第九章・四
宴会が始まった。集まったのは商会と取り引きのある商人達、そして荷運びなどの男衆たちだ。
商人には女性もいるが、やはり男性の方が多い。
港湾で働く男衆は当然全員男性で、しかも皆体格のいい者達である。
参加者の顔ぶれが揃ってくるとメイファムの雰囲気がそれとなく変わってきた。
静まるというか、落ち着いた感じになったのだ。
メイファムは普段から冷静で落ち着いているが、警戒すべきような状況になるとそれとはまた違った種類の静かさが出て来るのである。付き合いの長いルキアにはそれがよく判っている。
男衆など誰でもルキアの倍以上の体格をしている。何と言っても酒の席なので、万一絡まれたりしたらルキアではどうしようもない相手なのだ。
おそらくメイファムにはそうした想定が頭で出来ているのだろう。
「大丈夫です。いつもやっていることですから」
目が合うとそんなことを言ってきた。
当然だがメイファムは荒事が得意だ。実戦経験を積むために外国で傭兵をやっていた事まであるくらいで、相当な場数を踏んでいる。
実家の衛士たちを束ねる長官ですらメイファムには敬意を持って接しているし、護衛の戦士としての腕前は超一流なのだ。
しかしそのメイファムですらグラトリアには全く敵わないのだから世の中は恐ろしい。
まるで赤子のようにメイファムをあしらってしまうグラトリアの強さは、もはや人外の領域に達していると言えるだろう。何度か目にしたが、どうしてああなるのかルキアには全く理解できない。
ただ剣の腕と護衛の腕前が等号で結べるわけではない。
殺し合いならグラトリアに敵う者など無いかも知れないが、危険から身を守ってくれる護衛としてならメイファム以上の存在は無いのだ。
宴会には決まった開始の挨拶は無いらしい。誰彼となく何となく卓に着き、そのまま食べ始める。飲み始める。
招待客の紹介もないし、楽団の演奏も無い。おそらく芸人などの出し物もないのではないか。
席は椅子ではなく、アウラシール風に座物が置いてある。
ローゼンディア王国では椅子を使うのが一般的だが、床に直に坐ることも多いのでそこは問題ない。
ただ西方のレメンテム帝国などでは、床に直坐りすることを蔑視するともいう。
「エルミラじゃないか」
ベルゼルである。意外なところで会うと思った。
「こんにちは。ここでお目にかかるとは思いませんでした」
「そうだなあ。だったら一緒に来ればよかったなあ」
今日もベルゼルとはお茶会で一緒だったのである。
特に報告するようなことではないと思っていたのでルキア何も話さなかったが、それはベルゼルの方でも同じだったようだ。
「メルサリス商会と付き合いが有ったとは儂は知らんかったぞ」
「いえ、違うんですよ」
ルキアは苦笑して、スィサとの経緯を話した。
「……なるほど。それでその子の招待があったというわけか。ああそういえば、スウィークの奴が、お前さんとこに可愛いお客さんが来ていたとか言っていたっけなあ」
「はい。多分その事だと思います」
「そいつは良かった」
「ベルゼルさんは、こちらの商会とはどういったお付き合いなんですか?」
「儂はここのファナウスとは昔からの知り合いだよ。奴がまだ若造の頃から良く知っとる」
ほう。それは興味深い話だと思った。
「どういう人なんですか?」
「ファナウスか? 商売に関しちゃ天才だよ。まあ色々と変わった奴ではあるがな」
「変わっているというのはどういう意味ですか?」
「まず食い道楽だな。後は何と言うか……どこかすっぽ抜けた奴でな。危機的な状況を面白がるようなところがある。感心はせんがな」
何か思い出したのだろう。ベルゼルは呆れたような顔付きになった。
「そうそう。奴にはお前さんくらいの娘が居るぞ。奴に似て商才の方は確かなもんだ」
「商才の方は?」
「性格の方も、まあ少し変わっとる。奴の娘だからな」
その変わってるというのがどういう意味なのかを知りたいのだが。
「興味が有るなら話してみるといい。二人とも宴会の最中に廻ってくるぞ」
「ええ、ありがとうざいます。そうしてみます」
宴会料理は大皿に有る物を自分で取ってくるという形式だ。折角なのでアウラシールの料理を中心にルキアは取りに行く。
ただし最近見慣れているリムリクの料理は避ける。
決して不味いというわけでは無いが……リムリクの料理はどうもいけない。
中には素晴らしいものもある。
けれどほとんどの料理が肉か何かの煮込みを炊いた米の上にかけるというもので、しかもぼけ味なのだ。
大味というか何というか……そしてそんな料理を「美味い」「美味い」と言って皆が食べている。
ルキアとしては付いていきたくない世界であった。
一方、同じアウラシールの料理でもジルバラのものは違う。全く違う。今目の前に並んでいる物を見てそう言える。
初めて目にするという料理もある。しかも、どれも芳香を放っている。
これはもうルキアとしては行くしかないわけである。
「お嬢さま。そういうことは私がいたします」
メイファムが慌てて立ち上がろうとするのをルキアは制した。
「いいのよ。あなたは自分のを取りに行きなさい」
「いえ、私にはシュペリテがありますから」
ああ、はいはい。嬉しそうね? 好きにすればいいと思うわよ。
心の中でそう言って、自分はアウラシール風の串焼きや、タバラと呼ばれる煮込みスープ? を取りに立ち上がった。
タバラは香辛料を使った煮込みである。アウラシールでは一般的な料理であり、物凄く沢山の種類がある。
ただ煮込み料理だというのはルキアの認識であって、実際には違うのかも知れない。
そもそもタバラというのはローゼンディアでの総括的な呼び名であって、アウラシールでは料理ごとに別の呼び方をしている。
本来「タバラ」という言葉はどうも特定の種類の料理のみを指すらしいのだ。
アウラシールは極めて長い歴史を持つ。そして地方色豊かだ。
当然料理にもそれは反映されており、ローゼンディアで言うタバラはアウラシールの四地方でそれぞれ特色があるという。
メルサリス商会の料理人ユスタハは南の方の出身らしいが北の料理も得意だと聞いた。
しかし目の前に有る香り高い料理のどれが、どこの地方のものなのかなどルキアには全く判らない。
取り敢えず串焼きになった海老と、鳥肉、羊挽肉を取り、タバラを二つ椀に注いだ。
タバラを選ぶ基準は液体度と言っては変だが……つまりは水っぽいものと、反対にどろどろのものを選んだ。
その香りはどれも複雑で素晴らしく、香りを基準にしては選べないと思ったからだ。
「……ほほう。初めて見る料理もあるだろうに、なかなか手堅い選び方だなあ」
席に戻ろうとしていると横から壮年の男性にそう評された。
ファナウス・メリサリスだった。
ルキアは一瞬虚を突かれたがすぐに冷静さを取り戻した。宴会の主催者なのだから居て当たり前だし、挨拶廻りにこちらに来ることも想定内なのだ。
ファナウスはがっしりとした中年の男で、太ってはいるがその分筋肉もありそうな体型をしていた。
癖のある黒髪を無雑作に伸ばした様は、ずぼらというかぞんざいな印象を与えるが、顔立ちは悪くない。今でも中々のいい男で通るであろう。
「お嬢さんこんにちは。それともこんばんはかな? どう思う?」
ルキアはちらりと目線を横に流した。まだ日は沈んでいない。微妙な時間だが、どちらかというとこんばんはが相応しいだろう。
だがトラケスにはもっと優雅な言い方がある。もちろん言いはしない。
「……少し早いかも知れませんがこんばんはと言う方が適切だと思います」
「そうか。お嬢さんこんばんは」
微妙に怪訝しな具合の会話だとルキアは思った。それともわざとか?
こういう相手と話すときは自然に付いて行くのがいい。言い方は悪いが、好奇心旺盛な犬や猫の後を付いて行く要領だ。
「こんばんは。お招きありがとうございます」
「儂を知っているのかね?」
不思議そうな顔をするファナウスにルキアは微笑みかけた。
「もちろんですわ。メルサリス商会のファナウス・メルサリス様でございましょう?」
「ほおお。一体どうして儂の名を知っているのかな? 後学のために教えては下さらんか?」
しまったと思った。まさかそう来るとは。
しかし焦ったのも一瞬だ。ルキアはすぐに思考を立て直した。
「その前に私にも名告らせて下さい。私はエルミラ・ハジェス。あちらは私の連れのメレス・イアトス。ここディブロスで店を営む商人ですわ」
「ほう? 新規の方かな? 儂は最近ディブロスに戻って来たのだが」
「それは存じておりますわ。その為の宴会ですもの」
「違いない」
ルキアとファナウスは笑いあった。
一旦仕切り直しか。そう思ったがすぐにファナウスは続けて攻め込んできた。
「でもローゼンディア人の地区ではないですな」
そこまでもう調べているのか。ルキアは驚いた。が、顔には出さない。
「はい。アウラシール人地区ですが。どうしてご存知なのですか?」
そしてお返しとばかりに同じ手札で反撃。
「店の者から聞いているのですよ。儂が本店、つまり商会のあるマンテッサですが、そこに戻っている間にこちらで何かあったら控えておくようにと」
なるほど。それなりに納得出来る答えではある。
「あなたのような魅力的な人物が店を開いたとなれば、それはもう、記帳されていないはずがない」
ファナウスは冗談でも言うように。笑顔で。
「恐縮ですわ。あのメルサリス商会の商会長にそう仰っていただけるなんて」
「そんなに大したものでもないですよ。ただ商売をしていたら勝手に大きくなったのです」
「素晴らしい才能をお持ちだからですわ」
「いやいや」
ファナウスは照れたように首を振った。
「アウラシールの料理はお好きですかな?」
そしていきなり話を変えてきた。ルキアは逆らわずに付いて行く。
「ええ。最近食べるようになったのですが、独特の美味しさですね。特にこのタバラと言うのは癖になりそうですわ」
そう言って海老と茸の入った黄土色の煮込み料理を示した。
「ああそれですか。まあタバラと呼んでも別に構わないんだが、実はそれはタバラではないんですよ」
「違うのですか? てっきりタバラかと思ったのですが」
「よくご存知で。しかしタバラというのは儂らの、つまりローゼンディア人の言い方でしてな。本来、アウラシールにタバラなんぞという料理はありません」
「そうだったんですか」
ある程度知ってはいたことだがルキアは感心した顔を作った。
「まあ別にタバラでもいいんですがね。リムリク辺りじゃ普通にそう言っておるし。タバラと言われてそれで気分を悪くするのはジルバラの人間くらいですかな」
ファナウスは親指で料理長のユスタハを示した。
「ああ……なるほど」
ルキアが納得の笑みを見せるとファナウスも笑った。
「どんな名前であれ素晴らしい料理だと思います。味はもちろん、香りがまた素晴らしいです」
「そうでしょう? 儂もこちらに来てから食べ始めたが嵌まるというか何というか、癖になりますな」
「同感ですわ。この宴会では色々なアウラシールの料理が出ていて素晴らしいですね」
「ジルバラの料理人が作っておりますからな。本場の味ですよ」
「ええ先程拝見しました。アウラシール式の窯までありますものね」
「あのクグール窯をご覧になりましたか!」
ファナウスは嬉しそうだ。自慢をしたいのかも知れない。
「あれはジルバラから来た専門の職人に設置させた物なのですよ。あれで肉やウナを焼くと実に良い具合に仕上がる。あれを見たということは、どうやら料理の準備を手伝って貰ったようですな」
「はい。少し早く到着してしまったもので」
「嫌な思いはしませんでしたかな?」
気遣うようなことをファナウスは言ってくる。
「まったくしませんでした。楽しい経験になりましたわ」
「何か御自分でも料理は作りましたか?」
「はい。二品作りました」
ちょっと注意が必要かも知れないとルキアは思った。
「ほう。折角だから教えてくださらんか? あなたの作った料理にとても興味があるな」
そう言うと思っていた。
「はい。あちらの籠に盛っているストゥラニがそうです。あと野菜炒めを作ったのですが……」
ちょっとウナの籠の蔭に隠れてしまっていてここからは見えない。
「そちらは漬け物を炒めた物なので、ちょっと癖が有るかも知れません」
「漬け物?」
ファナウスの目がきらりと光った。ルキアは警戒した。
「はい。トラケス菜の漬け物です」
「それはまた珍しい……どこで手に入れたのですか?」
「私の知人がディブロスのゼメレス館に仕入れをしているのです。その関係で厨房から分けて貰った物だと言っていました」
厨房から分けて貰ったことは本当だが、それ以外は全部嘘である。
「ほう」
ファナウスは感心したようだった。
ゼメレス館と付き合いの有るような確りした商人と交流があるのか……そう思ったのかも知れない。
ゼメレス族は閉鎖的で、偏屈だというのが王国内での評判だ。
絹、紙、神木と、商人などからすれば垂涎物の物産を有するゼメレス族は、利権を求める者からは常に狙われている。
しかしそこに食い込むことは容易で無いとは、他の氏族連中によって良く言われている所でもある。
独自の文化や細かい礼儀作法などが、他氏族にとっては高い障壁となって立ちはだかっているのだ。
ゼメレス族と信頼できる交流を持つまでにはそれなりの時間と、彼女らの文化やしきたりへの理解が必要だと言われている。
しかしそんなに大変だろうか?
ルキアにしてみればそんな事はないのだが、そう思われているという事は知っている。
市井の庶民はどうか知らないが貴族に関して言うならば、どこの氏族でも大抵は似たり寄ったりなものである。
セウェルス族などは明らかに「違う」と感じるものがあるが、それ以外はまあ常識の範囲内と言って差し支えない。
そして商人などが求める利権は貴族が握っているのだから、普通に貴族に対する対応方法で向かい合えば良いのではないかと思う。
ルキアはそう考えるのだが、どうも世の中、それに同意する者は少ないらしい。
目の前のファナウスもそうなのかも知れない。ゼメレス館と聞いてどうやら驚いているようである。
彼の目鼻の動きを見るに、実に表情の動きが自然だ。自然すぎて演技なのかと疑いたくなる。
「すまんが食べに行ってもいいですかな?」
しかもいきなり何の関係も事を言い出した。
いや、トラケス菜の話には違いないか。
――でもいきなりそれなの?
「……ええ。その為に作りました。お口に合うかどうか自信は有りませんが」
意表を突かれた感じのルキアはすぐに思考を料理の方に戻してそう答えた。
「はっはっは。トラケス菜の漬け物なら大好きですよ」
ファナウスは笑って去って行った。すぐにベルゼルと挨拶を交わしている。
見るとベルゼルがルキアを手招きをしているのでそちらへ向かった。
きっとファナウスに紹介してくれるのだろう。気配りが有り難いが、すでに挨拶は済んでしまっている。




