歓喜する帝王 中編
中編です。
やっとこさ帝王がアレクサンドラと再会します。
お互いめろめろです。
爆発すればいい。
居たたまれない周囲は、それでもきちんと見守って軌道修正もしますよ。
そしてほのぼのお茶会から、場面は移って側室と神殿長のぷちっとざまぁになります。
「アレクサンドラ! お待ちかねの婚約者殿が来られたぞ!」
扉を開け放ちながら皇帝が部屋へと入ってゆく。
女性が好む愛らしくも品の良い小物と調度品で整えられたアレクサンドラの私室。
マルティンが贈った花瓶にはあらゆる種類の純白の生花が生けられており、アレクサンドラのために特急で作らせた宝石箱は一番目立つ場所に置いてあった。
喜びに満ち溢れたアレクサンドラは、これ以上はないぐらいに美化したと思っていた想像上のアレクサンドラを更に上回る美しさだった。
首にはこれもマルティンが贈った、希少宝石パパラチアンサファイアとダイヤモンドをふんだんに使った優しいピンク色のネックレスがかかっている。
驚くほど優美で女性らしい身体を包み込むドレスは宝石と同じ目に穏やかなピンク色。
露出がほとんどないにも関わらずどこか艶めかしいのは、身体のラインが素晴らしいからだろう。
瞳と髪の毛の黒をなめらかに際立たせる装いだ。
頭に乗った冠は真円の大きい真珠を中心に粒揃いの真珠とダイヤモンドで緻密な細工がなされている。
マルティンの記憶が正しければ、冠は父から娘へ結婚時のプレゼントとして贈られる物。
時間をかけて作らせて、贈れる日をずっと待っていたのだろう国宝にもなりそうな逸品だった。
やはり皇帝は、優しくしたかったその娘への想いを形に残していたようだ。
「マルティン様、ようこそおいで下さいました!」
笑顔のまま淑女の挨拶がなされる。
爪の先まで神経の行き届いた典雅な所作だ。
軽やかで耳に優しい。
何時でも、何時まででも聞いていたい声で名前を呼ばれる。
涙が滲みそうになって数度瞬きをした。
「遅くなって、ごめんね?」
「いいえ。マルティン様が必ず来て下さると解っておりましたから。待つ時間もまた、楽しいものでしたわ」
笑み綻ぶ愛らしさに見惚れていると、皇帝とルカが揃って咳払いをする。
「まぁ、私としたことが! お客様を立たせたままなんて、大変失礼を致しました。マルティン様、ルカ殿、父上。どうぞ、おかけになって下さいませ」
ふらふらとアレクサンドラの隣へ座りそうになって、ルカに服の裾を引かれ、皇帝に苦笑されて、正面のソファに腰を下ろす。
よくよく中身の詰まったやわらかいクッションが、マルティンの全身を包み込むように受け止めた。
「マルティン様に召し上がって頂こうと思って……少し……作りすぎましたの。お好きなだけ、召し上がって下さいませ」
「これ! 全部アレンちゃんが作ったの?」
「……素晴らしいですね。見た目は帝国の宮廷料理長の腕より秀逸です」
「味も最高ですよ、ルカ殿」
胸を張って娘自慢をする皇帝の側で、アレクサンドラは頬を赤く染めながらも嬉しさを醸し出していた。
「お好きな物を、お好きなだけお取り下さいませ。お飲み物は何になさいますか? お薦めはこちらの紅茶になりますが。どうぞ、香りを確認されてくださいね」
控えていたメイドが差し出したのは仕切りのある箱。
仕切りの一つ一つに、コルクで蓋をした小瓶が入っており、その中には少量の茶葉が収まっていた。
「ふむ……我はこれにするぞ」
皇帝が小瓶の一つを摘まみ上げてコルクを開け、中の香りを嗅ぐ。
「セイロンですね? オレンジの輪切りを浮かべて、オレンジティーになさいますか?」
「それがいいな」
アレクサンドラが皇帝の紅茶を淹れている間に、ルカは全種類の茶葉の香りを確認している。
「マルティン様には、こちらをお薦め致しますわ」
アレクサンドラが取ってくれた小瓶の蓋を開ける。
驚くほど馨しい薔薇の香りが広がった。
「ウォラトンオールドホールという薔薇ですの。飲むとグレープフルーツに似た香りが鼻を抜けて爽快な気分になれますわ」
「強く感じるのはぎゅっと凝縮した薔薇の香りなんだけどね。言われるとグレープフルーツの香りにも思えてくるから不思議だな。ぜひ、アレンちゃんのお勧めのウォラトンオールドホールでお願いするよ」
「はい! 少しお待ち下さいませ」
そんなやりとりをしている間に、ルカはマスカットの香りがする茶葉に決めたようだ。
自分で注ごうとして、アレクサンドラに咎められて恐縮している。
待つだけの時間に耐えられなかったのか、ケーキスタンドから取り皿へ盛り付けを始めた。
皇帝の皿は甘い物以外を中心に、自分用には万遍なく。
マルティンの目の前に置かれた皿には。
「左から、苺たっぷりミニショートケーキ、クラッシュククランベリーゼリーの生クランベリーのせ、オレンジクリームの詰まったマカロン、ころころチーズ入り焼きたてスコーン、夏野菜とベーコンのキッシュ、ホタテのテリーヌですね。スコーンにはクロテッドクリームかクリームチーズをお勧めしますわ」
どこから手をつけたら良いのか迷う、マルティン好みの物が綺麗に盛り付けられている。
さすがは従者だ。
そして、丁寧に説明してくれるアレクサンドラの情愛には、微笑が深くなった。
「さぁ、どうぞ。ゆっくりと召し上がって下さいませ」
勧められるままに、クランベリーゼリーを口にする。
酸味と甘みが絶妙で、最高に舌触りが良い。
するんするんと入っていく喉越しの良さを満喫していると、あっという間になくなってしまった。
「ふふふ。お口にあいましたか?」
「……こんな料理上手をお嫁さんにできる僕は果報者だよ!」
「あらあら。お菓子と日々のお料理は違いますよ?」
「夏野菜とベーコンのキッシュも美味しいです、アレクサンドラ様」
僕より先に食べるなんて! と思ったが、口には出さない。
嬉しそうに謙遜するアレクサンドラの前では言えるはずもない。
優しくたしなめられて終わりの気もしたけれど。
「そうだな。スコーンなど、毎日食べているが飽きぬな」
「お父様! 嬉しいお言葉ですが、褒めすぎです」
グレープフルーツの香りがする紅茶は、ほのかな甘みがあるので砂糖を必要としない。
普段はジャムや酒をたっぷりと淹れて飲む方が多いマルティンだが、アレクサンドラが作ってくれた物には、勧められる方法以外で手を加えたくなかった。
「お砂糖もありますよ?」
甘党の話は手紙でしている。
寒い国では、さもあろうと、アレクサンドラは好意的だ。
男らしくない! なんて、微塵も思わないに違いない。
薔薇の細工が施された繊細な砂糖にも心惹かれたが、今回は止めておく。
「ありがとう、お菓子が甘そうだから、今回は控えてみるね」
「そうですか? お菓子そのものは比較的甘さ控えめですので、遠慮なさらず、ジャムでもお砂糖でもお使いになってくださいませ」
「うん。ありがとう」
アレクサンドラの心遣いも嬉しいが、何より本人を目の前にして直接やりとりできるのが嬉しい。
ずっとずっと夢見てきたのだ。
実行できなくてもいいかと思い。
もしかしたら実行できるかもしれないと考えを改め。
実行できるならなんでもしてやると、行動に移した結果が。
目の前で微笑むアレクサンドラだ。
過去の苦労など、どこか遠い所へ吹き飛んでしまった。
「ん! チーズ入りスコーンも美味だねぇ」
「マルティン様のお国のチーズには負けますが、ミスイア皇国でも牧畜は盛んですのよ」
外へ出る機会の少なかったアレクサンドラだが、国の内情は事細かに学んでいたようだ。
学ぼうとするアレクサンドラの意思を挫こうとした神殿長やその配下達を撥ね付ける、師がいたらしい。
口では、この程度のことも知れぬ皇女は存在を許されますまい! と、アレクサンドラを表向き辱めつつも、アレクサンドラが望む全てを教えてくれたと聞いている。
時間があるなら積極的に会ってみたい、数少ない好ましく思う一人だ。
「こちらのクリームチーズをつけていただきますと、また、違う味になりますわ」
たっぷりとスコーンの生地の隙間を埋めるように塗り込めれば、アレクサンドラが愛らしくくすくす笑う。
「アレンちゃんも食べないと!」
「ふふふ。そうですね。つい皆様が美味しそうに召し上がって下さるのが嬉しくて見惚れてしまいましたわ」
アレクサンドラが口にしている紅茶の色は赤い。
ストロベリーティーあたりだろうか。
次は同じ物を飲んでみたい。
「ルカ殿? 紅茶のお代わりは如何でしょう」
「! その……恐れ多いので、自分の分は自分で淹れても宜しいでしょうか?」
目に見えてアレクサンドラが落ち込み、マルティンは腰を上げかける。
しかし、皇帝がやんわりと止めた。
「ルカ殿にはまだ慣れぬだろう。向こうに行ってから慣れれば良いのだ、アレクサンドラ。焦ることはない。ルカ殿もすぐには難しかろうが、アレクサンドラの思いを何時か受け取って欲しい。マルティン殿には……アレクサンドラ。お前が飲んでいるストロベリーティーを淹れて差し上げなさい」
「私が飲んでいる物と同じ物を、ですか?」
「うん! ぜひ、飲みたいな!」
頬を染めるアレクサンドラに、機嫌を直したマルティン。
皇帝を尊敬の眼差しで見詰めながら深々と頭を下げるルカ。
彼がいる限り、このお茶会は和やかなままで終始するだろう。
ホタテのテリーヌを口にする。
思いの外ふわりとした食感だった。
塩気はちょうど良く、刻み入れてある苦手のほうれん草も全く気にならずに、美味しく食べられる。
偏食のマルティンだったが、アレクサンドラが食事を作るようになれば、好き嫌いがなくなりそうだ。
帝妃業の合間でいいので、毎日は言わずとも時々作って貰えるのなら幸せなのだが。
新しく入れて貰ったストロベリーティーは、想像よりも酸味が強かった。
薔薇型の砂糖を一つ入れてちょうど良い。
こんなにのんびりとしたお茶会は初めてだ。
皆が、茶と菓子と雰囲気を楽しんでいる。
言葉数も少ないが、沈黙は気にならない。
「マルティン殿は、皇国へ何日ぐらい滞在予定でございますかな?」
「一応、三日。と考えていますが、兄達に延びるかもしれぬ旨は告げてありますよ」
「三日ですか。ふむ。こちらは問題ありませぬ。準備は全て整っておりますからな。明日お発ちになられても大丈夫でしょう。帝国も、色々と、ございましょう?」
兄達がいれば安心だが、完璧でないのは確かだ。
「皇帝には敵いませんね……他に、会いたい方々が何人かおりますので……その方々にお目にかかれればアレンちゃんを連れて、即時帰国したいというのが、正直な気持ちです」
「長く滞在されますと、何かと勘違いをする輩が多くおりましてな。お恥ずかしい話です」
「本来でしたら歓迎のパーティーですとか、国民へのお披露目などもするものだと、知ってはいるのですが……」
アレクサンドラの優しい微笑に痛々しさが混じり込む。
情け深い彼女は色々な件を憂いているのだろう。
「滅ぶ国であれば、不必要なんだよ、アレンちゃん。まだ、皇帝陛下が口にできない事は多そうだけど、落ち着いてから君のやりたいことはやれると思うから、今は全部僕に委ねて欲しいな?」
滅ぶ国、の部分でアレクサンドラが泣きそうな顔をする。
皇帝は覚悟の諦観。
ルカは少しばかりの嫌悪。
そして、マルティンは努めて穏やかな微笑を浮かべて、アレクサンドラの心が安らぐように言葉を紡ぐ。
「大丈夫だよ、アレクサンドラ。君を庇護する神は、君に甘い。君が大切にしている者に対しても、甘い。だから、君が想像しているような不幸は起こらないよ」
「マルティン様……」
堪えきれぬ涙が一粒、ころりと落ちる。
どんな希少な宝石よりも美しい透明の滴を、爪の先でそっと拭えないこの距離が憎い。
「僕の神ですら、そう言っている。だから、ね。安心して、僕を信じてくれるかな?」
静かに目を閉じたアレクサンドラの眦から、新しい涙は零れなかった。
「……ええ、マルティン様。私は、マルティン様を信じますわ」
「良かった。僕の大好きな君は、何時だって幸せに微笑んでいて欲しいからね」
気合いを入れて微笑を深くすれば、アレクサンドラの頬も鮮やかに染まる。
相手の幸せを祈って、自分の美貌を使うのは初めてだ。
「私も、マルティン様に、幸せに微笑んでいて頂きたいですわ」
「それは大丈夫だよ! このオレンジクリームと君の愛情がたっぷり詰まったマカロンは最高だからね!」
生まれて初めてのウインクをする。
瞳を大きく開いたアレクサンドラもたぶん、初めてなんじゃないかと思うウインクを返してくれた。
和やかなお茶会は終わり、後ろ髪引かれる思いでアレクサンドラと別れる。
アレクサンドラの自室と、マルティンが泊まる予定の客室はそれなりの距離があるようだった。
「マルティン殿は、アレクサンドラをとても愛しく思って下さっておるようですが……どうして、一度しか会ったことのない娘をそこまで思えるのでしょうな?」
皇帝自ら案内をする途中で問いかけられる。
マルティンは、皇帝が望むだろう言葉を丁寧になぞった。
「皇帝に取ってのエレオノーラ様と同じです。一緒に居た時間がどれほど短くとも、一度愛しいと思ってしまったならば、その先も、永遠に愛しいと思われるでしょう?」
「……ええ。確かに、そうですな」
何かを堪えるかのように唇を噛み締めた皇帝から、ふっと力が抜ける。
「マルティン殿がお会いになりたい残りの者は、全員、神殿におりますので、案内をさせましょう」
「私は部屋を整えております」
「うん。宜しく頼んだよ」
「案内はこちらの者に……」
巨体にも関わらず男は気配を感じさせなかった。
ルカも驚いている。
「フェルディナントと、申します。恐れ多くも皇帝の三男と表向き言われておりますれば、案内を、お許し下さいませ」
「頼んだぞ、フェルディナント」
「勿体ないお言葉でございます、皇帝陛下」
床に額ずいて頭を下げるフェルディナントに愕然とするも、皇帝は表情を動かさない。
マルティンに目礼をして後、颯爽と去って行く。
「お見苦しいものをお見せ致しました」
そのままの体勢でマルティンにまで謝罪がなされる。
「や! 僕は気にしないから、早く立ち上がって欲しいかな!」
「ありがたきお言葉、恐縮で、ございます」
横にも縦にも大きいにも関わらず、気配が薄い。
長年気配を消してきた者でもここまでなれる者は少ないのだ。
「さ。こちらでございますが……どなたからお会いになれましょう? 神殿長、側室殿、皇女様の元婚約者騎士、そのお相手」
諸悪の権化は神殿長だろう。
自慢の兄達の爪の垢を山ほど煎じて飲ませてやりたい。
だが、一番腹立たしい相手は、元婚約者騎士と、その相手。
どちらも等しく耐えがたい怒りを覚えている。
花畑の花が、未だ枯れていないのならば、一本残らず枯らしてやりたかった。
それぐらいなら、神への不敬には至らないだろう。
「全員一緒の部屋に居るんじゃないの?」
「元婚約者とそのお相手は一緒でございます」
「そう……それじゃあ、側室、神殿長、二人の順番で」
「畏まりました」
衣擦れの音も静かにフェルディナントはマルティンを先導する。
すれ違う神殿の者は、立ち止まって礼を尽くした。
「神殿は、混乱していないの?」
「個人的に混乱している者は多かろうと思われますが、表面上平静を保つように、皇帝陛下からお言葉を賜りましたので、静かなものでございます」
「神殿長が引き籠もっていても?」
「本来神殿に住まう者は、神を崇める者でございます。神殿長を崇めるものではございません。今まで、そういった態度を取る者が居た事実は間違いございませんが……」
静かに紡がれていた言葉が一端途切れて、侮蔑の色も濃く。
「今の神殿長を崇める者は一人たりともおりません」
現状が告げられる。
ざまぁみろと言いたい。
や。
言うつもりだが。
フェルディナントの足が止まり、扉に手をかける。
人形のような所作で首が傾げられた。
「側室殿が無礼を働く恐れがございます。同席をお許し願えますでしょうか?」
「神殿長の時も、同室をお願いしたいかな? 君も良かったら言いたいことを言うといいよ。実の父親と母親だろう?」
「寛大なお言葉ありがたく! 頭を垂れて感謝申し上げます」
膝を折っての謝辞には、今までの中で一番心が籠もっているように感じられる。
思い切り息を吸ったフェルディナントは、吸い込んだ息を全て吐き出すように言葉を放つ。
そこには疑いようもない、憎悪が、多分に含まれていた。
「側室殿に、高貴なお客様に、ございます! どうぞ! 謹んで、お出迎えなされませ!」
「陛下っ! 皇帝陛下っ! 私は悪くないのです! 私は、皇帝陛下のことだけを何時も思っておりますのよっ!」
扉が大きく開かれる。
胸が零れんばかりの下品なデザインの毒々しい色味の衣装と厚く塗りたくられた白粉の匂いと香水の芳香が入り交じった、雌の臭気を放つ豊満過ぎる女が転がり出てくる。
これが、アレクサンドラを貶めようと奮闘した側室。
この程度の女がどうして、そこまで勘違いできたものか。
「……マルティン帝王には、大変申し訳ありませぬ。側室殿! 謹んでお出迎えをと! 申しましたが! 言葉の意味が、おわかりに、なりませんでしたでしょうか!」
「そ、そんな大きな声を出すでない! 母に対して不敬の極みじゃぞ! 高貴な方と言えば、陛下しか! ……お客人と、な? 妾に? どなた、なのじゃ?」
側室に面識はない。
だが、こちらから名乗りをあげるつもりもない。
部屋に入らず、ここで話を済ませた方が良さそうな気もする。
「こちらは、ヴォルトゥニュ帝国の王マルティン・マルティノヴィチ・グーリエヴァであらせられる」
空気を読んだフェルディナントが朗々とマルティンが何者であるのかを謳い上げる。
「ひ! ヴォルトの死神っ!」
うん。
一般人の反応だった。
少なくとも貴族の反応ではない。
側室の反応であるはずもない。
非常識極まりない存在だと、マルティンは改めて断定する。
側室とやり取りするだけ、時間の無駄だとも思った。
この手の輩は、マルティンが不機嫌に無言を貫き通した会談ですら、大国の王を同席させてやったと自分は素晴らしいと! ねつ造を極みにまで持ち上げて吹聴するのだ。
「……ミスイア皇国アレクサンドラ皇女様の婚約者として、申し上げましょう。貴様は、アレクサンドラ皇女が出る全ての式に呼ばぬ! ……二度とお会いになることはないでしょう、これにて失礼!」
悲劇のヒロインは嫌いだ。
気持ち悪い。
大体、悲劇のヒロインはアレクサンドラだろう。
本人はそんな風には決して受け止めないだろうけれど。
悲劇のヒロインが最終的に報われるのは、ヒロインが正しくヒロインであるからだ。
そうでない場合は、側室のように勘違いを尽くして更に、周囲に迷惑をかけ続けるはた迷惑な存在と成り果てるのだろう。
自分が苛烈である事を理解しているマルティンは、話の通じない相手とは、そもそも会わないようにしている。
不敬だとそのまま断罪したとて、マルティンを責められる者はそう多くはないが、それを成してしまうと、理が歪むからだ。
久しぶりに想定していたよりも腹立たしい相手に遭遇して、言葉まで乱されてしまった。
マルティンは心の動揺を悟られぬように、視線を明後日の方向に投げる。
すかさず、フェルディナントが扉を勢いよく閉めて、外から閂までかけてしまった。
「お疲れ様」
鼻息も荒く、扉の向こうにへたり込んでいるのだろう側室を睨み付けているフェルディナントの肩を軽く叩く。
「……あれが、実の母親とはっ! 本当にっ!」
「うん。子供は親を選べないからねぇ。でもまぁ、多少なりとも留飲は下がったでしょ?」
「はい。マルティン陛下のお言葉を聞き、あの女は、金輪際亡国の側室としてすら認めて貰えないのだと思ったら……ふふふ。ありがとうございます。陛下」
無表情が僅かに緩んで微かに喜色が差した。
側室の媚び怯えた表情とは似ても似つかぬ。
というか、フェルディナントに側室と似た面は見受けられなかった。
神殿長の方に似たのだろうか。
「神殿長は、こちらになります」
側室の部屋から然程歩かずに告げられる。
ノックもせずにフェルディナントは大きな扉を開け放った。
「本来は、神殿に住まう者は無論、神殿を訪れた者も利用が許されているのですが、今は。あの男が独占しているのです!」
憤懣やるかたないといった風情のフェルディナントは、巨大な十字架の前で伏している男の側まで滑るように移動すると、今までの無表情が嘘のように神殿長を睥睨する。
「ゴットホルト神殿長! 高貴な客人が、お出でになりました! 礼を、尽くして下さい!」
フェルディナントの言葉に、神殿長がゆらりと立ち上がる。
報告では、親子揃って贅を尽くした果ての肥満体を、偉そうに揺さぶって歩いている……という話だったが、目の前に居る男は、酷く痩せ細っていた。
更に、病んでいると、一目で解る虚ろな眼差しを彷徨わせている。
「っ! ひぃっ!」
虚ろな瞳はしかし、マルティンを。
正しくはマルティンの背後に焦点を併せた途端、腰を抜かした。
「あ! あなたっ! あなた、さまはっ!」
「あれ? 見えるようになったんだ?」
「マルティン様の背後を護られておられる神様を、でございますか?」
全く感知させなかったフェルディナントは、マルティンを守護する神が見えるようだ。
神格は高い方なので、見えると言うことは信仰心が厚いということになる。
正直意外だ。
フェルディナントは神に対しての信仰心は強くないだろうと思っていた。
「うん。神殿長って、今まで見えなかったんでしょう? 見えるって嘘吐いてきたんでしょう?」
「ええ。そうですね。ですから、マルティン様の守護神様があえて、見えるようにしているのではないかと、推察致します」
「ちがう! 違うぞ! 我は見えるようになったのだ! 神がっ! 聞こえるようになったのだ、その、声がっ! ごふっ!」
神殿長の身体がぺしゃりと床へ倒れ込む。
何か物凄い力で押しつけられたように、大理石の床にめり込んでいる。
痛みはあるのだろう、くぐもった呻き声が床から聞こえた。
けれど、不思議な事にその身体はどこも傷ついてはいないようだった。
それだけで、神殿長の身に何が起きたか理解できた。
神の怒りに、触れたのだ。
「マルティン帝王陛下の守護神様。どうぞ、その屑は既に未来永劫の罰を受ける身でございますれば……」
フェルディナントが素早く大理石に額づいた。
神殿長を庇う為ではない。
マルティンの守護神のその身を案じたのだ。
神の罰を受ける身に、違う神が罰を与えると与えた方に問題があるとなされる。
それは例え与えた側の神格が高かろうとも関係はない。
守護神にはフェルディナントの真意が通じたのだろう。
大広間を制圧していた神威が一瞬で霧散する。
「よ、くやった! さすがは、我の、むす、こ!」
「貴様の種で、あの女の腹から生まれたのが、私の、最大の、不幸で、屈辱だっ!」
神殿長の首根っこを掴み上げたフェルディナントが荒々しく、その随分と軽くなってしまったらしい身体を、説教台へ叩き付ける。
何が連鎖したのか、天井から神殿長の頭へ十字架が落ちてきた。
ごがっと、良い音がした。
「つ! 痛ぁああ!」
「うるさいよ。黙って」
「ぐふぅ!」
マルティンを憎々しげに凝視した神殿長の口は噤まれた。
恐らく本人の意思は関係ないだろう。
「無様だねぇ、神殿長。護らねばならぬ民からは見放され、散々餌を蒔いてやった取り巻きからも捨てられ、実の息子娘からは憎悪され……肝心の神様から頂いたものは、絶望でしょう?」
「ぜつ、ぼう?」
「うん。絶望。亡国の王なんて、意味ないじゃない。王は民がいるから王なんだよ?」
「亡国でも、王は、王だ! それに、民もいるっ!」
必死の形相だ。
それはそうだろう。
縋るものが、それしかないのだから。
「民かぁ……そうだねぇ。いないじゃないかもね。ろくでもない民な気もするけど……そういえば、君はどうするの?」
実姉の幸せだけに全てを捧げてきたらしいフェルディナンドの選択が、少しだけ気になった。
他の弟妹達と違い、アレクサンドラと一緒にはいない気がする。
「……迷って、おります」
「何を迷っておる! 貴様は今までの親不孝を返上すべく、我の手となり足となり! ぐふうっ!」
神の逆鱗に触れているのに、まだ逆らえる意志の強さは凄まじい。
だが、それだけだ。
最後までの己の意思を告げられもせず、また無様に床へ這いつくばる羽目になった。
「迷って、おりますが、決して、この男の、民にはなりますまい!」
「今はねぇ。それでいいんじゃない? 君がアレンちゃんの側に居たいと望むなら、僕はそれを受け入れるよ、何時でもね。お姉さんと一緒にね」
姉弟共に拗れているようだが、時間が解決してくれるような気もする。
何よりアレクサンドラの側に居れば、自動浄化されるだろう。
ただ。
浄化に耐えられるだけの精神的余裕が得られればいいだけの話。
そしてそれは、そこまで難しくもない未来。
マルティンは、そう考えている。
「ねぇ、神殿長。君さぁ。王になって、何がしたいの?」
「何を、とは?」
「普通は、王になりたいって奴等って、理由があるんだよ。ただ、その理由って、自分の他に誰かいないと、意味ないものがほとんどだと思うんだ。民も、取り巻きも、子も神もいなくて。まぁ……罪人はいるかもしれないけどね。そんな状況でさ。ねぇ? 王として、何ができるの?」
「私はっ! 罪人を許したい!」
罪人=自分を?
馬鹿らしい。
贖いの機会を失った人間に、自分を許せる慈悲など与えられるものか。
「祈るしかできないんでしょ? 許しなんて与えられないよ?」
しかも、祈ったとて。
叶う願いは何一つない。
「え? は?」
心底解らないと言った風情で首を傾げている。
どうやら神殿長は、神からの託宣を自分に都合良く改変した上で受け止めたらしい。
国の上層部とも言える者達がどうしてここまで、自分勝手でいられたのか。
まぁ、だからこそ、滅びの道を辿るのだろうが。
「まぁ……時間は腐るほどあるんだ。精々考えればいいよ。これ以上の嫌味は助言になりそうだしね。んー。でも、もう一言! 今の自分の姿、鏡に映してみるといいよ」
死ねない死相が出てるから、とは唇の動きだけで告げた。
背後で守護神が何やらぶつぶつ言っている。
どうやら、これ以上は駄目らしい。
「それでは、マルティン様。次の方の所へ」
「貴様はっ! うぐっ! マルティン帝王陛下は! 何を望まれて王におなりかっ!」
「僕? 僕は兄二人を護りたかったから、王になったんだよ」
「そ、そんな理由で?」
「……たぶん、君のお兄さんもそうだったんだと思うよ。僕の兄達と違って君は、愚かすぎて永遠に受け入れられないだろうけれど」
皇帝も、望んでいない気がする。
それが、きっと最後の情だったろうに。
受け入れていたらきっと。
僕と兄の関係のように、何があっても信頼できあえる関係だった。
全ては、もう。
取り返しがつかない話だが。
何時かそれに気付いて、永遠の絶望に落ちればいい。
またしても自分の世界に入ってしまったらしい神殿長を、フェルディナントと共に存分に睥睨して後。
二人揃って、靴音を響かせながら神殿の大広間を去った。
三段ケーキスタンドの豪華アフタヌーンティを堪能したいのですが、有名どころはかなり足を運んでいるのです。
何かの折に地方で堪能した所存……。
や、限定物もあるか。
次回は、永遠にお花畑から出てこられない気もしてきた二人の、ぷちぷちっとざまぁ、予定です。
ええ、すみません。
案の定まだ書けていないのですよ……。
頑張りますので、例によって気長にお待ち頂けるとありがたいです。
お読みいただきありがとうございました。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




