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Another code 【伯爵家の後継者】  作者: sakura
第二章 迷宮の入り口と出口
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22 水槽の人魚

 ジェイソン・バトラーの屋敷に着いたのは、結局、日差しが傾きだした頃だった。

 目鼻立ちがすっきりしていて吊り目がちの目が印象的だ。

 がっしりとした体格に長い手足。

 どこからどう見てもイケメンだ。

 もちろんエリカの知るジョージ・ステリーとは異なる魅力に溢れている。一言で言えば、獣のような大人の男の色香が漂っているのがステリーなら、どこかやんちゃな子供の無邪気さを感じさせるのがバトラーだ。

「やぁ、リーバー伯爵閣下からは連絡をもらっている。”君”が、伯爵閣下のお気に入りと名高いメイスフィールド博士か」

 両手を胸の前で大きく広げるようにして、大袈裟なジェスチャーでバトラーは一行を出迎えた。そんな彼のものものしい態度に眉尻をつり上げたのはオウエン・ストウで、やや煙たそうな瞳を上げた。しかし、場所柄と立場とを大人としてわきまえていたから、表向きは口を閉ざしたままだ。

 ――これだからロックスターとやらは、自分が誰からも好意を持たれているとでも思っているらしい。

 内心のそんなぼやきが聞こえてきそうだったが、上司が言及しなかったことについてエリカのような下っ端がしゃしゃり出るわけにもいかず、やはりエリカ・フェリルも大人として立場をわきまえた。

「男爵閣下にははじめてお目にかかります」

 几帳面に礼を取ったメイスフィールドに、ジェイソン・バトラーは朗らかに笑い声をあげると、リビングのソファをすすめた。

 世界的に一世を風靡したロックスターらしく、彼の自宅できらびやかで、当時の人気の高さを物語っている。

「堅苦しく呼んでくれなくていい。ジェイソンとでも呼んでくれたまえ」

 気さくな言葉に、メイスフィールドは曖昧な微笑を浮かべると、ゆるく左右にかぶりを振った。

 こういった手合いは、応対に慣れているメイスフィールドに任せたほうが良さそうだと、ストウは判断し見事に丸投げして薦められたソファに深く腰を下ろしたまま、足の上に手帳を広げた。

「そんな失礼なことなどとんでもない。リーバー伯からは常々、わたしの行動は相手に大変失礼で気分を害されてしまうと言われ続けております」

「そうか? それを言ったら当のご本人だって……」

 言いかけて、バトラーは肩をすくめると低く笑った。

「一昔前であればともかく、今は貴族だからと言って平民となにかが変わるわけではなかろう? いっそ平民のほうがフットワークが軽くすむのではありませんかな?」

 そうしてバトラーはこれみよがしにストウとエリカを見やる。

 そんなことをジェイソン・バトラーが言ってみたところで、いずれにしろ世界的な大スターともなれば、その立場は平民の一般庶民とは明白に異なった。時代の寵児として青年時代を過ごした彼の言葉を、ストウは丸ごと信頼する気にはなれずに賛同できないまま視線を泳がせる。

 華やかな世界の住人であり続けるバトラーと、日陰者として犯罪の裏側にかけずり回る刑事とでは「同じ平民」とは言っても天地の差だというのに、どうやらバトラーはバトラー自身も平民に近い一般人だとでも思っているらしい。

 メイスフィールドの立ち回る世界というものは、万事が万事こんな調子なのだろうか?

 エリカはそこまで考えて頭痛を感じて、大きく溜め息をついた。

 貧乏人が思う以上にふたつの世界の境界というのは曖昧なものなのかもしれない。

 これ見よがしなジェイソン・バトラーの優越感が気に入らずに、エリカは小さく鼻を鳴らしたが、臨床心理学者のメイスフィールドのほうはそんなことはおくびにも出さずに、穏やかな表情をたたえている。

「話を本題に戻させてよろしいですか? 男爵閣下」

「あぁ、それだそれ」

 わざとらしくバトラーは自分の右手で右の膝を軽くたたいてみせた。メイスフィールドは小首を傾げてから本題に入った。

 別に茶飲み話をするためにバトラー邸を訪れたわけではない。

「リーバー伯からはお伺いしている」

「事件のあらましについてはそのうちニュースで発表されると思いますので、そちらをご覧ください。では詳しくは説明を省きます。単刀直入に申し上げると閣下のご覧になった人魚の件です」

 詳細は省くと言った割りに、前置きが長い。

 人魚と言われて、バトラーは片眉をつり上げた。

「わたしが”造った”わけではない」

 途端に不愉快さを含んだ声色になって、それがバトラーの不機嫌を如実に物語っている。

 もっとも心の底からそう思っているのであれば、気分を害する理由もないだろう。

 彼は後ろめたいのだ。

「存じ上げております」

 些細なことにも動揺して取り乱す。

 そんな小物振りが、きっとリーバー伯爵ヴィクトリア・オールディスには侮蔑の対象として見えるのだろう。

「……”あの子ら”のことは確かに見た。だが、しかし……」

 犯罪を追及されている容疑者でもあるまいし、バトラーは勝手に身振り手振りを交えながら話を始めた。

 まるで流れ出した水のように止まらない。

 いや、止められないのだろうか。

「美しいと思ったのだ……」

 とつとつと言葉を綴る。

 ジェイソン・バトラーは自分の頭を包み込むようにして覆うと、胴体を深く折り曲げる。

「お話しください、閣下」

 あたかもそれが免罪符ででもあるかのように、メイスフィールドはほほえんだ。

 少なくともバトラーは自分がかつて目にしたものがどういった(たぐい)のものなのかは理解しているようだ。

「美しいと思ったのだ。青いほど白い素肌の、伏せられた瞳のまるで人魚のような少女だった」

「……それをどこで目にしたのか覚えていらっしゃいますか?」

「……さぁ、もう二十年ほど前のことだからな」

 後ろめたさすらも感じさせるバトラーの言葉は途切れがちだ。

 興味深い、とストウは思った。

 ジェイソン・バトラーは自分が犯罪行為により近いところと接触したということを自覚している。そうすると彼が「人魚」を見たというのは本当だろう。ただ、彼はさしあたり「人魚」と表現しているが、それが言葉通りの人魚ではないということは明らかだ。おそらくそれは人魚ではなく人だ。

 リーバー伯爵ヴィクトリア・オールディスの言うところに寄れば、「幼い人魚」ということだから、小さな子供であることには間違いない。

「ロンドン郊外の屋敷の地下だ。わたしも当時は若かったからな。おもしろいものを見せてやると言われて、貴族やこちらの世界が目新しいものばかりで、恥ずかしながら全てが新鮮でね」

 そこまで言ってからバトラーは困惑した笑顔になる。

 全てが新鮮だった。

 そして、世界という大舞台でバトラーは自分が名誉をつかみ取るために躍起になった。

「わたしが見たものは、人魚などではなかった……」

 思い独白めいた言葉を吐きだして老男爵は両方の肩を震わせる。

「若かったわたしはそれが違法に収集されたものである可能性に気がついていて、強い好奇心から目をつむったのだ。なにより、わたしは、わたし自身が犯罪行為を見なかったことにしたのを目を向けられることが恐ろしかったのだ……」

「人魚の……、いえ、少女の人種を教えてください」

「異人種もいた、異民族も。ただ、完成度の高い少女らはどれも白人だった……」

 そこまで言ってから、バトラーは、はっとしたように顔を上げる。

 身を乗り出して男爵はアガサ・メイスフィールドを縋るように見つめた。

「本当だ……!」

 ――本当だ! わたしはなにもしていない! 誰も殺していない……!

 叫ぶようにバトラーが言うと、メイスフィールドはにっこりと笑いかけると穏やかに膝の上で掴み締められた拳を震わせる。

 誰もかつての少年のような――青年時代の無邪気さのままではいられない。

 それをジェイソン・バトラーは理解している。

「えぇ、あなたはなにもしていない。だから、大丈夫。どうか我々に協力をしてください」

 男を慰める女のように、メイスフィールドはことさらにボディタッチをするようなことはしないが、その柔らかな笑顔は誰もをひどく安堵させる。

 優しい彼の笑顔に、エリカは目を奪われた。

 本当は「プロファイラー」という職業にはもっと偏見も存在していた。

 もっとプロファイラー(彼ら)はもっと冷徹で高圧的で、皮肉屋ばかりだと思っていた。そんなドラマばかり見たからだ。訝しげな眼差しを向けるエリカに、瞳を走らせてにっこりと笑って見せてから、メイスフィールドは縋るように視線を彷徨わせているバトラーを見つめ直す。

「本当は、見逃してはならなかったのだ。犯罪の可能性をもっと追求するべきだった」

 ほとばしる言葉を止められずに、神父の前で告解でもしているような勢いだ。

 凡人は、メイスフィールドを前にして誰も秘密を持つことなど許されない。

「そのお気持ち、お察しします」

 人というのは、時には思わぬほど間近に犯罪と接しているものだ。そうした危機感を人々は認識していないことが多い。

「彼の名前は、ジョー・スミスと名乗っていた」

 ぽつりとバトラーは言った。

「特に貴族や資産家というわけでもなかったと思うのだが、”彼”のコレクションは大したものだった」

「少女の”遺体”はどれくらいあったのです?」

 執拗にバメイスフィールドはバトラーを追及する。

 「遺体」という言葉にジェイソン・バトラーは落ち着きを失って、下唇を舐めると大きな手でメイスフィールドの手を握った。


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