第十章・四
エルミラと話している間、アイオナが面白くなさそうな顔をしていたのはダーシュにも判っている。
何となく気になる女ではあった。妙に気になるのは何故であろうか。
かなり育ちが良いのではないかと感じさせる雰囲気を持っていたし、料理人には見えないのに、料理人しか持ち得ないような知識を持っていた。
それも最高級な料理に関する知識だ。
最高級な料理とは則ち王や貴族が口にする料理ということで、そういう相手のために料理するような立場でもなければ知り得ないような知識を、何故あの女が知っているのか。
貴族なのかと言えばそうかも知れないという気もする。
でも言葉遣いは市井の女のものだった。
あれでもし貴族ならば余程芝居に長けた相手に違いない。
それでは美食に慣れた大商人の娘では? という線はどうだろうか?
だがそれもまず考えられない。
何故ならそれほどの料理人を抱える大商人ならば、やはり大商人であるメルサリス商会とは以前から何らかの繋がりがあっても不思議はないからだ。
ところがあの女は明らかに初めて宴会にやって来た人間である。
そもそもメルサリス商会はもちろん、大きな商人ならば必ずディブロスの商工会にその名を連ねているはずである。知り合いでない方が怪訝しいのだ。
つまりあのエルミラという女はどうも怪しい……という話になるわけであるが、そんな奴が何故、岳父殿の宴会に現れたのか?
そこにダーシュは引っかかりを覚えるのだ。
危険な気配は感じられなかったから暗殺者ではないという気がする……しかし暗殺者なればこそ、そうした気配を隠蔽する術技に長けているのではと思ったりもする。
――まさか暗殺者でもあるまいが。
エルミラとの会話や、その時の彼女の様子を思い出してみても疑わしい素振りはなかった。
そもそも暗殺者が、ふとした会話で相手に疑念を抱かせるようなヘマをするだろうか? しないのではないか。
自分の気の所為だろうか。命を狙われた経験上、神経質になっているだけだろうか。そんな風に考えたりもする。
この宴会は食事も素晴らしいが葡萄酒が実に素晴らしい。こんな庶民の宴会で出していいのかと思うほど佳い酒が出ている。
アイオナから話を聞いていたので警戒して余り飲まないようにしていたが、それでもほろ酔い加減になってしまったのは酒が素晴らしかった所為だ。
人気を避けて商館の二階に上がり、涼みながらそんな責任転嫁をしていると、階段を誰かが上がってくる音がする。
誰かと思って目を向けるとゼルヴィスが現れた。続いて供の者と思える若者が二人見えたが、彼らは階段を出たところで、そこを固めるようにその場に留まった。
確かゼルヴィスは後一人若者を連れて来たはずだから、大方それは下の階段口を守っているのだろう。
何の為か? 無論自分達の主人のすることを、邪魔する者が現れないようにだ。
誰が邪魔をしに来るのか。それも予想が付く。
ダーシュは宴会の流れを最初から注視していたので、ゼルヴィス・アナクシスが着飾った女達に群れられていたのを知っている。
海洋商人が身内を招いて開くような宴会には不似合いなほどのよい服を着て、身を飾り立てた女達である。
始めは何とも場違いな……と思ったものだが何のことはない。
大方結婚願望のある娘達と、その娘を売り込もうとする母親達であろうが、巨大な栄光を勝ち取った名門貴族ともなればそれも当たり前かとダーシュも思う。
供を後ろに残し、ゼルヴィスだけがダーシュのいる所へ歩いて来た。
来たな――と思った。
おそらくもう相手はダーシュがアイオナの夫であることを知っているのだ。
でなければわざわざ一人で来るはずがない。供を残してきたのはその何よりの証拠と思えた。
だが実はダーシュの方でもゼルヴィスが接近しやすい状況を作るために、ここに上がって来たのだ。
――さて精々アイオナに迷惑が掛からぬようにしなければならんな。
「こんばんは。良い宴会ですね」
先に話し掛けてきたのはゼルヴィスの方だった。
「こんばんは。確か船上で一度お目にかかっていますな」
「ええ」
ゼルヴィスは頷いた。
「私はゼルヴィス・アナクシスという者です」
「ええ。ペルギュレイオン競技会で優勝なされたとか」
「ご存知でしたか?」
残念ながら、とダーシュは言いたくなったがその衝動を抑えた。
「存じてはおりますよ。ですが手前は外国人なので詳しいことは判りかねますな」
ささやかな皮肉のつもりだったがゼルヴィスには通じていないようである。
しかし向こうはダーシュのことを知っているのかどうか。
「失礼かとも知れないと思うが、一つ伺って宜しいか?」
「なんなりと」
「貴殿の方では私のことをご存知なのかな」
「ええ。アイオナ殿のご夫君ですね」
確かゼルヴィスが現れる以前に夫としての自己紹介をしたような記憶が有るから、自分がアイオナの夫であると知ったのは船を下りてからなのではないか。
だがひょっとすると船上に現れたときには既に知っていたかも知れない。
貴族というものは耳が早い。そうであっても不思議はない。
とすると恨み言でも言うために自分の前に現れたのだろうか。
「そうです。私はアイオナ・メルサリスの夫で、ダーシュ・ナブ・ナグム・ナブ・テザク・アヌン=イビヌという者です」
ダーシュは杖を左手に移して、右手を胸前に持ってきて腰を軽く折った。
「これはご丁寧な挨拶痛み入る。私はゼルヴィス・オルス・アナクシスと申します」
向こうも丁寧に挨拶を仕返してきた。
しかし初めて目にしたときと同じように、この男からは嫌な感じが全くしない。
何というか……爽やかというかなんというか……とにかくこの男は良い雰囲気とでもいうようなものを周囲に纏い付かせている。
それがダーシュの意気を挫くのだ。
苦手な類いの人間と感じた。
「アナクシスという名には聞き覚えがありますな」
「ああ……」
ゼルヴィスは微妙な笑顔を浮かべた。
「紹介をせずとも家名を知られているというのは、助かることも多いですね」
中々微妙な言い方をするなとダーシュは感じた。
「ところで何とお呼びすれば宜しいかな?」
そうゼルヴィスが尋ねてきた。アウラシールの習慣を知っているという発言である。
「通常はダーシュ・ナブ・ナグムと名告っております」
「ではそのようにお呼びすれば宜しいか?」
「いや――」
ここでダーシュの悪戯心がむくむくと起き出した。
「単にダーシュとお呼び下されば嬉しいですな」
「なんと。では私のこともゼルヴィスとお呼び下さい」
予想通り、いや期待通りの返答だった。
人が好いのだなと少し呆れたが、そういう男であろうとも感じていたから不思議はなかった。
ダーシュは己のことを悪人とまでは思わないが、人が悪い方であるとは思っている。
だからこうして真正直に答えられると、ちょっと申し訳ないような気がした。
「いや、それでは外聞が悪いかも知れません。何せ貴方は競技会の優勝者だ。それはローゼンディアでは大変な名誉ではありませんか」
アンケヌへ戻ったのも最近であり、それまではもっぱらジルバラ地方や東方のハルジットにいたダーシュにはどうしてもぴんと来ないのであるが、ローゼンディアの四大競技会と言えばこれはもうミスタリア海の沿岸地方では相当に有名で、知らぬ者は無い。
中でも王都とペルギュレーの競技会はその権威において別格であるという。
そんな大会で優勝した人間を軽々しく呼び捨てていれば、どこで問題が起こるか知れないというわけで、ダーシュとしても冗談半分残りは嫌みという程度の気分で言ったものである。
「そのような人物を軽々にお呼びするわけにはいかんでしょう。ゼルヴィス殿と呼ばせていただきますよ」
「では私の方でもダーシュ殿とお呼びしたいが」
「それで構いません」
ダーシュは微笑んだ。
「それで何か私に用事がおありなのでは?」
面倒な話は早く終わらせたい。そう思ってダーシュの方から水を向けたが、ゼルヴィスは少しためらっているようだった。
「……気を悪くしないで欲しいのですが一つ伺いたいことがあるのです」
「それは貴方が何を尋ねるかによるので約束はしかねますな」
何を聞かれるか判った上で言っているのだからやはり己は性格が悪い。そんな事を思うダーシュであった。
「では敢えてうかがいますが、アイオナ殿とはどういった経緯で知り合ったのですか?」
いきなり本題を尋ねてくるのは何となく予想していたし、ゼルヴィスはそういう性格であろうという印象をダーシュも持っていたが、それにしても危険な質問をするものだなと思った。
他人に妻との馴れ初めを聞くなど、相当に親しい親友でもなければまず有り得ない。そして尋ねるにしても十分気を遣って尋ねるべき内容である。
でなければ血を見ることになりかねない。それがアウラシールの常識というものなのだ。
「それは随分剣呑な話ですな」
ダーシュが呟くとゼルヴィスは頭を下げてきた。
「どうか赦されたい。私にとってはとても重要なことなのです」
「何故、私が貴殿の事情を斟酌せねばならないのですか?」
全くその通りなのである。まだ知り合いになったとさえ言えないような相手の事情を、社会的常識に反してまで何故考えなければならないのか。
「確かに、貴方の仰るとおりです……」
肩を落とすゼルヴィスを見ていると、余りに冷たくあしらうのは気の毒かなという気もしてきた。
だからといってちくちく突つき廻すのを止める気にはならない。
ゼルヴィスの質問は十分に失礼だし、ダーシュとしては好意を持つ理由は無いからだ。
しかしあまり刺激しすぎるのも上手くない。メルサリス商会への影響も考えなくてはならないからだ。
――ある程度は付き合ってやる必要があるか。
多少業腹だがダーシュはそう結論した。
「……貴方は外国の方だ。ある程度は大目にみましょう。けれど節度はわきまえていただきたいものですな」
「ありがとうございます」
頭を下げるゼルヴィスの背後を見やると、かなり強烈な敵意をこちらに向ける従者の姿があった。
地上の英雄である己れの主人が、よく判らない外国人などにぺこぺこ頭を下げているのを見ればそれは面白く無いであろう。
何であれ人の怨みを買うというのは危険である。
「それでご質問の件ですが、アンケヌに居たときに商売上偶然知り合ったのですよ。特に面白い話があるわけでもありません」
「そうだったのですか……」
何だ。それで納得してしまうのか? ダーシュは肩透しを喰ったような気分になった。
「ご実家が商売の家だというのは知ってはおりましたが、外国の方と結ばれるとは思っておりませんでした」
んん? とダーシュは思った。僅かに眉を寄せてしまう。
「……ゼルヴィス殿は以前から我が妻のことをご存知だったのですか?」
「はい。子供の頃に机を並べていたこともあります」
聞き捨てならない言葉だった。
「ほう……それは初耳だ」
「アイオナ殿からお聞きになってませんか?」
「聞いてはおりませんな」
ダーシュは首を振った。
「だとすれば私のことを覚えておられないのでしょう」
その程度の間柄であれば求婚には来まい。
少なくともゼルヴィスの側には、アイオナに求婚したくなるだけの強い動機があるわけだ。
ダーシュとしては、てっきり家の事情から来る普通の結婚話かと思っていた。
つまり親が相手を見繕って話を進めるような、そんな類いの良くある結婚だと思っていたのだが、ことはどうやら違うらしい。
いや、ゼルヴィスの親というか実家の方にはそうした考えがあるのかも知れない。
しかしそれに加えて、ゼルヴィスにはアイオナと結婚したいという意思があるのだ。
――いや、したかったと言うべきかな。
何せアイオナとは己が結婚しているのだ。偽装結婚だが。
そう考えると何やらひねくれた優越感のようなものがダーシュの内に湧き起ってきた。
自分でも否定したくなるような間抜けな感情だが、今はそんな自己分析よりもっと大事なことがある。
ゼルヴィスの話を聞かねばならない。
「よろしければお聞かせ願えませんか? その、昔の話などを……」
言葉をぼかしてそう水を向ける。
自分の妻の昔の話を聞かせろなどと、しかも妻の幼なじみ? であったかも知れない男などに向かって言うのは、アウラシールの男としては沽券に関わるというか、あってはならぬ事だからだ。
「ええ。構いませんよ」
ダーシュにはゼルヴィスは快く頷いたように見えた。
何でも子供の頃、アイオナとゼルヴィスは同じ教室に通っていたらしい。
何故大貴族のゼルヴィスと平民のアイオナが同じ教室に通っていたのかという疑問が湧いたが、ローゼンディアではそうなのかも知れないと思うことにした。
ローゼンディアでは大貴族は普通、教室なぞというものには通わず、全てを家庭教師で済ませるものなのだが、ダーシュはその事を知らないからだ。
アウラシールでは逆に教室が教育の主体であり、大貴族や王族も教室の中で教育を受けるのが普通である。
もちろん身分に応じて通う教室は異なるものになる。
家の社会的な地位によって生徒の層が変わってくるわけだ。
しかし貴族と平民が同じ教室に通っているという例は、アウラシールでも無い話ではない。
だからゼルヴィスはかなりの大貴族だとアイオナから聞いてはいても、一緒の教室に通っていたという事実には驚かなかった。
驚いたのはそのことではなく、ゼルヴィスが子供時代のアイオナに体育競技で全く歯が立たなかったという事実を告白したことである。
「特に彼女は拳闘が得意でしてね。天性の当て勘を持っていた」
自分は全く歯が立たず、一方的に殴られ、そして倒されたのだという。
そのことを楽しそうに、懐かしそうに語るのだ。
それはダーシュにとってはかなりの驚きだった。
いくら子供時代の話とは言え、男が、女に殴り倒されたという思い出を、他の男に語るのだ。それも懐かしい良い思い出として。
アウラシールでは絶対に考えられない話である。
男に手を挙げるなど女としての慎みが無いし、女に倒される男など男では無い。反射的にそう考えてしまう。
「どうしました?」
その驚きが顔に出ていたのだろう。ゼルヴィスが聞いてきた。
「いや……少々驚きまして……」
ダーシュは苦笑して誤魔化した。
「ああ。アウラシールではこんな話をする男はいないでしょうからな」
「確かに」
「ですがお蔭で私はこうして競技者として名誉を勝ち取ることが出来たのですよ」
「いつか我が妻を倒す日の為にですか?」
言っていて馬鹿らしくなる台詞だが、もしそうであったら非常に厄介だなとダーシュは思った。
「まさか。それにそれだったら私は拳闘をやっていたはずでしょう?」
「確かに」
ダーシュはまた苦笑した。
「もっとも槍投げはともかく、イスキュロン走でも私はアイオナ殿には勝てませんでしたが」
「なるほど。これは良い話を聞いた。我が妻は競技会優勝者をも凌ぐ大競技者だったわけですな」
「そのとおりです」
答えてゼルヴィスは笑った。楽しそうに。
それでダーシュには何だかよく判ってしまった。何故この男がアイオナに求婚しに来たのか。
文化も常識も違う。だがダーシュにはゼルヴィスの気持ちが判った。
判ってしまった。
「……少し私は遅かったようです。結婚されたのは最近の話だとファナウスから聞きましたから」
いきなり岳父のことを呼び捨てにされてダーシュは緊張したが、そう言えば競技会優勝者は王族すら呼び捨てにできるのだったなと思い直した。
そうなるとアイオナを呼び捨てにしないのはダーシュを気遣ってのことなのか。
きっとゼルヴィスなりに心に期すものが有ったのだろう。
ひょっとするとペルギュレイオン競技会への参加も、そこで優勝することもその中に有ったかも知れない。
するとアイオナは……おそらくは知らぬ間に大事を、それも滅多に有り得ぬような事態を生み出してしまったことになる。
大いなる求婚と言っても良い。まるで物語だ。
先日会ったいけ好かない金髪坊主の伊達男――確かデトレウスとか言ったか? ならば喜んで出演したがるような物語だろう。
そして実際にそんな物語はあるのだ。尤もそれは平和な求婚物語ではなく、血生臭い戦争物語だが。
『怒りを! 怒りを歌い給え! おおディオーメよ!』
ミスタリア海周辺の国々では最も有名な古代叙事詩はそんな歌い出しで始る。
ディオーメとは詩と芸術を掌どる女神の名であり、叙事詩自体の作品名を『アウスティリス』という。
ローゼンディアはもちろん周辺諸国でも有名なので、ダーシュでも知っている物語である。
それは古代のエリュオーン海を挟んで、現在で言うゼスタとテレマイアとの間で行なわれた戦争を扱ったものだ。
『アウスティリス』には多くの英雄達が登場し、神々すら姿を現す。
戦争自体十年以上続いたとされているのでやたらと長い叙事詩であり、アンケヌの王宮に有った物は全体が八部に分けられていた。
ダーシュも全部を通読したわけではない。面白そうなところだけを読んだので結末も知らないし、戦争に到るまでの流れも飛ばし読みだ。
だがその伝説的な戦いはゼフロシアの王妃がフェペレスの王子に拐かされたことが原因なのである。
つまり大戦争は一人の美女を巡って起こったものだったわけだ。
とはいえそもそもの発端は天界における女神達の主張の食い違いから起こった口論なのであるが、要するに神の諍いが地上に飛び火した結果が、ゼフロシアの連合軍対東方の大国フェペレスという人間世界の大戦争になったのだと言ってもいい。
とにかく、色々面白凄じい物語なのだが……それにしてもアイオナをあの伝説の美女と並べるなど、ちょっと考えれば怪訝しな話である。
ゼルヴィスの話についそんな連想をしてしまったが我ながら馬鹿らしい話だと思う。以前なら笑っていただろう。
――あのアイオナがな……。
意外な話ではある。だが小気味よくもある。それが不思議だった。
「申し訳ない、と言うべきなのでしょうな。掛ける言葉が見付かりません」
「いえ。いいのです。それよりもご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます。貴方にそう言って貰えると何よりも嬉しい」
自分で言っていて申し訳なくなる言葉だが、そう言わないとダーシュはこの場を取り繕えない気がした。
――これが偽装の結婚であるなどとこの男には口が裂けても言えまいな。
胸中そう思うダーシュであった。
下を見るとアイオナが着飾った若い女と話している。知らない女だが、誰だろうか?
やはり松明の明かりの下でもそれと判るほど良い服を着ている。こんな身内同士の宴会には不釣り合いなほどの良い着物である。
つまりあの娘もゼルヴィスを狙っているわけだ。
女の隣には似たような年齢の別の女が立っていて、それともアイオナは話しているようである。
ただしこちらは見るからに服装に違いがあり、おそらくは召使いか何かであろう。
あの服装と雰囲気、そして召使いを連れているという事実は、あの女が貴族である可能性を示すなとダーシュは考えた。
場違いな服を着てひらひら動いてる連中はみんな育ちが良さそうに見える。
大方、貴族や豪商、神殿の高位神官などの縁に連なる連中だろう。
結婚は女の人生の浮沈を決める。アウラシールでは間違いなくそうである。
大貴族で、しかも英雄的業績を持つ男との結婚ともなれば、その娘自身どころか実家の運命まで左右するものになるだろう。
庶民の感覚からすれば理解しにくいかも知れないがそういうものである。
仮令場違いだと判っていても本気で乗り込まずにはいられない。
そういう状況に連中があるとダーシュには判るから馬鹿にする気にはなれないのだが、向こうの方ではきっとこちらを、この宴会の本来の参加者達を見下げているのだろうなとも思う。
げらげら笑いながら豪快に飲み食いしている商会の連中や、港の男衆とは雰囲気がまるで違うのだ。
尤も、育ちの良さが必ずしも人格の方を保証するわけでもないのだが。
とはいえ外面の良さは重要だ。その点では間違いなく階下の女共は商会関係者達を凌いではいるだろう。
「アイオナ殿と話しているのはリメルダ・ヴィングリスですよ。私の一族の者です」
「家名? が違いますが同じ御一族なのですか?」
「ああ失礼。氏族が同じなのです。我々には部族という考え方はありません」
「なるほど」
ダーシュは頷いた。
「しかし驚いたな。彼女はどうやって招待状を手に入れたのだろう?」
不思議そうなゼルヴィスの言葉にダーシュは噴き出しそうになった。
お前の妻になれる機会が目の前にぶら下がっていると思えばこそ、あらゆる手管を使って潜り込んできたのだろうよ……。
そう言ってやりたかったがもちろん言わない。こちらにも立場というものがある。
「どういうわけか、今日は着飾った女性を多く見かけますな」
ダーシュとしては含みを持たせて言ったつもりである。しかしゼルヴィスの返答は意外なものだった。
「宴会だからでしょう」
この男、ひょっとして馬鹿なのではあるまいか。
ダーシュは自分の中でのゼルヴィスの評価を少し下方修正した。
自惚れることは危険だし、その必要もないとはいえ、有名人は自分が周囲に与える影響力については把握しているべきである。
余りに無自覚なのは本人のみならず周囲にとっても迷惑だ。
「そういうものですかな」
「だと思いますよ」
別にゼルヴィスは友人というわけでもないし、本人が気付かないのならば気付かない幸福というものもある。ダーシュはそう考えて黙っていることにした。
実際には鈍感な奴に変な入れ知恵をしたら、面倒臭いことになるに決まっているという警戒心からだが。
リメルダと言われた女がこちらを見上げて手を振っている。こぼれるような笑顔とはこのようなのを言うのだろう。
――よく鍛練を積んでおる。
ダーシュはそう思った。さぞかしゼルヴィスから見て魅力的に感じるように工夫していることだろう。
リメルダに促されるようにしてアイオナもこちらを見上げた。同じように笑顔を見せたが、こちらは何と自然に見えることか。
そう考えている自分に気付いて小さな笑みが浮かんだ。
「二人が上がってくるようですね」
リメルダに手を引かれてアイオナがこちらにやって来る。
アイオナはメルサリス商会の人間である。
それも商会長ファナウスの娘であり、跡取りだ。彼女がこの商館に入るのを誰が止められるというのだろうか? 誰にも止められはしない。
見張りに立っているゼルヴィスの従者達も素通しするしかないであろう。
それを判っていてアイオナを伴っているならば、あのリメルダという女は遣り手である。
少なくともそれなりの計画性はある。
邪魔の入らない状態でゼルヴィスと会話できるだろう状況を作ろうとしているのだから。
しかし一体アイオナを連れて何を話すつもりであろうか。
ダーシュは意地の悪い興味が出て来た。あのリメルダという女は、ゼルヴィスが何をしにこの宴会へ出て来たか知っているのだろうか?
知っているならばかなりの度胸と情熱の持ち主だと思えるし、知らないならば知らないで何をするつもりなのか。
どのようにゼルヴィスの気を惹こうとするのか。
自分を他の競争相手とは違うと、どのように印象付けようとするのか。
そこのところに少し興味が湧いたが、ダーシュの理性はこの面倒臭い求婚話はさっさと終わらせてしまうに限ると告げていた。
それはそうなのだ。相手は大貴族。怒りを買えば、メルサリス商会にどんな害が及ぶか解らないのだから。
アイオナから聞いた話では、アイオナの身分は準貴族という微妙なものであるらしい。
アウラシールでいう諸大夫のようなものだろうか。
諸大夫とはアウラシールの下級貴族である。
その総称と言っていいが、ダーシュは「準貴族」というローゼンディアの身分をそのように考えているわけである。
しかしアウラシールの実状に照らして比較するならば、むしろ平民から出世した商人や軍人などの方が近いものであった。
もしもゼルヴィスを取り巻く蜜蜂共がアイオナに侮辱を与えるような真似をするならば見過ごすつもりはない。
商会の安全はもちろん重要だが、自分の妻や身内の女性達の名誉は、それに遥かに勝るというのがアウラシールの常識である。
女性に対する侮辱はしばしば殺し合いに発展するので、アウラシールの男達はそもそも女性に関する意見そのものを差し控える傾向があるほどだ。
リメルダとアイオナが二階に姿を現した。ゼルヴィスの従者達は予想通り二人を素通りさせたわけだ。
「ゼルヴィス様!」
「ご機嫌ようリメルダ。まさかこの宴会で会えるとは思っていませんでしたよ」
「ええ。ええ。わたくしこそそう思っておりましたのよ。どうやらわたくし達、不思議な、素晴らしいご縁があるようでございますね」
不気味な、執念深いご縁の間違いではないかとダーシュは思ったが、無論、口は挟まない。
「ダーシュ……」
大丈夫だった? とアイオナが目で問いかけてきたので軽く頷いて見せた。
「今ゼルヴィス殿と話をしていたところさ」
「お邪魔だった?」
「そんなことはない。ただの世間話だったからな」
アイオナと話しながらもダーシュはゼルヴィスとリメルダの会話にも注意を割いていた。
リメルダは自分がアイオナと友達になったとゼルヴィスに言っていたが、そのくせアイオナを紹介する様子を見せない。
ゼルヴィスの妹の話や自分の実家の庭の話など、見通しがないというか、統一感のない話をずっと続けている。
リメルダが何を言いたいのかはよく判るが、何を言っているのかは判らない。それがダーシュの感想であった。
ゼルヴィスはよく我慢を見せていると思えたが、さすがに耐えかねたのかリメルダを遠ざけてこちらを向いた。
「ディラ・アイオナ。素晴らしい宴会にお招き下さりありがとうございます」
「こちらこそお礼申し上げます。お忙しいでしょうによくおいで下さいました」
アイオナの返礼は問題のないものではあったが、それを聞いたゼルヴィスが僅かに顔を曇らせるのをダーシュは見逃さなかった。
「ご配慮痛み入ります。ですがもっと早く、もっと早く参上できていればと思っております」
「まあ……そうですの? ですが我が商会の宴会はいつも夕方からですので、別段お気になさることはございませんわ」
アイオナは微笑んだ。それを見てダーシュは多分、アイオナは何も判ってはいないのだろうなと感じた。少しばかりゼルヴィスが気の毒な気がしないでもない。
「ディラ・アイオナ。そちらの素晴らしいお方をわたくしにもご紹介して下さらない?」
リメルダが口を挟んできた。
しかも今更になって自分のことを紹介しろという。そういうことはゼルヴィスに食い付く前にすませるものだろうにとダーシュは呆れた。
「ええ。こちらがわたしの夫のダーシュですわ」
「初めまして。リメルダ・ヴィングリス殿。ダーシュ・ナブ・ナグムです」
面倒臭いので適当に自己紹介する。
「こちらこそ初めまして。ダーシュ殿とお呼びしてもよろしいかしら? わたくし、リメルダ・ヴィングリスと申します。あなたの奥様とは今お友達になったんですのよ」
「そうですか。それは喜ばしい限りです。貴女のような品格有るご友人ならば私も大歓迎ですよ」
「まあ、過分なお言葉をありがとうございます。確かにわたくし、礼儀や教養をしっかり身に付けるよう常に努めておりますので、そこのところをしっかりと感じ取っていただけたと思うととても嬉しいですわ」
頭の悪い女だとダーシュは思った。
「ええ。それは貴女の身だしなみや言葉遣いから容易に察することが出来ますよ。先程ゼルヴィス殿から伺ったのですが、同じ御一族だそうですね」
「ええ。ええ。わたくしはゼルヴィス様とはそれはもう子供の頃からずっと一緒でしたの」
それは違うとゼルヴィスの顔が言っていたが、ダーシュにとってはどうでもいいことだった。
リメルダはダーシュとアイオナの夫婦を素晴らしいとかお似合いだとか色々と言い、そしてまた自分の一族や、船で近くの小島へ小旅行に出掛けた時の話などし始めたがダーシュは聞き流しておいた。
この女がどこまで事情を知っているかは判らないが、いずれにしてもアイオナが既婚者であるというのは有り難いことだろう。
既婚者ならばリメルダの敵にはなり得ないからだ。
あくまで直接的な意味においてだが。
「申し訳ありませんが私はまだ挨拶廻りの途中でして」
ダーシュはそう言ってリメルダを制した。下らない話を延々聞かされるのはたまらない。
「では失礼します。宴会を楽しんで下さい」
ゼルヴィスにも軽く礼をするとアイオナの手を取って歩きだした。
二人の従者の横を抜けて階段を下りる。
酒と料理の匂いが漂う宴会の会場に戻ると何だか安心した。隣のアイオナが小さく息を吐いたのを感じて目をやると向こうもこちらを見ていた。何となく笑い合った。
「あれはないな」
「何の話?」
「気付いていないのか? ならいいが」
「気になるわね。ヴィングリス様のこと?」
ヴィングリス様? その言い方がダーシュは少し気になった。
だがゼルヴィスの親族なのだからおそらくそれなりの貴族なのだろう。アイオナの立場からはそういう表現になるか。
ダーシュはそう納得したが、面白くない気分が残った。
――あんな女などよりお前の方がずっと品格がある。
胸の中でそう呟いた。品格とは内側から滲み出るものだ。
ダーシュとしてもアイオナの気質についてよく知っているなどと言うつもりはない。
だがあのアンケヌ脱出の日からずっと行動を共にしてきているのだ。
わかることも、感じることも、少なくはない。
「うん? 何やら良い匂いがするな……」
やや甘いような、香ばしいような良い香りが漂ってきた。
「なんだろうなこれは」
「ヌムルの香りだわ。ヌムル・ディフカーレよ」
アイオナが教えてくれた。
「ああ、岳父殿の好物だとかいう料理か」
「というかローゼンディア人なら大概は好きだと思うわよ」
「ほう」
そう聞くと少し興味が出てくる。何より匂いが素晴らしい。
「では無くなる前に行くとしようか」
「ええ」
二人は連立って宴会料理の方へと向かった。
第十一章につづく




