第八話 対鬼蜘蛛
日もとっぷりと暮れたころ、俺は北部の港にある建物の屋上に身を隠していた。作戦行動の指示があるまでここで待機しているように言われたからだ。
目的の建物もすでに視界に収めている。よく観察しなければわからないが建物の周辺を囲むように騎士や魔法使いが配置されていた。
夜になっても討伐兵が派遣されてこなかった事を考えるとまだ領主たちは自分が手柄を立てようと会議に勤しんでいるのだろう。
「……権力者ってのはいつの時代も民の安全はまるで無視なんだな……」
彼は貴族が嫌いだ。
この世界に召喚されたのも、魔王討伐の名声を得ようとする権力者が勝手に召喚したのであって、彼の都合はまるで考慮されなかったのだから無理もない。
だがそれ以上に彼は姿をくらました後、目にしてきた貴族の醜さがたまらなく嫌いだった。
税金と称して私腹を肥やす者、領民が飢えているのに豪華な晩餐会を毎日のように開く者、好色におぼれ領民に好き放題手を出す者。
初め彼はそれらを救おうとした。救えた者もいれば救えない者もいた。しかし、いくら救おうとも状況が変わる事はなかった。
この世界において権力者から見た民とは搾取される対象でしかないのだ。
「ん?」
考え事をしていると念話特有の感覚があった。横になっていた体を起こし、耳に手を当てて答えると聞こえてきたのはミリアリアの声だった。
「シュウさん、今よろしいですか?」
「構わない、聖女様」
「……あなたが……貴族を殺しまわってというのは本当でしょうか?……」
「唐突だな。アンタはどう思ってるんだ?」
「わたしくしは……」
「冗談だよ。その話なら本当だ。かれこれ五十やそこらは斬ってるな」
向こう側で絶句するのが伝わってきた。少なからず自分の事は調べられていることはわかっていたがその話題が出ることは少々予想外だった。
この国で自分の過去を知る者は少ない。正確には二人だが、頭に浮かんだ二人のうちその話題を他人に漏らすのは決まっている。
(アルゴのヤツめ……)
彼女を直接責める事は出来ない。アイツは情報屋であり、情報を求める者にその情報を提供するのが仕事で当たり前だからだ。むしろ特に口止めを頼んだりしなかったにも関わらず、今まで他の者に自分の情報を売らなかった事に感謝しなければならないだろうが、かと言って進んで感謝しようとは露ほども思わなかったが。
「女子供まで手にかけたというのも本当ですか?」
「ああ」
「……なぜそのような事を?……」
「殺すのが好きだからだ」
「嘘ですね」
今度はこちらが言葉を失う番だった。自分の答えに一、二もなく答えられた声は力強く、その理由を確信していると思わせるものだった。
「そのような事はありえません」
「なぜ、そう思う?」
「あなたは優しいですから」
「……」
シュウは二の句が継げなかった。
自分の事を優しいなどと表現する者は今までおらず、ミリアリアにも優しいと取られるような事はしていない。
むしろ貴族に対して攻撃的に振舞っていたのだから無理もない。
「失礼かと思いましたがあなたの過去を少し調べさせてもらいました」
「確かに失礼だな」
「あなたは各国の要人殺しをする一方で孤児院に寄付を行ったり、亜人を助けたりとその行動に一貫性が見出せない。私にはとてもちぐはぐに思えてなりません」
「善良を装うための偽装かもしれないぞ」
「たしかに私も当初はそう考えていました。ですがそれにしてはあなたの行動はおかしいのです」
「……何が言いたい?……」
「確かに、亜人や孤児に手を差し伸べるあなたは善良と言えます。しかし、やりすぎている。まるでそうしなければいけないように見えます」
「……だから?……」
「冷酷非道なあなたと弱い者に手を差し伸べるあなた、一体どちらが本当のあなたなのですか?」
「俺は、俺だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「私はあなたが何か理由があって暗殺を行っていたと考えています。」
「……」
「つまり、あなたには普段なら助けるような者たちを殺してでも成し遂げなければならない事があった」
「っ」
シュウは内心の動揺を悟られないようにするので精一杯だった。ミリアリアは情報屋アルゴですら知らないことを手持ちにある情報から推測して見せた。
今まで頭のまわる女だとは考えていたがここまでとは思っていなかった。
「私はあなたの過去を知りませんし、理解してあげられるとも思えません。ですが話を「勘違いするな」」
ミリアリアの言葉をシュウの言葉が遮った。
「お前は聖人君子にでもなったつもりか?」
「いえ、そのような……」
「なら、弁えろ。容易く人の事を分かっているかのように振舞うな。目障りだ」
向こう側で息をのむのが伝わってきた。
はるか上の立場にある公爵家の者に対して礼を失した振る舞いだというのは分かっていた。下手をすれば殺されたとしても文句は言えない。だがこれ以上彼女の言葉を聞いてはならないと思った。これ以上聞いていたら自分の心の奥にあるものを暴き出されてしまうと本能的に理解していた。
「……出過ぎたこと言いました。申し訳ありません……」
「……いや……もう時間になる、切るぞ……」
そう言うと答えを聞く間もなく念話を切った。
集中しなければならないのに思考が定まらない。頬を撫でる夜風も先ほどまではあれほど気持が良かったのに鬱陶しくてしょうがない。
「……クソッ!!……」
理由もわからない怒りに支配されてシュウは困惑するばかりだった。
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「……」
念話が切られた後もミリアリアはしばらくそのままの立ち尽くしていた。彼女は自分の行動に戸惑いを隠せずにいた。
「……何故、あんな事を……」
我ながらおかしな事をしたと思っている。普段なら他人のプライバシーに干渉したりなどはしないはずだ。
怒鳴られた事よりも自分の感情に驚いて彼女はしばらくその場から動けずにいた。
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シュウは念話を切ると直ぐに屋根から屋根へ飛び移りながら魔法の詠唱を始める。
「我、望む。我の目となって闇を暴け」
感知魔法。魔術師が好んで使う索敵用の魔法の一つで魔力を可視化し、魔物から人間まで感知する事が出来る。
魔術師の力量によって効果範囲が異なるが、今回展開したのは半径200メートル。
すぐに視界が切り替わり、建物を覆うオレンジ色の結界が目に入った。
(結界の解除まで後五秒…四…三…二…一…〇)
心の中でのカウントが0になると同時に視界の中の結界が溶けるようにして消えた。此処から建物まではおよそ200メートル。現場の魔法使い達に気づかれないように距離を取っていたとはいえ少々距離がある。
普通であれば魔法を使ったとしても10秒やそこらで走りきれる距離ではない。
「刻印術式、第一界解放」
周囲に人の姿がないのを確認すると能力を解放、途端に全身に力が溢れてくる。
そのまま足場を踏み切ると体は夜空を舞った。一気に20メートル以上跳躍すると再び屋根を足場にして跳躍。
赤く染まった瞳が赤いラインを宙に描く。
200メートルの距離を僅か10秒足らずで駆け抜けると、音がたたないように屋根に着地。
空を仰ぎ見ると先程と同じ結界が形成されていくところだった。
これで最低五分は邪魔が入らず戦闘に集中できる。
安堵する間もなく、見取り図で確認していた窓から建物の中に入った。
すぐに何かが腐ったような匂いが鼻孔を刺激し、たまらず手で鼻を覆った。
(……死体が腐る臭いだ……)
いままで戦場で数え切れないほど嗅いだ死体が腐る独特の香り、まるで腐った卵を鼻に入れられたような感覚。
犠牲者はいないと依頼の資料には書かれていたはずだが、この腐臭からすると少なくても三人は蜘蛛の餌食になっているはずだ。現場の人間が事を荒立てないために嘘の報告をしたのだろう。
(人の命を……塵か何かだと思ってやがる。平民はいくら死のうが知ったことじゃ無いってか)
湧き上がる怒りを感じながらも自分の行動は冷静だった。
相手に悟られないために資材や道具で体を隠しながら移動。
倉庫の二階から下を覗くと壁に糸が付着し、巨大なクモの巣が張り巡らされていた。巣の途中には何かが干からびたようなものがくっついている。おそらく犠牲者が蜘蛛に食べられた残りカスだろう。
「……いたな……」
更に辺りを見回すと巣の端の方に巨大なクモのような生物が体小さくして蹲っていた。
動かないところを見るとおそらく眠っているのだろう。建物に入るとすぐに発見されることを想定していたためにこれはうれしい誤算だ。少なくとも姿を見られていない状態で先制攻撃を行えるメリットは大きい。
意識を動かない蜘蛛に向けると刀の柄に手をかけたまま魔術を準備、そのまま巣に向かって二階から身を躍らせた。
「鎌鼬!」
抜刀術の要領で刀を抜くと、刀から風が刃状になって三つ放たれる。すぐに異変を感知した『鬼蜘蛛』が体を起こすがすでに魔術を発動させているこちらの方が早い。
風の刃が寸分違わず巣の壁と接している部分を切り裂くと巨大なクモの巣は一階の地面へと落ちた。
「キキキキキ!!」
まるで金属をこすり合わせるかのような耳障りな鳴き声を発する『鬼蜘蛛』。それは自分の巣を壊された事への怒りを表しているように聞こえた。
だが生憎その程度で怯むような中途半端な場数はくぐって来ていない。
「悪いが殺らせてもらうぞ」
「キキキキキキ!!」
今回一切手加減をするつもりはない。
五分以内という時間制限がある中では全力でなければ間に合わないというのもあるが周囲に人がいないことが大きい。
他人の目を気にしなければ最初から全力で行ける。
他人に見せると問題が起こる恐れがある全力だが威力は折り紙つきだ。
この程度の相手であればそこまで全力で力を使わなくても十分かもしれないが。
「キキキキキキ!!!」
どうやら我慢の限界を超えたようで『鬼蜘蛛』がその巨体に似合わない俊敏性を見せて襲いかかってきた。
全長2メートルを超えるかという両手の大鎌を不規則に振るい、こちらの体を分断しようとする。
しかしただで当たるはずなどなく、次々と回避していく。
紙一重でかわしていく姿を他の者が見たとすれば高速で振るわれる鎌が見えているかと疑問に思うかもしれない。
普通の人間であれば不可能な芸当だが今の自分には実際に霞むような速度で振るわれる鎌がスローのように見えている。
「どうした? こんなものか?」
「キ―――――――――!!!」
言葉はわからずともバカにされているのはわかったのだろう。『鬼蜘蛛』は先ほどより鎌を大きく振りかぶると交差するように振り下ろした。あまりの威力に振り下ろされた地面が割れ、大きくひび割れる。
本来であれば体にバツ印を作り地面に血の海とともに沈むはずだった。
実際『鬼蜘蛛』も勝利を確信し、その動きが止まる。
「フッ!!」
しかしシュウは後方に大きく回避しながら刀を投擲してみせた。それは昼間に公爵家の騎士団長に使ったのと同じ手。
だが先ほど払いのけられた刀は今回、視認するのが難しいスピードで宙を走ると『鬼蜘蛛』の鎌が交差した部分を正確に貫いてみせた。
「キ―――――!!!」
先ほどとは違い苦悶の声が上がる。自分の鎌を刀によって腹の部分に縫い付けられているのだから無理もない。
そして痛みで蜘蛛の視線が自分から完全に外れたと見るや、目にも止まらぬスピードで距離を詰め、懐に潜り込む。
体を半身にして右肘と左手を相手に向けて構える。
そしてその構えを保ったまま『鬼蜘蛛』を下段から浮き上がらせるように蹴り上げた。
『ギッ!?』
痛みよりも驚きが混ざった声。『鬼蜘蛛』の全長は三メートルを超え、その体重は二トンにも及ぶ。そしてその巨体がシュウの蹴りによって二メートルばかり浮かび上がったのだ。常識で考えれば百キロにも及ばない体重しかないシュウが二トンを超える物体を蹴り上げるなど、この場に人がいれば目を疑ったことだろう。
『鬼蜘蛛』は空中でもがこうとするが両の鎌を塞がれた状態では大した動きも取れず、慣性に任せて落下することしかできない。
そしてシュウは落ちてきた『鬼蜘蛛』に合わせて魔法を発動させた左手、右ひじ、右の裏拳の三つをその体に打ち込んだ。
「流撃衝!!」
変化は一瞬だった。『鬼蜘蛛』の巨体が痙攣したかと思うと体が沸騰したお湯のように内側から盛り上がり、
「ギ……ギ……ギ――――!?」
次の瞬間絶叫とともに弾け飛んだ。体は大きな物でも人間の頭ほどの大きさに千切れ、体液が倉庫中に飛び散っている。
昼間使った技の正しい形がこの「流撃衝」だ。
使ったのは振動魔法。
一発ではほとんど無意味だが短時間で連続して魔法を三回行使。
敵の体内で振動魔法を合成、敵の肉体を内側から破壊するのがこの技の特徴だ。一つ一つが弱い魔法だとしてもその波動を増幅し、合成する。これによって瞬間的ではあるが爆発的な破壊力を生み出すことが出来る。
そしてこの技の肝は敵の体を宙に浮かせた状態で技を行う事にある。
足が、地面についている状態では接地面から振動が地表に逃げてしまう。
団長のガイラが同じ技を食らっても痣で済んだのはこのためである。だが空中でこの技を行使すると、振動は地面に逃げることが出来ず、逃げられなかった振動が相手内臓を震わせ、体を内部から破壊するのだ。
刹那でもタイミングを外せば成功しない困難な技であり、シュウが五年以上の歳月をかけて編み出した魔法でもあった。
「ん?」
依頼でもある魔物の核と刀を回収し、その場を去ろうとすると、シュウの視界の端に何かが光ったのが目に入った。
近づいてみると床に十字を模した短剣が刃の半ばまで突き刺さっていた。
「なんだこれ、儀式用の短剣か?」
引き抜いてみると刃の部分には隙間なくびっしりと魔法文字が書き込まれていた。日常生活や戦闘に使う実用品ではなく明らかに魔法触媒や儀式などに用いられると分かる品だ。
「なんでこんな物がここに……」
倉庫に不釣合いの物に疑問を抱いていると入口の方が騒がしくなってきているのが感じられた。どうやら結界の解除が終わり、騎士たちが中を確認しようと倉庫の扉を開けようとしているようだった。
「はっ!」
回収した核と短剣を袋にしまうと能力を使って二階へ飛び上がり、入ってきた窓から外に出た。
「……とりあえず、報告に戻るか……」
月明かりに照らされる屋根の上でそうつぶやくと足元で騎士達が騒ぎ出しているのを聞きながら、来た時と同じように屋根を伝って公爵家の屋敷に向かって駆け出す。
シュウの姿はすぐに夜の闇に交じって見えなくなった。
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