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恐怖した騎士

 大変お待たせしました。

 ざまぁ、第二弾になります。

 パソコントラブルもあったのですが、内容も苦戦しました……。

 どうしたら、彼は色々と気付いてくれるのかと!

 

 もっともっと恐怖を! と思ったのですが、力量不足で恐縮です。



 騎士の装備は全て召し上げられた。

 屋敷もない。

 あったとしても入れない。

 平民となったディートフリートが現在、持っている物は何だろう?


 貴族にしては粗末な、一般民にすれば十分な家の中をゆっくりと見回して、クローゼットに目を止める。

 そろそろと身体を起こせば、痛みは走らなかった。

 神経を集中させて無理な動きをしなければ、激痛には至らないようだ。

 ただ、全身を支配する気怠さは抜けない。

 そんな時はクラウディアの身体に溺れていればすぐさま回復したものだが、今はそれもままならなかった。


 これ以上、最優先を間違えてはいけない。

 ディートフリートの知らぬ恐怖を覚えぬためにも。


 目を閉じて大きく息を吐き出したディートフリートは、クローゼットの中から貴族の衣装一式を取り出す。

 あくまでも予備として置いており滅多に着る機会もなかったので、王宮に出向くにはふさわしい品を保ったままだ。

 殺傷能力も低くディートフリートの好みからは大きく外れた華美過ぎる装飾が施された剣も、貴族ではないディートフリートの身分を上手く誤魔化してくれるだろう。


「これで城内までは入り込めるはずだ。後は……あいつを捜せば、何とかなるだろう」


 ディートフリートは王宮に入り、更にはアレクサンドラにも会えるだろう同行者の存在を思い浮かべながら家を出た。



 王城の正門や裏門の警備は厳しい。

 門番にもそこそこ腕の立つ子爵男爵の次男以降がついている。

 しかし幾つかある隠し門は警備が緩やかだ。

 ディートフリートが選んだ門も平民の一人が立っているだけで、ディートフリートが目線を飛ばせば敬礼と共に扉を開けた。


「さて、ここまでは問題ねぇ……後はあいつがどこにいるか、だがな……」


 特に目線を下げもせず、ディートフリートはあえて尊大な歩行で城門内を進む。

 城に近付いても咎められはしなかった。

 一度だけ様子見に近付いた、アレクサンドラが居るらしい部屋に一番近い門を守っていた男は、威圧感を持ってディートフリートを睥睨した。

 以前使った時は、敬意はなくとも敵意はない眼差しだったから、身分剥奪の通達はきちんとなされているようだ。


「大体この辺にいるたぁ思うんだが……」


 颯爽と歩くうちに目的の人物を見付ける。


「よぅ! ボニファティウス!」


 貴族からも民衆からも評価が極端に分かれる男、次期国王と目されているボニファティウスに友人を気取って気さくな声をかける。


 王城メイド服を着た女のふくよかな胸に顔を埋めていたボニファティウスが優美に顔を上げた。

 一瞬背筋が怖気立つ威圧感を以って睨み付けられる。

 うっとりとボニファティウスの頭を抱え込んでいた女も素早く抱擁を解くと、戦闘も嗜んでいるメイドだったらしく、腰を落としてボニファティウスを背中に庇った。


「……せっかくのお楽しみを邪魔しないで欲しいものだな、ディートフリート」


 やれやれと大仰に肩を竦める様子は常のボニファティウスのものだ。

 先程の威圧感もない。

 メイドもボニファティウスの反応を見ながら戦闘態勢をとく。


「すまないが、また今度。僕の為に時間を取ってくれるね?」


 女なら誰しもそう見られたいと思うのだろう蕩けそうな微笑のまま、メイドの爪先に触れるだけのキスをすれば、メイドは冷ややかな目線でディートフリートを見下し、ボニファティウスへは一変して愛らしい微笑を乗せて品良くメイド服を摘まむと腰を折った。

 何事もなかったように背筋を伸ばして去っていくメイドの後ろ姿を見詰めながら、ボニファティウスが微笑を深くする。


「彼女はね。アレクサンドラ様の部屋に出入りを許されているメイドなんだよ?」


「なるほど。そこそこやり手の戦闘メイドみてぇだしなぁ」


「そこそこ、ではないよ? 少なくとも君よりは強く、権力もあるんだ。平民の、ディートフリート君」


 ボニファティウスは王族らしい覇気を静かに纏いながらも、ディートフリートと目を合わせた。合わせてくれる現実に、ディートフリートは胸の内で安堵の吐息を零す。


「アレクサンドラに会いてぇんだ。頼む!」


「……どうして、会いたいんだい?」


「どうしてって……言いてぇコトがあんだよ」


「言いたいこと、ねぇ?」


 意味ありげな言葉を続けるボニファティウスだったが、その真意を問うたりはしない。

 すれば最後、ディートフリートの願いが叶えられないのは経験上解かっていた。

 色々と噂されるが、恐ろしく頭の切れる男なのだ。


「まぁ、いいか。僕もアレクサンドラ様にお会いできるのは嬉しいし」


「お前、アレクサンドラのコト嫌いじゃなかったのかよ?」


 少なくともディートフリートが話を振らない限り、ボニファティウスからアレクサンドラの話を切りだしたりはしなかった。


「嫌いだなんて有り得ないねぇ。ただ……あの方の御名を呼ぶのすら畏れ多かっただけだよ」


「はぁ?」


「……ここにきて、まだ僕やアレクサンドラ様にその態度を取れる君に対して、呆れを通り越して尊敬するかなぁ?」


 冷え冷えとした眼差しの中に僅かな憐れみがある、困惑極まりない眼差しをしたボニファティウスはしかし、そのままディートフリートを部屋まで先導した。

 途中、アレクサンドラの部屋へ近付くにつれて憎悪の視線が全身に突き刺さる。


「なんなんだよ、あいつら!」


「んー? 君のアレクサンドラ様に対する酷い態度は有名だったからねぇ。婚約破棄こそ正式に通達されていないけど、君が爵位を失い、騎士ですらなくなった事実を王城内で知らない者はいない。陛下も心置きなくアレクサンドラ様を溺愛されている……そんな状況だからね。君には最低限の礼儀すら払う必要はないって判断しているんだと思うよ」


「ボニファティウス……」


「僕が宰相と側室の子供でも、呼び捨てとかさぁ?」


「はぁ?」


 聞き捨てならない内容だったが、あまりにも突拍子もなさすぎて心の底から呆れた声が出てしまう。


「……君。本当に何も知らないんだね? 幾らなんでも頭の中、お花畑過ぎると思うよ……」


「何を、言っているんだ?」


「アレクサンドラ様。ボニファティウスです。入室の許可を頂けますでしょうか?」


 何時の間にか部屋の前に着いていたらしい。

 ボニファティウスの声がどこか弾んで聞こえる。

 質問が許される雰囲気ではなかった。


「どうぞ。お入りになって?」


 らしくもない気取った口調。

 陛下に、少しは皇女らしくしろと罵られたのだろうか。

 声音に喜色が混じっているのが信じられない。

 縁遠かったはずのボニファティウスの訪れを心から喜んでいるように聞こえる。

 アレクサンドラが慕うのは、ディートフリートだけではなかったのか。


「おや。アンネマリー。君もいたのかい?」


「……何の用だ、ボニファティウス?」


「君やエーデルトラウトが、アレクサンドラ様と親しくしていると聞いて羨ましくてねぇ。僕もご一緒出来ればと伺ったんだ。それと……」


 ボニファティウスが目線を寄越したので、入室をする。

 アンネマリーは剣を素早く抜き、ヴォルフガングも続き。


「お前、アレクサンドラ、かよ?」


 アレクサンドラと思しき人物は、全く表情を変えずに穏やかな微笑を浮かべていた。


 婚約者特権らしきもので随分と昔に見た素顔は、ただただ幼かったと言う印象しかない。

 ヴェールを外した現在のアレクサンドラの素顔は、一度見たら忘れられないほどに美しかった。

 城のあちこちに飾られているミスイア皇国の至宝と呼ばれた亡きエレオノーラ皇妃と、とても似た顔立ちをしている。

 可憐さが際立つエレオノーラに対して、アレクサンドラは男を惹き付けて止まない愁いを帯びていた。

 さすがは母子と、誰もが讃えるだろう美貌だ。


「控えなさい! 無礼者っ! 何故、貴殿がここにいるのですっ!」


 アレクサンドラの側に侍っているとは聞いていたが、まさか楽師の分際でディートフリートに剣を向けると思わなかったヴォルフガングの姿は、意外にも様になっている。

 持っている剣も、楽師が持つには勿体ない程の名剣だった。


「驚かせて申し訳ないねぇ、ヴォルフガング。ディートフリートがアレクサンドラ様に言いたい事があるそうで、連れてきたんだよ。僕的にはヴォルフガング君もいるからちょうど良いと思ったんだ」


「……連れてくる必要なぞ、なかろう! この屑はお姉様を不愉快にさせるに決まっている!」


「ボニファティウス様のお心遣いは大変ありがたいのですが、私も彼と直接話をする必要も価値もないと思っております!」


「そうとも、思ったんだけどね? 興味があったんだ。この、クズが、どこまで己の立場を解っているのかと、ね」


 クズが、と、そこだけが全身が一瞬で凍えるほどの冷たさで吐き捨てられた。


「ボニっ! ……お兄様を盾にする男が立場など解かっているはずなかろうに」


「おや。僕をお兄様と呼んでくれるとは意外だねぇ」


「お姉様が……喜ばれるから……」


 苛烈を極めるアンネマリーの言葉とは思えない。

 語尾が恥ずかしそうに掠れて小さく囁かれる。

 耳までが赤く染まっていた。


「アレクサンドラ様の慈悲深さには、首を垂れるしかできません。お手を頂いても?」


「ボニファティウス殿……」


 アレクサンドラの前で膝を折ったボニファティウスに、アレクサンドラが華奢な手を伸ばす。

 過酷な生活で荒れた手はどこにもない。

 贅を尽くして整えられた典雅な手を恭しく両手で以って捧げ持ったボニファティウスは、己の額へとどこまで優しく押し当てた。


「不義の子にも慈悲を下さるアレクサンドラ様に、心からの敬意と揺るぎない忠誠を」


 王族がするとは思えない。

 むしろしてはならない所作に愕然とする。

 アレクサンドラも慌てたように、ボニファティウスの両頬に手を添えた。


「不義の子などと申してはなりません! 貴方は陛下の御子で! 私の弟ですわ!」


「……姉上様と、お呼びしても宜しいと?」


「ええ、勿論。とても、嬉しいわ!」


 初めて見る喜色に満ちたアレクサンドラの表情。

 そして、声。

 こんなにも感情表現が豊かな女だなんて、知らなかった。

 何時も何時も何時も!

 物静かな暗い声で、ディートフリートの行動を咎める言葉を紡いだ記憶しかない。


「己の立場は弁えておりますれば……ただ、アレクサンドラ様が嫁がれるまでの短い間だけ、姉上様と及び頂くことをお許しください」


「できれば、ずっと。呼んで欲しいのですが……」


「あまりにも光栄な御言葉なのです……どうぞ、時間を頂きたく」


「お姉様。私も時間を頂きました。どうぞ、ボ……お兄様にもお時間を」


「解かりました。幾らでも貴方が望むだけ時間を与えましょう、ボニファティウス。ですが例え貴方が望まなくとも、私が貴方を弟と思うことを、どうか許して下さいませ」


「許すまでもなく。希いたい夢でございますよ、姉上様」


 茶番だ、と思う。

 今更何をやっているのだろう、彼彼女等は。

 

 ボニファティウスはどうやら、側室と宰相による不義の子らしい。

 話の流れ的に、アンネマリーもそうらしい。

 何でそんな大事な話が、公になっていないのだろう。

 どうして今になって彼彼女等が、仲睦まじい兄弟姉妹の付き合いをしたがるのか。


「……さて。クズなディートフリート。言いたい事とやらを言ってみたらどうかな?」


 淑女を誘う所作でアレクサンドラを丁寧極まりなくソファへと腰掛けさせて、その隣に座ったボニファティウスが声音だけは穏やかに話しを振る。

 蔑みの目線も鋭くボニファティウスとは反対側に座ったアンネマリーは剣を手離さない。

 ヴォルフガングはアレクサンドラの背後に立とうとするも、促されて横に置かれたソファに腰を下ろす。

 こちらはさすがに剣を腰に戻している。

 

 ディートフリートはヴォルフガングを左手に、アレクサンドラ達を対面にして座った。


 アレクサンドラが笑顔でボニファティウスへ紅茶を注いでいる。

 ディートフリートの分はない。

 何時だって手持ちの中の一番高級な茶葉で、ディートフリート好みの濃いめの茶を、誰より先に淹れたはずなのに。


「……俺にはねぇのかよ?」


「……飲みたかったのですか? 辛気臭い女の淹れたお茶を?」


 驚きの声だった。

 自分の淹れた茶を、どうして望むのかと、真剣に不思議がっている。


「お姉様のどこが辛気臭いというんだ!」


「仕方ないよ、アンネマリー。クズは見る目がないから、クズなんだ」


「相変わらず下品極まりない男ですね? アレクサンドラ様のお手を煩わせるまでもありません。私が淹れましょう」


「あら。ヴォルフガングの美味しいお茶なんて勿体ないわよ。私が淹れるわ!」


 男の癖にヴォルフガングは茶を淹れるのが上手だった。

 アレクサンドラには及ばないが、幾度か飲んでいるので知っている。

 そういえば、クラウディアが茶を淹れるのを見たことがない。

 差し入れも、ポットに淹れた物を持ち込んでいた。


「ああ。それはいいねぇ」


「……お兄様のお茶も、お淹れしましょうか?」


 本来なら生まれてから一度も茶など入れる経験なぞしないはずのアンネマリーも、本人が言うよりは余程マシな、というよりも想像以上に手慣れた手順で紅茶を淹れて、ディートフリートの前へと乱暴に置いた。

 軍人として身を立てる過程で覚えたのだろう。

 何時でも一人先陣を切りながらも、部下を労わるのを忘れない、女にしておくのが惜しい良将軍だと上層部が囁いていた。


「安心するがいい。毒なぞ入れる価値もないからな!」


 含んだ紅茶は渋みが強かったが、むしろディートフリート好みの味だった。

 意を決して口を開く前に、アレクサンドラが口火を切る。


「申し訳ありませんが、ディートフリート殿とクラウディア様の祝福はできかねますわ。どうぞ他の方にご依頼くださいませ」


 その程度は役に立てばいいと投げつけた言葉だったが、すっかり忘れていた。

 祝福ならば快く引き受けてくれるはずのゴットホルトに頼むつもりだから、その話はどうでもいい。


「きっさま! どこまでお姉様を愚弄するっ!」


 アンネマリーが腰を浮かせるも、アレクサンドラが優しく手の甲を擦るので、困った顔をしてソファに身体を沈め直す。


「姉上様は近く、ヴォルトゥニュ帝王に嫁がれるからねぇ。クズとお花畑嬢の結婚許可が下りるまで待っていたら、攻め込まれてしまうよ」


「帝王はアレクサンドラ様を大層慈しんでおられますから……結婚許可が下りるかどうか私には解かりかねますが、彼女と私の婚約破棄はすんでおりますこと、念の為申し上げておきましょう」


「てめぇ! クラウディアを捨てたのかよ!」


 優雅にカップを傾けながら言うヴォルフガングに愕然としながらも、罵声を浴びせる。


 クラウディアがヴォルフガングにどれほどの思いを寄せていたか!

 せめて身体だけでもいいからと、何度情けない懇願をしたか!


「……むしろ捨てられたのは私の方だと思いますよ? 彼女は婚約者である私以外の男性の子を孕んだのですからね」


 想像していた以上に淡々としているヴォルフガングに対して苛立ちが隠せない。

 心底惚れていたはずの女を失ったならば、もっと悔しがったりするものだろうに。


「き、さまのっ! 子だったかもしれねぇじゃねぇか! それを頭っから決めつけやがって!」


「……彼女も、貴殿も知らなかったようですが。貴族の間ではバウスネルンの血の呪いは有名ですよ? 正式な結婚前の妊娠は、不可能なんです」


「あぁ?」


「……アレクサンドラ様のお近くにいたなら、神の祝福は理解できますか? それと同じようなものだと思って下さい。どちらも本人達の意思なぞ関係なしになされるものですから」


 アレクサンドラの側に長くいれば確かに、不可思議な現象を目にする機会は少なくなかった。

 神の加護がなければアレクサンドラは死に至っていただろう。

 貴族や神殿関係者の嫌がらせは凄まじく、決定的な傷を負わないアレクサンドラの様子に感心した場面は幾度となくあった。


「そうそう貴殿から慰謝料はいりません。ランドルフ様から謝罪頂きましたし、カントール家との縁も切れましたから」


「私も慰謝料はいりませんわ。ランドルフ様に忠誠を誓って頂きましたし、カントール家からの謝罪も受けております」


「俺とっ! クラウディアからの謝罪はいらねぇのかよっ!」


 慰謝料がないのをありがたいとは思えない。

 減額ならば嬉しいが、いらないというのは、謝罪すら許されていないと同義になるからだ。

 体面が悪すぎる。

 

「お二方とも悪いと、思っていらっしゃらないのでしょう?」


「そんな薄っぺらな謝罪、気持ち悪いだけですから」


 アレクサンドラの言葉は疑問形にも関わらず断定の色しか感じない。

 ヴォルフガングの言葉からは激しい嫌悪が伝わってくる。


「悪いとは、思ってるぜ」


「思っていたのなら、何故。彼女がこの場におられないのです?」


「謝罪をというのなら、二人揃ってが最低限の礼儀でしょうに……」


 アレクサンドラは意味が全く理解できないと首を傾げ、ヴォルフガングは腹立たしげに眉根を寄せた。


「……順番を考えられない頭の悪さだからねぇ。彼女と連絡すら取れていないんじゃないのかな?」


「はっ! いくらなんでも、さすがにそれはないだろう!」


 冷笑を止めないボニファティウスに、馬鹿にしきったアンネマリーが続く。


「……まさか、貴殿。ここへ来る前に彼女を訪ねていないのですか?」


 ヴォルフガングの額にはさらに皺が寄る。

 ディートフリートはきつく拳を握り締めた。


「……色々と縁遠い私でも、鬼畜だと思うんだが……」


「僕も女性の扱いに関しては全く以て、諫言できる立場にはないけどね……曲りにも婚約者を捨てて愛を誓った相手にする非道じゃないだろうに」


 何が鬼畜だ?

 どこが非道だ!

 どいつもこいつもクラウディアとの仲をやっかみやがって!


「鬼畜も非道もてめぇらだろう! 俺とクラウディアがそんなに憎いのかよっ!」


「……憎かったですよ? 何を当たり前のことを今更言うのでしょう。無神経極まりない方ですね、相変わらず。溺愛していた婚約者を寝取られたんですからねぇ。婚約者も寝取った相手も、憎悪、しましたよ? 徹底的に報復して、両家共々貴族社会でどころかこの国で生きていけない制裁を与えようと、考えもしました……裏切られた痛みを、貴殿は一生理解できないでしょうね?」


「……私は……憎しみは、ございませんでした。ただ……ただ、そうですね。捨てられたのならば。私が同じように捨てたとしても、何の問題もないでしょうと、思いました」


 ヴォルフガングと仲睦まじいクラウディアを愛した。

 ディートフリートを否定するばかりの高貴な婚約者など邪魔でしかなくて、身軽になりたかった。

 身軽になれないなら、せめて一度だけでもと抱いた。

 愛したから、抱いた。

 一度抱けたら歯止めも聞かず、何度も懇願して抱いた。

 抱いたら子供が出来たから、責任を取ろうと思った。

 自分の子だと微塵も疑わなかった。

 念の為と調べさせて確信もできた。


 クラウディアを選んだから不誠実にならないようにと、アレクサンドラに婚約破棄をさせようとした。

 婚約破棄が出来たなら、堂々とクラウディアを迎えに行って。

 子供も含めて三人で幸せになろうと、思って、いたのだ。

 それが、クラウディアとディートフリートにとっては最良だと。


 考えもしなかったが、ヴォルフガングとアレクサンドラにとっては、最良だったのだろうか?

 

 溺愛していた婚約者を寝取られて憎かった。

 ……確かに、当たり前だろう。


 婚約者も寝取った相手も憎かった。

 ……溺愛していたからこそ、憎んだのだろう。

 寝取った相手を憎むのも、無理はない。

 その憎悪は、婚約者に向けるものより上回るはずだ。


 徹底的に報復して、両家共々貴族社会どころか国で生きていけない制裁を与えたかった。

 ……貴族社会で醜聞は命取りだ。

 寝取られた男は長く見下される。

 職場環境が悪化する例も少なくない。

 本人以外への制裁も大袈裟ではないのだ。

 だがしかし、楽師、楽師と嘲っていたが、ヴォルフガング自身の評価は高かった。

 家の歴史も、ヴュルツナーに比べるとバウスネルン家の方が圧倒的に古い。

 本人が敢えて制裁しようと思わなくとも、周囲が、制裁を完遂するのではないだろうか。


 裏切られた痛みを理解できない。

 ……ヴォルフガングは、クラウディアに裏切られた、痛みがあったのだろう。

 幼い頃から常に一緒で、仲が良くて、結婚を間近に控えていて、周囲にも祝福されていた相手に、裏切られたら?

 アレクサンドラは、ディートフリートに裏切られた、痛みが、あったのだろうか?

 唯一の幼馴染で、周囲の祝福こそなかったが、陛下直々の命令での婚約者であった相手に、裏切られたら?

 

 今も時々走る、激痛の、比ではなかったのだろうか。

 身体の痛みよりも、心の痛みの方が酷いものなのだろうか。

 辛い、ものなのだろうか。


 憎しみは、ない。

 ……憎しみを超えてしまった先にあるのはね。無関心なんだって! ヴォルフ様が教えて下さったのよ! クラウディアの言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 捨てられたなら、捨てても問題ないと、思った。

 ……そういう問題ではない、はずだ。

 でも、アレクサンドラは、その結論に達した。

 どうして、達した?

 ディートフリートに対して、憎しみを超えて無関心になったからだ。

 

 アレクサンドラの中で、ディートフリートが唯一の存在ではなくなってしまったのだ。

 どころか。

 アレクサンドラの中には、恐らく。

 ディートフリートの存在は、ない、のだ。


「……問題はないと思っておりましたが、私が考えていたよりも事は遥かに大きくなってしまいました。ですが、ディートフリート殿。貴方が私に、婚約破棄をしろとおっしゃった時点で、私と貴方の縁は永遠に断たれたのです。断たれた縁は如何な手段をもってしても修復は叶いません。何で? とお思いでしょうが、私は皇女で貴方は国に仕える騎士でした。その関係性上、貴方の取られた行動は断罪に値するものだからです」


 ディートフリートの考えを知り尽くした上での説明だった。

 とても。

 とても、解かり易かった。


 アレクサンドラの瞳は、ディートフリートに向けられてはいたが、ディートフリートを見ていなかった。

 何もかもを見透かすような美しい漆黒の瞳に、ディートフリートは映っていないのだ。

 声にも感情がない。

 憎悪どころか、憐れみも。

 どんな状況でも惜しみなく与えるはずの、慈悲、すらも。

 

「あれくさんどら……」


「一切の縁が切れるのも断罪の一つです。貴方は恐らく謝罪でも賠償でもなく、私に治癒の技を求めこちらへ来られたのでしょうが、手順を踏まぬ貴方を特別扱いして癒すことは叶いません。また、今後は御身の為に。私のことは皇女様と呼ばれた方が宜しいでしょう」


 やっぱりそうだったのか。

 ずうずうしいにも程がある!

 呆れるしかできませんね。

 

 外野の声が遠くに聞こえる。

 治癒が叶わない衝撃よりも、名を呼べなくなった衝撃の方が大きい。

 

 信じて疑わなかったものが、壊れる、恐怖。

  

 あれくさんどら、さま、と唇が動くが、ゆるやかに首が振られる。

 こうじょ、さま、と震える唇が、どうにか小さく囁けば、アンネマリーが剣を収める音が聞こえた。


 アレクサンドラとは、もう。

 こうやって対峙して名前を呼ぶことすら許されぬ関係になったのだ。

 

 これが、断罪の一つなのだ。

 それも、極々ささやかな。

 きっと、断罪に数えるのも笑えるほどの。

 許されぬ、ほどの。


「さすがのお花畑だったねぇ」


 ボニファティウスがアレクサンドラへ新しい茶をねだっている。

 アレクサンドラはディートフリートへの無関心などなかったように、嬉しげに紅茶を淹れていた。


「ありがとうございました、ボニファティウス様。彼女はきっと……永遠にお花畑の住人なので、彼だけでも自覚してくれて、溜飲が下がりました」


 ヴォルフガングの額から皺がなくなった。

 アレクサンドラは痛ましそうにヴォルフガングを見詰めて、繊細な形の様々な茶菓子を取り分けてヴォルフガングの前へと置く。


「自覚がない者への断罪ほど意味のないものはないからな。側室も自覚してくれればと思うが……それも難しそうだ」


 アンネマリーは苦笑して肩を竦める。

 アレクサンドラは、アンネマリーの手の甲を取り温めるように幾度となく擦った。


 ヴォルフガングが耳に優しい何時までも聞いていたい音を乗せて、ハーブを奏で始める。

 アンネマリーは自分が美味しい! と叫んだ菓子をアレクサンドラに薦めては、美味しいわ、と微笑まれて頬を染めていた。

 ボニファティウスは、そんな二人の様子を、嬉しそうに、羨ましそうに見詰めながらも、ヴォルフガングに曲のリクエストをしている。


 ディートフリートの存在は見事に無視されて、皇族達と信頼できる部下の和やかな茶会は続いている。

 新しい茶葉で注がれた紅茶の香りがディートフリートの鼻を擽ったが、目の前に置かれたカップは空のままで、満たされることはない。



 ディートフリートは、また。

 選択肢を誤ったのだ。


 ちゃんと対峙して本人とやり取りして、ようやっと気付ける事ってあるよね?

 っていうか、気付いてくれないと! と奥歯をぎりぎり言わせつつ書きました。


 理解してからの恐怖、そして絶望へという流れですね。

 彼にはまだ、ざまぁが残っています。


 次回は、画策する宰相、です。

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 次回もお読みいただければ嬉しいです。

 

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