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困惑する騎士総団長

 長くなりました。

 そして更に次回、騎士総団長妻視点の話も投下する事にしました。

 今回漏れてしまった、例のお花畑のお二人描写は妻に語って頂くことにします。


 情景描写もなかなか盛り込めずに申し訳ないですが、生温く見守って頂けるとありがたいです。


 しかし、どうして登場自分物が増えていくのでしょう……。

 個人名を出してまで書くつもりはなかったキャラを、何故か書いてしまっている今日この頃。

 

 滅多にない王からの個人的な呼び出しに、騎士総団長オイゲン・バッヘルは鎧を着ない正装姿で執務室へと向かう。

 全てつけるには重すぎる勲章は、妻であるブリュンヒルデ・バッヘルに厳選して貰い一つを選び出した。

 雄々しい獅子を形取った勲章は、疫病の被害を最小限に抑えられた者に与えられる栄誉の極み。

 人を殺して貰う勲章よりも助けて貰う勲章の方が得難いと、武人らしくない心情を語った相手はブリュンヒルデだけだ。


「オイゲン・バッヘル。お呼びにより参上仕りました!」


 扉の前で声を張り上げれば、入れ、と腹に響くような威厳溢れる低音の許可が下る。

豪奢な装飾が施された扉を門番が恭しく開け、一歩を踏み入れた。

 背後で扉が閉まるタイミングで膝をつき、指示を待つ。


「……近くへ」


「はっ!」


 首を上げて、胸を張る。

 王の隣へ座る女性を見て、思わず声を上げた。

 武人にあるまじき醜態だった。


「エレオノーラ様っ!」


「……私は母に、そんなにも似ておりますか?」 


 声も似ていたが、僅かに暗い。

微笑も記憶のものより、寂しげな色が強い気がする。


「……アレクサンドラ第一皇女様で在らせられますか」


 王の指示でつけていた頭髪までをも隠すヴェールを取った姿を初めて見た。

 幾つかの肖像画に残されている、愛らしさを極めた美姫と謳われたエレオノーラの面立ちに、王の絶対的に冷徹な覇気を形を変えて受け継いだ。

 そんな風に見て取れる。


「はい。そうです。こうして対面でお話しするのは初めてですね。何時も護衛をありがとうございました」


 微笑が深くなった。

 慈悲深い、心に染み入るような微笑だった。


「畏れ多い事にございます」


 オイゲンは微笑に見惚れながらも深々と首を垂れた。

 年に一度の祭典他、表舞台に出る数少ない機会の全ての護衛をオイゲンが指揮している。

 王に何かの考えがあってのこととは理解しつつも、息苦しいだろう姿と皇女に相応しくない環境が不憫で、出来うる限りの手配はしてきたつもりだ。

 王族への敬意を現わしたに過ぎなかったのだが、アレクサンドラにとっては希少な対応だったのかもしれない。


「……オイゲンよ。一つ聞きたい事がある」


「はっ! なんなりと、我が王よ」


「我の次男……とされている男は、お前の種であるな?」


「はっ! 我が王のご指示でございますれば!」


 最愛の王妃を失い、訳あって愛娘も遠ざけなくてはいけなくなった衝撃で不能になってしまった。

 より多くの子を成し、王家を存続させねばならない義務を果たせぬ不肖の身。

 引退を考えているが、現状では難しい。

 故に、せめて信頼できる部下の子種を持って秘めやかに王家存続を成したい。

 オイゲン・バッヘルに頼めるだろうか。

 と、書かれた手紙を頂いた。


 王の直筆は知らぬ。

 ただ、完全な封蝋に加え手紙の最後には玉璽が押してあったので疑いもしなかった。

 内容が繊細な上に後々の証拠として残す必要性があって、あえて手紙を選んだのだろうとも推察した。


 ブリュンヒルデ以外の女性を抱くのには、自分に対しての堪えかねる憤りがあったが、王の心を僅かでも慰められればと、事に及んだ。

 たった一度の交わりで、子を成せたのは精神的にもありがたかった。

 しばらくは側室がうるさかったが、無視し続ければ絡んでも来なくなったので、後は公式では王の次男されたエーデルトラウトを、次代に仕えるべく、また万が一にも王になった時の為の教育を、自分の立場からできるだけしてきたつもりだ。


「手紙は、残してあるな?」


「無論でございます」


「……やはりお前は、忠義の男だったのだな。長い間、明確にできないですまなんだ」


 席を立ち深々と首を垂れられて、オイゲンはただただ、困惑する。


「父上。バッヘル殿へ説明をして差し上げないと。状況が解からずに、とてもお困りですわ」


「それもそうであるな。オイゲン、座るが良い」


「失礼仕ります」


 指差された席に浅く腰を下ろす。

 アレクサンドラが典雅な手付きで紅茶を注いだ。


「どうぞ、召し上がって下さい」


「ありがたく! っつ! 美味いですな!」


 オイゲンの身体を慮って心を尽くして手配をするブリュンヒルデが淹れた紅茶と全く違う系列の、比べようもない美味さにオイゲンは反射的に感動した。


「そう言って頂けると嬉しいですわ」


 今度は華やかに笑われる。

 エレオノーラに瓜二つの幸せそうな微笑に、オイゲンの心の何処かが安堵した。


「実はな、オイゲン。そちが受け取った手紙は我が送った物ではないのだ」


「……は?」


「側室、宰相、神殿長辺りが画策したものであろう。先頃まで我しか知らぬ話であったが、この国は神の加護を持って成り立つ国だ。その加護はエレオノーラを経て、今、アレクサンドラにある。今までは、アレクサンドラが幼かった故、神の許可を得て我が王となっておるがな。本来アレクサンドラ以外の者はこの国の王になれぬのだ。なったら、最後……国は崩壊の一途を辿る。加護はあくまで、アレクサンドラのためのものでしかないからな。実父の我でぎりぎり許される範囲だ」


 王家にまつわる秘事中の秘事を打ち明けられたオイゲンは、重責に拳を硬く握り締めた。


 皇国の王室に関する一般的に知れた法律は、以下の通りとなっている。

 *次期後継者は、王の血を継いでいる事。

 *長男である事。

 *長男がいない場合、長女であること。

 *側室の長男と正室の長女であれば、側室の長男とする事。

 *上記該当なき場合、次男、次女のように繰り下げる事。


 法律は遵守されるべきではあるが、オイゲンの中では、法律よりも王の言葉の方が重い。

 最善は、アレクサンドラが王位を継ぎ、種違いの兄弟姉妹が絶対的な忠誠を持ってアレクサンドラを支える形だと、そんな風に漠然と考えていたのだ。


「では、それがし、は……」


 姦計に嵌り、王の側室を寝取った挙句に子を孕ませて、王室を、国を、王を、亡き王妃を、皇女を貶めてしまったというのか!


 国の終焉までをも招いたと!


「お前は悪くないぞ! 悪いのは画策した馬鹿共だ! お前の揺るぎない忠義はお前自身よりも、我が知っているっ!」


 王が声を大きくしてオイゲンを宥める。

 両の手首を折れんばかりに握り締められた。

 オイゲンを労わる熱が伝わってきて、情けなくも涙腺が緩んだ。


「バッヘル殿だけなのですよ。側室に子種を与えて尚、裏切っていなかった方は」


「……と、申されますと?」


 アレクサンドラが何時の間にかお代わりを満たしてくれたティーカップを傾けて、中身を飲み干したオイゲンは生唾をも飲み込む。


「次男はお前の子だがな。長男は宰相の子、三男と次女が神殿長の子、長女が宮廷魔導師長の子なのだ」


「は? はあああああ?」


 王の手紙を信じていた為、アレクサンドラ以外王の子でないのは理解していた。

 だから自分と同じように王へ絶対の忠誠を誓う、誰かしらの子だと思っていたのだ。

 時がくれば王からの勅命の元に集まって、粛々と王家存続の為に結束も固く、気持ちも新たに真摯に仕えてゆくのだと、微塵も疑っていなかった。


「バッヘル殿以外は、王の指示ではなく、全員ご自分の意思で実行されたのですよ」


「あのっ! 屑どもがっ!」


 宰相は己の人脈と血筋を過信しており、王への不敬が多く見られる男だ。

 神殿長は王の実弟という立場でおられるにも関わらず、自分の能力の方が王に相応しいと豪語しまくる極刑に値する男だ。

 宮廷魔導師長は魔道を盲信しており、先王に比べて魔道を尊重しない王を疎んでいる愚かな男だ。


 三人とも王への忠誠は低い。

 皆無にも等しい。

 立場的に考えれば有り得なくもないが、王は実力主義者であり己への忠誠を重視する。

 王の指示が例え本物だったとしても、彼等が選定される日は永遠に来ないはずだ。


「……此度。アレクサンドラがヴォルトゥニュ帝国の正妃として嫁ぐことになった」


「は?」


「私の元婚約者の不貞相手にお子ができましてね。急遽そのようになりました」


「ディートフリートが! こ、皇女様以外の女性を孕ませ! 孕ませたとっ!」


 三代に渡って王へ忠誠を誓ってきた家系。

 祖父は敬愛する上官でもあった。

 父は共に戦場を駆け抜けた背中を預けられる同僚であった。

 息子は傲慢な面は見られもしたが、個人としての能力は高く、指揮能力も低くはなかった。

 何より若者には勢いが必要だ。

 ディートフリートには、それがあった。


 何より王への、王家への、アレクサンドラへの忠誠を信じて疑わなかったから、第一騎士団長への昇進を王へ進言したのだ。


「……それがしは真の愚か者ですな……」


 良かれと盲信して実行した結果が、死で償っても償いきれない信愛する王への不敬。


「どんな処刑も拷問も受け入れますので、どうか妻子には寛大な処置を賜りますよう……」


 情けなさに浮かぶ嗚咽を噛み殺しながらソファを降り、膝をつく。


「そうではない。そうではないぞ、オイゲン。アレクサンドラが嫁ぐにあたってようやっと、我は全てを正す覚悟が決まったのだ。本当なら、もっと早くにお前に相談して、お前の得難い忠誠に報いてやらねばならなかっただけの話なのだ! 感謝こそすれ、詫びこそすれ。断罪などあり得ぬ!」


「陛下は……父上は、私の安全を守る為だけに、諦観しておられました……せざる、得なかったのです。諸悪の権化と言うのならば、バッヘル殿。私こそが……」


「それは違うぞ、アレクサンドラ!」


「ええ! 天地ひっくり返っても、アレクサンドラ様に非はございません。王とてそうです。子を大切にしない親がどの世におりましょう! 国と娘を秤にかけ、娘を取った王を、臣下として苦言は奉りましょうけれど。親として心底同意すると共に、その心中を察し申し上げます!」


「オイゲン……」


「……父上。私達はとても、幸せ者ですね」


「そうだな……玉座なぞを守り続けねばならなかった苦悩など、忘れるほどの至福だな……」


 目をきつく閉じた王の眦から涙が一滴零れ落ちる。

 それだけで、オイゲンは己の愚直過ぎた忠節を受け入れて頂き、また忠節の果てとは言え結果的には死を持って贖わねばならない罪をもまた、許されたのだと感じた。


 涙が抑え切れなかった。

 感情が抑え切れなかった。

 自分の中にある全ての喜びと悲しみが全て表へ出てしまったように、みっともなくしゃくりあげて滂沱する。


「……オイゲンよ。我に信じられる家臣は少ない。その数少ない中でお前は二番目に地位が高い」


「一番高い方は、ランドルフ・ヴュルツナー殿です」


 ランドルフ・ヴュルツナーは、大罪を犯したディートフリートの祖父にあたる。

 オイゲンも厳しく鍛えられ、こまやかな部分まで世話になった。

 今は現役を退いているが、騎士総団長顧問という、騎士総団長の上にあたる名誉職についていた。


「あの方は、私と同じで。王家に忠誠を誓っているのですね?」


「うむ。間違いない。ランドルフは息子を失っても尚、我に忠誠を尽くした。孫を、失っても忠誠を尽くすだろう。そういう、男だ」


 王を庇って息を引き取った息子と対面した時に、ランドルフが息子へかけた言葉が忘れられない。


『良くやった! 王を庇って死ぬとは騎士の誉! お前は我の、自慢の息子だ!』


 一滴の涙も零さずに、満面の笑みを湛えて物言わぬ息子へ語りかけた。

 そして先王から授り、数多の戦場と共に駆け抜けた愛剣でもあった聖剣を棺の中へと入れた。


『お前の満足の笑みは、死しても忘れぬぞ!』


 死に慣れた歴戦の猛者でも引いてしまう無残な遺体だった。

 でも確かに、そこだけは綺麗に残っていた唇は穏やかに撓んでいたのだ。

 王を守り切った誇りの証を見て、自分も死するならば、そう死にたいと思ったほどに誇らしげな微笑だった。


「ランドルフに此度の話をしたら、けじめをつけると言われてな……」


「どうにか説得をして、私が嫁ぐ際の騎士の一人として、ついて来て頂くことになりました」


 けじめは、当然己と孫の死だろう。

 それ以外にも、ランドルフは爵位資産は愚か、血縁全ての命を差し出しかねない。

 騎士の一人としてというならば、爵位や資産を返上して身一つで、アレクサンドラに忠誠を尽くすと誓ったのだ。

 孫とは真逆の、真の忠誠心を持った方の覚悟を想い。

 オイゲンもまた、己の覚悟を決める。


「王よ。我が一族もアレクサンドラ様の騎士となりますことを、お許し頂けるでしょうか?」


「……お前だけでなく、一族もか?」


「はい。ランドルフの部下と言う形で手配いただければ、ありがたく思います」


「お前の忠誠はありがたいがなぁ……ランドルフがそれを許さぬ」


「説得いたします!」


 オイゲンの不敬を余すところなく話せば、きっと許可してくださるはずだ。

 不敬に対する意識が飛ぶほどの拳骨を覚悟するのは当然として。


「……バッヘル殿のお気持ちは大変嬉しく思います。ですが、私が嫁ぐ国は極北に座します。奥様やお子様方には厳しい土地でしょう?」


「はっは! 我が一族。風土の差異でへこたれるような訓練を日々してはおりませぬよ!」


 ブリュンヒルデは今でこそ貴族の奥方として慎み深く振る舞っているが、若かりし頃は猛剣姫と密やかに囁かれた一流の剣士で、今も鍛錬は怠っていない。

 三男二女の子供達も、オイゲンとブリュンヒルデが徹底的に鍛え上げたので、心身共に強く育った。

 無論王家への忠誠は絶対に揺るがない。

 

「どうぞ、アレクサンドラ様。我が一族が貴女様の騎士として仕える事を、お許しくださいませ」


「……父上」


「この国は、お前が他国へ嫁げば荒れる。そんな荒れた国に、ここまで忠節を誓ってくれる部下を置いていくのは愚の骨頂だろう。違うか?」


 アレクサンドラは美しく波打つドレスの生地をきつく握り締めた。

 長く不遇に耐えてこられた方だ。

きっとオイゲン達の命を背負う重さを噛み締めておられるのだろう。


「ご家族の……全員一致での承諾が得られたら、その時はどうぞ。ランドルフ殿と同じく騎士として、私の側にあって下さい」


「あぁ、今の爵位は返上して貰うが資産は全て持って行け。屋敷や調度品などで持ち行けぬ物は国の買い取りとするので、安心いたせ。かかる費用も同じく国負担だ」


「解りました。説得の結果は明朝にご報告に上がります」


 オイゲンが言う一族とは己の家族を指す。

 話し合いは迅速に、オイゲンの望む結末となるだろう。

 それ以外の血縁には、オイゲンの決断を告げるのみ。

 判断は、各家がすべきものだ。

 

「うむ。ブリュンヒルデには、これを渡すが良い。我が書いた直筆だ」


「あ! 私からも。くれぐれもよろしくお伝えくださいませ。封蝋まで自分でしております」


「お、畏れ多いことでございます!」


 直に手渡しの上、お言葉まで頂いたとなれば、疑う余地もない。

 綺麗に押された封蝋を眺めて、恭しく押し頂いた。


「それでは、私はこれにて失礼いたします。はっ! アレクサンドラ様。美味なる紅茶をありがとうございました」


「奥方様やお子様が宜しければ振る舞いたいので、近くいらして頂けたら嬉しいです」


「光栄の極み! アレクサンドラ様のご都合宜しければ、明日にでも伺います」


 ブリュンヒルデはエレオノーラとも親交があった。

 娘のアレクサンドラにプライベートで会えるのは僥倖以外のなにものでもない。

 積もる話もきっとあるだろう。


「そ、それでは! お茶会のお誘いの手紙を出しますね!」


 少し浮かれた風に瞳を輝かせたアレクサンドラに、王が眦を撓ませる。

 オイゲンが密かに願っていた、アレクサンドラと王の仲睦まじい様子には心からの笑みが浮かんだ。


「おかえりなさいませ、貴方」


「今戻ったぞ、奥」


 武家らしく武器が飾られた重厚な扉を開ければ、ブリュンヒルデが出迎えた。

 やわらかな茶色の髪を高く結い上げ、オイゲンが贈った誕生石をふんだんに使った髪止めを一つつけている。

 宝石の色に合わせてか、ドレスは若草色のシンプルなものだ。


「二人で話がしたい。その後は子供達全員とも」


「わかりました。まずは、こちらへ……」


 子供達が眠った後に二人で寝るまでの時間を話し合って過ごす部屋へ向かう途中で、メイドに茶の用意を指示したブリュンヒルデは、穏やかに笑う。


「すっきりしたお顔ですわね?」


「そうか?」


 王に会うので念入りに手入れをした髭を擦る。


「ええ。長年の愁いが晴れたお顔ですよ」


 一体どこまで見通しているのだろう。

 オイゲンの至らぬ部分を埋めてくれるブリュンヒルデに、もし相談していたのならば、長い間罪悪感に駆られることもなかった気もするが、後の祭りだ。


「……ああ、晴れた。思いもよらぬ晴れ方であったが、悪くはないと思っている」


「何よりですわ」


 ソファへと座らせて、自分は絨毯へ跪く。


「……貴方?」


「うむ。茶はそこへ置いてくれ」


 ドアを開けた途端硬直してしまったメイドに指示をする。

 大きく瞬きしたメイドは深々と腰を折ってワゴンを入り口に置くと、静かに出て行った。


「まずは、謝罪からだな。今までお前に隠していた重要な事はお前を傷つけるだろう。我が最愛の妻、ブリュンヒルデ。王に忠誠を誓う余り、思い込みが激しすぎて極刑に値する不敬を働いてしまった。またそれは、お前を傷つける酷い不貞行為でもある。心からの謝罪を。本当に、すまなかった」


 ブリュンヒルデの華奢になった手首を取り、手の甲へ額を押し付ける。


「……私を悲しませたとおっしゃるのならば、まだ言うべきことがおありですね。我が最愛の夫、オイゲン殿」


 慈愛に満ちたブリュンヒルデの声音に変調はない。

 オイゲンを心から労わる穏やかな優しさが、胸に痛かった。


「不貞を働いた。王の側室の次男は私の種なのだ」


「理由が、おありですね?」


「うむ。王から頂いた手紙にそう指示してあったので忠実に従った。だが、本日。それは宰相達の姦計だと教えられたのだ。封蝋も施され玉璽も押してあった故、疑わなかった。内容が内容故、敢えて王へ真意を図りもしなかった。そこまで信頼して下さったのだったと舞い上がってもいたのだと思う。愚かな、愚かな行動だった」


 気が付かぬうちにブリュンヒルデの手を握る指に力が入っていたらしい。

 頭をやわく撫ぜられて、ゆっくりと唇を血が滲むほど噛み締めながら顔を上げる。

 ブリュンヒルデは静かに笑んでいた。

 何度払拭しても想像してしまった最悪の表情は、そこになかった。


「長い間お心を痛めておられたのですね。もっと早くに私の方から尋ねるべきだったのかもしれません。私の方こそ、申し訳ありませんでした」


 知っていたのか、と愕然と呟く。

 微笑みが悲しげに深まった。


「ブリュンヒルデ……」


「お茶を淹れましょう。長くなりそうですものね」


 オイゲンの手の甲を擦ったブリュンヒルデは優美に立ち上がり、ワゴンを引いてくると温かな紅茶をオイゲンに差し出した。


「さぁ、私の隣にお座りになって?」


 ティーソーサーを受けとりながら、ソファへ腰を下ろす。

 ブリュンヒルデもティーソーサーを持ちながら、隣へ腰を据えた。


「……お子が生まれた時点で、側室様からお言葉があったのです。この子は貴女の夫の子よ、と」


「なん、だとっ!」


 王家の秘事を晒す心根が信じがたい。

 常識がなさ過ぎる。 

 そもそも、己が不貞行為を働いたと言う、自覚がないのだろうか?

 愚かの極みだ。


 宰相達の思惑に嵌って、オイゲンとブリュンヒルデの間に諍いを起こし、王家への忠誠を削ごうとしたのかもしれないが、側室の場合は単純な嫉妬だと断言できた。

 子を孕んだ後も、しつこく誘われたのを断った意趣返しで間違いない。


「初めはどんな嫌がらせかと思ったのですが、後に事実なのだと認識致しました。エーデルトラウト様は貴方に……とても似ております」


「そうか?」


 王家の一員としても名高く、武人としても一流と謳われているエーデルトラウトは、側室に似たきつめの美貌の持ち主だ。

 オイゲンのように堂々とした体躯の武骨な武人ではなく、無駄なく筋肉の付いた細身の身体だし、髪の色も違う。

 ただ、人目を引くオッドアイの片目がオイゲンと同じ蒼色だった。


「はい。ふとした所作が驚くほど。後は、ですね。幼い頃から私を見る眼差しに、貴方のその愛しい者を見る時の独特な色が宿っておりました」


「エーデルトラウト様も、知っておいでだったのか……」


 王はアレクサンドラを含め、子供の教育には一切関わっていない。

 父親に諦観され、母親に邪険にされる生活は、どれほどの苦痛を強いられたのだろう。


「幼い頃から、知っておられたようですね。側室様から告げられた可能性もあります」


「あの、女っ!」


 だからこそ、幼い頃から聡明であられたのかもしれない。

 誰も頼れないから、一人立つべく、全てに熱心だったのではないのか。


「側室に対して不敬ですよ、と言いたいですが。不敬はあの女の代名詞……というよりはむしろ固有名詞としたくなるほど酷いものですわね。貴方の不敬など、不敬と呼ばれはしないでしょう。忠義故なのですから、ご安心なさって? それでも万が一、罪に問われるのならば、一族全て逆らうことなく沙汰を頂戴いたします」


「すまない……ありがとう、ブリュンヒルデ。私には勿体ないくらいの尊い妻だ」


「……当時、どうして私に相談頂けなかったかと悩みましたが、そんな理由がおありなら無理もない事です。長い間、尋ねられなかった私をお許しになって?」


「許して貰うのは我の方だ。長い間お前を謀っていてすまなかった。許してくれるだろうか?」


「貴方がどんな罪を犯しても、私が貴方を許しますわ」


 額へ口付けが落とされる。

 子供達が毎晩受けている慈愛に満ち満ちた口付けは、長年抱えていたもどかしさを一瞬で払拭した。


「そうだ! 王とアレクサンドラ様から手紙を預かってきた。直筆で封蝋までご自分でされたようだ」


 一安心したところで、大切な物を思い出した。


「まぁ! 直筆ですの! なんて畏れ多い」


「本当にありがたい限りだ」


 ブリュンヒルデは丁寧に封蝋を壊し、王、アレクサンドラの手紙を順番に読んだ。


「内容は?」


「自分達にしか非がないので、貴方をどうか許してやって欲しいと。後は……」


「後は?」


「エーデルトラウト様も、私達の家族の一員として、アレクサンドラ様と一緒に彼の国へ連れて行って欲しいと」


「まことか!」


 差し出された手紙を読む。

 自分達の非と、オイゲンへの許しと、ブリュンヒルデへの謝罪と、エーデルトラウトに本当の家族を与えてやって欲しいと、それぞれ美しい筆致で書かれていた。


「エーデルトラウト様は、受け入れて下さるだろうか……」


「聡明な方ですからね。恐らくは一緒に来て下さると思います。真摯に謝罪をして、お願いいたしましょう」


「そうだな。明日、王へ本日の話し合いの結果を報告に行く予定だった。その足で、エーデルトラウト様にお時間を作って頂くように、お願いしてみよう」


「ええ、ええ。そうしましょう!」


 頬を紅潮させて興奮するブリュンヒルデを見るのは久しぶりだった。


「しかし、ブリュンヒルデよ。側室の子でもあるのだが、気にならないのか?」


「だって、誰がどう見ても、貴方のお子ですし! 美しく聡明な方ですから、子供達の良き兄となってくれるのではないかと思うのです。それに、きっと。貴方が今までしてきた指導が、貴方を信用できる人物だと思わせてくれているに違いありませんわ!」


「偽りのない謝罪と懇願をして、エーデルトラウト様がどんな決断をされても、一切否定せず受け入れる事としよう」


「ええ。それが良いと思いますわ。では、子供達の所へ行きましょうか」


「うむ。そうだな」


 オイゲンが腕を差し出せば、艶やかな微笑を浮かべたブリュンヒルデが腕を絡ませてくる。

 眼差しだけで微笑み合って、二人。

 首を長くして子供達が待っているだろう部屋へ足を運んだ。


 騎士団総長は忠義の人です。

 王への忠義故に盲目的な面もありましたが、基本的には柔軟な方で、妻の助言を良く聞きます。

 どちらかと言えば武人馬鹿の部類ですが、現場での判断も行動も迅速で、上官には可愛がられ、部下には慕われる根本的に良い人で優秀な軍人です。


 次回こそ、第一弾ざまぁ! だったはずなのですが、前書きにも書いた通りに、騎士団長妻視点の話になります。

 安堵する騎士団長の妻 です。

 アレクサンドラとアフタヌーンティーをしてみたり、エーデルトラウトと話をしたりする予定。


 誤字脱字、ストーリー上の齟齬など指摘いただけるとありがたいです。

 齟齬に関しては修正に時間を頂く場合がありますので、ご了承ください。

 

 お読みいただきありがとうございました。

 次回も引き続きお楽しみいただけると嬉しいです。

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