諦観の皇帝
一話目が怖いくらいの高評価を頂いたので、二話目の反応を心配して胃が痛いです。
絶望されないといいのですが……。
あ! 違った! と思った方は、すみやかに他の方の作品に飛んで頂く方向でお願いします。
近親相姦めいた思考がでてきます。
あくまでも思考ですが、苦手な方はご注意ください。
見直しはしましたが、国名とか人名とか間違っていたら囁いて貰えるとありがたいです。
王執務室の仕事椅子に座り、山と積まれた書類を一枚づつ片付けている所へ、アレクサンドラが足を運んできた。
「仕事中に何を考えているのです!」
お前がな?
と、側で仕事もせずに、くだらない話を垂れ流していた側室のカルラ・ツィーゲに向って、言葉にしない突っ込みを入れる。
本来ならば実の娘でありながら神殿へ遠ざけていた時点で、問答無用で拒絶するはずだ。
しかし、今まで一度も訪ねては来なかった第一皇女であるアレクサンドラに何やら思う所があったのか、忠誠がずば抜けて高いはずの門番二人は固く閉ざしている扉をバルトロメオスの許可なく開いてみせた。
「なっ!」
カルラが絶句する。
皇帝・バルトロメオスは、最愛の亡き妻・エレオノーラの名を口の中で優しく転がした。
隠すようにと堅く堅く言い含めていた美しい漆黒の髪と瞳があらわになっている。
出会った頃のエレオノーラと瞳に灯る仄暗さ以外は瓜二つのアレクサンドラに、バルトロメオスは本人も自覚していない微笑を静かに浮かべた。
「お仕事中に失礼いたします、父上。どうぞ、お人払いをお願いいたします」
礼節を極めた優美な所作で質素なドレスの裾を摘まんだアレクサンドラには、カルラですら一瞬見惚れている。
「な! 何を無礼な! 私が居て何が問題だというのです! まさか、私の讒言でもするつもりではないでしょうね!」
バルトロメオスの好みではない吊り目は嫉妬に狂っていた。
甲高い声は耳障りで仕方ない。
「私は第一皇女でございますれば、王位継承権のない方にはご遠慮いただきたいだけでございます」
驚愕に目と口を見開いたカルラの品のなさ加減には失笑すら難しいだろう。
「わ! 私は第一王位継承者の母ですよ! 無礼にも、ほどがっ!」
喚き声をバルトロメオス遮った。
「第一王位継承者は第一皇女のアレクサンドラだ」
カルラは子供を五人生んでいる。
長男はアレクサンドラと一歳も変わらない。
本来なら側室の子であっても長男が、第一王位継承者とされるのが皇国の法律ではあった。
「へ、陛下っ!」
「そもそも、貴様が生んだあれらと俺に血の繋がりはないだろうが。どうして後継者だと嘯けるのか冗談も大概にするがよい」
まさか、知られていないと信じて疑わなかったのか、激怒に染まっていた顔色が絶望へと一瞬で変化した。
「下がれ。お前は必要ない。邪魔だ」
追及されると思ったのだろう、それでもアレクサンドラを憎々しげに睨み付たカルラは、足音も荒く王執務室を出て行った。
「……全員、なのでしょうか?」
唯一の直系であるが故の勘か、厳しすぎる神殿での修練のなせる技か、アレクサンドラはカルラの子の何人かがバルトロメオスの子供でないと、看破していたようだ。
「ああ。長男が、宰相の子。次男が、騎士団総長の子。三男と次女が神殿長の子。長女が宮廷魔導師長の子だったな」
初夜の日。
宮廷魔導師長を早々に抱き込んで術で無理やり欲情させたまでは、褒めてやっても良い。
だが、カルラがエレオノーラに見える幻影を見せたのは間違いだった。
欲情すら一気に引いた。
念の為にと仕込んでおいた魔道具を使用して術をそのまま返せば、カルラは盛りの付いた犬のように宮廷魔導師長に挑んだものだ。
それ以降も魔道具を使い続けて幻影を見せて誤魔化し、一度も抱いていないのだから、バルトロメオスの子供ができるわけもない。
何人でも子供を産めと喚く周囲からのプレッシャーに負けたのだとしても、国の重鎮を総ざらいは些かやりすぎだろう。
第一子に至っては側室に迎え入れる前の子だ。
早産の設定にしても早すぎると思いもつかない馬鹿を、咎めようとしなかったバルトロメオスにも非はあるかもしれないが、増長するにも程がある。
「お、おさかんですね」
全員とまでは見透かしきれなかったようだ。
純粋な驚きを孕んだ瞳は、エレオノーラに似すぎており、胸が締め付けられた。
「品がないぞ、アレクサンドラ」
「申し訳ありません」
珍しくも子供じみた表現を諭せば、反論の一つもせず従順に首を垂れる。
一瞬で、聖女とも巫女姫とも崇められる神気を纏って見せた。
「そこへ、座れ」
「はい」
打ち合わせをするためのテーブルを指示すれば、アレクサンドラは頓着なくティーセットに手をかけた。
「……美味いな」
そっと差し出されたティーカップの中身を一口含む。
神殿で紅茶の淹れ方を教える時間はなかったはずだが、紅茶を淹れるのに長けた秘書官にも及ばない美味さで、バルトロメオス好みの味だった。
「恐れ入ります」
ティーカップを両手で包み込み、その温もりを堪能するかのように目を伏せたアレクサンドラが、決意の眼を見開く。
誰をも惹き付けて止まない美しい漆黒は、微かに濡れているような気がする。
「父上に、お願いがございます」
「ほぅ」
幼くして神殿へ押し込めて10年。
初めての願いだった。
「ディートフリート・ヴュルツナー殿との婚約を破棄頂きたく願います」
「……お前、ディートフリートに懐いてなかったか?」
バルトロメオスの実弟である神殿長は、カルラを孕ませる程度にはバルトロメオスを憎んでいる。
副神殿長も金魚の糞だ。
当然、その部下達もアレクサンドラを疎んだはずだ。
閉鎖された狭い世界の中で、ディートフリートだけしか縋れなかったに違いない。
他の誰でもないバルトロメオスが、そうとしむけた。
ディートフリートの祖父はバルトロメオスを常に正しく諭したし、ディートフリートの父はバルトロメオスを庇って戦死した側近中の側近。
親子三代に渡って決して裏切らないだろうからと。
ディートフリートだけを見ていれば、他の屑に穢されることもないと。
そう思っての手配だったというのに。
「ただ一人。私の相手をしてくれる方でした。だからこそ、婚約の破棄をお願いするのです」
「理由は?」
「惚れた女に子供ができたので、添い遂げたいから、婚約の破棄をしてくれと。そう言われたからです」
絶句するバルトロメオスにアレクサンドラは、爽やかに微笑した。
たった一人の信頼できる人間を失ったとは思えぬ、晴れ晴れとした笑顔だった。
「……婚約破棄を認めたら、アレクサンドラ。どうするつもりだ?」
「そう、ですね。もうこの国に留まる理由もございませんので、父上が良いと思う何処かの国の方と、政略結婚の手配を頂ければありがたいです」
「捨てるのか、この国を」
エレオノーラは神に愛されて、早々に天へと召し上げられた。
切実なエレオノーラの願いを叶えた神は、アレクサンドラを徹底的に庇護している。
だからこそ、敵が多い神殿の中でも生き永らえられたのだ。
荒んだ環境の中で、唯一の心のよりどころであったディートフリートを自ら手放さざる得なくなっての決断だと、理解はできた。
できたが、納得できるかと言われれば、難しい。
「このミスイア皇国が、民が……父上が、私を捨てたのです」
目を大きく見開いたバルトロメオスは、唇を噛み締めて出かかった言葉を飲み込んだ。
アレクサンドラを愛していた。
最愛のエレオノーラを喪って、あまりにも彼女に似ている娘をその身代りにしてしまうのだけは絶対に許せないからと、接触を断つ程度には、とても。
とても、愛おしく思っていたのだ。
「……お前の価値は国内よりも国外の方が遥かに高い。どこかの国でお前は一心に愛を受けるだろう」
だからバルトロメオスは、想いを告げなかった。
告げれば愛に飢えたアレクサンドラは、国に留まり、国の奴隷であろうとしてしまう未来しか見えなかったからだ。
「結局、二つもお願いをしてしまいました。はしたないですね」
はにかむアレクサンドラの様子は、バルトロメオスの良心を刺激してやまない。
続ける言葉は声が上ずった。
「構わん! まだ、ないのか? 聞くぞ。今なら」
国を捨てる娘に、父としてできる事をしてやりたかった。
今更愛されようとは思わない。
愛を見透かされても困る。
むしろ、皇帝の酔狂と受け止められたいと望んでもいる。
けれど、心のどこかで。
許されるのなら、目の届かない遠くへ行ってしまうまでの僅かな時間だけでも。
娘として溺愛したいと、思ってしまう。
決まりきった短い時間の中だけであれば、間違いを犯さない絶対の自信がバルトロメオスにはあった。
「マルティン・マルティノヴィチ・グーリエヴァをご存じですか?」
「王と名のつく者で知らぬ者はいないな。ヴォルトゥニュ帝国の帝王だ」
「……大国、ですか?」
「世界一の大国だな」
「そうですか。出世、されたのですね」
寒さ故に小国しかなかった彼の地を、一国漏らさず統一した北の覇王。
戦上手で知れるバルトロメオスもマルティンとは戦いたくない。
勝てはするだろう。
しかし、被害が大きすぎるのだ。
マルティンは兵士を徹底的に駒としてしか扱わない。
たが、不正はどんなに地位が高くとも許さないためか、兵士の評価は悪くなく忠誠も高かった。
また、捕虜にした美女達を頓着なく下げ渡すことでも知れている。
特に失うものがない最下級の兵士達は、働きが認められれば亡国の姫すら得られると死にもの狂いになるのだ。
「知り合いか?」
「一度だけ。迷子になった幼い頃の彼に会いました。別れ際、僕と一緒に来る? と言って下さったのを、ふと、思い出しましたので」
「それだけか!」
「……とても……とても美しい方だったのですよ。容貌も……その、心根も」
「心も、か……」
成してきた覇業を考えれば、純粋な心の持ち主とは到底思えないが、アレクサンドラが気に掛ける何かが、マルティンにはあるのだろう。
実際、黙って立っていれば、男に慣れた娼婦でも、男を知らない処女でも皆等しく恋に落ちるとまで謳われる美貌だ。
高貴に透き通った紫の瞳は、バルトロメオスですら観賞に値すると思っている。
白銀の髪は雪よりも神秘的な雰囲気を醸し出していた。
穏やかに甘い眼差しを勘違いする者は多い。
知識者と持て囃される者ですら惑わせられるほどの、神がかり的な美しさなのだ。
戦場での残虐極まりない策略を嵌った敵ですら、身悶える。
全てを持っていながらも常に飢えている獣、というのが、どうにかマルティンの魅了から逃れたバルトロメオスの評価だった。
「皇帝として打診をしておこう。正妃になる覚悟はあるな?」
「第一皇女という自覚を持った瞬間から、一瞬たりとも忘れた事はございません……私から手紙を書くことをお許し頂けますか?」
「許そう」
鷹揚に頷けば、年齢らしい喜びを浮かべたアレクサンドラは、皿に盛られた毒味済みの焼き菓子を口にする。
僅かな欠片すら落とさず丁寧に食したアレクサンドラが、ゆったりと腰を上げるのを、手首を引いて止めた。
「……陛下?」
「神殿に戻ると面倒事に巻き込まれるだろう。婚約破棄と政略結婚の発表は帝国の返信が届き次第同時に行う」
「では、私はどちらに住まえば宜しいでしょう」
「……エレオノーラの部屋を使うが良い」
「宜しいのですか!」
「ああ、許そう。中にある物は全て使って良い」
「ありがとうございます、父上!」
永遠の巫女姫と謳われた母親と比べられ続けながらも、思慕の情を微塵も失っていなかったようだ。
心根も瓜二つだな、と微笑を浮かべ、バルトロメオスは腕を差し出した。
アレクサンドラはおそるおそるバルトロメオスの腕に自分の腕を絡ませる。
額へキスを落としたくなった衝動をきっちりと押し殺し、代わりに反対側の掌でくしゃりと頭を撫ぜた。
過去の虐げられた話と合わせて陛下に短い期間とは言え、溺愛される描写も入れようと思ったのですが、皇女の視点は最後と、完結後の後日談で書こうと思っています。
次は、隻腕の将軍、隻眼の宰相。
政略結婚を打診した美貌の帝王の二人兄の話。
帝王が舞い上がって仕方ないので、帝王話は皇女と再会する時に持って行くことにしました。
予定通りなら、次話は7月29日の更新です。
お読みいただいてありがとうございます。
次回もまた、よろしくお願いいたします。