表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

銃創

作者: 藤原 祐一

 夜、残業で疲れ果てた私が重い足取りで暗く人通りの少ない道を歩いていると不意に後ろから肩を叩かれた。親愛を込めたものとは程遠い、若干の痛みを伴うほど乱暴な感触に、私は少しよろめいた後は身の危険を感じて固まってしまった。

 私に打撃を加えたその人物は、無理に私を振り向かせようとはせず悠々と私の横を抜けて対面してきた。私と同じくらいの背恰好の男だった。黒いサングラスに白いマスクを着けていて顔はわからない。視線を下げるとその男が銃を私に突き付けているのがわかった。

「助けてください」

 殺されることを悟った私は震える声で懇願した。

「私が何か悪いことをしましたか?」

 今日一日を振り返る。朝はいつものように電車に揺られ、出社と同時に暗い面持ちで挨拶をし、一人で黙々と仕事をこなした。そしてそれは今日に限らず毎日同じルーチンであった。周囲からの心象は悪いかもしれないが大きなミスを起こしたようなことはなかったはずだ。それならもっと前か? 大学時代、授業とバイトとサークルの三拍子のありきたりな大学生だった。高校時代、確かハンドボール部にいた。あの頃はまだ運動していたっけな。中学時代は……。

 それが走馬灯だと気づくには少し時間がかかった。

「殺しはしない」

 マスク越しのくぐもった声で目の前の男が話し出した。

「金なら、ある」

 慌てて財布を取り出そうとするとのを、男が銃を持っていない方の手で制す。

「金も要らない」

「何が欲しいんですか……?」

「この銃を受け取って欲しい」

 男が私に突き付けている銃を見つめる。自分の手の平くらいのサイズだった。

「この銃には弾が一発だけ入っている。好きに使え」

 男が私の背後に回った。

「今からこの銃を地面に置く。そうしたら三十秒数えろ。数え終わったら俺のことは忘れて銃を持っていけ」

 男が地面に銃を置いた。私は慌てて数え始める。男の姿はものの数秒で闇夜に紛れて見えなくなったが、私は律儀に数え切った。

 その場には私と男が置いていった銃だけが残った。


 その奇妙な出来事から数日が経ったいま、私は変わらずに朝早く出社し、夜遅くまで会社に勤めてくたくたになって帰宅することを繰り返している。

 銃は鞄の中に入れて常に持ち歩いている。はじめ、バレないかとひやひやしたがそれは次第にスリルに換わっていった。退屈していた毎日には打ってつけの刺激だったが、しかしそれも束の間の遊びに過ぎなかったのも事実だった。

 この銃はどうやら本物のようだった。持ってみれば確かな重みを感じるし、手に伝わる冷たさは玩具のようなプラスチックとは違う凶器としての存在を示していた。これを使えば人を殺せる、そう確信させられるような凄みがこの銃には確かにあった。

 しかし、あるいはそれ故に、私はこの代物を持て余していたのだった。

 男は「好きに使え」と言った。だがどう使えばいいのか私にはさっぱりわからなかった。誰かを殺す……? 殺したにしてもそこからどう逃げ延びればいいのだろう。もちろん私は犯罪をしたことなどなかった。そもそも弾は一発と言っていたが引き金を引けばちゃんと弾が出るのだろうか。出たとしても一発で殺せなかったら別のものでとどめを刺さなければならないのだろうか。

 もっと言えば私には殺したい人物はいない。日々の鬱憤なら、大いにある。朝起きれば腐った生ごみを出す隣人に悩まされ、駅までの道ではしつけのなっていない犬に吠えられる。電車では大の大人たちの椅子取りゲームに巻き込まれ、スーツのズボンに足跡が着かない日はない。会社では同期たちがお互いがお互いの不幸を願って鎌をかけあっていて、私たちよりも年上のはずの上司は更に年上の上司の機嫌取りに精いっぱいだ。

 どこもかしこも不満だらけでうんざりしている。だが、どれも人一人を殺めたところでどうにもならないのだ……。

 この銃はその実役立たずだ、と私は思った。私には扱いきれない。しかも使わずに持っているだけでいつ警察の世話になるかもわからない、と完全なただの足手まといだ。

 かと言ってゴミ箱に捨てるわけにもいかないだろう……。私は会社の昼休みにコンビニへ行き、黒いサングラスと白いマスクを買い求めた。


 私は早めに帰宅をし荷物とスーツを投げ、それからできるだけ全身を黒い服で固めた。サングラスとマスクをポケットに入れ、鞄から銃を取り出してふところにおさめる。慎重に外へ出るとちょうどいい塩梅に暗くなっていた。


 自分の最寄りの駅から一駅分離れ、手ごろな路地を張る。まもなくして会社帰りであろうサラリーマンを見つけて私は近づいて行った。

 肩を叩くと彼は首だけ振り向いて私を見、ぎょっとしたような表情をした。

「声を出すな」

 哀れなサラリーマンに銃を見せつける。抵抗はしないようだった。

「この銃には弾が一発入っている。好きに使うといい」

 私は、私が以前言われたように彼に伝えた。銃を彼の目の前に投げ捨てる。

 すぐさま私はその場を走り去った。来た道をそのまま駆けて、自分の家まで。幸い人とすれ違うことはなかった。

 自分の家のドアまでたどり着くと、体が思い出したかのように疲労を訴えかけてくる。走っている最中は夢中で気づかなかった。体力にはそこそこ自信はあったが、なにしろ久しぶりに走ったものだから当たり前だ。

 震える手でドアのカギを開けてベッドに倒れ込んだ。激しい疲れとそこそこの達成感に酔いしれて、私は何も考えずに眠りに落ちたのだった。


 あれから数カ月が経った。私は変わらない日常を送っている。もちろん、私の元へ警察がやってくるようなこともなく。朝は急いでいる僕を引き留めて世間話をしようとする管理人のおばさんに苛立たされ、駅では改札を出てすぐ立ち止まるOLをかわし、会社では故障して数週間経っても直らない暖房の代わりに自前のカイロを開けている。


 そんなある日の夜、残業で疲れ果てた私が重い足取りで暗く人通りの少ない道を歩いていると不意に後ろから声をかけられた。

「おい」

 過去の同じような経験に心当たりを覚えながら、振り向く。はたして、黒いサングラスと白いマスクをした男が立っていた。手には見覚えのある銃を持って。

「なんですか」

「黙って聞け」

 以前私に銃を渡した男とも、私が銃を渡した男とも違う人物のようだ。私は眩暈がした。

「この銃には弾が一発入っている。お前にやるから、後は好きにしろ」

 そう言うと、男は私の手に銃を押し付けて足早に去っていった。

 後には、暗闇の中呆然と立ち尽くす私と、一丁の手の平サイズの銃だけが取り残されていた。


君の名残は静かに揺れて。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ