第九章・一
貴族というものはやるべき事を探すのならば、いくらでもやるべき事を作り出せるが、反面怠けようと思えばいくらでも怠けることの出来る社会的立場にある。
ゼメレス貴族の場合と言っても、もちろんこの「貴族」には女性しか含まれない。ゼメレス族の男性には貴族や平民という区別自体が無いからだ。
彼らは単に「男性」とか「彼ら」ないしは「男の方」などと言われる。
ゼメレス貴族の内には同族の男性達が何をしているのか、どういう生活を送っているのか、それを詳しく知る者はいない。それを知っているのは森に入ることを許された他氏族のやはり男性達だけだ。
逆にゼメレス族の男性達は、同族の女性達が日々どのような生活をしているのかを知る者はないだろう。
そして、貴族となればその生活のほとんどは祭儀やしきたりの学習に費やされるのが常であった。
そうした学問ともしきたりとも呼べるものを引っくるめて有職故実という。要するに王侯貴族の祭礼や儀式の際の礼儀作法やら何やらのしきたりの体系である。
それだけを言うのならば他氏族にも同じものは存在する。当然のことながら。
ゼメレス族の場合はこれが非常に膨大な体系となっており、家系ごとに分担とも言うべき専管事項が存在する。
これらの事情からゼメレス族の有職故実は、他氏族からは中々窺い知れぬものとなっている。
ゼメレス貴族は幼い頃からその日常生活の大部分を、家系に属するこの有職故実を学ぶ事に費やすが、ルキアの場合はこれが色々と違っていた。
それは本人の事情にもよるが、周囲の態度にもよるところが大きい。
ゼメレス貴族らしくないという外見のために、ルキアは周囲から期待されずに育った。
幼少時などは特にそうであった。
しかしお蔭で複雑怪奇な祭儀のしきたりやら何やらをひたすら憶え、練習させられるという生活を送らないで済んだのである。
そうして空いた時間は自分の好きに使うことが出来たから、ルキアはそれこそ砂地に水が滲み込むような勢いでそれらの時間を学問やその他に使った。
馬鹿げた話ではあるが、その中には家門に属する有職故実の学習も含まれる。自分で言うのも何だが物覚えは良かったし、何よりも真剣に取り組んだので、ルキアは他の子供よりも遥かに早くそれらの作法や知識も身に付けることができた。
振り返ってみると同世代の娘達を圧倒する学問に加え、家門にとっては必要十分な有職故実をも身に付けていたのである。
一廉の人物となっていたわけであるが、目をベルディアス流ゼメレス家の外に転じれば、相も変わらず「外見が悪い」ということで陰口の叩かれる身である。
ルキアとしてはもう慣れたとしか感想が出てこないが、今では味方に転じた家門内部の身内にとってはそうでもないようで、彼女らの耳に入るたびに新たな怒りの種となっているようである。
陰口は軽んじることの出来ない問題ではあるが、要は程度次第なのだ。
問題になりそうなほどの陰口であったら対策するし、そうでないものは放っておくしかない。一々相手にしてはいられない。何と言ってもルキアは忙しいのだ。
遣り繰りしてひねり出した時間を使って色々な知識を蓄え、その知識を今度は家門の運営に活かせないかと思案する。
場合によっては実地で検証もする。
手元にある情報から仮説を立て、その仮説が正しいかどうかの検証をするわけだ。
この検証方法を組み立てること自体がまた一苦労となる事も多いのだが、実はその手間も結構楽しいものがある。
そして結構楽しいというのは実際、ルキアにとっては困りものなのだった。
時々夢中になってしまうのだ。時間を食われてたまらない。立場上、やるべき事などいくらでもあるのだから。
しかし妙案が思い付けば試さずにはいられない。もちろん反証可能なように理屈は組み立てる。
反証の可能性がない理論は理論では無いというのがルキアの価値観だが、一度親しい友人にそう話したところ「あなたは学者なのか」と呆れられた。そんなつもりは全然なかったので、その指摘に驚いたことがある。
ゼメレス族は古例を重んじる。それはもう嫌になるくらい重んじる。
何かを決める際の貴族達の会話を聞いているだけで、目眩や頭痛がしてくるくらい古例を重んじるのだ。
もちろんルキアだって古い物は全部ゴミだなどとは思っていない。昔から伝えられてきたしきたりや作法には多くの智恵が含まれていると思っている。
だがそれを盲信してしまうのは危険だとも考えるのだ。
情報は集められるだけ集めるべきだと思うし、可能であるなら検証もすべきだ。
かくして今回の石鹸売りもその一つとなるのだが、どうもルキアの周囲は理論の方には同意を示してくれるものの、同じかそれ以上に重要な実地検証についてはいい顔をしてくれない。
貴き身は豪華な机に座って、人を殴り殺せそうな革表紙本を開いていればいいという事なのだろう。
冗談ではない。考察と検証は馬車の両輪だ。どちらが欠けても馬車は成り立たない。
しかもどんな知識がどこで役に立つか解らない。経営や農業や軍事の知識だけが有用というわけではないのだ。
それらは必須知識であって、言わば最低限。これがなければ始らないという道具でしかない。
このような思想というか、信念の元にルキアはじっくりと時間を掛けてベルディアス家の領地について調べ、どのように運営されているか、誰が何を差配しているかを纏め上げた。
味方を増やし、敵の力を削ぎ、遂にほぼベルディアス家の家領についてはルキアの思い通りになるようになったのは最近のことである。
毒にも薬にもならぬ母や、祭儀に明け暮れるだけの祖母や親類のお蔭と言えなくもない。
物事、考えようによっては有り難いと思い込めることもあるのである。
それでもルキアがディブロスの市内で石鹸屋、正確には『石鹸も売るよく判らない店』を始めると聞けば、反対はしないまでも良い顔をしない者が多い。
もちろんこれは日常ルキアを支え、その力になっている者達であって、彼女の敵対者達はそこに含まれてはいない。そんな人達に教えたら、えらいことになる。
仮にルキアが市中で石鹸を売っているなどと敵対する者らに知れれば、それはルキアに対しての恰好の攻撃理由になるであろう。だから知られてはならないし、今のところはばれていないはずである。
さぞや身内を冷や冷やさせているだろうとルキアも自覚しているが、これは止めるわけにはいかない。それだけの重大性があるからである。
これは損得だけの問題ではない。ゼメレス氏族全体にも関わる問題に発展する可能性があるとルキアは思っている。
もちろんそこに自分の趣味というか、個人的な楽しみが大きく付加されているのを否定もしないが。
とはいえこの問題について同族の誰かしらが耳にすれば「さっさと宗家に報告するのが最善だ」という意見は聞こえてきそうである。
だが事はそう単純ではない
宗家に報告するだけで話が済むならこれほど楽なことはないが、それでいいだろうか?
果たしてそれで本当に理想的な解決が得られるだろうか?
ルキアはそれほど楽観的でも、無邪気でもない。
東方鉄弓家は宗家に次ぐ家格を持つ大貴族である。
宗家を支え、守り、盛り立ててきた。その功績は大きいだろうとルキアも思う。
しかしそれは例えるならば、大きな屋敷の周りを囲う枳殻の生垣のようなものであったのでもなかったか。
確かに宗家にとって大いに有用であったことだろう。
だが同時にそれが繁りすぎることも宗家は望まないのではなかろうか?
余りにも枝を伸ばし葉陰を濃くすれば、枝打ちが待っているのではないだろうか?
これは何も宗家を敵視しているというわけではない。
貴族の、それも上位になればなるほど「そういうものだろう」と考える、ただそれだけの自然な推測に過ぎない。
東方鉄弓家に限らず大貴族というものは、あくまでもその宗家を守るという立場においてのみ見事な生垣、藩屏たることを期待されているのだ。
大きな問題には落としどころというものがある。
政治的な決着の付け方と言ってもいい。
要は関係各位の利益調整のことだが、それを見定めるにはまだ暫く時間が必要だ。
ルキアが営む『エルミラの店』は経営状態良好である。大きく儲かるというわけではないが着実に利益を積み上げている……そういう儲かり方をしている。
扱う商品の増加に伴って新たに倉庫を借りることになったので、店の中には少し余裕が出来た。
元々リムリクに限らず、アウラシール人の商店は奥に細長い造りをしている事が多い。こういうのをローゼンディアでは「鰻の寝床」と言うが、店内の空間に少し余裕が出てきてやっと鰻の寝床らしくなってきた感じである。
今は店主のエルミラことルキアと、店員のメレスことメイファムに加え、中年の男が奥の卓を囲んでいる。
外から店内を覗き見れば、ああ商談をしているか、それか一休みして世間話と情報交換でもしているのだろう、という感じに見えることだろう。実際には違うが。
男は小売りの行商人に見えるが、実はルキアの雇った密偵の一人であり、デムニスという名の男である。無論それが本名かどうかは判らない。
ルキアにとってはそれはどうでもいいことなのである。そのデムニスが今日は報告に来ているのだ。
「……そう」
「大型のオルカー船のようですな。かなり厳重に秘密を守っております。ひょっとすると執政家も知らないかもしれません」
ルキアの睥んだとおりであった。やはりあの男は動いている。しかも、予想よりも大胆だ。
尤も、資金力が莫大にあるのだからこそ大胆な動きが取れるわけだが……あの資金力だけは素直に羨ましいと思う。
――考えているよりも状況は早く動いていくかも知れない。
「それで、商会の催す宴会の方はどうなの?」
「あそこは紹介がなければ入れません。ですから調べる手間さえ惜しまなければ、誰が宴会に来るのかは確実に判るので御座います」
常日頃から付き合いのある友人や、商人、職人などが呼ばれるわけだ。
この手の民間で催される宴会においては、通りがかりの人間でも参加できたり、そこまででなくとも土産物を渡したりすることはよくある事であるらしい。だがメルサリス商会においてはそうではないようである。
「それは宴会としては珍しいことなの?」
「さほど珍しいとは申せません。私が聞いた話によると昔は通りがかりでも、誰でも参加できたようで御座いますが、何でも宴会料理が素晴らしいという噂が広まりすぎた結果だとか」
ああそれは凄く判る。ルキアは納得した。食い物が旨いというのは致命的だ。それでは集まる人が許容範囲を超えてしまうだろう。
「それで参加者制限をすることになったわけね?」
「そういう話で御座います。事実かどうかはまだ確めておりませんが」
それは今回の宴会に参加すれば判ることだろう。
しかしそういう事になると、参加者はみな顔見知りの人間ということになる。
ファナウス・メルサリスは準貴族であるし、ルキアの知らない貴族の友人知人が居ても怪訝しくはない。問題の一部としてそのことも考慮しなくてはならない。
「ですから飛び入りで宴会に参加することはできないわけで御座います」
ただ、宴会自体は平民の水準で催されるものだ。
そこに貴族が呼ばれることは稀であろうし、何より本来ならば平民の宴会に貴族が参加することはない。
本来ならば、だが。
「本来ならばね?」
思考を追うように発したルキアの言葉に男は苦笑した。
「ええ。本来ならば。今回は何としても参加したいお歴々がおられますから……メルサリス商会の方でも無下にするわけにはいかんでしょうな」
婚活というものは大変だ。いや大変どころではない。真剣勝負だ。
女の人生はもちろん、貴族の場合は実家の命運が懸かってくる事も少なくない。
ルキアにとっても他人事ではないのだがそれは扠措き、商人にとっては貴族を無下に扱って良い事などまず一つもない。
ということはごり押しで参加者が増える事になるというわけだ。
「それでどういう連中が飛び入り参加しそうなのかは判るの?」
男は黙って懐から紙を取り出した。ルキアも黙って受け取り、さっと名簿に目を走らせる。記憶力には自信がある。その中の誰に会ったことがあるかを確認するのは造作もなかった。
「いかがで御座いますか?」
「素晴らしいわね」
何が素晴らしいのか。ルキアの発言は奇妙なものであったが、実はこれは口癖である。
男は何も聞いてこない。眉一つ動かさない。
ただし、代わりにメイファムが形のいい眉をぴくりと動かした。
いつも冷静沈着な様子だし、実際冷静な事が多いのだが、意外に内心の動きが顔に出てしまうところがある。
「お嬢さま……」
「ハルラナムは宴会に来るのね?」
不安げなメイファムの呟きには耳を貸さずにルキアは男に尋ねた。
「もちろんで御座います」
男の返答にルキアは薄く微笑んだ。穏やかな、それでいて冷たい笑みだった。
「……あの男には消えてもらう必要があるわね」
「別途料金が発生いたしますが」
さらりとした返答だが意味するところは不穏である。
そんな会話になってきたというのに男の様子には変化がない。
それはそうである。ルキアの雇った一族は密偵であるだけなく、護衛や暗殺も請け負う一族なのだ。
「お嬢さま」
怪しい空気に耐えかねたのかメイファムが少し強い声を出した。
「なあに?」
ルキアはメイファムに笑顔を向けた。今度はいつもの明るい笑顔である。
「……冗談というものにも限度がございます」
「あら冗談ではないわよ」
言いながらルキアは立ち上がって、後ろの棚から小さな硝子瓶を一つ取った。
黒蓮から抽出した薬である。黒蓮は特殊な薬草植物であり、ローゼンディア王国でもカサントス地方のファティファという町でしか産しない。
それから作られる薬は当然稀少なものになる。睡眠薬であるが、その稀少性もあって一般の薬屋にはあまり置いていない。不眠症に悩む貴族や富豪などが使う高級睡眠薬なのである。
それは黒蓮から得られる原液をかなり希釈することによって作られる。
それでも非常に強い薬であり、自殺や毒殺に使われることも多い。
西方のアラトナ教と違ってヴァリア教では自殺を禁じてはいない。
自殺は人間が持つ、最も偉大な権利の一つに数えられている。
『もしも汝の家が燃えているならば財宝を運び出すべし』
聖典にはそんな言葉がある。この場合「汝の家」とは自分の体や人生のことであり、財宝は精神とか魂を意味するとされている。
つまり過ごすに値しない人生だと自分で判断したのならば、終わりにしてしまうのも立派な選択であるという考え方だ。
他方アラトナ教では自殺を大罪として禁じている。自殺者の魂は救われずに永遠に苦しみ続けると説いている。
どちらが正しいのか。
それともどちらも正しいのか、どちらも間違っているのか。
それはともかく、ルキアの考えでは教えの根本の違いが原因で、こうした価値判断の違いが出て来たように思う。
ヴァリア教では人は人生を幸福に、幸せに過ごすために存在すると説く。
人生はそれを生きる人、本人のものであり、運命がそれを実現することを助けると説く。
だから自分が不幸であると考えるならばいつでも自殺して構わない。
アラトナ教では人の人生とは、神の栄光を讃え、その権威を高めるためにあると説く。
人間とは唯一絶対なる神が考えるところの、正義と調和を実現するべく地上に作り出された僕であり、奴隷なのだと説く。
だから人間には自由な意思も選択も認められない。
ただひたすらに神の御為に生き、その為だけに死ぬことが求められる。
そこでは当然、自由意思による自殺が許される余地は無いわけである。
レメンテム帝国では自殺者は重罪人である。
貴族が死んだ場合、通常は墓地に葬られるものだが、自殺者だと知れると受け入れを拒否されるという。ローゼンディアとは大違いである。
しかしそんな風に自殺が社会的に認められているローゼンディアであっても、やはり死に方には出来るだけ楽なものを、苦しみが少ないものを求める人が多い。
だから貴族や金持ちの自殺では黒蓮の睡眠薬がよく使われるのであるが、問題は他者に対する毒殺にこの睡眠薬を使った場合である。
ローゼンディアでは毒殺が発覚すれば、まず死刑は確実だが、それでも黒蓮の睡眠薬を使った毒殺は多いという。犠牲者が眠りながら死ぬために他の毒と違って殺人への抵抗感が弱くなるからだと言われている。
ちなみに原液は三滴で人を殺し、四滴で馬をも殺すと言われているほど強力だ。
ルキアが取り出したのはもちろん希釈したものである。
それでもとても高価な薬であるし、使いようによっては毒薬にもなるとなれば人の心証はあまり良くない薬になる。
「これを使いなさい。あの男が口にするものにこれを一滴垂らせば、それで朝まで目覚めることはないでしょう」
「かしこまりました」
男は薬を受け取って懐に収めた。
親友の無事到着を祝う宴会に参加できぬのは可哀相だが仕方ない。あの男はルキアの顔を知っている。来られては困るのだ。
「薬は返す必要はないわ。それをもって今回の仕事の代金とします。不服があるなら言いなさい」
「いえ、御座いません」
男は小さく首を振った。そうであろう。それだけ高価な薬なのだ。
しかも薬をそのまま渡してしまえば、ルキアの元に証拠は残らない。
これぞ金持ち貴族ならではのあくどい作戦であった。
「……よろしいのですか?」
男が立ち去ってからメイファムが尋ねた。
「ハルラナムには気の毒だけれど仕方ないわね」
「ゼルヴィス殿には……」
その言葉にルキアは笑みを浮かべた。
ふっと目の上に影が差すような笑い方である。
普段は決して見せない表情だがメイファムには問題ない。彼女は何度も見慣れているからだ。
問題があるとすれば、メイファムが見慣れるほどにこの表情を見せてきたルキアの人生設計の方であろう。
小さい頃祖母に「お前は音も無く笑うのだな」と言われてからは、本当に心を許した人の前以外では見せたことのない笑みなのだ。
「……そう。私は一度も会っていない」
ペルギュレイオン競技大会優勝者。
それだけでも尋常ではない名誉が手に入るというのに、しかも王国の上位貴族という名門の出となれば、英雄と言ってもいい存在である。
ルキアの立場からすれば、舞踏会なりなんなりで会っていない方が怪訝しいのだ。
ところがルキアは彼に会っていない。不思議と言うほかない。
「……お嬢さまはお忙しゅうございますから」
二人きりになったとはいえ、ここは『エルミラの店』である。メイファムはルキアのことをここでは「姫様」とは呼べないのだ。
確かにルキアは忙しい。そしてルキアの体は一つしかない。
王都の夜会で踊るのも大事な仕事ではあるが、領内の問題と向き合うことも大切だ。
そしてルキアの中では後者の方がどうしても優先されてしまう。
結果、田舍貴族となっている観は確かにある。そのことを蔭で揶揄する者がいるとも聞いている。
今は放置しているがいずれ対策しなければならない。育った陰口がどれほど厄介なものかは、ゼメレス貴族なら誰でも痛い程知っている事だからだ。
しかし、そうした一種の社交無精がここに来て面白い結果を生んだわけである。精霊の悪戯と言ってもいいかも知れない。
ゼルヴィス・アナクシスはルキア・ベルディアスの顔を知らないのだ。
つまり会っても判らない。
さっきの男が来る前に、エルミラの店には小さな来客があった。
スィサである。
「あの……よろしければ旦那様のお祝いに来てくれませんか?」
きっとアイオナか誰かに言われたのであろう。あなたのお友達か誰か、呼べる人がいるなら是非ご招待しなさいと。
嬉しい誤算である。小さな使用人に対するアイオナの優しい心配りに幸いあれ。噂通りの出来た跡取りではないか。
そこに来て先の密偵から受け取った飛び入り参加者の名簿である。それにはやはり面会したことがある者は一人もいなかったのだ。
ルキアは一度ディブロスの執政館を訪れているのだから、名簿の中の一人二人位は会っていても怪訝しくはないのだが、一人も会ってない。
神がルキアのために機会を作ったとしか思えなかった。
自分でも都合のいい思い込みだとは思う。
というか何というか……微妙な考え方ではある。
ルキアとしてもこうした考え方が貴族的な信仰であり、問題の解決よりもむしろ発生に寄与する方が多いものなのだという事は重々承知している。
それでもやはりそう考えてしまう。どのみち機会を作るためにはどうすれば良いのかとあれこれ思案していたところなのだ。
神がルキアにそれを投げ与えるのならば受け取ればいい。
つまり、行動すべきなのだ。
「素晴らしいわね」
笑みを含んだ独り言を呟くルキアであった。
そんな楽しげな様子を見て、メイファムはまた不安げに眉を動かした。
「どうしたの? 何か不安でもあるの?」
「お嬢さまがそのお言葉を口にされるときは大抵、厄介なことが起きるものですから……」
「いつも苦労を掛けるわね」
「ではお考え直しいただけますか?」
「何を?」
「メルサリス商会の宴会に参加なさることです」
「私たちが参加することが、それほど問題視されることかしら?」
「一度に多くの人の目に留まるのは避けた方がよろしいかと思いますが」
それはそうなのだ。市中で商売を営んでいる事といい、他の王国貴族、特に同族の貴族達に知れたら必ず攻撃材料として利用されるだろう。
「そうね。確かにそうかも知れないわね」
ルキアはあっさりと認めた。
「けれどね。これは放置していたら大変な問題になるわよ」
ルキアがこのディブロスにまで出向いてきた本当の理由。
滅多に口には出せないほどの重大な事件。おそらく今回の事件はゼメレス族の歴史に記録されるものとなるだろう。
メイファムはルキアから前もってこの事件が大きな問題になり得る可能性を聞かされている。
その解決のためにはルキア自身が積極的に関与する必要がある事も理解している。
しかし理解はしていてもやはりベルディアス家に、何よりもルキアの身に損害が及ぶのは認められない。全力で避けたい事柄なのである。
「大丈夫。配慮するわよ」
ルキアは笑って肩を竦めた。
「あなたも居てくれることだし。ほとんどの参加者は商会の人達でしょう。飛び込みの人達のお目当てはゼルヴィス殿でしょうしね」
メイファムは軽く息を吐いた。まだ乗り気になれない様子であった。
「……準備いたします」
「いつもありがとう」
こういう時、細かい指示はルキアは与えない。メイファムに任せてしまう。
特に何かの実験というわけでもない。宴会に二人で参加しようというだけなのだ。
特別な用意は必要ないだろう。
そう思っているとメイファムが振り返った。
「何かお持ちになりますか?」
それは考えていなかった。しかし宴会に参加するのだから何か持って行っても不思議ではないだろうし、面白いかも知れない。
「何か手土産くらいあるといいかも知れないわね」
この一言が不用意なものだったとルキアが気付かされるのは、宴会に参加してからになる。無論、この時点ではルキアはそんな事はつゆ考えていない。
――さてどうやって出会いを演出しようかしら……。
ルキアは思案し始めた。




