第十章・三
日が沈む頃宴会が始まった。特に開始の合図があるわけではなく、何となく始るのが常であり、今回もそのように始った。
それを見越して料理は出来た順から宴会の卓に運ばれてゆく。そして今も出撃を待つ料理が次々と厨房で作られている。
毎回、料理は十数種類は用意されるが、今回は皿数を多目に、二十種類ほどの料理が並ぶことになりそうだ。
肉を焼く音、野菜を炒める音、包丁で食材を刻む音などの、小気味よい調理の気配と共に、肉の焼ける良い匂い、野菜を炒める良い匂い、魚介スープの素晴らしく良い匂いが漂ってくる。
料理は商会の本拠地、ローゼンディアのカプリア地方や、レプトレス島の料理が中心だが、それ以外の地方のものもある。
更にアウラシールの、つまりリムリクやジルバラの料理もある。
特にジルバラの料理は香辛料を豪快に使うため、とんでもなくいい匂いがする。
その香りは胃袋にとって攻撃的なほどだ。
商会員やその他商会で働いている召使い達などはもう席に着いて食事を始めている。
まだ全員が揃っていないがこれは堅苦しい宴会ではない。
何となく始めて何となく終わるようなものなのだ。第一、皆が揃ってから始めていては折角の調理が冷めてしまうではないか。素晴らしい料理に対してそれは冒涜というものであろう。
とはいえ一応開始の合図がないわけではない。最初の料理が並んだ段階で商会員と、手伝ってくれた人たちを相手にファナウスが乾杯を宣言して開始する事になってはいる。
以降、ある程度参加者が増えたとみると乾杯が追加される仕組みであり、当然中盤以降は乾杯地獄へと突入していく。
普段はそれほど飲まないファナウスであるが、こういう宴会の時は物凄い量を飲む。
それでいて大概けろりとしているのだ。どうも元々酒には強いようなのだが、普段余り飲まないのは、自称「酒飲みではない」かららしい。
串焼きの肉や、魚介スープ、リムリク風のディーフが主体の生野菜盛りが最初に並び始めた。どれも食欲をそそる料理だが、香りに関してはやはり肉の圧勝かと思う。
香辛料と塩だけでなんでこんなに良い匂いがするのか。良い味がするのか。肉は偉大だ。
魚介スープはカプリア風のものでアイオナ含め、商会の者なら大抵が慣れ親しんだ一品である。アルサム油を使い、やや黄金の混じったような透明感のあるスープになっている。
今あるものは海老と貝と人参、玉ねぎを使ったものだがその他の組み合わせもある。そしてどれもが美味しい。
魚介スープって何であんなに美味しくなるのかしら? アイオナはいつも不思議でならない。
ディーフは濃い緑色をした香りの強い野菜で、肉料理の付け合わせに用いられることが多いが、リムリクでは玉ねぎやアペリコと一緒に刻み、大量に皿に盛って野菜として食べるのだ。アペリコの赤とディーフの緑が鮮やかで、目にも嬉しい。
味付けはティモネの絞り汁やアルサム油などで和えるのが一般的だが、ザクロのソースをかけて食べることもある。かなりいける。
そんな料理を食べつつ楽しくやっていると、間も無く親しい人たちが到着し始めた。
最初に現れたのは商人ハルラナムの息子、エルルークと店の商会員だった。
商会員はアイオナもよく知っている男であり、従者のような体裁で付いて来ているのである。
「ファナウス様。無事ディブロスにご到着なさいましたことお喜び申し上げます」
「ありがとう。お前こそ元気そうで何よりだ」
「ディラ・アイオナ。本日はお招きありがとうございます。お父上が無事に到着なされたことお祝い申し上げます」
ディラは既婚者への敬称だ。エルルークとは子供の頃からの付き合いなので他人行儀な気がしないでもないが、元々こういう人なのだとアイオナの方でも慣れている。
ファナウスとエルルークが抱擁を交わしている間に、エルルークの従者がアイオナに挨拶をしてきた。
「ディラ・アイオナ。本日はお招きありがとうございます。ファナウス様が無事に到着なされたことお祝い申し上げます」
「ありがとうございます。あちらにお席を用意してございますのでどうぞ。ハルラナム様は後でお着きになられるのでしょうか?」
そう尋ねると従者は顔を曇らせた。
「……実は、我らが主人は今日はこちらにお祝いに上がることは出来ませんのです」
アイオナはかなり意外に思った。父の親友であるハルラナムが姿を見せないなんて。
「何かご不幸があったのですか?」
「それは私からご説明いたします」
エルルークの話によると、今日は朝から全く起きてこないのだという。
何度も起こそうとしたが、寝惚けたようにもぞもぞ動くだけで全然駄目なのだそうだ。
「ご病気なのではないかしら?」
「そう思って今医者を呼びにやっております。今頃は家で診察をしているかも知れません」
「それは大変なことですね」
アイオナとしても心配だ。父の親しい友人であり、自分も子供の頃から知っている人だし、とても可愛がってくれた人でもある。
「本人も楽しみにしておりましたのでお祝いに上がれず申し訳ない」
「どうかお気になさらずに。あとでお見舞いに窺ってもよろしいでしょうか?」
「誰かに一服盛られたんだろう」
全く空気を読まない父ファナウスであった。そしてアイオナを押しのけるように前に出て来るとエルルークに質問をし始めた。
「奴は昨日は家で食事をしたのかな?」
「ええ……はい。外食はしておりません」
「なんだ。自宅で毒を盛られたのか。恐ろしい話だな。いや、情けない話とも言えるか」
アイオナは首をひねっている父ファナウスの脇腹を肘で突ついて自制を促したが、無駄であった。
「最近、奴が新たに取り引きを開始した相手で、ちょっと珍しいような、変わったような……そんな相手はいるかね?」
「変わったような、珍しい相手ですか?」
今度はエルルークが首をひねる。
「……さあ。心当たりはありません」
「そうか。何かあるとしたらその辺なんだがな」
「ちょっと父様いい加減にして下さい」
病気で寝込んでいる親友に対して何という言い種だろうか。
誰が自宅で毒を盛られるというのか。間抜けにも程があるというものだ。
そもそもハルラナムの自宅には専属の料理人がいるし、使用人だって皆知った顔のはずだ。
仮に新人がいたとしても、それなら何でただ眠りこけるような毒を盛るのか。
折角盛るのならば死ぬような毒を使うはずだし、そもそも毒殺は重罪だ。
殺すことが目的ならば刃物を使った方がまだ市当局の心証も悪くないだろうし、毒よりも労力がいる分、確実性も高いだろう。
それにしても何で毒を盛られたと即座に断定できるのか。
何か根拠があるのだろうか?
……あるのかも知れない。何と言っても父が言うのだからそうかも知れない。
しかし的中するときは巫女か予言者のように物事を中てる父だが、外すときはどうしようもないほど悲惨な外し方をすることが多い。
あくまでアイオナの個人的な予想だが、今回は父ファナウスは予想を外しそうな気がする。
いくら何でも、あのハルラナムが自宅で毒を盛られるというのは考えにくいからだ。
「まあ……狙いは簡単だな。ハルラナムが今日ここに来ると困る奴がいるのだろう。誰かはわからんが」
言いながらファナウスは辺りを見回した。
周囲にいるのはいつもながらの面々だ。ファナウスが首を回しているのに気付いて、男衆の一人が嬉しそうに杯を上げて挨拶をしてきてる。
「さてこの中にいるかどうか」
「父様、それは有り得ないと思います」
「お前はあっちの連中が疑わしいというわけだな?」
飛び込みで参加してきた連中向けの増設宴会場の方を頤で示した。
結局商会に押しかけてきた怪しい連中は、揃ってそのまま宴会にも参加することになったわけである。
そうせざるをえなかったというべきだろうが、こうして席を用意する側からすればあまり面白くない。
疑惑も向こうというものであるが、それとこれとはまた別の問題ではある。
「それは……」
アイオナは言い淀んだ。印象があまりよろしくないからと言って、それだけで疑っても良いわけではないからだ。
無論怪しい。それは仕方ない。ただその事と、疑念を抱く事とを直結させてしまうのはまずいのだ。
そもそもハルラナムが一服盛られたという予想自体が怪しいのだから、招待客を疑うことなど馬鹿馬鹿しいにもほどがあるという気もする。
「まあ儂もどちらを疑うかと聞かれれば向こうの連中を選ぶがな」
ファナウスはにやりと笑った。
「ただなあ……ハルラナムが自宅で一服盛られたとするならばだ、これはかなりの相手でないと仕掛けられない事柄だぞ」
なるほど。それはそうだ。どうやって毒を盛るのか想像も付かない。
でもそれならば、やっぱりハルラナムは急な病気なのだと考えた方が自然ではないかとアイオナは思うのだ。
「やはりご病気なのではないでしょうか?」
「さあなあ……それにしては不自然に感じるがな。儂は」
「あの……お二人とも父のことを心配してくださるのは嬉しいのですが、病気なり何なりあとで事情が分かれば使いの者をこちらに出しますので……」
エルルークが困ったように会話に参加してきた。
「おお、すまんな。そうしてくれると助かる」
「そうですね。お願いいたします」
礼儀正しくエルルークに応じていると、父ファナウスが呆れたような顔をした。
「何だか他人行儀だのう。お前達は子供の頃からの付き合いではないか」
「それは子供の時のようにはいかないわよ」
「はい……ええ、それにアイオナさんはもう結婚なさっているわけですし……」
ファナウスにそう言われて、しどろもどろに言い訳をするエルルークを見ていると可哀相になってくる。悪い人ではないんだけどな。そんな風に思う。
そんなエルルークと従者を宴会の席に案内して戻ると、ファナウスは今度は神官のヴェラニアス・ペリステスと話していた。
おそらく今到着したのだろう。ヴェラニアスはケルサイオン大神殿の高位神官であり、ファナウスがディブロスに来ると必ず会う相手だ。
二人は若いときからの友人同士であるという。
ヴェラニアスは理知的な感じだが少し厳しいというか難しそうな顔立ちをした男性で、短くした灰色の髪と青い目をしている。
背はファナウスよりも少し高いが、体格はファナウスの方が遥かにがっしりしている。
ヴェラニアスは白地に青い縁飾りのゆったりした神官服を着ていた。ファナウスは朝見た時と同じ恰好だ。
二人のすぐ後ろには大柄な男性神官が立って微笑んでいた。
この人物も神官服を着ていたが、その服はヴェラニアスのものよりも簡素だ。一般の神官が着る衣服である。
彼はネサリウス・ゴルティアスという名の神官戦士である。普段はディブロス周辺の警邏活動を行なっているらしい。
いつも微笑みを絶やさない穏やかな人物だが、山のような筋肉を纏っているために、よく人から怖がられて傷付いている。
解放奴隷の自立支援活動に積極的で、最近ではメルサリス商会にもよく顔を出す。スィサが居るためだ。
引き攣った顔をして後退るスィサの姿に大いに傷付けられているようだが、スィサを責めることは出来まい。
あの外見で迫られたら誰だって恐怖を感じるだろう。
筋骨隆々の大男が猫撫で声を出しながら、笑顔で近寄ってくるのだ。これは恐い。
ネサリウスはスィサに怖がられても、それでもめげずに毎週やって来る。
少しでもスィサの気を惹くために、花やお菓子を持ってくる辺り、涙ぐましいものがあった。
彼はスィサを引き取ったアイオナの行為を絶賛し、とても好意的だが、アイオナとしては何というか……何となく親しみきれないものを感じている。別段あの体躯が恐いというわけではないのだが、何故だろうか。
ネサリウスもアイオナに気付くと近寄ってきた。
「ディラ・アイオナ。ご機嫌よう。本日はお招きありがとうございます。お父上が無事に到着なされたことお祝い申し上げます」
「ありがとうございます。今日はヴェラニアス様のお付きですか?」
「はい。私などが顔を出すのは場違いかとも思いますが申し訳ない」
「そんなことはございませんわ。父も喜びます」
「そう仰っていただけると嬉しいです」
「スィサなら厨房の方を手伝っていますわ」
先回りしてアイオナが言うと、ネサリウスは溜息を吐いた。
「神殿の教室の方にも来てくれると嬉しいのですが……」
「同感ですわ。学問ならば商会の方で教えられますが、同年代の友人と接することも大切ですもの。私の方からも言って聞かせます」
「そうしていただけると大変ありがたいですね」
ネサリウスは微笑んだようだが、常に柔和に微笑んでいるような顔なので表情の変化がよく判らない。ただ、微笑みのまま顔が固っているというか、顔の筋肉を締め上げるようにしているなと思った。
スィサはとにかく仕事をしたがる癖がある。
それは商会としてはとても助かるのだが、彼女のためを思うならば神殿の教室に行くべきだ。そこでは学問だけでなく体育や、色々な催物を行なって子供達を教育している。
生徒たちは一般家庭の子供が中心である。貴族の子供は大概、家庭教師を招くか専門の教室へ行くかするので、この教室に来ることはない。
こうした教室では一般家庭の子供だけでなく、解放奴隷や、貧民の子供なども分け隔て無く受け入れている。
そして才能のある子供には文官や兵士、あるいは神官への道が用意されているのだ。
何度かスィサにも行くように勧めたのだが、読み書き算術ならば商会で学べるし、商会にいればいくらでもやる仕事はあるしで中々神殿の教室へ行きたがらない。
しかし、やはり行かせるべきだろう。彼女のためを思うならば。
ネサリウスを宴会の席に案内して戻ると、今度は見慣れない家紋を付けた馬車が商会の前に停まっていた。御者とは別にお仕着せを着た従者が乗っている。貴族だろう。
従者が扉を開けると、中から綺麗な服を着た若い女性と年配の女性が降りてきた。
二人とも服は夜会用の盛装であり、髪も見事にまとめた重装備であった。もちろんばっちり化粧もしていた。
まるでこれから戦に出るバラカー船である。実に見事な艤装ではあるが、場違いも甚しい恰好だと言わざるを得ない。
一体どこと、誰と戦うというのか。
従者を先頭に立て、親子と思しき2人の淑女が歩み寄ってくる。
少し嫌な感じだなとアイオナは思った。
「……こちらがファナウス・メルサリス殿の到着祝い宴会場ですかな?」
慇懃さが感じられる態度で従者がアイオナに尋ねてきた。
「こちらがそうですわ」
答えてやると、従者は背後にいる母親であろう方の淑女に報告している。
その後は振り返ってアイオナを見ただけだ。何も言ってこない。
しかしアイオナには相手の考えていることが判る気がした。早く自分たちを席に案内しろというのだ。
「失礼ですがこの宴会は高貴なる貴族の方が参加なされるようなものではないと思います。無事に海を渡ったことを祝う、商人達のささやかな祝賀会ですもの」
それにこの宴会には上品な方々が驚くような人々が集まっている。
参加しているのは体が資本の船乗りや、港で働く男衆たちである。
体格の良いごつい男が多いのはもちろんだが、刺青をした者も相当いる。そんな宴会なのだ。
当人達は飲んで、食べて、陽気に騒いでいるだけだがかなり迫力がある。
メルサリス商会と関係ない立場から見れば、荒っぽい感じがするだろうし、怖がられても不思議はない。
しかしそこまでの説明をアイオナはしなかった。悪意という程ではないが、そこまで教えてやる義理は無いと思ったのである。
だが従者は敏感に反応した。不快そうな顔付きになったのである。
アイオナの物言いに若干の皮肉が籠もっていた事もあるだろうが、元々貴族は陰湿な悪意には敏感である。
彼らは嫉妬の沼に住み、悪意を呼吸して生きる魚のようなものなのだ……と言っては言い過ぎだろうか?
もしもこうした言い回しをルキアが聞けば、手を打って同意しそうである。
尤もアイオナが会っているのはエルミラであってルキアではないが。
アイオナはルキアという人物の存在すら知らないし、二人で意見の一致をみることなど現状では有り得ないことなのだ。
従者は軽く咳払いをした後でじろりとアイオナを睥んできた。
アイオナは平然とその目を見返した。
だがこのくらいが退き際だろう。優雅に腰を折って一礼した。
「どうかお気を悪くされませんよう。昼に祝賀の挨拶を受け取っております。大変ありがとう御座います。ご満足いただけるとは到底思えませんが、あちらにお席を用意して御座います」
アイオナは貴族としての教育を受けている。礼法に間違いはない。
その挨拶に従者も驚いたのだろう。意外そうな顔をしていた。
どうせアイオナのことをここで働いている召使いか何かと思っていたのだろうから。
その一行を増設した会場の方へ案内すると、すぐに次の馬車が来た。また貴族だった。
これも同じように応対すると、また似たような馬車が来た。これまた貴族だった。
その次は神殿の馬車が来た。神官に付き添われて若い娘が降りてきた。
おそらくどこぞの高位神官の身内か。そんなのが何件か続いたが、どれも必ず若い娘が降りてきた。
次々と軍船が集まってくる。どいつもこいつも戦闘装備である。
なるほど、どうやら我が宴会場は海戦の場となったらしい。迷惑な話である。
どうなっているんだと思っていると、乗り合い馬車がやって来た。
「フィア・アイオナ。ご機嫌よう」
明るい声でそう言われて、ゼルヴィス・アナクシスと彼の従者と思われるグライアス氏族の青年三人が馬車を降りてきた。
フィアだって? 既婚者なのだからディラでなければおかしい。咄嗟にそう思ったが大伯母から聞いた話を思い出した。
ゼルヴィスは自分に求婚するためにここに来たのだ。
だったら既婚者だなどと思うはずがないではないか。
「ご機嫌ようゼルヴィス様。お待ちしておりました」
挨拶を返しながらアイオナは一行が乗ってきた馬車に目を遣った。驚いたことに乗り合い馬車である。
間違いなく一番身分が高い一行が、市内の乗り合い馬車でやって来たのだ。
わざとか? それとも無自覚か? どちらにしてもやるものだ。アイオナは思わず微笑んでしまった。
しかも全員普段着であるようだ。
そう判断したのは、彼らはゼフロシア地方の人間であり、アイオナの出身地であるカプリア地方とは服装が違うからだ。
ローゼンディア王国は広大であり、大きく東西に分けられるがゼフロシアは西部ヘクティスの南部域に該当する。
そこではリメノンと呼ばれる服が着用される。東部イーシュリアでは貫頭衣型のスニオンと呼ばれる衣服が一般的だ。
ただしイーシュリアでもテレマイア地方は別である。
ここは歴史的にも文化的にもゼフロシアの影響を強く受けているので、テレマイアではリメノンが一般的な衣服になる。
尤も同じリメノンとは言ってもテレマイアのものはゼフロシアとは形式が違っているので、一見して判るものではある。
今ゼルヴィス達が着ているのはゼフロシア式の男性向けリメノンである。
おそらく朝に船上で見た恰好と同じであろう。今はその上にフォルティオンと呼ばれる上着を着用している点が違うが、生地は亜麻布だし、あくまで一般的な普段着であると思われた。
先程の貴族たちのような贅沢さとは程遠い恰好をしているわけだ。
しかしこの宴会にはこういう服装の方がずっと似つかわしい。
ただ普段着なので、気合いを入れた宴会用の戦闘装備と戦えば一方的にやられてしまうかも知れない。アイオナはちらとそんなことを思った。
「我が家の家臣達です。三人も連れて来てしまいましたが構いませんか?」
「もちろん。歓迎いたしますわ」
アイオナが微笑むとゼルヴィスは後ろを振り返った。
「お前達。今の言葉をあまり本気にするなよ。飲み食いをするのはいいが私の顔を潰さぬように頼むぞ」
三人ともゼルヴィスと同じくらいの年齢の若者である。皆体格も良く、さぞや食べるであろう。
そこを見越しての主ゼルヴィスの冗談であった。一行は笑い、アイオナも笑った。
「大丈夫ですわ。ここに居るのはほとんどが船乗りや港で働く男性方ですもの。普段からそれはもうよく食べる方達です。その彼らが十分満足できるだけの食べ物が用意してございます。安心してお召し上がり下さい」
「とアイオナ嬢は仰っておられますが、若、我々はどちらの指示に従ったらよいのでしょうな?」
従者の一人が意地悪く尋ねると、ゼルヴィスは苦笑した。
「わかった。お言葉に甘えて好きなだけ飲み、食うが良い」
従者の言葉がアイオナには引っ懸かった。自分は既婚者なのだ。仮初めの夫婦だが。
既婚者に「嬢」はないであろう……そう思ったが、すぐにゼルヴィスがここに来た理由を思い出した。
彼はアイオナをまだ独身だと思っているのだから、その家臣達も同じように考えているに違いない。
どのみち真実をここで言うわけにはいかない。何事にも時機というものがある。
何より今この場の雰囲気が良好なのに、そこに火種を投じる必要などないではないか。
そう考えてアイオナは何も言わずにゼルヴィス一行を案内した。
この人達を先の貴族達と同じにするのは少し心苦しかったが、席数の問題上、追加で用意した方の倉庫へ導く事にした。
最初の会場はすでにメルサリス商会と、親しい人たちで埋まってしまっているのだ。
肉料理が多いので、辺りには肉の焼ける良い匂いが葡萄酒の香りに混じって煙のように漂っている。
肉料理は牛肉の炙り焼き、豚肉の煮込み、ロスメニア料理で有名な野兔のソース煮込みなどのローゼンディアでは一般的な肉料理に加えアウラシール風の鳥肉、羊の挽肉の串焼きが用意された。
魚料理はレプトレス島名物、鮪の炙り焼きに海老と香草の素揚げ、濃厚な旨みが堪らない魚介スープ、それに宴会料理の真打ちとも言えるヌムル・ディフカーレが用意されている。
特にヌムル・ディフカーレはその匂いが何とも堪らない。
この世にこんなに旨そうな匂いがあるのかという匂いがする。ファナウスなどは町を歩いていても、この香りが流れてくるとそれに釣られてふらふらと店に入って行ってしまうこともあるほどだが、アイオナにもその気持ちは判るので文句は言えない。
これは古来より「食べ過ぎに注意せよ」と哲学者までが言っているローゼンディア人の大好物なのだ。
野菜は炒めものに蕪のラヴィーゾ、それと魚介と生野菜を和えた物が二品用意された。
ラヴィーゾは大蒜とアルサム油を使った具材の煮込みであり、野菜に限らず魚介や肉など色々な種類がある。味と香りの滲みたアルサム油はパンやウナの付け汁にするのが一般的だ。
生野菜と魚介の和え物はカプリアでは一般的な料理である。マグブレオンという。生野菜だけでなく果物が使われることも多い。
パンはなく、代わりにふかふかのウナが用意された。
これはアウラシール式に肉を焼くために商会の厨房にクグール窯があるからで、それを使ってウナを焼いているのだ。
アウラシールにはクヌールと呼ばれる円筒型の窯がある。クグール窯というのはローゼンディア式の呼び方なのだ。
これは遥かな古代から在る円筒型の焼き窯で、アウラシールで生まれたものだという。
便利なので周辺諸国でも一般的な焼き窯として広まっている。ナーラキア帝国ではクグルゥと言われていた。これで肉やウナを焼くのである。
窯の構造上、余分な脂は下に流れてしまうので肉を入れれば表面はぱりぱりに、中は旨みたっぷりという理想的な焼き上がりになる。
例えば鳥肉であれば様々な香辛料や塩、ヨーグルトを混ぜたものに半日ほど漬け込んでからじっくりと焼く。かぶり付くと酸味と塩味、肉の旨みと香辛料が渾然一体となって口の中に拡がる。それがたまらない。
もちろんこの窯を設置させたのはファナウスである。
この他にも魚介のイムリパや、ジルバラ地方のタバラが三種類用意されている。
イムリパは肉や魚介類の炊き込み飯でアウラシールだけでなくローゼンディアでも一般的な料理だ。
アウラシール式のイムリパは大きく分けて二種類あり、ジルバラ地方の作り方が本式だと言われているが、かなり手間が掛かる。なのでそれ以外の三地方の作り方の方が一般には広まっている。リムリクのものもそれだ。
タバラはアウラシールでは一般的な、見た目が黄土色のスープという感じの煮込みである。香辛料をたっぷりと使った料理であり、地方によって物凄く沢山の種類がある。
ただしタバラというのはローゼンディアなどの外国から見た場合の呼び名であり、アウラシールではタバラという名の料理はない。それは料理法の名前であって料理の名前では無いのだ。
そして麺もある。鰯とセムネモという香草を使った麺料理はカプリアの代表料理の一つである。とても美味しい。もちろん用意してある。
麺と言えばイオルテス地方が有名だが、アイオナを初めカプリア地方の者は大抵が、自分たちの方が麺料理は上だと思っている。
大体イオルテスの料理はどれも白一色で目に楽しくないのだ。もっと彩りということを考えた方がいい。
これらの料理が出来た順に供される。先程エルミラ達が作っていたストゥラニとかいうトラケスの料理? も大きな籠に入れられて出て来た。
客達はそれを好きなように食い、合間に葡萄酒を飲むのだ。
飲んでいる内はまだいい。宴会が進行していくと、食べる合間に余計な事が始まる虞がある。
まだ殴り合いこそ始まっていないが、笑い声などかなりやかましくなって来ているし、何より荒っぽい男が多く集まっている。酔ってグラティオンなど始められる可能性もある。
そんな所へアナクシス海将家の人間を置いておくわけにはいかない。
「盛況ですね。皆楽しそうだ」
宴会の様子を見てゼルヴィス殿は引くかなとアイオナは思っていたが、どうもそうではないようだ。楽しそうに見ている。
彼もまた海の一族。こうした男たちの集まりにも慣れているのかも知れない。
でも海の一族とは言え、最上位に位置する貴族がこんな集まりに顔を出すことがあるのかしら?
そこだけが少し不思議だった。
商会長たるファナウスの娘である自分に絡んでくる馬鹿もいないが、とにかくさっさと別会場の方へ案内しようと思って歩いていくと、移動の途中で父ファナウスがこちらを見付けて歩み寄ってきた。
「ゼルヴィス殿ようこそ! しかし海を庭とされるグライアス氏族の方にとっては到着祝いの宴会など大袈裟に感じられるかも知れませんな」
「そんなことはありませんよ。海では何が起こるか判りません。どこまで行っても陸とは違う場所なのです。それはあなたにもお判りでしょう?」
メルサリス家も又、海の女神トリュナイアに属する一族である事を知っての発言であろう。嫌みは感じなかった。
「これはしたり。言われてみればそうだ。私も、我が妻のポルティアス家もまた海の神々の系譜に連なる一族。お言葉の通りです」
「これはゼルヴィス・アナクシス殿ではありませんか。この宴会に一体どうして?」
父の後ろから現れたヴェラニアスが不思議そうにゼルヴィスに尋ねた。
その気持ちはアイオナにも理解できた。アナクシス家ほどの上位貴族の人間が、こんな一般の宴会に顔を出す方が珍しいのだ。
珍しいと言えば、宴会に参加することよりもアイオナに求婚することの方が余程珍しい……いや異常とさえ言える。家格が違いすぎるからだ。
「アナクシス家のあなたが参加なされるような宴会ではないでしょう」
アイオナは、おや? と思った。ヴェラニアスが口にしそうもない言葉だったからだ。
身分とか家格とか、そういうことを気にする人とは思っていなかった。むしろそういう区別には批判的な人だと思っていたのだ。
――いや、それはつまりこういうことかも知れない。
わざわざそういう言葉を意識して口にしているのだと。
とすれば何か意味がある事になる。ではその意味とは何か。
「ええ。まだ公には出来ないのですが特別な事情がありまして」
そう言ってゼルヴィスはアイオナの方を見た。
まずい。目が合ってしまった。思考を巡らせ始めた矢先にそんな風に目を合わされてしまってアイオナは慌てた。
どうしたものか一瞬考えたが、アイオナは曖昧に微笑んでおく事にした。
「それに宴会にも格式があるというのは同意しますが、その事と参加者の家柄とは別の話でしょう。そもそも高位の神官であるヴェラニアスも参加しているではないですか」
ゼルヴィスは高位神官を呼び捨てにした。その事にアイオナはひやりとしたが、ああそうだ、この人は競技会の優勝者なのだったとすぐに納得した。
しかし、わざわざ自分の倍ほども生きている男性を呼び捨てにするものだろうか?
アイオナは競技会優勝者がそうした権利を持つ事は知っているが、実際に会った優勝者はゼルヴィスだけである。他の例を知らないので何とも言えない。
「はは。まあ確かに。しかし私はこちらのファナウスとは若い頃からの親友でしてな。それが無事に到着したと聞けば共に祝いたいと思うのです」
ヴェラニアスには不愉快さを感じている気配はなかった。高位神官ともなると、こうしたことにも慣れているのだろうか。
「同じですよ。私もファナウスが無事に到着したことを祝いたい。その気持ちでここに参りました」
父親も呼び捨てにされたが、既にそういうものだと知っているのでアイオナは不愉快には思わなかった。ただ、慣れなかったが。
「アイオナ。ゼルヴィス殿をお席へ案内なさい」
「はい父様」
父に言われてアイオナはゼルヴィス一行を連れてその場を離れた。
何故ヴェラニアスがあんな話を振ってきたのか気になっていた。増設した会場の倉庫はすぐ近くである。
途中少し暗い所を歩いて行く内にはっと気付いた。
父が何か話したのだ。間違いない。
おそらくメルサリス商会のことを危ぶんでくれているのだ。ヴェラニアス様は父の昔からの親友だ。そうに違いない。
となると話の本命はむしろゼルヴィスの背後のアナクシス海将家なのでは?
そういえばゼルヴィスの父である現役のイェラオス海将はどうなったのだ? 大伯母の話に寄れば宴会に参加するとの事だったが、あとで来るのだろうか?
そんな風に思ったが、今は考えている時間はない。
少し歩くと増設した会場に着いた。
そこは父や商会の人たちが楽しくやっている会場と同じ作りだったが、雰囲気がまるで違う。陽気さとか楽しさとは程遠い感じなのだ。
向こうのように騒がしくないのはまことに結構だが、この感じは嫌だとアイオナは思った。
卓に並べた料理はどれも手を付けられた形跡がない。綺麗に並べられたまま冷えてしまっている。
こんな席で出る料理は口にできないということか。
そう思った途端、アイオナは頭に血が上るのを感じた。しかしすぐに冷静になって考え直す。
所詮この人達は別の世界の人間なのだ。価値観が違うのは当たり前。
だったら来るなという感じだが、そこは彼らなりの理由があるのであろう。それに付き合わされるのは業腹だが、それを表に出すほどアイオナは愚かではない。
地面に置かれたラフォリアには動いた形跡があった。
なるほど咽だけは湿らせているわけかと思った。
ラフォリアは葡萄酒を入れるための、下が窄まった素焼きの壺である。
ここでは交易用の物が専用の置き台の上に直に並べられている。
交易用のラフォリアは先が尖っているために地上には立たないのだ。砂地なら突き刺せるが、そうでない場合は青銅製の置き台を使って置く。
何故こんな形をしているかというと、船積み時には専用の木の置き台があり、そこに差すようにして並べるからである。
一般に使うラフォリアは卓の上などにも置ける形をしているが、ここでは運搬用のものが使われている。
何故かと言えば、船から降ろしてそのまま飲む方が手間が省けるからである。
しかしここに居る人たちは、古代の物語などが描かれた豪華なラフォリアに入れられた葡萄酒しか飲んだことがないのであろう。
でもそれも運ぶときにはこの運搬用のラフォリアに入っていたのだけれどね。
ちくりとそんなことを思いつつゼルヴィス達を席へ案内する。
「ようこそゼルヴィス殿。歓迎いたします」
大伯母が出て来て丁寧に挨拶をした。
それを合図にしたかのように、いけ好かない客達は一斉に反応してゼルヴィス達一行の方を見た。
「お招きありがとうございます。従者も連れて来てしまいましたが許されたい。一人で出歩くと父が怒るのですよ」
「まあ、それは……」
大伯母は上品に微笑んだ。ゼルヴィスも微笑んだ。良い感じではないか。
その周囲では戦闘艤装の娘を連れたこれまた戦闘艤装の母親や、親族の女性達が息を殺して合戦の口火が切られるのを待っている。
「こちらへどうぞ。船荷そのままで、移し替えてはおりませんが良い葡萄酒です。こちらの皆様も楽しんでおられます」
そんな空気を察しないはずはないのに大伯母は静かに、丁寧にゼルヴィス達一行を導いていく。
然りげ無くやるなあとアイオナは思った。大伯母もおそらくこちらに集まった客には良い感情を持っていないのだ。
ラフォリアを並べた側には大きな卓が出されており、その上には葡萄酒に加えるための蜂蜜や、乾燥させた香草の入った壺と一緒に大きなスクラリオンが、でんと置かれてある。
これは葡萄酒を希釈するための給湯器である。中に炭を入れて加熱するようになっており、蛇口を回せばお湯が出るのだ。
お茶に使うカペレースの仲間のようなもので、これで葡萄酒を割って飲むのである。水で割る人も多いが冬場には大体がお湯で割って飲む。
まだ冬には早いということもあり、水で割る人もいるようだ。向こうの宴会場でもそうだったが、こちらでも水で割った形跡があった。
ゼルヴィス達が席の前に着くと合戦の開始である。
すぐに息を詰めていた貴族達が動き出した。あからさまではないものの、誰もが良い位置取りを得るために他人を静かに押し退けようとしている。
その様は喇叭の合図で動き出した軍船の群れをアイオナに想起させた。
まず最初の母娘がゼルヴィスに寄って来て話しかけ始めた。それが終わるやいなやすぐに次の親子という感じで、どいつもこいつも型通りの挨拶の後、ゼルヴィスに娘を紹介している。
それでアイオナには謎が解けた。何故この連中が、こんな宴会に参加したがったのかが理解できたのである。要するに婚活なのだ。
謎が解けると同時に父親の言っていていた事も判った。
大したものだ。この展開を予想していたのだから。
しかしそうなると自分がここに居てはまずいかも知れない。
ゼルヴィスが空気を読まずにこの場でアイオナに求婚してきたら、この連中全員の嫉妬と憎悪を受ける破目になる。それは何としても避けたい。
アイオナはゼルヴィスに目礼すると背中を向けて、さっさとその場を後にしようとした。
ゼルヴィスが引き止めに出る前に逃げる心算である。
幸い、花に群がる蜜蜂のように貴族達はゼルヴィスを取り巻いているので、問題なく逃げ出すことができた。
大伯母に引き止められるかも知れないとも思ったが、大伯母は聡明である。
あの状況でアイオナをゼルヴィスにぶつけるような真似をするはずがなかった。
騒がしい方の会場へ戻るとほっとした。決して上品とは言えない騒がしさが心地好かった。
男衆の誰かが下品な叫び声を上げたが、眉を顰めるどころか笑みが浮かんでしまった。
いつもの感じ、いつもの宴会の騒がしさだ。素晴らしいと思う。
少し気分が良くなったので、アイオナもクグール窯で焼いた鳥の串焼きを一つ取ってかぶり付いた。たちまち口の中に旨みが拡がり、咽から鼻にかけて香辛料の心地好い香りが抜けていく。
肉は薄く焼き目が付いていて、表面のパリッとした食感に対して中は柔らかく、噛むと浸け置きにした旨みをたっぷりと含んだ熱い肉汁が口中に溢れてくる。
「お嬢さま。これもどうぞ」
商会員の一人が、湯で割った葡萄酒を差し出してきた。
……この後のことを考えると少し躊躇うものがあったが、結局は受け取って飲んだ。
うん。美味しい。いい葡萄酒だ。
「あの……アイオナさん、これもどうぞ」
振り向くとエルルークが小皿に取り分けた魚介のマグブレオンを持って立っていた。
さすがにエルルークも、ここではディラ・アイオナと呼びかけてはこない。
魚介のマグブレオンは白身魚とイカと海老、胡瓜と玉ねぎとアペリコを刻んだものだが、味の傾向としてはディーフの生野菜盛りに似ている。というか同じ系統の料理と言って差し支えない。
「これも。美味しいですよ」
二つ目の小皿にはイベル貝とリフォルテの葡萄酒蒸しが取り分けてあった。
「ありがとう」
礼を言って受け取ったが言われるまでもなく、美味しいことなど分かり切っている。
料理を出しているのはこちらなのだ。そちらは客ではないか。そう思ったが、その指摘はしなかった。
――悪い人ではないんだけど……。
毎度の事ながらそう思ってしまう。エルルークにはこういう間の抜けた所がある。
「いい宴会ですね」
「いつも来てくれてありがとう」
「……」
エルルークには会話の継ぎ穂がないようだ。こちらから提供してやらなくてはならないようだ。
「そういえば市の南の方で戦いがあったらしいわ」
最近仕入れた話題を向けてやる。
「はい。どうも奴隷商人みたいですね」
奴隷商人だったのか。砂糖商人だと聞いていたがそうなると話は違ってくる。
「戦ったのは市の警邏部隊? それとも義勇兵?」
嫌な予感がしつつ、アイオナは敢えて義勇兵という言い方を使った。
一部過激派の神官を中心とした奴隷商人狩りの事は知っている。恐ろしい話も聞いている。
「はい。僕も砂糖商人が襲われたと最初聞いたんですが、どうも奴隷商人だったようです」
「そう」
「ええ」
エルルークは頷いてそこで話を打ち切った。それでアイオナは察してしまった。奴隷商人狩りが現れたのだろうと。
宴会の場で血生臭い話は避けるべきだ。
エルルークにもそういう分別が働いたのだろう。ちょっと間が抜けたところはあるが、彼は愚かなわけではない。
「そういえば材木の価格が上がっていますね」
話の流れを変えたいのだろう。エルルークはそんな事を言ってきた。
「そうね。それは私も感じていたわ」
「誰かが船を作っているのかもしれないです」
「誰かが?」
アイオナは聞き返した。誰かということはないだろう。
船を作るなど、ものにもよるが簡単な話ではない。
それも市場の材木価格に影響が出るほどとなると、並大抵の財力では作れない規模の船を作っているわけだ。
もちろん船以外の需要で材木の価格が上昇することはある。
神殿の修繕や豪邸の建築などだが、エルルークは船であろうと予想している。
おそらくそれなりの情報を得た上での予想だろうから、まずは彼の考えを聞かせて貰おうとアイオナは考えた。
「船なら調べればすぐに判るんじゃないかしら?」
「それがどうも名前を表に出したくない方のようで……」
ほう。それは興味のある話だとアイオナは思った。
「大型のタラカー船でも作っているのかしら?」
「……タラカー船とは限らないんじゃないですか?」
声を抑えるようにしてエルルークはそう云った。その言い方にアイオナは不穏なものを感じた。
タラカー船とは商船である。それでないということは、つまり軍船だという事になる。
「バラカー船なの?」
そう思ってアイオナは聞き返した。だがそれは余り考えられない話であった。
バラカー船の建造には莫大な資本が必要になるのだ。まず個人では不可能だと言えるほどの。バラカー船は国王の命令で建造するような代物なのである。
それにミスタリア海は海神の末裔グライアス氏族が睨みを利かせている。西の方ならばともかく、このディブロス近海に危険などないはずだ。
誰と戦うというのか? それとも西の方に出没するというレメンテム帝国の海賊船を相手にする船を作っているのだろうか?
何よりバラカー船の建造となれば戦争を前提していると考えるほか無い。
レメンテム帝国と? 小競り合いならともかく、本格的に戦争になるのだろうか? アイオナには想像が付かなかった。
「いや、判りません。オルカー船かも知れませんし」
オルカー船は商船と軍船の両方の特性を持った船である。
「そうよね。バラカー船なんて滅多に作られるはずがないし」
「でも誰かが大きな造船をやっているのは確かなんですよ」
「執政館とか、グライアス氏族から出てるんじゃないかしら?」
ディブロスでは船の建造となれば商工会か執政館から出るものと相場が決まっている。
株式仲間から出たものにせよ、行政の方から出るものにせよ、そこで計画がまとめられるのが常識だ。
「ええ。普通はそうですよね」
「公示が出ていないの?」
「はい。出ていません」
それは怪訝しな話だった。
建艦は大事業である。それに必要な職人や業者の数は相当なものになる。だから船を作るとなればその情報が広く公示されることになっている。
そうやって必要な技術者などの人材を掻き集めるわけだが、雇われる側の船大工や給仕人、完成後に乗り込む漕ぎ手などにとっても仕事口を提供してくれるわけだから、そうした公示は重要なわけである。
「港の組合の方からは何も聞こえてこないけれど」
組合というのは職人などの互助組織である。昔からローゼンディアでは一般的なものであり、職業ごとに色々なものがある。なんでも風の噂によれば泥棒組合なんてものもあるそうだ。呆れた話である。
「内緒で船を作ろうとすれば、必ず組合から突き上げを食らうと思うのだけれど」
「それなんですが……」
エルルークの話によるとやはり表立つのを避けているとはいえ、建艦ともなればどうやっても情報が漏れてしまうものなのだ。
「じゃあ、組合の人達は建艦のことを知っているわけね?」
「はい。アイオナさんの耳には入りませんでしたか?」
入ってこなかった。というか忙しくてそれどころではなかったという方が正しい。
何せ偽装の結婚をしたり、砂漠の逃避行をしたり、ダーシュの看病をしたり、それに加えて商会の仕事をしていたのだ。
「ここのところ忙しかったから」
「お察ししますよ」
エルルークは同情するような目を見せた。
「組合の方でも知っている所と知らない所があります。知っている所でもかなり上の方の親方でないと知らないみたいですね」
情報管理は相当にしっかりしているということか。
それに組合を黙らせる力も有る。
しかしお蔭で誰がというか、どの辺りの人間が動いているのかということがアイオナにも見当が付いてしまった。
エルルークも同じなのだろう。だから今日、この場でアイオナにこの話をしたのだ。
「どういう目的なのか気になるわね」
「戦争は歓迎できませんからね」
宴会場の方に目を向けると、エルミラとメレスの姿が目に入った。
「ちょっとごめんなさい。お客様に挨拶してくるわね」
「ええ。また後で」
エルルークと別れて二人の席へ向かった。
メレスは椀に米を盛って自分の前に置き、小皿に取り分けた料理を食べながら合間合間にその米を食べるという奇妙な食事をしている。
しかも箸を使って食事をしている。珍しい。東部の人なのかしら? とアイオナは思った。
あちらでは皆そうなのだろうか? でもカサントス出身のヒスメネスは特に変わった食事の仕方をしていたわけではない。
東部と言っても物凄く広いから、きっとアイオナの知らない地方の作法なのだろう。
料理は一品ずつ食べていくのが普通だと思っているアイオナからすれば違和感を覚えるが、それはそれでありだとも思う。文句を付ける気はさらさらない。
変わった食べ方だなあなどと思いつつ、アイオナはエルミラに声を掛けた。
「どう? 楽しんでくれてるかしら?」
「ええ。お陰様で」
エルミラは穏やかに微笑んで挨拶を返してくる。
葡萄酒を手に坐っている彼女の前には、タバラやクグールで焼いた海老の串焼きなど、アウラシールの料理が並んでいる。
「アウラシールの料理はどう? 結構美味しいでしょう?」
「ほとんど初めてだけれど、とても美味しいわね」
「でしょう? うちの父がとても好きなのよ」
「そう。お父様が。さっき少しお話しさせてもらったけれどとても気さくな方ね」
物は言いようだなあとアイオナは思った。
「ありがとう。そう言っていただけると救われるわ」
いけない。思わず本音が出てしまった。
案の定エルミラはちょっと不思議そうな顔をしている。
「あなたの作ってくれた料理はどこかしら?」
誤魔化すようにアイオナが尋ねると、エルミラは意外そうな顔をした。
「まだ食べていなかったの?」
「ええ。挨拶に廻っていたものだから」
「もうないわよ」
ええ~~~!? そう叫びたくなる返事であった。
何ということだろうか。がっくり来た。
「……それは……残念だわ」
「ふふふ……きっと挨拶回りに忙しいと思って一つだけ取って置いたわ」
エルミラは悪戯っぽく片目を瞑って見せると、隠していたストゥラニを取り出した。
「はい、どうぞ」
「わあ」
思わず歓声を挙げてしまう。こういうところがダーシュに馬鹿にされるのだが、嬉しいものは仕方ない。
エルミラの気配りに感謝しつつ、アイオナはモナクに包まれたストゥラニにかぶり付いた。
芳ばしい香りと卵の甘み、そして葱と豚肉が一度に口の中に入ってくる。
皮が美味しいなあ……歯ごたえがあって、弾力もあって。
卵はふわふわで、豚肉には下味が付いていて噛むと旨みが染み出してくる。
甘いような香るような旨みで、初めて食べる味だ。
葱などの野菜はしゃっきりしていて火の通りも完璧だった。
独特の臭いがある。なんだろうか。それに炒め物だがこの油はアルサム油ではない……胡麻油か。
美味しい。優しい美味しさだ。薄味だが、旨みが染みてくるように口を動かすたびに湧き出てくる。
しかもその旨みが混ざらないのだ。
それぞれの食材が独立している感じで淡い風味を保っている。
食材に自己主張ではなく存在感がある感じとでも言うべきか。
使われている食材と調理していたときの手間から見て、この料理は高級なものではなく、家庭で食べるようなものであるのは間違いない。
だがこの旨さと何だろう……この格式みたいな雰囲気は?
優しい味だし、庶民的な料理なのに何だか妙に緊張させられるというか、砕けた感じが無いのだ。
きちんとしている。そんな感じ。
瞬く内にアイオナは食べ終えた。食後感もさっぱりしている。くどさが全然ない。
「とても美味しかったわ。なんていうか、凄い料理ね」
食べ終わったアイオナが呟くと、エルミラは意外そうな顔をした。
「そう? 普通の家庭料理よ」
「これが家庭料理って……あなたいつもこんな美味しいものを食べているの?」
「ええ、まあ……」
瞹眛な笑みをするエルミラを見て、さてはいつも相当美味い物を食べているに違いないと予想した。
「おおアイオナ。今回もいい宴会だな」
エルミラと話していると、近くに坐っていたベルゼルが杯を掲げて挨拶してきた。
ほんのりと顔が色付いている。かなり飲んでいるなと思えた。
「ベルゼルおじさんこんにちは。楽しんで貰えていますか?」
「もちろんだとも。ファナウスの無事を祝って、そしてメルサリス商会の繁栄を祝って!」
「ありがとうございます」
アイオナも杯を掲げて応じた。
ベルゼルは父ファナウスの古くからの知り合いで、商売に関しては先輩である。
父は「ベルゼルの親父さん」と呼んでいる。
陸路限定のリムリク商人だが、メルサリス商会ほど手広く商売はやっていない。
そこそこの規模の個人商店なのだ。
二人はファナウスがリムリクに出て来た当初から付き合いがあり、メルサリス商会が現在のように大きくなった今でも商売上の関係は続いている。
「ファナウスの奴もさっきまでいたんだがな」
「すみません。挨拶回りで落ち着かなくて」
「いやそれはいいんだが、そこのエルミラをな、紹介させて貰ったんだよ」
「エルミラさんとお知り合いなんですか?」
意外だった。ベルゼルおじさんとエルミラに接点があるなんて。
「儂の店の近くなんだよ。いつも一緒にお茶会をやっとる仲さ。なあ?」
「ええ。ベルゼルさんとはご近所の間柄で、仲良くさせて貰っています」
エルミラがそう言うと、男たちの微妙な視線がベルゼルに注がれた。
嫉妬と意外さが混じり合ったその微妙な雰囲気に、アイオナは可笑しみを感じた。
エルミラは見るからにもてそうだ。男たちのそんな視線も判らないではない。
「お前と同じで若いが、なかなかの遣り手だぞ」
「そうなんですか」
ベルゼルの言葉にアイオナが頷くと、エルミラは笑って否定した。
「そんなことはありませんよ」
「謙遜するこたあない。お前さんは遣り手の商人さ」
「ありがとうございます」
気持ちよさそうなベルゼルと、品良く会話するエルミラの横でメレスは黙々と食事をしていた。
「ちょっとごめんなさい。今知り合いが見えたから挨拶をしてくるわね」
エルミラは急にそう言って立ち上がると席を離れて行ってしまった。
向かった方を見ると行商人のデムニスと挨拶をしている。あの二人知り合いだったんだ? とアイオナは思った。
デムニスは最近メルサリス商会に出入りするようになった行商人で、主に薬を商っているらしい。
商会での評判も良く、とてもきちんとしている人という報告をアイオナは受けている。
二人は酔い覚ましに設けた休憩所で何やら話しているが、この距離では何を話しているかなど全く聞こえない。
エルミラの抜けた席に目を戻すと、辺りには楽しく会話をしながら飲み食いをする宴会客たちがいる。
その中でメレス一人が、まるで周囲から切り離されたように自分だけの食事を続けていた。
彼女には会話に参加しようという意思が微塵も感じられない。
空気が読めないのか、それとも空気と戦っているのか。
いずれにしろアイオナにしてみれば、不安というか居心地の悪さを感じる光景だ。
楽しくないのかな? などと考えてしまう。
見ているとメレスの前には宴会の料理もあるが、食事の中心となっているのは見たことのない野菜炒めと小さな壺だった。
彼女は野菜炒めを取っては米を食い、壺から何か取ってはまた米を食うという食事をしている。
壺から出て来るのは何か色合いの良くない気味の悪い物で、ぬるっとした怪しい桃色というか、内臓のような色合いの何かだ。アイオナが初めて見る料理だった。
――何あれ? 気持ち悪いんだけど……。
それを実に美味そうにメレスは食べている。
大事そうに壺から少し取っては米の上に載せ、米と一緒に箸でまとめて口に入れるのだ。
明らかに幸せそうな顔をしながら口を動かしているメレスは正直不気味だった。
本来ならばこういう時には可愛いと言ってあげるべきなのだろうが、笑顔で不気味なものを食べている姿はやはり不気味でしかない。
とまれその様子はさっき厨房で接した彼女の印象からは掛け離れたものだった。
自分を注視するアイオナに気付いたのだろう。メレスが目を向けてきた。
「あなたも食べますか?」
笑顔と言えなくもない穏やかな表情。それを見たアイオナは、あ、この人やっぱり美人だわ……と思ったが、それとこれとは話が別である。
気色悪いだけでなく壺に入っているというのがまたいけない。中が見えないからだ。より一層不気味さを感じさせてしまうのだ。
アイオナも馬鹿ではないので、相手を気遣う事くらいは出来るし、なるべくそうしようと自分でも思っている。
しかしそれにも限度というものがあるのだ。
気色悪いものを食えと言われて喜んで口に入れるのは、父のファナウスだけで十分だ。自分は遠慮したい。
「ありがとう。でも他にも色々と回って食べなければいけないから……折角だけれど遠慮しておくわ」
ちょっと直接的過ぎたかな? とアイオナとしては思ったが、どうやらその心配は無用だった。
メレスは一瞬きょとんとしたように見えたが、すぐに気を取り直したようだ。
「まあそう言わずに……」
壺を手で持って差し出してきた。
駄目だ。この人空気読めない人だ。父様と同じで。
アイオナはそうしてメレスことメイファムの一面を知ったわけだが、壺を突き出されてしまってはさすがに押し返すのも気持ちの据わりが悪い。
諦め半分受け取った。壺の中には何かの内臓のような物が入っている。
見ただけで気分が悪い。少し顔に近づけてみると妙な臭いがした。
「臭っ……」
――何この臭い?
何だか魚介系の臭いがする。それ自体はそれほど苦手というわけではない。
カプリア地方は魚介類にも恵まれているので、アイオナは子供の頃から魚介料理に親しんでいる。
それでもこんな物は初めてだ。
「……これは一体何ですか?」
何とか笑顔を浮かべてメレスに聞いてみる。
「シュペリテです」
説明になってない。
初めて見る料理に初めて聞く名前。それでは説明になっていない。
アイオナとしてはこの不気味な物体が何で出来ているかを知りたかったのだ。
だからそのつもりで質問をしたのだが、メレスには通じていなかったようだ。
「……シュペリテとは何ですか?」
「魚の内臓を漬け込んだものですよ」
嬉しそうに語るメイファムに対し、耳を疑うアイオナという構図だった。
「それって……生の?」
「ええそうですよ? それが何か?」
アイオナは言葉が出て来なかった。確かに魚を生で食べることはある。
しかしそれは切り身の話であって、内臓を生で? しかも漬け込む? 誰が考えたのよそんなこと。
寄生虫とか大丈夫なの? 何を考えてそんな馬鹿な料理を思い付いたのかしら。
「コクが有ってとても美味しいですよ。これほど白い御飯に合うものは有りません。さああなたもお一つ……」
冗談ではない。
「いえ……遠慮しておきます」
アイオナは明らかに引いた様子でそう返事してしまった。
即座にしまったと思ったが、もう後の祭りである。
メレスは傷付いたと思える表情を浮かべたが、直後、明らかに不快そうな顔になった。
――まずかったかも……。
アイオナは後悔したがもう遅い。
「そうですか。なら無理には薦めません。あなたはそこの不気味なものを食べていればよろしいでしょう」
そう言ってメレスが目で示したのは、タバラの入った椀だった。
失礼な態度だなあとアイオナは感じたが、これで怒るほど子供ではない。一応相手は客なのだ。
「見たことのない料理かも知れませんが是非一度お試し下さい。美味しさは保証いたしますわ」
笑顔で薦めたがメレスは鼻で嗤った。
これは限度を超えた態度である。はっきりと無礼だと言えるものだ。
ここは一応注意をした方がいいかなと思ってメレスの卓上を見ると、かなり葡萄酒を飲んでいることが察せられた。
実は葡萄酒では無いのだがアイオナにはその事は判らない。
――この娘、全然顔色に現れてはいないが実はかなり酔っているのかも知れない。でなければこんな無礼な言をぶつけて来はしないだろう。
なのでそんな風にアイオナは考えた。
「無理にとは申しませんわ。ではわたしは他の方にもご挨拶しなければならないのでこれで……」
こういう相手はできるだけ関わらない方がいい。アイオナは立ち去ろうとしたのだが、そこにダーシュがやって来た。
「どうした?」
ダーシュは察しの良い男である。つまり良い時でも嫌な時でも察しが良いのだ。
間の悪いときに現れたものである。アイオナは眼で「あっちへ行け」と訴えたが、ダーシュは薄く笑んだだけであった。多分絶対判ってる。
「我が妻が何か?」
メレスに問いかける姿にはまだ何も含まれていないが雲行きは怪しい。
「あなたアウラシール人ですよね?」
「そうですが。それが何か?」
「どうしてあなたがローゼンディア人の夫に収まっているのですか?」
「それはあなたには関係の無い話でしょう」
笑顔で質問を切り捨てるダーシュを見て、アイオナは頭を抱えたくなった。
駄目だ。ダーシュはおそらく事態を最初から理解していて介入してきたのだ。それがはっきりと判ったのである。
「ところであなたが食べているその不気味なものは何ですか?」
わざわざ「不気味なもの」とメレスと同じ言葉を使って尋ねる辺り、やはりダーシュは根性が悪い。
「不気味なもの?」
メレスが片眉を上げて問い返してくる。急に剣呑な気配が漂いだした。
「あなたは今何と言いました?」
「調理前の羊の腸のようなその不気味なものは何ですかと伺ったのですが」
穏やかな笑顔を崩さずに挑発するダーシュを見ているとはらはらする。
「そんな気味の悪いものではなく、そちらのサディクネモサを召し上がってはいかがですか?」
サディクネモサというのはローゼンディアで言う山羊肉のタバラのことである。ジルバラでの正式な名称がそれなのだ。
「ジルバラの伝統的な料理です。ここの料理長はジルバラ地方の出だけあって本格的な味ですよ。素晴らしく美味しいので是非どうぞ。ローゼンディアでは食べる機会は余りないのでは?」
「何と言われようとこんな不気味なものを――」
話の途中でメレスは急に言葉を切った。口を開いたり閉じたりして眼を泳がせ始めた。
どうしたのかと思ってアイオナが辺りを見回すと、エルミラが立っていた。
仄かな笑顔を浮かべている。だけど何故だか凄みを感じた。
素晴らしい美人だけに何だか落ち着かない。背中がむずむずするような気がする。
「……私の連れが何か失礼をしましたようでお詫びいたします」
エルミラは綺麗に腰を折ってダーシュに詫びた。
「いや、何も失礼なことなどありませんよ。私はただサディクネモサをこちらにお薦めしていただけですから」
ダーシュが素早くそう応じた。
穏やかな笑顔は変わらないものの雰囲気だけを良い方向に一変させている。
これが王族の社交技術なのか。そんな風にアイオナは感心しつつ、同時にちょっと呆れた。
「サディクネモサと言うのですか。先程ファナウス殿にタバラというのは我々の言葉での呼び名だと教えられました」
「ええそうです。ジルバラの人はそう呼びますね」
「失礼ですがジルバラのお方ですか?」
「はいナデフの出身です。ですが幼い頃にアンケヌに移住しましてね」
「すみません。ナデフと言われてもどちらになるのか判りませんわ」
申し訳なさそうにエルミラが言うと、ダーシュはお気になさらずにと応じた。
「ジルバラには都市国家が沢山ありますがその中の一つです。尤も歴史があるというだけで、取り立てて自慢できるものなどありませんが」
「歴史があるというのは最も素晴らしいことだと思いますわ」
「そう仰っていただけると嬉しいですね」
和やかに会話する二人を見ていると、アイオナは微妙な気分になってきた。
――何よ……何だかいい雰囲気じゃないの。
そんな風に思ってしまう。何故だか面白くないアイオナであった。
急にエルミラがアイオナの方を見て微笑んできた。どきりとした。
何だかこちらの気持ちを読み取られたような気がする。
――まさか。そんな事はないわよね。
お前は何事も顔に出ると父親や大伯母、果てはダーシュにまでそう言われているのに、その事はちっとも考えないアイオナであった。
「メレスが何か愚かなことを言ったのでしょう?」
愚かとは……。
ちょっと酷いというか、かなり強い表現だなとアイオナは思った。
「いえ、そんなことはないわよ。ただちょっと変わった物を召し上がっていたから……」
「ごめんなさい。あの子少し変わっているのよ」
ええ。それは凄くよく判りました。
「もうこんな事はないようにあとでよく言って聞かせますから」
エルミラが顔を向けるとメレスはさっと俯いた。
余程ばつが悪いのか全くエルミラの方を見ようとしない。
――子供みたい……。
アイオナはそう思った。
ともかくエルミラが来てくれたお蔭で揉め事が回避されたのは事実だ。ありがたい話である。
ダーシュとエルミラはまだ料理の話で盛り上がっている。面白くない話である。
どうやらエルミラはカピラゴの煮付けがえらく気に入ったようだった。
カピラゴはジルバラ地方に住む魚らしい。見てくれが悪いという事以外はアイオナもこの魚については何も知らないが、父ファナウスが泥の中に住む魚だとか言っていたような気がする。
どうしてジルバラの人がそんなものを食べようと思ったのかは判らないが、こうして煮付けにすると味の方は素晴らしい。
エルミラはカピラゴのことを「恐い顔の魚」と言っているが、見たままの表現ながら、可愛らしい言い方だなとアイオナは思った。
「恐い顔の魚ですか」
ダーシュも笑っている。やっぱり面白くない。




