微笑の皇女 後編 5
お待たせしてしまってすみません。
プレッシャー負けしてました。
完結が目の前にあるのに走り抜けないジレンマに陥っています。
それでも、じりじり進んではいるぞぅ! と自ら鼓舞する感じです。
また感想や誤字等返信できていなくて恐縮です。
取り敢えず、完結後にゆっくり修正や返信をしていこうと考えています。
背後に座っていたボニファティウスが深々と溜息をついている。
思わず振り返ればボニファティウスは苦笑しながら肩を竦めて見せた。
「すみません。あれが実の父親と思うと、溜息しか出ず……」
次は己の番だとばかりに結界の前で胸を張る元宰相にしてフェリックス・シリルの姿は、確かに実の息子であるボニファティウスからしてみれば、情けない以外の何ものでもないだろう。
弁舌を以てして反論にもならない稚拙な言葉を紡ぐつもりでいるのだ。
聡明なボニファティウスの実父と思えないほどの愚者、とマルティンが言っていたし、陰を含め部下には恵まれていたかな? とバルトロメオスは説明してくれた。
後は奥方……ガブリエーレが皇室への忠義厚い家系と有名な生家ボクスベルク家の力を駆使しで、支障が出ぬようにあらゆる方面への手回しをしていたとも聞き及んでいる。
少し自分の過去ともかぶったので、ガブリレーレには一方的に親近感を持っていたのだ。
一度だけ茶会の機会を設けた時に、アレクサンドラへのシリルによる数々の暴挙を止められずに申し訳なかったと礼を尽くして謝罪された。
また真実愛していたという新しい夫や子供達と共に一足先にヴォルトゥニュ帝国へ向かい、今度は皇室にではなくアレクサンドラ自身に忠誠を誓うとも約束してくれた。
ヴォルトゥニュ帝国で落ち着いた頃に、余りにも性格が違うにも関わらず仲が良いというブリュンヒルデ・バッヘルを合わせた三人でお茶会をしようという約束も結んでいる。
とても楽しみだ。
結界から解放されて間もなく堂々と胸を張りながら、どすんどすんとある種の貫禄を伴いながら断罪の場まで歩いてくるシリルは、バルトロメオスと一応の関係者として近くの席へと移動していたガブリエーレが揃って呆れきった眼差しで見ているのにも、全く気が付いていないようだった。
「それほど迅速な断罪を望むのか、フェリックス・シリル!」
「常にミスイア皇国に忠誠を誓って、粉骨砕身勤めて参りました私めの、何を断罪すると申しますのでございましょう、皇帝陛下」
横でマルティンがぎりりと歯を噛み締める音が聞こえる。
背後ではボニファティウスが、愚物はやはり殺すに限ると思うのですよ……と物騒な言葉を呟いていた。
「側室を孕ませ、その子を皇帝の子として偽った罪、更にはその子を次代皇帝と断言し事あるごとに吹聴した罪、国益の為にのみ使うのを許された陰という組織でもって皇女を幾度となく殺めようとした罪など、皇室に関する犯罪以外にも、他国への情報漏洩、宰相の立場を利用して本人の意思を無視した生殖行為の強要、妻子及び部下を虐待したとの報告が上がっておるが。よもやそれらが罪ではないと申すのではなかろうなぁ?」
シリルの罪を詳らかに語れば幾人かが叫び声を上げながら席を立ち、バルトロメウスの元へ向かおうとするのを騎士に止められる。
「……あれは、シリル家の先代とその兄弟達ですね」
「連座を恐れているのか?」
エーデルトラウトとアンネマリーの言葉に目を向ければ、老爺老婆達が必死の形相でバルトロメオスに何やら訴えかけていた。
「フェリックス殿は先代と折り合い悪く疎遠にしておりましたから、皆様方もその名を騙れなかったようですよ?」
「神殿に愚痴を零しに来られていましたねぇ。あの裏切り者の馬鹿息子はどうしようもない! とかおっしゃって」
フェルディナントとシルビアの言葉から察するに、虎の威を借りるつもりはあったが、現実的には借りられなかったのだろう。
その点で裁かれなくとも、シリルを止められなかった咎は間違いなく受けるのだと、気が付いているのだろうか。
「いい年して馬鹿だよねぇ。黙って反省したふりでもしていれば、よかろうものを」
鳴かぬ鳥は撃たれまいにーと、マルティンが楽しそうに謳う。
「子が欲しいのに陛下は抱いて下されぬのです! どうしても子を孕まねば、男児を孕まねばならぬのです! そう、おっしゃったのはカルラ様でございます。側室様の切なる願いを臣下として叶えるのは当然でございましょう。何より陛下がカルラ様にお種を下されば、私とて不敬を働かなくてすみましたものを……」
会場が静寂に包まれる。
懇願していた老爺老婆に至っては、目と口が限界まで開かれていた。
何を言っているのだ、彼は?
こんな勘違いも過ぎた愚か者が宰相の地位にあったのか?
沈黙からは、そんな驚愕と侮蔑が感じ取れる。
「ふむ。そちは我が悪いと申すのか」
「悪いとまでは申しませんが、私とカルラ様だけが咎められるのには少々問題があるのではと推察致します」
「……そんな推察が通ると、本気で思っているのかなぁ?」
「残念ながらマルティン陛下。奴は本気で言っているのでございます……」
首を傾げたマルティンの問いには、首を振るボニファティウスが答えている。
「陰はあくまでも国益の為にのみ使用しておりました。陛下は皇女アレクサンドラを疎んでおられました故、真なる忠臣者である私めが、陛下のお心を察しまして手配致したのでございます。陛下は、皇女アレクサンドラの、死を、望んでおられました。違いますでしょうか?」
アレクサンドラの周囲から殺気が立ち上る。
列席している者達の中からも、椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がって、この不敬者がっ! 恥を知れっ! と弾劾する者も現れた。
シリル家先代達も現当主を罵倒している。
「違うな。我は神との約定故にアレクサンドラを遠ざけた。愛娘の死を望んだ事など一度もない。口にした事もない。そもそも真の忠義者と言うのならば、罪なき子を殺そうとする愚かな親を咎めるのが道理であろう?」
「皇女としての勤めをはたしておられるのならば、止めもいたしましょう。しかし皇女は何ら勤めをはたしては……」
「いい加減にするがよいっ!」
鋭く咎めたボニファティウスの声は、バルトロメオスの声にとてもよく似ていた。
立ち上がり、つかつかと断罪の場まで歩くと跪き頭を垂れてバルトロメオスに許可を得る。
「姉上様への暴言は許されるものではございません。偉大なる皇帝陛下。どうかこの愚か極まりない男の唯一の実子である私に、この場での弾劾をお許し頂けないでしょうか?」
「許そう。存分に弾劾するがよい」
「ありがとうございます! 皇帝陛下」
忠実な臣下として、しかし罪人の息子としてボニファティウスは周囲を睥睨する。
年若くはあるが、彼こそが宰相と言わしめるだけの覇気がボニファティウスを包み込んでいた。
シリルはそんなボニファティウスを見て、これが我が自慢の息子! と、にやにやと周囲を見下していたが、ふと気が付いてしまったらしい。
自慢の息子が自分を追い詰め破滅に導こうとしているのだと。
頬の紅潮が喜びから怒りへと切り替わっていく様子が、誰の目にも明らかに見て取れた。
「ボヌ!」
「黙れ罪人がっ!」
ボニファティウスから発せられた凄絶な威圧に、シリルがどすんと尻餅をつく。
「貴様の口は、貴様にだけ都合の良い言葉しか吐かぬ。沈黙を守れっ!」
シリルもツィーゲも魔法の才能は皆無だったが、ボニファティウスには適性があったようだ。
今使ったのは対象から言葉を一定時間奪う沈黙の魔法だろう。
シリルが頬をぱんぱんに膨らませながら叫んでいるが、何一つ音にはなっていない。
「まず。姉上様……皇女アレクサンドラ様は、幼き頃より今に至るまで皇女としての勤めをご立派に熟しておられる。皇帝陛下は無論、貴族、民に至るまで……つまりは、貴様以外は全員、皇女様の素晴らしき計らいの数々を重々承知しておるのだっ!」
公式行事には必ず参加していた。
そもそも自己都合での欠席など許される状況ではなかった。
暗殺の後遺症が残り激痛を堪えて儀式に挑みもした。
高熱で意識が朦朧としていながらも長い長い言祝ぎを紡いだ。
己がどんな状況であっても、皇女としての勤めをはたすのに、何の疑問も持ってはいなかったのだ。
また、与えられた数多の仕事は本来皇女の立場でするものではなかったが、そんな仕事でも笑顔で勤める皇女様と好意的に評価された結果。
他の皇族の誰よりも民から慕われているのだと、エーデルトラウトに教えられた。
自分に与えられた仕事は心を込めてこなそうと、できうる限りの力でもって勤めてきた。
幾度も挫けそうになったが、ただただ皇女としての矜持を捨てては、母の名を汚してしまうと、そんな風に考えていたのだ。
だからアレクサンドラ自身も、勤めをはたしていないと弾劾されるのは心外だった。
「しかも皇女様のなされた数々の功績には、貴様の不出来を助ける物も多くあったのだが、気が付いていないのでしょうね? 貴方が成した宰相としての仕事など、実際は、何一つ存在しないのですよ。ただただ、貴方の部下達が優秀だっただけです。その部下も皇女様には幾度となく助けられていると自覚して、常に感謝と敬意を払っております」
ぶるぶると腕を突っ張らせながら立ち上がろうとするも、肉を付けすぎた身体は本人の思うとおりにはいかないらしく、何時まで経っても起き上がれないでいる。
ボニファティウスはそんなシリルを塵芥を見る眼差しで見下した。
「自分を傑物と思い込んでいる愚者と愛しているのなら何をしても良いと信じて疑わない淫乱の子である己ができる事は多くはございませんが……私は貴様とは比べものにならぬ程の良き何かを成すと、皇帝陛下と皇女様の名前に置いて誓いましょう」
「そちは被害者だと関係者は理解しておる。そちが親に似ず聡明であるのもまた同様に、理解しておる。己を貶める発言は慎むがよい。過ちを犯し続ける親に惑わされなかった己を誇りにこそ思うのだ」
バルトロメオスの言葉に唇を噛み締めたボニファティウスは天井を仰ぎ見る。
涙を、堪えていたのかもしれない。
「そっ! そなたは私の子だろう! 何故私の味方をせぬ!」
沈黙の魔法効果はまだ続いているはず。
破る力があったのは驚きだが、驚くのはそこではないだろう。
「……親が間違った道を突き進むのならば、それを止めるのも子の務めでございますれば」
「貴様がもし己の過ちを認め、ボニファティウスを我の子などと偽らずに、己の子だと公の場で認めていたのならば、ボニファティウスはお前の側に立っていたかもしれぬな」
アレクサンドラも冷遇された短くはない時間の中で、バルトロメオスを父親ではなく皇帝としてのみ、捉えようとしていた時期があった。
ボニファティウスも恐らく同じように葛藤しただろう。
他の子らも同様に。
子が、本来純粋に求め慕ってしまう親を切り捨てねばならなかったのは、偏に親の責任だ。
エーデルトラウト以外は、誰一人として親に謝罪されていない。
だからこその、断罪ではあるのだろうけれど。
「息子の断罪も貴様には届かないようだな? 下がるのだ、ボニファティウス。お前は今に至るまでよくやった。これ以上愚物に関わるな」
「……はっ!」
まだ言い足らぬ風であったボニファティウスだったが、バルトロメオスの言葉にはどこまでも忠実だ。
深く頭を垂れて席へと戻る。
あちこちから労いの言葉がかけられた。
勿論アレクサンドラも謝意を込めてボニファティウスを労った。
「罪人、フェリックス・シリル。宰相の地位は剥奪。その資産も全て国へ返上。だがしかし! シリル家の当主を降りるのは許さぬ。またシリル家の扱いは本日を以て名のある平民と致す。貴様は特に拘束もせぬ。己の好きに生きろ。生きられるものならば!」
「皇帝陛下! 我らはフェリックスを息子とは認めておりませぬ! また皇室への忠誠も揺るぎないものでございます!」
騎士達の制止を振り切って転がり出た老爺が必死にバルトロメオスへ訴え出る。
あれは、先代ですね、とエーデルトラウトが耳打ちしてくれた。
「……認めてはおらぬとも絶縁せなんだなぁ? しかも未だシリル家を名乗っておるではないか。皇室への忠誠が揺るぎないというのであれば、何故フェリックスを咎めなんだ。何故爵位を落として新たな家を興さなんだ」
「咎めました! 幾度も咎めました! ですが、フェリックスは止まらなかったのでございます! 新しい家を興すよりもシリル家として忠義を尽くしたかったのでございますっ!」
「それでも止めるのが臣下であろう? 絶縁し、シリル家を名乗らずにおったならば、爵位落として息子の不敬を謝罪して新たな家を興したのであれば、我も貴殿らの忠節を信じたがな。罪人が認めなかっただけで、息子の威を数えきれぬほど借りようとしたと報告も上がっておるぞ」
「そうだ! 金を出せ! 横領しているのだから少しは横流ししてくれればいいだろう!
女も回せ! 側室に繋ぎをつけろ! 孕ませてやる! と執務室まで押しかけてきた癖だろうがっ!」
似た物親子だったのだな、とアンネマリーが肩を竦める。
息子が従わぬ! どうすればいいんだ? と神殿に寄進もせずに、幾度となく問うても来ましたね、とフェルディナントも相槌を打った。
「……ほぅ? 報告よりも酷いのだな。でもまぁ……これ以上我が断罪せずとも周囲が許さぬであろう。下がるがよい。罪人もだ」
「皇帝陛下っ!」
「周囲の助けが得られない貴様では、最低限の書類仕事も任せられぬな。以降王城への出入りを禁ず」
「そんな、馬鹿な! 私がいなければ、国は内部から崩壊するぞ!」
「貴様がいてもいなくとも、ミスイア皇国は滅ぶ。我が弟の断罪がすんだならば説明するので大人しく結界の中におれ」
反射的に目を瞑るほどの突風が巻き起こったと思った次の瞬間には、シリルの身体は結界の中に転がっていた。
手足をばたばたさせて起き上がろうとするのを助ける手は一本もなかった。
止める者がいなければ、どこまで転がり落ちていくシリルの様子に背筋が怖気立つ。
少し前までは、数字に厳しい冷徹な宰相と呼ばれていたというのに。
「あそこまで肥え太るとは……神殿で出した食事は、所謂高貴な罪人に与えられる物。最低限ではありませんが、それなりの物でしたのですが……」
「彼を見てしまうと、己も同じように見られているのかと、身の置き所がなくなります」
シルビアの呆れた口調に、フェルディナントが全身を縮こませる。
「フェルディナントの場合は、ただのストレスだろう? これからの生活でその内面に相応しい姿になるから、恥じ入る必要はないよ」
「ありがとうございます、ボニファティウス……兄様」
迷った末に付けられた兄様という今までにない親しげな響きに、ボニファティウスの眦が軟らかく撓む。
「姉上様。本当に愚物が申し訳ありません。まさかシリル家の他の方々まであの態度とは……思いもよりませんでした」
「もしかするとシリル殿が偽りを申しているのかもしれません。そうでなくても誇張をしているとは大いに考えられるでしょう。必要であれば再調査されるのもよいとは思いますよ」
フェリックスと、ファーストネームは使いたくなかった。
家名が残されて良かったとすら思う。
ボット家同様の扱いをされるのに、元々地位の高いシリル家の人間が耐えきれるだろうか。
痛い腹を探られてしまったからの醜態だろうけれど、こうした公の場でなくば謝罪もあったかもしれない。
その機会は既になさそうではあるが。
「確かに……金銭に関しまして愚痴は多かったですが、女性問題についての愚痴は少なかったように思います、その、姉上様」
シルビアに初めて姉上様と呼ばれて、ボニファティウスと同じような微笑を浮かべた。
「教えてくれてありがとう、シルビア。そう、ですね。当主である彼以外は私自身への攻撃もありませんでしたね」
冷遇されていた時期に有り得ない近いしい距離の上から目線では話しかけてきて、息子の不敬を詫びるでもなく罵倒しかしなかったので良い印象は皆無。
最もその程度であれば日常ではあったので、そこまでの悪印象はない。
シリルのような性格の者が権力を持ってしまったら実際、止めるのは難しかったと少なからず同情もする。
だが、それだけだ。
ボットと違いシリル本人が直接アレクサンドラに害を加えた訳ではないが、あらゆる手段を使ったという点では、シリルが一番無茶苦茶だった。
異国の者にまで依頼をし、アレクサンドラを暗殺しようとしたのはシリルだけだったのだ。
神の逆鱗に触れ目の前で散々苦しんだ挙げ句に死んだ異国の暗殺者が言い残していった。
『依頼主であるフェリックス・シリルは、貴女を簡単に排除できる邪魔者としか考えていないのだ』
と。
数え切れないほどの失敗は、神の加護でアレクサンドラが守られているからではなく、暗殺者の腕が悪いと、そういう認識だったようだ。
付け加えるならば、アレクサンドラが皇女であり、皇女に手を出せばそれが例え未遂であっても罰せられるという、極々一般的な常識すら、持っていなかったとも言えよう。
「しかし……何で揃いも揃って……こうもお花畑な思考をしているんだろうな、いい年して」
アンネマリーが首を傾げるのに、ボニファティウスが冷ややかに笑う。
「物心ついた時から、自分に都合の良い言葉しか聞かず生きてきた結果なのでしょう」
周囲がどれほど咎めても、人の言葉の届かない異物は存在してしまう。
その異物がここまで国の上層部に食い込んでいた時点で、もしかするとミスイア皇国の滅びは決まっていたのかもしれない。
「まぁ、ここにきてようやっとだけど、罪に相応しい罰が与えられる。それだけでも僕は素晴らしい事だと思うよ?」
帝王たるマルティンは少しばかり遠い目をして囁く。
恐らく相応しい罰を与えられなかった過去があるのだろう。
アレクサンドラは控えていたメイドに、マルティンの好きな蜂蜜を持ってくるように頼んだ。
やっとここまで来ました。
後は、神殿長断罪と皇女の旅立ちですね。
2話で終われる……と思います。
次の神殿長がまたこう……厄介な感じで時間を頂くかもしれませんが、生温く見守って頂けたら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。