第九章・三
作業に集中していると時間を忘れてしまう。悪い癖だと自覚しているが中々治らない。
「意外と貴族らしくない感じの人でしたね」
手を動かしながらメイファムがそんな事を口にした。
二人でストゥラニを作り、薄餅を焼いてそれで巻くという作業をしていたら、さっき厨房にアイオナがやって来たのである。
「母方の家系だと準貴族だから、実際にはほとんど平民として生きてきたのではないかしら」
父方だと父親のファナウスが準貴族だから、アイオナは平民ということになる。
どういう人物なのかと前から興味はあったのだが、先程少し話した印象では悪い人ではないように感じた。
自分でも陳腐というか、貧しい感想だとは思う。
しかし色々手を尽くして集めたアイオナの情報からは、どういう人物かを推測するのは難しかった。
たった今、アイオナと話したことで得た感触の方が遥かに確実さというか、手で触れたような確かさがある。
もちろん、ちょっと話しただけで善人だの悪人だの決め付ける事は難しいし、出来るとも思っていないが、やはり第一印象は大切なのだ。
「感じのいい人だと思います」
メイファムも満更でもない感じではある。
しかしそう言うならば、さっきの態度はなんなのかと言ってやりたくなる。
毎度のことだがメイファムに悪気があるわけではない。長い付き合いだからそれはよく判っている。
しかし何とかならないか。いつもそう思う。
笊に入れた卵を抱えてスィサが戻って来た。
「これで足りますか?」
「充分よ。ありがとう」
少しだけ足りない分を追加で取りに行って貰っていたのだ。
「嫌な顔をされなかった?」
ルキアが今やっている料理は貴重な卵をかなり使うから、ひょっとして在庫管理をしている人に嫌みを言われたのではないかと心配したのだ。
「そんなことはないです」
スィサは微笑んだ。
「何を作るか知らないが楽しみにしてるって言ってました」
「それはちょっと恐いわね」
ルキアは微笑んで卵を受け取るとメイファムに渡した。
するとメイファムは慣れた手付きで卵を取って割り、掻き回し始める。
豚肉と卵をメイファムが調理している間にルキアは他の食材の準備をしておく。
最後に短時間で一気に仕上げるのだが、これはメイファムには出来ない。
一見軽く炒めているようだがここに技があるのだ。
トラケス料理では焼いたり煮たり炙ったりという料理の手法がおよそ六十種類もある。
およそで六十種類である。ということは少なくとも五十種類以上は有るわけだ。
多ければ良いというわけではないが、それにしても凄じい数である。ルキアも全部は知らない。
だからストゥラニを炒める際の調理法が何と言うかも知らないけれど、手順はしっかり憶えているし、何度も作ったことがある。
大事なのはどの順番で食材を入れるか、最後に調味料を加えて合わせながら一気に仕上げることだ。
今回は量を作るのでここで一番大きな鍋を借りている。とても大きくて重いのでルキアの腕力では扱うのが難しい。
そこで鍋を振ることだけはメイファムに手伝って貰うが、火加減と調理はルキアが担当することになった。
火をガンガン熾して鍋を置いているので、時々厨房の人が心配そうな目で見ているが、ルキアからしてみればいつもの光景なのである。
トラケス料理には炎の魔術という異名があるくらいなのだ。
本音を言えばもっと火力が欲しいと思うが、ここでは炉の作りも違うし、燃料の種類も量も十分とは言えない。このくらいで我慢するしかない。
トラケスでは全ての料理に火を使うわけではないが、使う場合には強力な火力で一気に仕上げる事が多い。
「良い匂いだねえ」
通りかかった男の人がそんなことを言っていく。ちょっと嗅いだことの無い匂いなのだろう。
宴会に限らず、メルサリス商会の食事ではやはり出身地のカプリア料理が多いはずだ。
それは普通アルサム油や塩、アペリコが中心になった料理であり、薬草には大蒜や香草を中心に胡椒も用いるようである。
トラケス地方の料理人に言わせれば、カプリア料理は煎じ詰めれば塩かアペリコのどちらかの味になるという。
多様性があるようで結構単純な料理というのがルキアの印象だ。
こんなことを言うと失礼かも知れないが、もし地元の豊かな食材に恵まれなければ、王国でも有名な料理とはなれなかったのではないだろうか。
料理が仕上がるとルキアは一つのストゥラニをスィサに手渡した。
「手伝ってくれたお礼にお味見をどうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
スィサはちょこんと頭を下げて礼を言うと、ストゥラニを両手で持って食べ始めた。
何だか栗鼠か何かの小動物のようで愛らしい。
「どうかしら?」
「おいしいです!」
「それはよかったわ」
ルキアも微笑んだ。アルサム油ではなく胡麻油を使い、しかもトゥルーブを使って炒めているので、慣れない人には臭いに癖が有るかも知れない。
それだけが少し不安だったのだ。
卵はふわふわになるように炒めたし、熱さにはふはふしながら食べているスィサを見る限りは味の方に問題なさそうだ。
「お嬢さま。次はトラケス菜を炒めてしまいしょう」
何だか嬉しそうにメイファムがそう急かしてくる。
やる気が有るのは嬉しいが、漬け物とトゥジェの組み合わせが受け入れられるかどうかは心許ないところがある。
その時、じゅわああああっという気持ち良い音と共に、強烈な香辛料と脂の臭いが漂ってきた。
素晴らしい香りである。
大蒜と生姜、それに胡椒だ。そこまでは判る。だがルキアの経験というか腕前では、それ以外は判らない。
今日厨房に入って何度目かの、その素晴らしい芳香に目を向けると、料理長のユスタハが鍋で香辛料を炒めていた。
見ていると料理ごとに違うようではあるが、バターや胡麻油で香辛料を炒めている。
大蒜と胡椒と生姜を基本に色々な香草を加えていくようだが、これも料理ごとに違うかも知れない。
生の香草をじゃんじゃん加えていく。薬草として処理されていないものまでだ。
それはルキアにとって初めて目にするアウラシールの料理であった。
雑なようだが奥深さを感じる。どういう物が出来上がるのか物凄く興味がある。
ルキアが見ているのに気付いたのか、ユスタハがちらりとこちらに目をやった。
フッと鼻先で笑うと食材を加えていく。豆を中心に下処理をした肉を加え、粉の薬草だか香辛料をどばどば入れていく。
一通り入れ終わると煮込みに入った。そしてどうだ! とばかりに胸を張ってまたルキアの方を見る。結構あからさまな態度だ。
……何故だか判らぬが対抗心を持たれているようである。
「お嬢さま。負けてはいられません」
こういう時だけ反応しないで欲しいと思う。
食べ物のことになるとメイファムは向きになる傾向がある。
「駄目よ。こちらには調味料も薬草も全然足りないもの。勝ち目は無いわ」
「……無念です」
メイファムは悔しそうである。悔しがるようなことかしら? とルキアは思う。
相手は専門の料理人なのだ。勝てるわけがないだろうに。
「それに今日はそういう勝負をするために来たんじゃないのよ?」
「そうでした」
言われて気付いたというような顔をメイファムはした。こんなんで大丈夫かしらとルキアは思った。
自分の予感は中る。どういうわけか悪い物ほど良く中る。それこそ真ん中を射貫くように中るのだ。
少し注意していないといけないかも知れない。




