第六話 公爵令嬢ミリアリア・エーデル
部屋が整えられる頃には先ほどの鎧の男も意識を取り戻していた。少し話を聞くと彼はこの家を守護している騎士団の団長らしい。名をガイラ・クリスト。
見た目からわかるとおり貴族だがその笑いや動きからは貴族らしさは感じられない。貴族とはいっても下級貴族の出で、その暮らしも平民とさほど変わらないらしい。
この家の先代にその腕を見込まれ、若くして入団。
その後も更に腕を磨き、今では団長の地位にまで上り詰めたのだそうだ。
本人はこの家に多大な恩を感じているらしく、その言葉の端々から畏敬の念が感じられた。
「お待たせして申し訳ありません」
そう言ってソファを勧められる。腰を下ろしてみると体が沈み込みそうなほどの柔らかさに驚いた。
いくらするのだろうかと金銭的な事を考えてしまうあたり、自分が根っこまで庶民なのだと痛感する。
「申し遅れました。私はミリアリア・エーデル。この公爵家の現当主を務めております」
「冒険者のシュウだ。礼儀をわきまえない無礼者だが大目に見てくれるとありがたい」
敬語を使わずに話したあたりで金髪の男が何か言おうとしたようだが団長であるガイラに止められていた。
「すでに知っている方も含まれていると思いますが、後ろに控えているのは執事長のバルドさん。騎士団団長のガイラさん。副団長のクリフさんです。」
「ご紹介にあずかりました、バルドでございます」
「団長のガイラだ。いや、若いくせに大した腕だぜ。すっかりやられちまったからな」
「副団長のクリフだ」
立ち上がり、それぞれと握手を交わす。バルドとガイラは内心でどう考えているのかはともかく、表面上は友好的だった。しかし、クリフに至ってはすでに憎しみがこもった視線を向けられたが。
(前二人はともかく、明らかに傲慢貴族って感じだなこのクリフって金髪。せめて大人なら顔に出さないようにしろって)
内心で失礼な言葉を吐きながらも表面上は和やかに握手を交わす。
「しかし、驚いた。まさか、『聖女』様直々の依頼とはな」
「……巷で私がそう呼ばれているのは存じ上げていますが、『聖女』等と言うのは私には過分な称号です」
「そうでもないだろ。俺があんたのとこの領民や亜人達だったら、『聖女』って呼ぶのもわかる気がするがね」
公爵令嬢ミリアリア・エーデル。またの名を『聖女ミリアリア』。
エーデル家は領民目線の政策を代々行ってきた一族で有名であるが彼女が当主になってからは領民たちに対してよりいっそうの善政を行っている。
減税に始まり、平民の役職雇用、公共事業の活性化、極めつけは一定の水準に達した亜人達に対して市民権を与えるなどその政策は型破りながら、多くの民に支持されている。
神々しいまでの美しい容姿と領民を第一に考えた政策から彼女を慕う者たちが敬意を込め『聖女』と呼んでいるのである。
正直な話、俺はこの国に来た当初ミリアリアが異世界人だと考えていた。それほどまでに彼女の政策はこの国においては型破りであり、むしろ元の世界に近いものだったのだ。
情報屋アルゴに相談した事からその疑問は氷解したのだがしばらくの間『聖女』ファンという誤解を持たれ、からかわれたのは思い出したくない歴史の一つである。
「私を他の貴族と比べた時に少し民に近づいた政策を執っているというだけです。本当であれば、私の政策など当たり前でなければいけないのに……」
どうやらこの領主様は本気で民たちの未来を嘆いているようだ。
異世界から来た俺からしてみれば文明が何百年と進んだ元の世界でも彼女ほど民の事を考えた政治家はいなかったように思える。
今でも十分だと思うのだが、本人は納得できていないらしい。
「それで俺は合格か?」
「はい、少なくとも団長であるガイラさんを倒せるのであれば実力的には申し分ありません」
「引っかかる言い方だな。正直、戦闘以外は今の俺じゃ荷が重いぞ」
どうやら求められているのは戦闘能力だけではないようである。
裏の仕事にはここ2年ほど関わっていない。もし内容が諜報や尾行であれば勘を取り戻すのに少々時間がかかるだろう。
「いえ、依頼の内容は魔物の討伐です」
「討伐対象は?」
「タイプ・キマイラ、個体名『鬼蜘蛛』です」
「……確かに厄介な敵ではあるが俺に依頼しなくても公爵クラスの騎士団なら十分討伐できるだろう」
魔物は個体名に加えて大きく幾つかの種類に分類できる。鬼種であれば頭に角を持ち、狼種であれば四足歩行に獣の身体、複合種なら複数の動物を掛け合わせた肉体を持っている。しかし、当然中には例外も存在する。
「確かに俺達、騎士団でも装備と人員を揃えれば十分討伐可能だ。だが今回騎士団を動かすわけにはいかないんだ」
「どういう事だ?」
「それが今回の依頼をあなたにお願いしたい理由でもあるのです。……バルドさん、彼に資料を」
「はい」
そう言って手渡されたA-4サイズの資料に読み進めると自分の目を疑った。
「おい、どういう事だ。なんで国内に魔物が入り込んでる」
資料に書かれていたのは王国北部―――鍛冶師や商人が出入りが多い、海に接した商業地区―――の一画に『鬼蜘蛛』が巣を形成しているという信じられない情報だった。
「詳細は目下、調査中です。ですが、貿易用の荷物を保管しておく倉庫の一つに『鬼蜘蛛』が巣を形成しているのを確認しています」
「どこから入ったんだ? 国の周りには魔物用の結界が展開されているはずだぞ」
現在外からの襲撃を防ぐため、防護結界をどこの国でも展開している。この結界は上級魔法でも千回近く防ぐことが出来る強度を持つ。
国の守りの要であり、絶対的な安心の源でもあった。
「結界は正常に機能しています。しかし侵入経路を断定出来ていません……」
「なぜ討伐隊を出さないんだ?」
「それは……」
ミリアリアは形の良い眉をしかめると視線をそらした。助け舟を出したのは後ろに控えていた赤毛の騎士団長だった。
「どこの領主が兵を出すかで揉めているらしい」
「は?」
帰ってきた答えは予想の斜め上を行くものだった。
「おい、ちょっと待て。言っちゃ悪いが『鬼蜘蛛』一体程度なら集団で立ち向かえば倒せるはずだ」
複数の『鬼蜘蛛』に遭遇すれば苦戦を免れないが単体でなら、ある程度の力量を持つ者が集団戦で立ち向かえば間違いなく倒すことができる。
『鬼蜘蛛』は複合種。
タイプ・キマイラは魔法耐性に優れているため、魔法攻撃は有効手段になりにくくはあるがあくまで耐性があるのは皮膚の表面だけなので前衛を多めに配置し、傷を負わせた場所から魔法で攻撃してやれば被害を出さずに討伐することも可能だ。
それほど苦戦するような個体ではないはず。
何故兵を出すので揉めているのか理解できなかった。
「だからなのです」
「……もしかして、功を得たい領主たちが互いに牽制し合ってるってことか?」
「……その通りです」
余りにくだらない理由に力が抜け、背後のソファに倒れこんだ。
「貴族が聞いて呆れるぜ。どいつもこいつも欲の皮を被った豚じゃあるまいし」
「……貴様いい加減しておけよ……」
声がしたほうに目を向けると腰の剣に手を添えたクリフが厳しい顔でこちらを睨んでいた。
「ミリアリア様に敬意を払わないどころか、貴族を馬鹿にするだと、平民の分際でつけあがるのもいい加減にしろ!!」
「嘘は言ってない。今回だって他の領主共が呑気に構えてられるのは自分達に被害がないからだろ。高潔で誠実な貴族が聞いて呆れるね」
両手を上げて肩をすくめて見せるとクリフの顔は一層厳しいものになった。
「貴様……」
「クリフさん止めてください」
「ミリアリア様、しかし……」
「彼が言っていることも事実なのです。今回他の領主の方々が民の命を第一の考えるならこのような依頼をせずに済んだはずですから……」
「ですが!」
「それに今回の依頼に彼の協力は不可欠です」
「……わかりました……」
何とか怒りを抑えたもののその表情にはありありと憎しみが浮かんでいた。
「あなたは貴族が嫌いなのですか?」
「大嫌いだね」
視界の隅で金髪の副団長が憤怒の形相で睨んできていたが俺の心内には波風一つ絶たなかった。
「特権身分の重要性は理解できる。指導者が居なければ平民も安定した暮らしは望めない。そういう意味では選ばれた人間というのも頷ける」
そこまで話すとシュウは無意識に姿勢をやや倒して正面からミリアリアを見つめ、「だが」と続けた。
「それを勘違いして特別な存在である自分は何をやっても許されるなんて考える馬鹿な貴族が死ぬほど嫌いなんだよ。」
「……」
「……すまないな。余計な時間を取らせた」
「いえ、あなたの言う事には少なからず事実ですので。ですが全員がそうではないと分かっていただきたい。貴族の中にも正義感に溢れた者も多くおりますから」
シュウは何も答えなかった。
「話を戻そう。それで問題は時間か……」
「はい。急がなければ国民がパニックに陥ります」
北部はこの国の商業の中心地だ。
万が一、今回の情報が外に漏れ国民が恐慌状態に陥った場合、多くの職人や北部に住む者たちが一時的とはいえ北部を離れることになる。そうなったら経済に与える損害は計り知れない。
「将軍やら近衛騎士なんか出せばすぐだろ」
「現在、将軍を含めた近衛隊は遠征に出ており、残っているのはほんの僅かなのです」
「で、将軍はじめ実力がある騎士がいないのをいいことに残った奴らがチャンスとばかりに兵を出そうと争ってるってわけか」
「はい」
確かにこれなら自分の所に依頼をしに来たのも頷ける。
現在兵を出すことが出来ないのであれば、冒険者に依頼するしかないだろう。
ギルドを通さず依頼に来たのも依頼主を特定されるのを防ぐためだとすれば、納得だ。
「そこで秘密裏に『鬼蜘蛛』を排除したいのです」
「大丈夫なのか?他の領主にばれたらコトだぞ?」
エーデル家が貴族の中で最高位の公爵の地位にあるとはいえ、貴族同士のつながりを無視していいものではない。
討伐に成功したとしても外に情報が洩れれば他の家との関係にひびを入れることになる。
「構いません。国民の命を第一に考えるのであれば早期の解決が必須ですから」
この当主様は見た目に反してかなり気が強いようだ。その視線に曇りはなく、あるのは純粋な意思。
「報酬は?」
「成功報酬として金貨100枚を用意しています」
シュウはミリアリアのこの発言に息をのんだ。
金貨100枚と言えばAランクの依頼での平均報酬の二十倍だ。『鬼蜘蛛』討伐の報酬としては多すぎる額だ。
「ただし、いくつか条件を付けたいのです」
「まあ、当然そうだろうな」
これだけの報酬を払うというのであれば、当然なんらかの条件が付くことは想像できた。
「倉庫の外には結界が張ってあります。ただし午前零時になると交代のため、一分間だけ結界が解除されます。この隙をついて中に侵入、『鬼蜘蛛』五分以内に討伐して下さい」
「時間制限か……理由は?」
「おそらく戦闘を始めれば異変を感じて外の者が中に入ってくるはずです。結界の解除には五分程度かかるはずですが、結界が解除された際に討伐できていなければ……」
「『鬼蜘蛛』が外に逃げ出す恐れがある……って事か」
「はい。今回は無用な混乱を避けるためにも、民に知られる前に片づけなくてはなりません」
「了解だ。他には?」
「討伐した『鬼蜘蛛』の一部を回収してください」
「解析のためか?」
「はい。もし、国の結界を突破できる能力を持っているなら対策を立てなければ後々面倒なことになります」
「了解。俺の方からもいくつか希望があるんだがいいか?」
「伺います」
先ほどから視界に入っているクリフの視線を無視し、ミリアリアに今回の依頼で必要なものの調達を頼んだ。
「倉庫周辺の詳細な地図と侵入用の衣服を調達してほしい」
「わかりました。…クリフ副団長申し訳ありませんがお願いできますか?」
ミリアリアが問いかけると返答した後すぐに部屋を出て行った。その際に憎しみの篭った視線を向けるのを忘れなかったが。
「以上ですか?」
「あ、そうだもう一つ」
「何でしょうか?」
まるで今思い出したかのような軽い口調。しかしそこに込められた意思は声とは正反対のものだった。
「俺の事をどこで知った?」
「っ」
ミリアリアはシュウの視線を正面から受けとめ、息をのんだ。そこに篭っているのは嘘は許さないという絶対的な意思。一瞬にして部屋の中の空気が張り詰める。その口調・声音・表情、どれをとっても友好的に思える。だがその黒い瞳だけはすべてを見透かすかのようにミリアリアのサファイアのような碧い瞳に注がれている。
「……我が家には裏世界の情報を得る手段がいくつかあります。極秘ですのでお教えできませんが、今回はその一つを使ったまでです……」
「……」
黙り込んだまま二人は視線を外さない。
一秒が一分にも感じられるような感覚の中、先に視線を外したのはシュウだった。
「そうか。変な事聞いて悪かったな」
「……いえ、気にしていませんから。……夜になるまで屋敷の中で待機しておいてください。」
「了解だ」
シュウはそう言って席を立つと何もなかったようにその場を後にした。
シュウが扉を閉め終わるまでミリアリアがその場を動く事はなかった。
感想・評価お待ちしています。