはずもなく。

 して欲しくもない。


「え? え? 宜しいのですか? これは、母上がブリュンヒルデ様へ贈った物ですのに……」


「今持っているハンカチーフもエレオノーラの手によりますわ。他にも彼女から貰った手作り物は幾つもありますの。このハンカチーフも……額装するよりは、娘である貴女様が使った方がエレオノーラも喜ぶと思われますわ」


「……お気遣いありがとうございます。かの国へ一緒に持って行きたいと思います」


「もしかして、王からも何か賜りましたの?」


「いいえ。父上は本当にこまやかな所まで気遣って下さったのですが、父上が母上から贈られた物は男性用の物でしたので……」


「ふふふ。頂いてもお困りになってしまいますわね」


「お気持ちは大変ありがたく頂きました」


 穏やかに微笑まれるアレクサンドラに、父親への憎悪は欠片も見いだせなかった。

 長く神殿へ隔離された恨みつらみはないのだろうか?

 少しは恨んだ方が、王の罪悪感がやわらぐ気もするのだが。


「どうぞ、ブリュンヒルデ様。菓子などを、召し上がって下さいませ」


 テーブルの上には銀製の三段ティーセット。

 それぞれの段には見めも愛らしく、美味しそうな菓子が綺麗に並んでいる。


「こちらも、アレクサンドラ様のお手製になりますの?」


「神殿に居た頃、料理は自由にさせて貰えました。なかなか、それらが私の口に入ることはありませんでしたけれど……」


 さらっと辛かっただろう過去を語るアレクサンドラの瞳に揺らぎはない。

 静かに凪いだ穏やかさが見られるだけだ。


「畏れ多くも母上の親友と呼んで頂いた身でありながら、長い間何一つ手助けできもせず、大変申し訳ありませんでした」


 謝罪は早い方が良い。

 しない方が良いとは、とても思えなかった。


 ソファから立ち上がり深く腰を折って首を下げる。


「謝罪は無用です。父上から事情を聞いております。ヒルデ様に害を及ばせたら私、母上に顔向けができませんでした。それにオイゲン殿には一貫して本当に良くして頂きましたし。あの方は真なる慈悲の心をお持ちですね」


「愚かな所も多くある夫ですが、忠誠だけは……誇れる夫と思っておりますわ」


「ふふふ。ご謙遜なさらないでください。父上は、バッヘル家の忠義を甚く褒めておられました」


「ありがたくも、光栄なお言葉。大変嬉しゅうございます」


 もう一度深く頭を下げて、アレクサンドラの目線に促されるままにソファに座り直し、ティーカップを手にする。


「……ヒルデ様……突然ではありますが、私。お願いがあるのですが、お聞き届け願いますでしょうか?」


「私に?」


 鼻から抜ける恐らくリラックス効果があるのだろう茶の香気を堪能しながら返事をする。


「ええ。神殿住まいが長く、人と接する機会を制限されておりましたから……王族としてのマナーが不安なのです。一番口調が気になります。どう話したら良いのか迷う場面が多くて……父上は、気にする必要はない。王族としてもマナーは十分だとおしゃってくださるのですが、どうにも、その……不安なのです」


 女性らしくない話し方ではあるので社交界では疎まれるが、アレクサンドラはヴォルトゥニュ帝国へ嫁ぐためこの国の社交界とは無縁になる。

 ヴォルトゥニュ帝国は貴族よりも軍人を重んじる国風だ。

 むしろ女性騎士に近い口調のアレクサンドラのままの方が良いのではないだろうか。

 常識を持っている人間ならば誰しも口調で侮りはせず、アレクサンドラが身に纏っている神気のような穢しがたい王族が纏う覇気の前に自然と首を垂れるだろう。


「私も女性騎士として過ごした時間が多くありました故、言葉遣いには自信がございませんの。それでも宜しければ喜んでご教授させて頂きますが、アレクサンドラ様。その必要はないやもしれまぬ」


「と、申しますと?」


「ええ。ヴォルトゥニュ帝国は軍国家として名を馳せている国ですわ。貴族は一定数おられるようですが、力を持っているのは軍人や騎士。貴族の振る舞いは、もしかしたら侮られる可能性もありますの」


「そう、なのですか?」


「はい。ですから、アレクサンドラ様はそのままでいらした方がよろしゅうございます。後は恐らく、ですが……」


「はい?」


「ヴォルトゥニュ帝国の帝王も、そう望んでおられるのではないかと思いましたの」


 ブリュンヒルデを気遣って率先して優美に菓子へ指を伸ばすアレクサンドラを見習って、口にしたのはフロッケンザーネトルテ。

 三口ほどで食べられるように切られ、断面を美しく見せているトルテは、極々軽く泡立てられたクリームと真紅のベリーのジャム、丸ごと甘く煮詰められたベリーが薄く焼いたシュー生地に挟まれている。

 見た目の美しさと相俟って味は素朴に優しい。

 何度食べても飽きることのない家庭の味だった。


「……この、トルテのように。アレクサンドラ様には大変甘い方だと、王からお伺いいたしましたわ」


 アレクサンドラの元へ訪れる前に、手紙のお礼を言いに伺った。

 オイゲンは早い時間に報告に伺っており、王とアレクサンドラの願いを全て受け入れる旨を伝えたはずなので、ブリュンヒルデが行く必要はなかったが、どうしても直にお会いしたかったのだ。


 忙しい王はブリュンヒルデのために短いがきちんと時間を取り、礼を受け入れた後で、妻を護衛しきったように娘を頼む、と思わず涙が溢れそうになる光栄なお言葉を下さった。


 守りきれなかったという気持ちが強かったのだが、きっと王も同じような気持ちを長く抱いていたのだと思い至ればどうにか涙を堪えて、命に代えましても必ずや、と深く腰を折って忠誠を見せるしかできなかった。


 久しぶりの王との対話ともなれば、やはり女性騎士だった時の態度を取ってしまうも、王は当たり前のように振る舞い、エレオノーラが居た時のように穏やかな微笑を浮かべて、アレクサンドラに関する情報を幾つか教えて下さった。


「……我が国での噂とは違って、優しい方なのは存じ上げております。お会いしたのは一度きりですが……少なくとも、真摯な手紙と私の好みの物ばかりを選んで下さるたくさんの贈り物で……情が深い方なのだと、その……とても好ましく思っております」


 アレクサンドラの頬が赤い。

 初恋を知った少女のような初々しさには、ブリュンヒルデの口元も自然と綻ぶ。


 手紙も贈り物も毎日のように届くのだと言う。


 王は、気持ちは解かるがな、少々愛が重い気もして心配だと苦笑されていたが、帝王のアレクサンドラへの愛と情を微塵も疑っていないようだった。


「本当は早くお会いしたいですが、あちらもこちらも手配すべきことが多く、二度目の逢瀬は当分先になってしまいそうです」


「会えない時間が想いを育てると言いますわ」


「そうですね。少なくとも私自身のマルティン様への思慕は強まるばかりです。これがきっと……人を恋うるという感情なのでしょうね」


「恋は人を愚かにもさせ、著しく成長をさせるものでもありますわね。アレクサンドラ様は後者であられるようですが……」


 愚かを極めた二人が脳裏に浮かぶも、アレクサンドラの手前、告げていいのかどうか迷う。


「……父上が調べさせるまでもなく、かのお二人の仲は知れるべき所には知れていたようですね」


 どうやら話しても問題ないらしい。

 アレクサンドラの表情に負の色は上らなかった。


「そのようですわね。オイゲンの方へも苦情が入っていたようです。ですがお互い婚約者がいる身でありましたし、特に彼女の婚約者への入れ込みようは有名でしたので、単純に喧嘩友達のように思う方々もいらしたらしく。部下が思い切って苦言を申し立てたようですが、第三騎士団長は、娘は彼の騎士に会いに来ているのではなく、第三騎士団へ差し入れに来ているのだ! と断言されたのですって!」


 クラウディアの父親である第三騎士団長はオイゲン同様に脳筋だ。


 公衆の面前で決まった男性と毎回怒鳴り合うという、傍目から見れば貴族の女子としては有り得ない非常識極まりない振る舞いに対して、第一騎士団長と対等に渡り合う娘は我が家の誉だとまで言い放ったらしい。

 奥方は婚約者のお蔭で娘が年相応の貴族らしい振る舞いを覚えて心から感謝していたようだが、王に才ある者として重用されている宮廷楽師の婚約者を、剣の一つも持てぬ軟弱者め! と疎んでいたというのだから驚きだ。


 平民には崇拝されているが近しい者からは邪険にされているアレクサンドラの元へ、唯一普通に出入りが許されていたディートフリートが滅多に足を運ばない現状は、騎士団では知れていた。


 婚約破棄がなされるのではないかという、噂もあった。


 そんな状況で王族への忠誠がさほど高くない第三騎士団長は、アレクサンドラとディートフリートの婚約破棄がなったなら、クラウディアとヴォルフガングの婚約を破棄して、新たにクライディアとディートフリートで婚約をさせるのも悪くないと考えている節があるようだ。


 厭きれて物も言えない。


 さすがに奥方にのみ妄想としてを話す程度で押さえているようだが、脳筋過ぎにも程がある。


「……誤解されないで下さいね、皇女様! 私はあんな男、下品で口が悪い屑っ、大嫌いですから! と、手首を握り締められて一度、熱く語られた事がありました。王族の手首を跡がつくほどに握り締めた挙句、王族の婚約者を悪し様に罵る彼女を、随分と幼い方なのだとは思っておりました……」


 私の心を差し上げますという意味合いを持つ、人の心を表現した愛らしい形のレープクーヘンを食んだアレクサンドラは、一度言葉を切る。

 釣られて食べたレープクーヘンは、可愛い形と相俟ってシナモンの香りと蜂蜜の甘さが絶妙で濃厚な味だった。


「彼は……そう、ですね。騎士団長になった頃からはもう。彼女しか目に入っていないようでした」


「そんなに前からだったんですの!」


 ディートフリートがあからさまなちょっかいを出し始めたのは半年ほど前と聞いている。

 それに負けずに(と、第三騎士団長は言ったが、冷静になったオイゲンに言わせれば、嬉々として)応じたクラウディアとの数え切れないデッドヒートが騎士団の内の話だけではなくなってきたのが、ここ数ヶ月だったのだ。 


「お子を授かる行為に至ったのは、それよりも後だったとは思われますが」


「アレクサンドラ様は、二人の不貞をご存じだったのですね……」


 もしかしたら婚約破棄の瞬間まで知らなかったのかもしれないと危惧していた。

 裏切りを知って尚、婚約者としてあり続ける時間は辛いだろうけれど、同時に心を落ち着かせる時間でもあったはずだから。


「彼女が想像していた以上に幼い方だと知って、ああ、そうなのだと思い至りました。彼は、嫌いな人間の事は短い期間凄絶に罵って後は、口の端に上らせない性質でしたのですが、彼女の事は長く……熱心に語っていましたので。順番さえ守って下されば、婚約破棄など……恐らく難しいものではなかったのですけれどね」


 アレクサンドラが考えるほど簡単ではなかっただろう、けれど。

 最悪は避けられたはずなのだ。


「お子に罪はないので、できればお助けしたいのですが。父上の命であっても、ランドルフ・ヴュルツナー殿が承知して下さらないのです」


「そうでしょう。ランドルフ殿ならば、そうおっしゃるでしょう」


 堕胎させるのではなく、生まれてから、愛剣で、自ら手を下す。

 孫に愚かな選択をさせてしまった罪を僅かでも贖おうと、良心から止まらない血を溢れさせながらも、やってのけるだろう。


「私としては、生かして共に贖いをと、説得を重ねるつもりです。幼子に重い枷をつけるのは、苦渋の選択ではありますが。生きてあれば。生きてさえあれば報われる日が必ず来るはずなのです。孫の、父の罪など本人の罪ではないのですから……」


「オイゲンにも説得をさせましょう」


「お願いします。私も説得を続けるつもりです。潔すぎる方ですが、弱き者への慈悲をどんな時でも忘れない方ですので、最後には承諾して頂けると信じています」


 アレクサンドラの目には、ランドルフへの信頼が宿っている。

 彼もまた。

 オイゲンのように自分でできる範囲の中で、アレクサンドラを守ってきたのだろう。


 アレクサンドラの中で、婚約者であったはずの裏切り者と忠義を尽くしてきた生粋の騎士は血族であっても、個として分けられているようだ。

 大変好ましい性質はエレオノーラと似ており、彼女よりも足が地についている思考の気もする。


「クラウディア様とディートフリート殿には……少し、現実を知って頂きたかったのですが。ここまで話が大きくなってしまうと、少しどころの騒ぎではなくなりますね」


 注がれたお代わりの紅茶はキャラメルティーだった。

 甘みと香ばしさが絶妙で美味しい。


「当り前ですわ! アレクサンドラ様や王への不敬が一番の問題ですが、お二人とも周囲にどれほどの迷惑をかけてしまうのか全く考えていない辺りも、大変腹立たしく思いますわ!」


「落ち着かれてくださいませ、ブリュンヒルデ・バッヘル殿。姉上が驚いておられますよ」


 くすくすと楽しそうに笑いながら突然部屋へ入ってきたのは、第二皇子とされているエーデルトラウトだった。


「まぁ、エーデル。ブリュンヒルデ様を驚かせてはいけませんよ?」


「すみません、姉上。ブリュンヒルデ様のお心が嬉しかったものですから、姉上の紹介が待ちきれませんでした。申し訳ありません、そして、ありがとうございます、ブリュンヒルデ様」


「私も大変嬉しゅうございました。ありがとうございます、ブリュンヒルデ様。我がことのように憤って下さるお心の優しさが何より身に沁みます。弟が驚かせてしまった申し訳ありません。オイゲン殿のいない所で、お会いする機会があった方が宜しいかと思いまして、勝手に手配させて頂きました」


 エーデルトラウトは笑顔でアレクサンドラの隣へ座り、アレクサンドラはエーデルトラウトへ紅茶を注いで、菓子を取り分けている。

 仲の睦まじい姉弟の当たり前のやり取りに、ブリュンヒルデは大きく目を見開いた。


「先頃、陛下から事情を直接伺いまして。その日から姉上の所へ入り浸りなのですよ」


「私はエーデルの事は、長く自慢の弟でしたので……血の繋がりがなかろうと、正直彼だけは私の弟であって欲しく。私達二人の間での関係は姉弟のままでいようと、話し合いました」


「ブリュンヒルデ様を母上と、オイゲン殿を父上とお呼びできるのは光栄です。ありがたく感じてもおります。王家に忠義も厚く、幼いながらも優秀と聞き読んでいる弟妹が五人もできるのも大変嬉しく思います。ですが、長く敬愛し心の支えにしてきた姉上ですので……公式の場ではきちんと致します。ですから、親しい者しかいない時は、アレクサンドラ様を姉と慕うのをお許し頂けないでしょうか?」


「昔から。私が神殿から出られる僅かな間に、後で叱責されるだろうに一生懸命話しかけてくれたのは、エーデルトラウトだけだったのです……ですからどうぞ。私からもお願いいたします、ブリュンヒルデ様」


 ブリュンヒルデは開いた口がふさがらなかった。


 エーデルトラウトからの恨み言は覚悟していた。

 王族として籍を残したい、表向きは王族のままであるように振る舞いたい、と言われたら、王へ直談判しようとも。

 だが、ここまで喜んでバッヘル家の家族になるとは思わず、離されて過ごしていたアレクサンドラをこんなにも慕っているとは想像でき得なかった。


「……幼い頃は恥ずかしながら、隔離されている姉上より陛下の側にいられるだけマシだと、卑屈に思っておりました」


 紅茶を一口飲み、言葉を選びながらもエーデルトラウトはゆっくりと語りだす。


「側室からオイゲン殿のお子であると聞いた時は、陛下と血が繋がっていない悲しみと、側室とは血が繋がっている絶望を覚えはしましたが。王家に忠義を尽くす家の子であるならば、オイゲン殿のお子であるのが恥ずかしくないように努めようと、そんな風に思えたのです」


「……恨み言を言われる覚悟はしておりましたけれど、そんな風に思って頂けていたとは……なんとありがたいことでございましょう……」


 ブリュンヒルデは僅かに乾いてきたハンカチーフをまたしても濡らしてしまった。


「不貞の子だと、あの、側室の子だと……恨み言はこちらが言われる側だと思っておりましたので、ブリュンヒルデ様が喜んでバッヘル家の子として迎えて下さると聞いた時の喜びと感謝は言葉では表現しきれません。一生をかけて体現していきたいと思っております」


「エーデルは真摯に頑張ってきましたからね。本当に良かった……」


「……他の側室の子供達に難癖をつけられて挫けそうになる時の、心の支えが姉上だったのです。陛下の実子でありながら冷遇され続けているにもかかわらず、民に崇拝される姫巫女として名高い姉上が。どこまでも誇り高くおられる姉上を見て、例えオイゲン殿と父子の名乗りができなくとも、表向きは王族として、心ではバッヘル家の息子として誇り高くあろうと……」


 涙を堪えるエーデルトラウトにアレクサンドラが、そっとハンカチーフを差し出す。

 目礼をして受け取ったエーデルトラウトはハンカチーフを眦に押し付けた後で、大きく息を吐き出した。


「己に誓う日々が、今回の陛下の英断のお蔭で余すところなく報われたと、私は実感しております」


「私もです。辛かった時間も思い返せば色々な方に手助けして頂いておりました。数多の制約の中で最善を尽くして下った父上を恨み……一生恨み続けるだろうと信じておりました己の浅はかさを、今は反省するばかりです」


「それでしたら、アレクサンドラ様! 陛下に甘えればいいのですわ! 陛下はアレクサンドラ様のどこまでも謙虚なる心根を嬉しく思いつつも、贖罪の場面をより多く求めていらっしゃるのです。反省するとおっしゃるのならば、どうぞ。陛下に甘えて下さいませ」


 王にもアレクサンドラにも、それが一番良いように思う。

 嫁ぐことが決まっているアレクサンドラが父親に甘えられる時間は限られているのだから。


「いいのでしょうか……今でも十分良くして頂いているのですが……」


「私にもぜひ、甘えて下さいね、姉上!」


「あら、まぁ。エーデルこそ、甘えていいのよ?」


 アレクサンドラがすすすっとお菓子を盛り付けた皿を、エーデルトラウトの前に差し出す。

 甘い物が好きなのか、アレクサンドラの手製なのが嬉しいのか。

 エーデルトラウトは成人男性の旺盛な食欲を見せつけて、あっと言う間にお菓子の皿を空にしてしまった。


 一つ一つ丁寧に感想を言うのも忘れない。

 特に生の苺が綺麗に飾られた苺ババロアが気に入ったらしく、口を極めて褒めちぎっている。


「ふぅ。毎日食べても飽きません。今日も最高に美味しいです、姉上」


「ふふふ。エーデルのように喜んで貰えると作り甲斐があって嬉しいわ」


「そうだ! ブリュンヒルデ様。今度弟妹達も一緒にお茶会をしませんか? 一緒に姉上の手作り菓子を堪能したいです。いいですよね、姉上」


「ええ。嬉しいわ。でも小さいお子さんが好む菓子がわからないからどうしましょう……」


「今並んでいる菓子類で十分すぎますわ! アレクサンドラ様が宜しければ、ぜひ子供達もご一緒させて下さい」


「楽しみだなぁ……夢だったんですよ。家族揃って和気あいあいと美味しいお菓子を食べるのが。毒味の心配をしないで食べられるだけで感謝感激なんですけどね。あ! 弟妹可愛さに溺愛しちゃいそうなので、もし私の態度に問題があったら、母上が遠慮なく叱って下さいね」


 母上、と呼ばれて、涙腺が壊れる。


「私も溺愛しそうです……絵姿を拝見させて頂きましたけど、皆様それぞれ愛らしくって……」


「ですよね! ああ、楽しみです。ねぇ、姉上。私の弟妹なら、当然姉上の弟妹でもありますよね?」


「ふふふ。オイゲン殿が何とおっしゃるかは想像がつきますけど。貴方のように接する事が出来たなら……とても……とても、幸せだわ」


「それならば早急に手配をして下さいね、姉上。これからも長い付き合いになりますし。私も頑張って時間を捻出しないと……」


「無理をしてはいけませんよ?」


「こんな無理なら喜んでしますね。今までの無理とは全く別物です。明日……明後日……その次の日なら大丈夫そうです!」


「でしたら、その日に準備しましょう。ブリュンヒルデ様のご都合は如何でしょうか?」


「……ええ、喜んで。馳せ、参じますわ。子供達も、全員、連れてきますね。皆揃って、楽しく、お茶会をしましょうね……」


 嬉し涙で声を詰まらせながらもブリュンヒルデは、アレクサンドラとエーデルトラウトの提案に喜んで賛同した。



 感想欄などで頂いたアドバイスはそれぞれ盛り込んだつもりです。

 たっぷり盛りからそっと盛りまで幅広い感じですが、アドバイスを下さった皆様には寛容な感じで受け止て頂けるとありがたいです。


 次回はやっとこさ、第一騎士団長・ディートフリートの第一弾ざまぁです。

 今回の話を終わって本格的に詳細を詰めだしたら、いきなりやりすぎな感じがして、自分の思考にドン引きした次第です。

 ちゃんと三段階に分けないといけませんね。

 残酷描写、猟奇的描写がかなりあるかと思いますので、お読みになる際はくれぐれもご注意ください。

 予定としては本来の少な目文字数にするつもりです。


 誤字脱字、ストーリー上の齟齬など指摘いただけるとありがたいです。

 齟齬に関しては修正に時間を頂く場合がありますので、ご了承ください。


 お読みいただきありがとうございました。

 次回も引き続きお楽しみいただけると嬉しいです。


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