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天の杯~神の掌で踊れ~  作者: 雪ノ幸人
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第七話 悪魔と呼ばれた男

主人公は悪役ではありませんのであしからず。

 シュウと名乗った黒髪の冒険者が部屋を出て行った後、ミリアリアは大きく息を吐き出すとソファに背中を預けた。

 依頼の最後、先ほど彼が自分に向けた視線はとても無機質で冷たいものだった。

 ミリアリアは一八歳でありながら公爵家の当主としてこの数年様々な者達を相手にしてきた。しかしあれ程の視線は経験にない。何もかもを見透かすような漆黒の瞳。今思い出しても背筋に冷たいものが走る。

 緊張感から解放され、紅茶に手を伸ばそうとしたのと背後から大きなものが崩れるような音がしたのはほぼ同時だった。



「ガイラさん、どうしました!?」

「いや、大丈夫だ」


 

 崩れ落ちるように膝をついたガイラにミリアリアがあわてて駆けよる。ガイラは手で彼女を征したが、額に大粒の汗を浮かべ青たい顔では痛々しく映るだけだ。



「バルドさん、彼を」

「はい、お任せください」



 そう言って膝をつくガイラをソファに横たえると鎧を外し、服の前の部分をはだけさせた。



「!?これは……」



 見ると、見事なまでに鍛え上げられた彼の体の表面には三つの痛々しい痣が出来ていた。

 バルドはガイラの体の上に手をかざすと急いで魔力を練り上げる。



治癒(キュア)



 薄い緑色の光が彼の手から発せられると、痣は少しずつだが確実に薄くなる。それに合わせるようにガイラの顔色も徐々に良くなっていった。

 治癒魔法は他の魔法に比べ扱いが難しく、また術自体の難易度も高い。

 バルドが心得ているのはあくまで応急処置程度で完全に治す事は出来そうになかった。



「ガイラ殿、申し訳ありませんが私ではこれが限界でございます」

「いや、十分だ。助かった、バルド」



 ソファから上半身を起こしたガイラの顔色は先ほどに比べれば大分改善したようだがまだ本調子ではない事がその動きから伝わってきた。



「しかし、信じられない症状でございます」



 執事長の言葉にミリアリアは首をかしげた。彼女は見た所打撲で出来た痣にしか思えない。



「外見上は痣にしか見えませんが、内臓全体が均一にダメージを受けています」

「内臓ですか?」

「ええ。おそらくですが何らかの方法で打撃を体内に届かせたのでしょう。……ガイラ団長、先ほど手合わせをした際の最後の攻撃ですか?」



 バルドが確認を取るように尋ねるとガイラは痣の部分をさすりながら答えた。



「ああ、打撃を撃ち込まれた後に何か魔法を使われた。すぐに動けるようになったんだが、話の途中から急に気分が悪くなって焦ったぜ」

「ガイラさん、そういう時はすぐに言ってください。騎士団を預かるあなたの身に何かあっては父に顔向けできません」



 ミリアリアは悲痛な表情を浮かべた。ガイラはそれを見るとばつが悪そうに頭をかき、自分の浅慮を恥じた。



「すまねえ。次からは気を付けるぜ、お嬢(・・・・)



 小さな頃の呼び名を使うのは彼が謝る際の常とう手段だった。



「しかし、興味深い技です」

「ああ、だが実際受けてみるとこいつは相当厄介だぞ」



 ガイラはそう言うと自分の腹部に視線を落とした。



「鎧の上からでも内臓にまでダメージを与えられるとなると、防ぎようがねえ」

「それにどんな達人でも内臓は鍛えられませんからね。治癒魔法を扱える者でも内臓まで治せる者は、上級魔術師でもなければ不可能でしょう。」

「治癒不可能とは笑えねぇな」



 くっくっくっとガイラはおかしそうにその大きな体を丸めて笑う。

 この世界で魔法を扱う者は魔術師と呼ばれ、戦略級>戦術級>上級>中級>下級の順に実力が高い。

一般的に上級魔術師とは国が進んでお抱えにしたいほどの実力を持つ者たちだ。

戦術級は勇者クラス。

戦略級はそれこそ物語の中でしか登場しないような一人で戦争の行く末を左右できる者たちを指す。



「……間違っても彼を敵に回すべきではありませんね」

「同感だ、お嬢。」

「ミリアリア様、そうなるとやはりあの話も本当と考えておくべきでしょうか?」

「はい、少なくともそうである事を前提に動くべきです」

「まあ、ネズミの情報だからな信用してもいいと思おうんだが……」



 ガイラはそう言うと迷っているようなそぶりを見せた。



「信じられませんか?」

「ああ、あまりに突拍子もないからな」



 そう言った彼の頭の中にあったのは数日前の出来事だった。




####################




 シュウが公爵家に招かれる三日前、奇しくも同じ部屋で二人の女性が向かい合っていた。いや、正しくは1人と1匹だが。



「すまないね、こんな格好で失礼するヨ」

「構いません。あなたの立場を考えるなら仕方のないことでしょう」



 執務室の椅子に腰かけたミリアリアの正面には紅い目の白い鼠が机の上にちょこんと座っている。驚くことに先ほどの人の声はこのネズミから発せられたようだった。



「それよりも私の方こそ謝らなくてはなりません。言われた通りなるべく人払いをしたのですが警備の都合上この二人を同席させることを許していただきたいのです」



 ミリアリアの後ろには騎士団長のガイラと執事長のバルドが控えていた。二人とも話すネズミに初めは面食らったようだが、今の表情は普段通りのものに戻っている。



「『赤獅子』に『黒犬』なら問題ないサ。あたいが居て欲しくないのは空気の読めないバカだからね」



 この言葉に後ろに控えていた二人は驚いた。

 特にバルドの反応は著しいものだった。その髪の色と獣の王である獅子の如き強さを表す『赤獅子』は公爵家騎士団長ガイラ・クリフトを指し、この二つ名は王国内でも有名だ。

 一方で『黒犬』を知る者は少ない。これはバルドが公爵家の諜報を担当し、その仕事上他者に本名を知られないようにするためにつけられたものだからだ。

 今は、年齢のせいもあって第一線から退いたバルドであるが現役時代でも『黒犬』が彼だと見破られた事などなかった。



「そう警戒しないでおくれヨ。あたいの仕事は情報を集める事なんだから裏世界の人間の二つ名ぐらい知ってて当然サ」

「……申し訳ありません。何分急なことで驚いたものですから……」



 謝罪の意を込めて頭を下げるバルドであったがその内心は目の前の鼠が噂通りのものであったと戦慄を禁じ得なかった。



「それで『聖女様』の依頼とは何かナ?金さえ払ってくれればどんな情報でも集めて見せるけどネ」

「実は王国の北部に・・・」

「ああ、蜘蛛ネ。」



 今度はミリアリアが驚く番だった。

 王国が蜘蛛の実態を確認したのは2日前、貴族たちに兵を派遣するように要請したのは昨日の事なのだ。

 あまりに情報を掴むのが早すぎる。



「その蜘蛛の事で情報があれば提供していただきたいのです」

「個体名は『鬼蜘蛛』。アラクネに近いけど、上半身が鬼の姿を取ってるうえに腕の代わりに蟷螂のような2メートルを超える大鎌を持ってる。現在はおそらくステージ3。どこから入ってきたのかは今のとこわかってないネ」



 ミリアリアは想像以上に詳細な情報がもたらされたことに言葉がない。

 現在王国が掴んでいるのはタイプ・キマイラである事だけだ。今日の夜にでも偵察隊が出され、その後詳細な情報が各領主にもたらされる事になっていた。

 それなのに王国が極秘にしている情報どころか把握していない情報もすでに掴んでいる。

 ミリアリアは情報屋『鼠のアルゴ』を手中に収められれば、王国を動かす事すら可能と言われているのにも納得できた。



「……そうですか。では『鬼蜘蛛』を単独で討伐できる冒険者の情報を……」

「その事なんだけどネ……」



 先ほどまでとは打って変わってアルゴの声に迷いが混じっている。



「何でしょうか?」

「……あたいが紹介できるのは3人。その中でも最も推薦できるヤツの情報は別料金になるんだけど……」

「お幾らでしょうか?」

「金貨100枚」

「100枚!?」



 ガイラは思わず声を上げ、身を乗り出した。がすぐに冷静さを取り戻すと、咳払いを1つしてもとの姿勢に戻った。

 金貨100枚と言えば、一般家庭が働かずに一年暮らす事が出来る額だ。いくらなんでも情報を提供するだけにしては高すぎる金額だ。



「あたいも申し訳ないと思うんだけどサ、正直これくらい貰わないと割に合わない情報なんだよネ。付き合いが長いエーデル家じゃなかったら、出すはずのない情報だし」



 アルゴも高すぎる自覚があるのだろう、その声には本当に詫びる気持ちが含まれていた。



「金額の理由を伺ってもよろしいですか?」



 公爵家の人間であるミリアリアにとって金貨100枚は特別大きな金額というわけではない。しかし、大金であることは間違いなくそれほどの値段をつける理由を彼女は知りたかった。



「正直コイツのネタはあたいが持ってる情報の中でもとびきりヤバいんだ。だから全部は話せないし、それ以上に提供できる以上の情報を求められるようならエーデル家と手を切らなきゃならない」



 話を聞いていた三人は反応に違いはあっても内心は信じられなかった。

 王国でも有数の権力を持つ公爵家と手を切ることも躊躇わないとは普通なら考えられないことだ。またそれほどまでに警戒しなければいけないほど危険な情報など想像がつかない。



「けどコイツの実力はあたしの折り紙つきだ。『鬼蜘蛛』程度なら問題なく倒せるだろうヨ」

「わかりました。その方の情報をお願いします」

「名前はシュウ。現在はBランクの冒険者で年齢は21」

「Bランク?」



 てっきりAランクをはるかに上回るような化け物が紹介されるかと思っていたのだから、肩透かしを食らったようで、彼女の反応は当然のものだった。

 アルゴも分かって言っていたのだろう次に発せられる声には幾らか苦笑のようなものが感じられる。



「でもコイツ、数年前に起こった貴族殺害事件の犯人だよ」

「なっ!!!」



 声を上げたのはバルドだ。

 普段の彼からは想像もつかないような取り乱した様子で鼠に詰め寄った。



「そ、そんなバカな!!本当に『悪魔』が実在していたのですか!?」



 ガイラとミリアリアにしてもこれほど取り乱したバルドなど初めて目にする。驚きを隠せないのか額に手を当てると呆然と虚空を眺めている。



「バルドさん。『悪魔』と言うのは一体?」

「え、あ、ああ、は、はい。『悪魔』と言うのはアルゴ殿がおっしゃられた貴族殺害事件の犯人を指す隠語でございます」



 話しているうちに落ち着いてきたのか普段の口調に戻りつつあったが、まだ驚きから脱せないようでその表情は信じられないものを見たようであった。



「ほとんどが皆殺しにされたために目撃情報もなく、一つを除いて犯人を特定する証拠はありませんでした」

「それは?」

「斬られた傷です。殺されたものは皆、鋭利な刃物によって斬り殺されていました。大人も子供も、男も女も関係なくです。あまりの容赦のない手口に冷や汗をかいたことを今でも覚えております」



 バルドは一旦息をつくと再度話し始めた。



「各国の諜報機関をもってしても手掛かりを得ることが出来ず、裏世界の者たちがその残虐性と容赦のない殺し方から名付けた名前が『悪魔』。……存在すら疑問しされておりましたので、私も正直驚いております……」



 部屋の中には重苦しい沈黙が漂うが特徴的な女の声がそれを吹き飛ばした。



「心配しないでも大丈夫だヨ。噂ほど危ないヤツじゃないからネ。あたいが保証するサ」

「……鼠の情報屋。アンタの言葉を信用しないわけじゃないが、他の奴にしてくれ。ミリアリア様の護衛を受け持っている俺からしてみればそんな危ないヤツを近づけさせるわけにはいかん」



 沈黙を保っていたガイラであったが流石にバルドの話を聞いて相手の危険性が分かったのだろう。普段の豪胆な態度はなりを潜め、その表情は騎士団を預かる者にふさわしいものだった。



「……いえ、その方で構いません。紹介していただけますか?」

「ミリアリア様!?」

「ガイラ団長、今回の状況を考えるなら腕が立ちすぎて困る事はありません。確実に討伐するためにも実力者を選ぶべきです」

「しかし、万が一ミリアリア様に何かあれば……」



 彼女に考えを改めて欲しいと迫るガイラであったがミリアリアは決して首を縦に振ることはなかった。



「危険は覚悟の上です。ですが情報屋『鼠のアルゴ』の紹介となれば問題ないでしょう」

「安心してくれていいヨ。ちょっと貴族嫌いなところがあるけど性格にも問題ないし、腕はあたいが保証するヨ」



 自分の仕える主に加え、こう言われてしまっては彼もそれ以上強く言う事は出来なかった。だが依頼の前に自分が実力を確かめると約束させた。彼は自分が頭の切れる男ではないと自覚している。故に剣を合わせれば善悪の判断はつくと考えた。



こうしてこの数日後彼らはシュウと相対することになる。






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