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滂沱する第三騎士団長三女

 妊婦に対する暴力的な描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

 (女性として、特に出産シーンだけでも修正して欲しいというメッセージを頂きました。個人差はあれど、女性は特に不快な思いを抱かれるかもしれません。お読みの際は自己責任でお願いいたします)


 お花畑のお馬鹿さんは手ごわかったです。

 本当にどこまでも自分に都合良く、世の全てをカスタマイズしています。

 都合が悪くなると自分以外の何かのせいにします。

 

 例によって1万文字超えました。

 まだ描写が足りない気もします。

 更にその後も書くべきだろうか迷います。

 






 その日のディナーは珍しくカントール一家が全員揃っていた。

 嫁した姉二人も、王宮勤めの長男も、騎士団勤めの次男と四男も、神殿に籍を置く三男も静かに席に着いている。

 クラウディアは祝福の言葉を聞きたくて我慢できなかったが、何故か誰もが難しい顔をしており、どうにも話を切り出せないでいた。

 常ならば父が食事の祈りを捧げて後、和やかで楽しいディナーが始まるのだが、重苦しい雰囲気の中で、一向に父の口から祈りの言葉は紡がれなかった。


「……クラウディア」


 意を決したような三男に名前を呼ばれる。

 

「はい! なんでしょう、お兄様!」


 神殿へ出向いたヴォルフガングと会って、めでたい話を聞いたのだろうと思い至り、喜色に満ち溢れた声で返事をした。


「ヴォルフガング殿から伺ったのだが、子を、授かったというのはまことの話なのか?」


「はい! ヴォルフガング様との御子です!」


 クラウディアは祝福の言葉を期待しながら胸を張って答える。

 しかし。

 家族の対応はクラウディアの予想から大きく外れた。


「……何という事を!」


 母が額を抑えて、首を振った。


「ですから私は、クラウディアを甘やかすなと何度もご忠告申し上げましたのに!」


 長女は絶叫して、席を立つ。


「……王宮へ参ります」


 長男は真っ青な顔をして、腰を上げた。


「……今更かもしれませんが、自分は騎士団へ報告を」


 次男は襟元のナプキンをテーブルへ叩きつけながら、椅子までをも蹴り飛ばす。


「私も神殿へ戻ります。クラウディアの許されない不敬を真摯に詫び、ヴォルフガング様とアレクサンドラ様の御多幸を祈念いたしましょう」


 三男は怒りを湛えた眼差しでクラウディアを射抜いてから、母に深々とお辞儀をする。


「今この時よりカントール家とは絶縁致します。火の粉が飛ぶようでしたら全力で抗いますので、どうぞご理解くださいませ」


 次女は優美を極めた淑女の礼に不釣り合いの不穏な言葉を残して、背中を向けた。


「ディートフリートの馬鹿に無理やり犯されたのじゃな! そうじゃな! クラウディア!」


 父がクラウディアの肩を掴んでがくがくと身体を揺さぶる。

 空腹が刺激されて、眩暈がした。


「は、はぁ?」


 ここでどうしてディートフリートが出てくるのか、意味が解らない。

 クラウディアは大きく首を傾げる。


「! やはり! やはりそうか! あの愚か者め! 目にものを見せてくれるわ!」


 父は腰に差している剣を荒々しく握り締めると足音も荒く、部屋を飛び出していった。


「……で? クラウディア。本当の所はどうなんだ? 無理やりなんかされてないんだろう? あんなに仲睦まじかったものなぁ!」


 四男は目線だけで召使達に指示を出し、ディナーの支度を片付けさせてしまう。

 栄養をたくさん取らねばならぬ妊婦に、なんて仕打ちなのだと腹立たしい。


「酷いですわ、お兄様! 私、妊婦ですのよ! 食事を下げるなんて!」


「はっ! この大事に食事の心配とはな! 母上っ、クラウディアはどうしてこんなに愚か者なのでしょうか?」


「……ヴォルガング様はお優しい方でしたし、素直な末娘ということで、お父様が甘やかし過ぎたせいでしょう。私や長女次女がどれほど咎めても、全く忠言を聞き入れようとはしないのですよ。それでも……ヴォルフガング様を心からお慕いしているのならば、問題もないと思ったのです。聡明なあの方であれば、クラウディアを貴族夫人として恥ずかしくないように、躾けてくださったでしょうから」


「色々と申し上げたき事はございますれば、私もその点は不審に思っているのですよ。なぁ、クラウディア。どうして、ヴォルフガング殿を裏切った?」


「は? え? 私、ヴォルフガング様を裏切ってなんかおりません!」

 

 ヴォルフガングが好きで好きで早く結婚したくて仕方なかった。

 幾度もして、やっと御子が授かったのだ。

 身も心も裏切りとは無縁のはず。

 母と四男はどうして失礼極まりない暴言を吐いているのだろう。


 身内だけではなく数少ない友人達にも言われた。

 ヴォルフガングにもだ。

 貴族の結婚には色々な手続きが必要で、また正式な手順を踏まねばならないと繰り返して諭されても我慢できなかった。

 好きな相手と一緒になりたいと願う純粋な心を、神が厭うはずもないというのに。


 何か手はないものかと不機嫌を隠せないでいた時に、長女が言ったのだ。

 

 子供でもできれば早めるしかないかもしれないけれど、それは特殊な例外を除いて貴族として醜聞以外の何ものでもないから有り得ないしねぇ、と。


 将来を誓い合った恋人同士が事に及んだ結果、愛の化身を孕んだとして。

 何が恥ずかしいというのか。

 クラウディアには長女の考えが微塵も理解できなかった。


「御子を授かれば、結婚できるって姉様がおっしゃったから!」


「……人のせいにするんだな。昔っから、お前はそんな屑だったよ!」


「どちらの姉が言ったとしても、それだけではないでしょう? とても不名誉で恥知らずな醜聞だとも言ったはずよ。特に女性側に取っては致命的だから望んで選択する者はいないと」


「そんなのおかしいです! 結婚が先か、御子を授かるかが先か! それだけの話ではないですかっ!」


 怒りにまかせて立ち上がるも腹が重く、すぐに腰を下ろす。

 ヴォルフガングとの大切な御子だ。

 無理はしない方が良い。

 そもそも怒りは胎教に悪いのだから、クラウディアを憤らせる話などしないで欲しかった。


「腹の子がヴォルフガング殿の御子であれば確かに。愛する者同士が早ってしまったと、苦笑されるに留まったかもしれない。あの方は陛下のご寵愛がとても厚い方だから」


「まさかと思いますが、クラウディア。貴女知らなかったのではなくて? バウスネルン家の呪い、を」


 呪い、なんて悍ましい言葉が母の口から出るなんて信じられない。

 誰にかけられても、ヴォルフガングには届くはずないものだ。

 クラウディアは、ヴォルフガングほど清廉潔白な好人物を知らない。

 母も同じように思っていると信じて疑わなかったというのに。


「呪い、と言えばいいのか。ご加護、と言えばいいのかは微妙ですけどね。バウスネルン家は音楽の神に愛された家系。血の加護によって教会に正式な婚姻が認められるまでは、子を孕むことができない……とされているんです」


「……孕んだということはね、クラウディア。貴女のお腹にいる子は、ヴォルフガング様の御子ではありません。どこぞかの男との裏切りの証なのですよ」


「え?」


 有り得ない。

 お腹の子は間違いなくヴォルフガングの種だ。

 幾度となく溢れるほどに注いでいただいた。

 誰よりも何よりも愛する誇り高きヴォルフガングの御子だ。

 間違いない。

 

「教えなかったのですか、母上」


「ヴォルフガング様が説明されると思っていたのよ。それに……普通は、大切な婚約者の秘事であれば知っていない方がおかしいわ。貴族の間では比較的知れた話ですもの」


「確かに、本来であれば口にしにくい内容でありますからね。母上のお気持ちは良く解かります。ですが、母上。相手はクラウディアですよ! 懇切丁寧に説明をするべきでしたっ!」


「そうね。そうだったかもしれないわ。でもね? きちんと説明したとして、クラウディアはきっとこう言うのよ?『私がヴォルフガング様を愛しているのです! ヴォルフガング様の御子でないなんて、ありえませんわ!』と恥も知らずにね。貴族の子女として、知るべき教育は全てしてきたの。でも、この子の耳には届かなかった……」


「そこまで……そこまで愚かなのですか。クラウディアは!」


 四男の顔は怒りで耳まで真っ赤だった。

 騎士団に属する者は皆、短気で困る。

 父も次男も四男も、ディートフリートも。


「ええ。そこまで愚かなのですよ。ですが、ヴォルフガング様のお言葉なら聞くようなので、長くお任せしてしまったのです。それがまさかこんな事態を招くなんて……さぁ、クラウディア。腹の子の父親は誰ですの? ディートフリート殿で間違いないのですか?」


「はっ! 私があの男の子など孕むはずないではありませんか! いいですか、おかあ……」


「ディートフリート殿と子を授かる行為をしたのでしょう? 貴女は知らないでしょうけれど、随分と前から酷い噂になっているのよ」


 したから、どうだというのか。

 ヴォルフガングの御子を授かれず悩むクラウディアに、どうすればきちんと御子を孕めるかと手取り足取り教えてくれたのはディートフリートだ。

 お蔭でちゃんと御子を授かれた。

 その点は、感謝をしている。

 行為そのものも、普段の粗暴さは鳴りを潜め、驚くほど優しく絶頂にも導かれた。

 何度も何度もだ。

ヴォルフガングに勝るとも劣らぬ快楽を、存分に楽しんだのは記憶にも新しい。


 身体の相性が抜群に良いのだろうとディートフリートも言っていた。

 だが、それだけだ。


 噂が蔓延したとして、これも何が問題だというのか。

 貴族間での噂など意味なきもの、天気の話と同程度の挨拶に過ぎない。

 騎士団間での噂など、むしろ耳を貸す方が騎士らしくないと叱責されるだろう。

 そもそも父は第三騎士団長。

 爵位以外に高位の役職を持つ者は多くない。

 貴族にしても騎士団員にしても、父を怒らせる噂などするだけ無駄なはずだ。


「……それのどこが、問題だって、つらだな?」


「面なんて、女性に使っていい表現ではない……」


「ディートフリートの婚約者はアレクサンドラ様だぞ! 皇国の至宝と謳われた故エレオノーラ妃の唯一の御子。御身も民からは聖女様と慕われていらっしゃる方で、王位継承権もお持ちの皇族であらせられるんだ!」


「噂が立つだけでも不敬、なのですよ? 本来であれば噂が立った段階で身の潔白を証明する為に、神殿で神書を発行して頂き提出せねばなりません」


 神書とは、神殿長だけが書けるとされている神聖な文書で、嘘偽りなき者にのみ与えられるのだという。

 犯罪に巻き込まれた際の潔白証明に使われるらしいのだが、今の神殿は穢れているので、お金さえ出せば嘘偽りも罷り通ると聞き及んでもいた。


「では、今から提出いたしましょう!」


 アレクサンドラの婚約者を奪った覚えなど微塵もない。

 どころか幾度となくディートフリートの失礼な行動を、本人に代わって詫び宥めてもきた。

 褒められても、怒られるはずはないのだが。

 見当違いの嫉妬をしたアレクサンドラが、何やら画策したのだろうか。

 クラウディアにしつこく言い寄るディートフリートが、何時もより酷い言動でアレクサンドラを貶めたのかもしれない。


 クラウディアに非はなくとも、神書提出で誤解がとけるのなら即時手配する。

 それぐらいの忠義はクラウディアも持っていた。


「……クラウディア……」


「提出できねーだろ。そもそも発行されねぇよ! 腹の子はディートフリートの子なんだからな!」


「ですから! 何度言えば解かるんですかっ! この子はヴォルフガング様のっ!」


「そうと、信じているのは貴女だけだわ。生まれてくるのはディートフリート殿そっくりの男児だそうよ。珍しい髪と目の色ですからね。カントール家にもバウスネルン家にもあの組み合わせの子は生まれません」


 断定されて、幾度も首を振る。


 有り得ない。

 腹の御子の父親はヴォルフガングだ。

 愛しい相手以外の子を、孕むはずが、ない。

 そんなのは神のことわりに反する。


「兄さんが神殿で調べたんだってよ。ディートフリートもヴォルフガング殿もご存じだそうだ」


「ヴぉるふ、さま、も?」


 こんなにも愛しているのに、ヴォルフガングは己の子でないと疑っているのか。

 クラウディアではなく、神殿の言葉を信じるなんてヴォルフガングらしくもなかった。

 神殿の誰かに騙されているに違いない。


「美しい白磁のような肌が、今にも消え失せてしまいそうに恐ろしく透き通って見えたそうよ……あんなにも大切に慈しんでいた貴女に裏切られて、どれほどに……お辛かったでしょう。私達にはそれを量る慈悲も許されておりません。それは、解かりますか。それぐらいは、解かりますか、クラウディアっ!」


 会いに行かなければならない。

 ヴォルフガングが傷ついたなら、クラウディアが慰めねばならないのだ。

 クラウディア以外の誰が、ヴォルフガングを癒せるというのか!


「会いに行きます!」


「……一人で、お行きなさい。私達には他にやるべき事があります」


「こんな時間に、一人でなんて! 幾ら婚約者のお屋敷でも、はしたないですっ!」


「どの口がはしたないと言うんだろうな? はしたないのは、貴様の存在だっ! 血が繋がっているのすら悍ましい。俺も絶縁していいですか、母上!」


「……ええ、かまいませんよ。でも、兄と相談はなさい。お父様にも責は及びます。飛び出して行かれましたが、あの方はディートフリート殿に目をかけておいでてしたからね。即時絶縁すれば、罪も贖わぬうちに恥知らず共めが! と、状況の悪化も十分に考えられます」


「……申し訳ありません。俺が……浅はかでした。八つ当たりをして……すみま、せん……」


 唇を血が滲む程に噛みしめて涙ぐむ四男を、母が優しくて抱き締めて宥めている。

 

 やるべき事があると言い放ちながらも、悠長に泣き喚きそれを宥めている愚行を、密かに鼻で笑いつつ、クラウディアは馬車の用意をさせた。



 ヴォルフガングの屋敷へ急いで足を運ぶも愛しい人には会えなかった。

 王宮へ赴いてから一度も帰宅していないのだという。

 仕方ないのでその足で王宮へ馬車を進めた。

 馬車の振動が腹に響くのが心配だったが、ヴォルフガングの顔を見れば安心できるはずと、優しく腹を撫ぜるうちに王宮へ着いた。

 夜半でも緊急時であれば王宮内へ入れると、ヴォルフガングから聞き及んでいる。

 

「クラウディア・カントールと申します。夜半に恐縮ですが、ヴォルフガング・バウスネルン様へのお目通りを願います!」


「……本当に来るとはなぁ……」


 身長より長い槍を握り締めた大柄の門番は、クラウディアを見下ろすと呆れたように大きく首を振った。


「急いでいるのです! どうかっ!」


「……誠に恐縮ではございますが、如何な御用がございましても、この時間。王宮への入宮は叶いません。叶うのは、王宮より指示があった場合のみでございます」


 慇懃無礼に頭が下げられる。

 尚も言い募ろうと大きく息を吸い込むと、クラウディアの目の前に一通の封書が突きつけられた。


「クラウディア・カントール殿がおいでになったら、こちらを渡すようにと、ヴォルフガング・バウスネルン様から言付かっております」


「何ですって!」


 はしたなくも封書をひったくり、その場で封を切る。

 中には綺麗に折り畳まれた紙が一枚。



 クラウディア・カントール殿


 クラウディア・カントールの不貞行為により、ヴォルフガング・バウスネルンとの婚約を破棄する。


                              ヴォルフガング・バウスネルン



 と、それだけが見慣れたヴォルフガングの文字で書かれていた。

 家紋印も押してある、簡略だったがおおやけへの提出書類として正式に受理されるものだ。

 何時だったか、ヴォルフガングが簡潔に説明してくれたので知っている。


「う、そ? 不貞、行為、なんて、私! して、ないのにっ!」


 衝撃のあまり地べたに座り込んでしまう。

 門番は何も言わずに顔を上げて、仕事を続けていた。


「……クラウディア様。こちらで座り込んでいてもご迷惑ですし、お身体にも触ります。馬車へお戻りください」


 御者がクラウディアの腕を取って立ち上がらせようとする。

 無礼な態度だが、身体の心配をしていて余裕がないのかもしれない。

 しかしクラウディアは御者の手を振り払って、門番へ訴えかける。


「あのっ! ヴォルフガング様は封書を託す時に、何かおっしゃっておりませんでしたか?」


「何もおっしゃっておりませんでした。ただ、いらしたら直接本人に手渡して欲しいとだけ」


「明日! 明日伺ったらお会いできますか!」


「定められた時間にいらして頂ければ、門をお通し致します」


「絶対ですよ!」


 明日になれば会えるなら今は我慢しよう。

 無理を通して、ヴォルフガングの評判を落としたくはない。

 不貞行為なんてありはしないのだと説明すれば、聡明なヴォルフガングは絶対に解かってくれるはず。

 書面だけの婚約破棄なら即時無効もできるだろう。

 御子もいるのだし、無効できなくても結婚してしまえば問題もないはずだ。


 馬車の中に入り安堵の息を吐いたクラウディアは、王宮に入れたとてバウスネルン様にお会いできるわけがないんだがな、と門番が低い声で呟いていたのは当然聞こえなかった。



 がたん! と馬車が激しく揺れて、目を開く。

 どうやら眠ってしまったらしかった。

 腹がぐぅぐぅと空腹を訴えている。

 長い時間眠っていたのだろうか。


「……え?」


 馬車から顔を出すと、そこはカントールの本宅ではなかった。


「確か……別荘の一つだったと思うのだけど……」


 幼い頃何度か来たと思うが、その記憶も遠い。

 父が兄達を鍛える為に建てた別荘は武骨で品もない。

 用途故に貴族的な装飾もほとんどなかった。

 起きて寝るだけの別荘なんて、作る意味あるのかなぁ? と幼かった四男が言っていたのを頭の片隅からどうにか掘り起こした。


 馬車から降りたクラウディアは、別荘の中へ入ってゆく。

 施錠はなされていなかった。


「誰かいるの?」


 最低限の明かりを頼りに中へ入ってゆく。

 人の気配は感じられない。


「おなか、すいた、わ……」


 馬車の御者すらいないのはおかしいのだが、空腹で頭が回らない。

 重い足取りでキッチンへ行けばテーブルの上へ、夕食らしき物が並べてあった。

 

 しなびた野菜が一種類しか使われていないサラダはドレッシングすらかかっていない。

 手作りなのか不格好な木のサラダボウルに入っている。


 パンは干からびていて硬い。

 かびてこそいないが、そのままでは噛み砕けない状態だ。

 これも不格好な木の籠に三個押し込められている。


 シチューは冷めきっていた。

 一つだけ入っていた肉は大きくもないのに、何時まで経っても噛み切れなかった。

 大きな野菜はきちんと火が通っていないのか、じゃりっじゃっりっと音がする。

 器には漏れこそしないが罅が何筋も入っていた。

 

「まだ、食べ足りないけど……」


 テーブルの上へ置かれた物以外食べ物は一切探せなかった。

 薬品臭の漂う水でなんとかお腹を膨らませて、よろよろと寝室を探す。


 木製ベッドには薄汚れたシーツと毛布が畳んだ状態で置かれている。

 枕はない。


「寝て、起きたら。色々、考えよう……」


 シーツを広げ、薄い毛布に包まって目を閉じる。

 上着を着ていても全身が少しも温まらない。


「ヴぉるふがんぐさまぁ……」


 何故会えないのだろう。

 どうしてこんなにひもじいのだろう。

 寒くて寝付けないなんて初めての経験だ。


 あとからあとから涙が溢れてくる。


 明日になれば、ヴォルフガングがきっと。

 泣き濡れて腫れぼったくなった瞼を、よく蒸されたタオルをそっとあてて慰撫してくれるはずだと、懸命に言い聞かせたクラウディアは、しゃくりあげながらも何時の間にか眠りについていた。



 日差しが泣き腫らした瞼に痛かったので、ゆっくりと目を開く。

 身体を起こせば全身痛くない個所がなかった。


「……良い、匂いっ!」


 ふわっと漂ってきたベーコンの焼ける香りが鼻を擽ったので、クラウディアは大急ぎでキッチンへと向かう。

 そこには一人の少女が居た。


「お腹が空いたわ! 早くしてちょうだい!」


 席に着き、新鮮な野菜がたっぷりと盛られたサラダのボウルを自分の前に引き寄せる。

 フォークは武骨な手製だったが昨日とは違い気にならなかった。


「飲み物は、紅茶にして欲しいわ!」


 クラウディアが再び声を上げると、少女が振り向いた。


「ひぃっ!」


 反射的に椅子から飛び上がって後ずさってしまう。

 少女の顔半分が醜い痣で覆われていたのだ。


「……誰?」


「誰って。クラウディア・カントールよ! この別荘の持ち主っ! 貴方、仕えるべきあるじの名前も知らないなんて、非常識が過ぎるわよ!」


「……自分はこの別荘の管理を任された者だけど、身分を証明する物は?」


「身分を証明ですって、見ればわかるでしょう?」


「解からないから聞いているんですが」


 召使いとは思えない無作法さに苛つきが募る。

 続けて怒鳴りつけようとするも、まずはお子の為に真っ当な食事をするのが先だと思い直し、椅子に座り直そうとするも。


「勝手に座るな! そこは私の席だ!」


 握り締めていた調理器具らしく物でクラウディアを殴ろうとした。


「無礼なっ! 私は赤子を孕んでいるんですよ! 御子が流れたら、どう責任を取るというんですか!」


「……こんな辺鄙な別荘へ放り込まれるくらい馬鹿やったんじゃないの? 流れた方が子の為かもしれないよ?」


「っ! 自分が醜いからって、馬鹿なこと言わないでちょうだいっ!」


 女性どころか人間とは思えない暴言を吐かれて、思いつくままに罵声を浴びせた。

 貴族らしくない振る舞いはおやめなさい! と母なら言いそうだが、無礼を働いた召使いに躾をするのも貴族の義務だ。

 優先されるべきは、召使いより貴族であるクラウディアに決まっている。


「よ! 随分と騒がしいじゃねぇか」


 ノックもなしに大男が荷物を抱えてキッチンへ入ってきた。

 少女にふさわしい粗野で不躾な相手だ。


「……あぁ、あんたか。ねぇ。もしかしてこの女の事、聞いてる? 勝手に入り込んでたんだけど、泥棒にしては間抜けすぎるし、気狂いとも違うみたいだし」


「一応一通りにはな。あー。手紙預かってきたぜ。そっちの奴にも」


 大男は荷物を片隅に積み上げてから、少女に封書を手渡す。


「ほらよ! てめぇの分だぜ!」


 クラウディアには、テーブルの上へ投げて寄越した。


「失礼なっ!」


 封書にはカントール家の封蝋がなされている。

 宛名は、クラウディアへ。

 差出人は書かれていないが、文字は母のものだった。


「……え?」



 クラウディアへ


 この手紙受取時を以って、貴女はカントール家より籍が外れました。

 金輪際カントールを名乗るのを許しません。


 別荘管理人の手を借りて、自活なさい。

 援助は一切いたしません。

 

 別荘に引き籠り、アレクサンドラ様とヴォルフガング様への心からの謝罪を続けるのが、貴女が生き延びる唯一のすべです。

 貴女はお二人に対して、一生許されぬ愚かな真似をしでかしたのだと、自覚なさい。

 

 子は、ディートフリートと貴女の子です。

 ヴォルフガング様の御子と言い張るのなら、生まれてから異議を申し立てなさい。


 貴女のせいで、お父様は騎士団長の地位を剥奪され、男爵に落とされ、とこに伏しています。

 長男も四男も罵声に耐えながら、生涯一騎士として終えざるを得ないでしょう。

 長女と次女は離縁こそされませんでしたが、子は跡目を外されました。

 次男も要職からは外され一文官となり、永遠に日の目を見ることはありません。

 三男は自ら要職を降り、神殿から一歩も出ることなく祈りの日々を過ごすと聞きました。


 貴女がヴォルフガング様を裏切ったから。

 貴女がアレクサンドラ様の婚約者の子を孕んだから。

 それと認めようともせず、謝罪すらできなかったから。

 我がカントール家は没落したのです。


 私も死を以って詫びようかと思いましたが、おこがましくも生き延びて、貴女を生み落してしまった罪を贖うことにしました。


 母として、最期に。


 罪を認め、罰を受け入れなさい。


                                   貴女の母だった女より



「うっわー! 最悪」


「んだよ、大声出して」


「この女、皇女様の婚約者を寝取った挙句に子を孕んだんだって!」


「げ!」


「でもって、この別荘で自活させるんだってさ。皇女様へ不敬を働いたクズと同じ家とか息が詰まって死ねるわー」


 母の手紙の衝撃を受け止めきれずに、茫然としているクラウディアには少女と大男の会話など耳に届かない。


「何でもやらせろって言うけどさぁ。最低限教えなきゃできないじゃん!」


「お花畑なお馬鹿で有名だったもんな、ソイツ。きっと何もできないぜ」


「そうなの?」


「俺、騎士団にコネあっからさ。色々聞いたんだよ。人もはばからずに皇女様の元婚約者といちゃついてたって」


 侮蔑の眼差しがクラウディアに向けられる。

 怒りが湧くも、声高く反論はしなかった。

 とにかく、食事が優先だ。

 昨日の夕食は酷いものだった。

 食事とは言えないだろう。

 喉も乾ききっている。

 泣き濡れて睡眠も足りていないのだ。

 せめて食事を! と思うのは、人として何も間違ってはいない。

  

「ご飯、食べないと。御子が、ちゃんと育たないから。ヴぉるふ様似の御子が生まれれば、誤解もとけて、一緒に暮らせる、から……大丈夫。うん。大丈夫」


 椅子に深く座り直して、ドレッシングのたっぷりとかかったサラダボウルにフォークを入れた。

 が、サラダボウルは大男に奪われてしまう。

 クラウディアはフォークを握り締めたまま、大男を見上げる。


「これは、てめぇの飯じゃねぇよ! 騎士団に差し入れしてたんだろ? 自分で作れっ!」


「……? 差し入れは、コックが作った物よ? 私が持って行ったら、私が作ったって皆が喜ぶから言わなかったけど」


 用意された物を綺麗にバスケットへ詰めるぐらいはやった。

 見栄えも大事ですから……と、コックにも存分に褒められたものだ。


「最悪」


「そんな事だろうと思ったわ! ……ねぇ、あんた。しばらく私と一緒に暮らしてくれない? 私、クズと二人きりとか耐え切れそうにないからさぁ」


「いいのかよ? 俺はお前と一緒になれて嬉しいけどよ」


「……クズに最低限の家事を叩き込むまででいいのよ! 勘違いしないで!」


「ちぇ。でもまぁ、いいぜ。お前と一緒に過ごせるなら、おまけでクズがついてきても歓迎できる」


 心が広いわね……と、大男に向かって苦笑した少女は、クラウディアを凝視する。


「一度しか言わない。私は貴方の召使いではない。だから貴女の命令は一切聞かない。一通りの家事は一度だけ教える。それ以降は一切私を頼るな!」


「酷いわ! お母様だって、貴女の手を借りなさいって!」


「だから! 最初だけ貸すって言ってる。自活させろって話だしね。頼ってばかりじゃ、覚えないでしょ。甘ったれないで!」


 余りの物言いに思わず手を振り上げたら、大男にぎちりと手首を掴まれた。


「主は、こいつだ。てめぇじゃねぇ。てめぇは管理人の慈悲でこの別荘に住まわせて頂いている恥知らずの罪人なんだよ。言う事聞けねぇなら、どこへなりとも消えろ!」


 思い切り手首を高く持ち上げられて、勢いよくキッチンの外へ抛りだされる。

 下腹を思い切り打ってしまい呻き声を上げたが、冷ややかな眼差しで見下ろされるだけだ。


「ガキを満足に産みてぇんなら。こいつの言う事を良く聞くんだな」


「ちょっと!」


「ガキに罪はねぇよ。違うか」


「……違わない」


 少女は大きく息を吐き出して、首をしゃくる。


「子に、罪はない。でも貴様には罪しかない。それを常に自覚し続けて……まずは、この焦げたベーコンを片付けて。貴様のせいで焦げたんだから」


 食材が焦げたら捨てる。

 そんな当たり前の常識がここでは通じないらしい。


「食べなかったら?」


「捨てるよ。私は料理上手だからね。こんな駄目料理は食べない。でもって、貴様の我儘で料理が捨てられるんだから、当然それ以外の食事はないよ……どうする?」


「食べ、るわ……」


 焦げ臭さが鼻に吐く。

 喉の奥から込み上げるものがあったが、食べてしまえばベーコンには変わりない。

 栄養になるはずだ。

 そういえば、昨日の料理は誰が作ったのだろう?

 少女は料理上手らしいので、姿が消えていた御者かもしれない。


「……食べ、たわ……」


 よくよく噛まずに飲み込む。

 ピッチャーに入った水は、飲んでも注意されなかった。


「で?」


「で? って?」


「……ご馳走様でした。作って頂いてありがとうございました。って言葉がでねぇのかって言ってんだよ!」


 美味しい料理を食べたら自然に出ていた感謝の言葉も、喉の奥に絡まってしまった。

 言えと言われても、出てこない。

 無理やりマズイ物を食べさせられれば、普通は礼など言えないだろう。


「まぁ、いいよ。感謝されても気持ち悪いだけだしね。あんたと私の食事の支度に取り掛かるとしよう。サラダは食べて構わない」


「おう!」


 むしゃむしゃと美味しそうにサラダを食べ尽くす大男を凝視する。

 美味しそうなクラウディアのサラダは一瞬でなくなってしまった。


「……言われなきゃわかんねぇんか? 俺が飯食ってるのを呑気に見てる場合じゃねぇだろ!料理作ってるとこ横で見せて貰えよ」


「え?」


「……はぁ。お馬鹿な元貴族御令嬢にはわっかんねぇか? 教えて差し上げるからおいでなさいとか、いちいち指示されないと駄目なのかよ!」


 今まではそうだった。 

 賃金を支払っているのだ。

 当たり前だろう。

 貴族に物を教えるのには最低限以上の礼儀が必要だ。

 例え貴族としての地位はなくとも矜持を持ち続けている者には、それ相応の敬意も払って然るべきのはず。


「余計な事言わないでよ!」


 少女の罵声飛んだので、どうやら大男の言っている事が正しいようだ。

 クラウディアは渋々、少女の隣へ足を運ぶ。


「そんなトコ突っ立ってられると邪魔! どうしても見たいってんなら、邪魔にならない場所で控えて!」


「控えるのは貴女でしょう! いい加減に態度を改めっ!」


 態度の悪さに声を上げれば大男に無言で突き飛ばされる。

 床に尻もちをついたクラウディアは愕然とした表情で大男を見上げた。

 

「次に、こいつに失礼な物言いしてみろ? 問答無用で叩き出すぞっ!」


 クラウディアが妊婦であると認識していないのだろうか。

 悔し涙が滲むも、必死に堪える。

 こんな奴等に泣き顔なぞ見せたくもない。

 貴族の矜持だ。


 クラウディアは無言で、少し離れた場所から料理の手順を凝視する。

 平民の少女がやれているのだ。

 クラウディアなら、一度見れば簡単に再現できるだろう。


 大男が厭味ったらしく溜息を吐く。

 少女は大男に肩を竦めて見せてから、手早く栄養価の高そうな料理を作り終えた。


 無言で首をしゃくられるので、クラウディアが作る番だろうと、キッチンへ立つ。

 二人は背後で楽しそうに食事を始めた。


 上手にできると信じて疑わなかった初めての料理は、炭化した目玉焼き。

 捨てる部分だけで作られた塩すら振られていないサラダ。

 白湯に芯が残った野菜しか入っていないスープ。

 昨日も食べた硬すぎる酸っぱい黒パンだった。



 少女と大男がクラウディアに手本を見せてくれたのは、ほんの数日だけ。

 それ以降は、一日一度しか呼びつける事を許されなかった。

 最初の頃は何度も呼ぼうとしたが、その都度、暴言と暴力を揮われて諦めた。

 

 痣のせいで虐げられてきた少女は、アレクサンドラの助けがあってどうにか生き永らえる事ができたという過去があったらしく、クラウディアへの対応は終始最悪だった。

 大男は少女に惚れ抜いており、少女の恩人に不敬を働いたクラウディアを少女同様に疎んでいたので、クラウディアも身を守るためにもできるだけ距離をおくしかなかった。


 一向に美味しくならない食事を作り、生乾きで悪臭のする服を着て汚れた場所を掃除し、使う事を許されたぼろぼろの器具を修理する。

 今まで何一つやった事がなかったので、何をするにも異様な時間を要した。

 解からないことばかりだったが直接教えては貰えず、最低限与えられた古ぼけた教本でどうにか学んだ。



 やろうと思っていた最低限の家事が一日の内に終わるようになった頃、クラウディアは出産を迎えた。

 過酷な環境にもめげず、お腹の子供は元気に育っていた。

 幾度となくお腹を蹴られて、元気すぎる様子がヴォルフガングに似てないとも思ったが、クラウディアに似たのだと思い至れば面映ゆく、荒んだ日々を一瞬だけ忘れられもした。


 御子さえ生まれれば。

 ヴォルフガングに似た御子さえ元気に生まれれば、全ての誤解は解けて、ヴォルフガングと御子とクラウディアの三人で仲睦まじく暮らしてゆけると信じていた。

 信じていたからこそ、劣悪な環境で無事に出産に至れたのだ。


 大男には監視され、少女には介助も満足にされず、壊れそうなベッドの上で散々のた打ち回った挙句に生まれた赤子の頭には、うっすらと銀髪が生えていた。

 震える腕で抱えながら辛抱強く待っているうちに僅か開かれた瞳の色は、ディートフリートに瓜二つの、紅色だった。


 カントール家への対応は一時的なものです。

 父が余計な事をしないうちに、母主導で積極的に罪を贖う方向で行動しています。

 クラウディアと父を除いて、家族会議済。

 脳筋で野心家な父とお花畑なクラウディア以外は、常識的な家族です。


 次回は、憎悪する神殿長、になります。


 次回分含めて、後4話で完結予定になっています。

 あともうしばし、お付き合いいただけたらありがたいです。


 また、+2話で良き民と悪しき民で、その後の国の話を書くかもしれません。

 帝国での幸せなアレクサンドラの様子は、書くとしたら別にタイトルをつけたいところです。

 帝国側室達のそれぞれの末路とかも、18禁で書きたかったりと、完結が見え始めると色々と考えたくなるのですが、今は完結を最優先にします。


 最後までお読みいただきありがとうございました。

 次回も引き続きお楽しみいただけたら嬉しいです。

 

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