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Another code 【伯爵家の後継者】  作者: sakura
第一章 手繰る真相
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14 回転する真理

 総合病院の表玄関から出てきたアガサ・メイスフィールドの姿にエリカは両目をしばたたかせた。

「ハーイ」

 気軽に片手を振って見せる彼にうんざりと肩を落とす。

「エリカさん、お待たせ」

「待っていません」

 彼を尾行していたのだ。

 一応――。

 もちろん、相手が尾行に気がついていることもある程度は想定していた。しかし、てらいもない様子で、満面の無邪気な笑顔で片手を振られるとどうにも力が抜ける。

 少しは尾行をしていたエリカを咎めるとか、それとも後ろめたそうな表情をするとか、そういった様子があっても良いのではないかとエリカは思う。

 腕を組んで顎を上げて横を向いたエリカは、眉をつり上げた振りをして見せてからちらりと横目にメイスフィールドを眺める。

「まぁまぁ、いいじゃないの。エリカさんがついてきてくれたから助かったわよ。堅苦しいことを言わないの」

 口元に手を当ててクスクスと笑ったメイスフィールドに、何秒かしてからエリカは組んでいた腕をほどくと大きく息を吐き出した。

「それでなにかつかめたんですか?」

 口調がつい刺々しくなるのはエリカの苛立ちによるものだろう。

「別に大した話をしていたわけではないわ。昔の話をしに行っただけ」

「そうですか」

「それに大昔の事件の話よ。あなたは記録でしか知らないでしょう」

「……大昔?」

 早足で自分の車に向かって歩きだしながら、エリカは厳しい眼差しでじっと虚空を見つめると下唇を噛みしめた。

「そうよ、大昔の事件。わたしも、オウエンもジョージもその詳細なんて直接は知らないわ。世間的には有名な事件だけど、あなたは事件発生当時、お母さまのおなかの中にもいない」

 当たり前のようにエリカの車の助手席に座りながら、とうとうと歌うようにメイスフィールドは語った。まるではぐらかしているようにも感じるメイスフィールドの物言いがエリカの神経を逆なでする。

「……事件?」

「そう。テムズ川の河畔で子供の遺体が見つかった事件があったの。絞め殺されて解剖されて、ホルマリン漬けにされた子供の遺体」

「それって」

 アガサ・メイスフィールドの言葉に、エリカは言葉を失った。

「ひどいことする人もいるものよね」

 ぽつりとメイスフィールドが前方のフロントガラスの向こう側を見つめながら独白する。

「……――通称、ロンドン港事件」

 メイスフィールドの声色が唐突に低くなった。

「もっとも、それは正式な事件名ではなくマスコミがつけたものだけど」

 途切れがちになるメイスフィールドの台詞は、まるで言葉を選んでいるようだ。

「テムズ川の河畔。ロンドン港に流れ込む川岸から遺体が上がったことによってそう呼ばれているわ。でも、事件は迷宮入り。移民の子供……、当時、その事件に巻き込まれたと申告する親類縁者がいなかったことから捜査は思うように進まずに迷宮入りした。当時は差別意識も今より強かったしね」

 頬杖をついて車窓の外に流れるロンドンの風景を眺めながら言った。

「署内の捜査資料を漁ってみなさいな。たぶん資料が出てくるわよ」

「その事件に関する本なら読んだことあります。確か、捜査員だった人が出した本がありましたよね」

 捜査の際に撮影した写真も印刷されていた。

「あぁ、あの本ねぇ……」

 含みを持たせたメイスフィールドの言葉に、エリカは眉間にしわを寄せる。

「あなたの”それ”は癖?」

「はい?」

「眉の間にしわを寄せるそれ。しわくちゃのおばあちゃんになったとき、さらにしわくちゃになっちゃうわよ。エリカさん」

「余計なお世話です!」

 パシリと叩き返すようにエリカは言い放つ。

「まぁ、エリカさんならしわくちゃになってもそれなりにかわいいとは思うけれど」

「しわくちゃしわくちゃって何度も連呼しないでくれませんか?」

 憮然としてヘイゼルの瞳で睨み付けた若い娘に緑の瞳の金色の髪の五分刈りの臨床心理学者はころころと笑った。

「とにかく、余計な癖をつけると本当におばあちゃんになったときにしわになっちゃうわよ」

「それで、博士はそのロンドン港事件の本は読んだんですか?」

 唇に右の人差し指の先を押しつけたアガサ・メイスフィールドはハンドルを握るエリカの片手に、右手で触れた。

「うちまで寄ってくれる?」

「……――はい」

 男性らしく節くれだった彼の指先にドキリとさせられて、エリカは一瞬だけ言葉を飲み込んだ。それをごまかすように相づちをうった彼女はロンドンのメイスフィールドの自宅へと向かって車を走らせる。

 ほどなくメイスフィールド宅のリビングのソファに座って紅茶とスコーンでもてなしを受けていた。

「この本でしょう。随分俗っぽくて当時は辟易したものだけれど」

 表紙にモノクロの犠牲者の写真が使われた悪趣味この上ないハードカバーの本だ。

「迷宮入りしたロンドン港事件――その真相」

 手の中に降ってきた分厚い本にエリカ・フェリルは無言でページをめくる。確かに刺激的なものが好きな多感な時期に読んだ本だ。

 内容は当時の彼女にとっては難しかったが、今読んでみると確かにメイスフィールドが言うように俗っぽい。

「その写真を表紙に使ったことも俗っぽいと思ったけれど、内容も大概よね。刺激的なことばかりを刺激的に書いて真実から目を背けさせている。これを書いた捜査員とやらは、たぶんこの本で相当稼いだんでしょうね」

 心底うんざりだと言いたげに首をすくめてみせるメイスフィールドに、本の内容をしばらく再読していたエリカはややしてから目を上げて小首を傾げた。

「それで、これが何なんですか?」

「言ったでしょう? 未解決事件に今起こっている事件の解決のための鍵があるって」

「でも、この事件の被害者は人種が違うじゃないですか。普通の犯人は、異なる人種を標的(ターゲット)にすることはないんじゃないんですか?」

 追及するエリカに対して、メイスフィールドは緑色の瞳をしばたたかせてはっきりとした物言いをする女性巡査を見つめ直した。

 思った以上に彼女はよく頭が働く。

 つまりエリカはロンドン港事件の犯人は有色人種の手によって行われたのではないかと言っているのだ。

「ほんとーにエリカさんは歳の割にいろんなことを知っているのね」

「……それって褒め言葉じゃないですよね」

「一応褒めてるつもりだけど」

 クスクスと笑うメイスフィールドにエリカは視線を横に滑らせる。

「でもね、エリカさん。先入観は捜査の障害にしかならないわ。あなただって彼が実験していると仮定したでしょう? 要するに、これまでアダムが行った犯行は綿密に計画を練り上げ、長い年月をかけたその集大成と考えたほうが自然でしょう?」

「全然理屈になっていません」

 メイスフィールドの言葉にエリカは食い下がる。

 そもそもメイスフィールドの言う説明と大きな食い違いがあった。

 頬に人差し指をあてて「そうねぇ」と言いながら首をかしげたメイスフィールドは、じっと天井を見上げて考え込むと、エリカの手の中から曰く俗っぽい猟奇殺人事件の本を取りあげる。

「どちらにしてもアダムを見つけ出さないとお話しにならないのよね」

 そういうことだ。

「勘だけど」

 相変わらず独り言でも言うようにアガサ・メイスフィールドは言葉を続ける。

「なにかしらのつながりはあると思うのよ」

「でも手がかりがなければ話になりません」

「言ったでしょう、犯人を捕まえるのはわたしじゃないのよ」

 手がかりがない。

 それがなにより大きな理由のひとつだ。

 手がかりがなければ犯人を追い詰めようがない。

「わたしの考えではあらかた犯人像は固まっているのだけど、確証がね」



  *

「ジョージは協力をしてくれるそうよ」

「あの優男が?」

 昼近くにオフィスを出たというアガサ・メイスフィールドはエリカと戻ってくると、オウエン・ストウにそう説明した。

 当然のことだがその場所に、エリカ・フェリル巡査の姿はない。

 ストウの胡散臭げな青い瞳は、彼の感じている不審をはっきりと伝えている。

「しかし本当にあの事件が関係しているのか?」

「どうかしらねぇ……」

 考え事をするときに自分の唇に、右手の人差し指を押しつけるのはアガサ・メイスフィールドの癖だ。

 これが女の子だったらかわいいのだろうが、いかんせん四十代の五分刈りのおじさんだ。

「証拠がない以上、わたしにはなんとも言えないわよ」

「それもそうか」

 オウエン・ストウはぼんやりと相づちを打った。

「俺も俺なりにロンドン港事件を洗い直してみようか。もっとも、俺がまだ学生の時の事件だから洗い直すのも難儀するだろうな」

 太い腕を組んでうなり声を上げたストウは両目を細めてから肩をすくめた。

本日は二回更新しています。

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