第八章・一
剣術の修行はとても面白かった。イシュタトは我を忘れて剣の稽古に励んだ。
教室での学問も面白かった。文字を憶え直し、読み方を習い、古代から伝わるという数々の教えや物語を知った。
中には朧に聞いたような記憶のあるものもあったが、ほとんどは新たな知識であり、物語だった。
アウラシールにあっては、歴史とは強烈に物語なのである。
理由はその記述方式にある。アウラシールでは歴史の記述方式が二つあるのだ。
一つは時系列に沿って物事を記録していくもの、つまりは一般に言われる正史の記述方式であり、これを編年体という。
もう一つは歴史上の人物や事績について集中し、時間軸よりも人物や、何が起こったか、どうしてそれが起こったのかなどを事件単位で纏めていく記述方式である。これを紀伝体という。
だがアウラシールを除く諸外国では、紀伝体は正史の記述方式とは見做されない。
それらは史家の個人的な研究結果として著されることはあるが、正史とは認められないのだ。
理由は明白で、人物単位で歴史を書いていくと内容が物語的になってしまい、史書としての重厚さが損われるからである。
どの国でも正史というものには権威が求められるのだ。
物語や芝居の脚本のようでは困るのである。
それに人物単位で歴史を記述していたら、時間軸の順序が乱れる場合も起こってくる。
歴史とは過去から現在へと整然と流れる川の流れのようなものであり、その流れが行ったり来たりするようでは困るというのがその言い分だ。
要するに諸外国では歴史というものは時間という観点からのみ記述されるべきものであって、紀伝体など以ての外、それは芝居や物語でやれということなのだ。
ところがアウラシールではこれは通用しない。
むしろ紀伝体方式の歴史書の方が一般的なのである。もちろん事実を時系列に沿って淡々と述べていく編年体の歴史書もある。そしてこの両者が合わさって正史を形作るのである。
しかし編年体方式の方は史官とか神官のための歴史であって、それ以外の人々に読まれることは余りない。
他方、紀伝体方式の歴史書は、歴史上の人物やその事績について、まるで物語のように記述している。これが人気がある。
どの都市でも王宮や神殿には両方の記述体で書かれた正史が保管されているが、文字を読める者が読む方はと言えば圧倒的に紀伝体の方なのだ。
それは編年体のものに比べ遥かに広く読まれている。これは考えるまでもなく当然のことで、つまりは面白いからである。
そして文字を読めない者にも面白い話というものは伝わっていく。
無論、伝わる過程で話に色々な変化が現れたりはするのであるが、アウラシールでは基本文献としての紀伝体史書が厳然と存在するので、それらの逸脱も又元の形へと収束していくことになる。
そうして紀伝体形式の歴史が、物語が、原本そのままの形で人々の間へ浸透していくのだ。
そこでは誰が何をしたか、どういう人物であったか、どのように生きたのか、という事が濃厚に現れてくる。
歴史上の人物が、物語の人物として立ち現れてくるのだと言ってもいい。
例えばリムリクの稲妻と讃えられる英雄ザフィスメル。
アウラシール語での正式な本名は、ザフィース・アスメル・アトゥール・ナブ・マーディム・ナブ・ムンザル・アヌン=ヴィヤンダリ。
ザフィスメルは口語短形で、正しくはザフィース・アスメル。
ザフィースは動詞ザフルの形容詞化したもので、膝を着くが原義。そこから祈るという意味が生じた。アスメルは獅子を意味する。
則ち『跪拝する獅子』という意味の尊称である。
通常、尊称は名前のどこの位置にでも入れる事ができる。一般には本名に続いて冠詞付きで入る事が多い。
しかし彼の場合、本名のアトゥール・ナブ・マーディムよりも遥かにザフィスメルという尊称において知られているので、普通はそのように、先ず第一にそう呼ばれるのだ。
ザフィスメルは今から数百年前、戦乱打ち続く時代のリムリクに彗星のごとく現れた。
英雄、名君と言えば先ず第一に名前が挙がるほどの人物だが、どこで生まれ、どのように死んだのか?
如何にしてレメンテム帝国の侵略と戦い、如何にして都市ベルガトをローゼンディアから取り戻したのか?
ザナカンダにある彼の墓には常に参詣者が絶えず、墓所はいつも花で飾られているという。
何故それほどまでに人々に深く愛され、尊敬されているのか?
紀伝体で書かれたザフィスメル伝を読めば、それが判るのである。
実際イシュタトもザフィスメル伝を読んで感動した。彼が英雄であり、人々の崇敬を集めるのは当然だと思えるようになった。
ザフィスメルが死んだ時、初めて人々は彼がほとんど財産と呼べるものを持たなかったことを知った。
あれほどの英雄が、ごく僅かな銀貨と銅貨しか持っていなかったのだ。
その事に人々は驚き、涙を流したと書かれている。
城を築き、都市を整備し、一つの王朝を開いたほどの人物でありながら、彼は何一つ私物化はしなかった。それらは全て、広くリムリクの人々のためにあったのだ。
こうした物語形式の偉人伝は、なまじの教典などよりもよほど教育効果が高い。教化能力があるのだ。
古代より伝わる教典や、法学大系、学芸書には身の修め方、法の知識、神と自己についての深遠な考察などが記録されているが、それらは専門の神官など以外にはあまりに高尚に過ぎるのである。一般的ではないとも言える。
一般の民衆にとっては、紀伝体の英雄伝こそ先ず第一の教科書なのである。
そしてそういった伝統のためか、アウラシールの人々は歴史に物語性を、美学を求める傾向がある。
巨大な業績を残したからといって必ずしも歴史の上で評価されるとは限らない。
評価の基準となるのは業績よりもむしろ如何に生きたか、如何にして死んだかという点である。
紀伝体の歴史書に登場するのは、王や神官だけではない。
武人は将軍などの貴族階級だけでなく一介の兵士まで含まれるし、王宮に使える官吏や学者、それどころか使命半ばで果てた暗殺者や、市井の商人、奴隷さえもが登場人物として現れるのだ。
王侯が必ずしも優遇されて登場するというわけではないのである。
領土を守り、法を定め、安定した政権を築いたとしても、歴史書の上では余り顧みられることのない王など、枚挙にいとまが無い。
重要なのは、そこに人の心を動かす物語があるかどうかなのだ。
そこでは世間的な業績ではなく、人間味のようなものが重要となる。
例えば数奇な運命を辿った官吏の兄弟、復讎に己れの全てを傾けた武将、武芸を極めた盲目の王女、老母に孝養を尽くした結果国を救った男、王の霊夢に現れたという絶世の美女、狂人の振りをし続けた王子、極悪非道の君主、そういった者達が記録される。
生き生きと、さながら物語のように記述されるのだ。
幸不幸、成そうとした物事の正否は問題にはならない。重要なのは人間味である。
要するに個性の強さや個人的なこだわり、極悪非道さや、その逆である志の高さを持っている必要があるのだ。
しかしこれはアウラシールという地域の事情を考えると、自然な事であるのかも知れない。
何と言ってもその歴史は一万五千年に及ぶ。その圧倒的とも言える時の流れの前では、人間どころか、王朝の寿命さえ、吹けば飛ぶようなものでしかない。
広大な領土を獲得し、栄華を極めても、精々保って二百年である。
何もかも砂塵の中に消えてしまうような土地なのだ。
だが人の心は遺る。
たとえ失敗したとしても、志を持った人間が描いて見せた夢は遺る。
英雄ザフィスメルはその生涯の大部分をレメンテム帝国との戦いに捧げた。
狂気の一神教徒たちによる侵略に立ち向かったのだ。
レメンテム帝国の数度に亘る大遠征によって、当時リムリク地方は破壊と略奪の限りを受けていた。
惨憺たる有り様だったという。
そしてそのような状況の中でも、リムリク諸都市の王達はお互いの足を引っ張り合い、潰し合っていたのだ。
中にはレメンテムと同盟を組んで他の王を攻めた者さえある。
彼らにとって『世界』とは、自分たちの王宮と庭園に限られていたのだ。
王城を守る壁の周囲は孤児や浮浪者に囲まれ、餓死者が大量に発生していたが、王侯達は気にも留めなかったという。
豊かな楽園で暮らす彼らにとって、その外で戦乱に喘ぐ人々のことなど埒外であり、想像すらしたことはなかったのである。
当時の王達は食後に楽しむ『王の遊戲』のように世の中を眺めていた。
現実をまったく顧みず、古代から連綿と続く政争と計略、時に大きな規模にもなるが、ほとんどが小競り合いで終わる戦争……そうした「お互いの都市を奪い合うという遊び」に興じていたのだ。
結果リムリク海浜の都市や村々は全て消滅し、枢要な街道筋でさえ屍体が転がっている状態であったという。
盗賊が横行し、疫病が流行り、怪しげな呪い師や宗教が次々に現れていたという。
史書にはザフィスメルも又、その戦乱の犠牲となった者だったと書かれている。
一介の兵士の家に生まれたザフィスメルは、故郷も、家族も、全てがレメンテムによって奪われたという。全てが彼の目の前で炎の中に消えていったのだと。
英雄伝はその事実をまるで物語のように記述している。
この体験が彼をして、常に虐げられる側、奪われる側に立たせることになったというのだ。
彼には奪われ、殺されていく人々の怒りや悲しみが、まるで己のことのように、まさしく痛いように理解できたのだと書かれている。
真実は無論わからない。あくまでそう書かれているというだけである。
ただし彼は常に味方を助ける方向で、人々を救う方向で行動した。
時にはそれが災いを招くこともあったが、ザフィスメルは決してその考え方を棄てなかった。
「死ぬ人間が多すぎる」
彼はよくそう言ったという。
「死ななくてもよい者達が死んでいく」
そうも言ったという。
あの時代、敗戦続くリムリク諸都市の軍中に在って、ザフィスメルの軍隊だけが奇跡のように勝ち続けていたという。
一体いつになれば平和が来るのか。そのように問われたとき、ザフィスメルはこう答えたと記されている。
「王侯が富を愛さず、武将が死を恐れず、誰もが平和を願うことだ。信じるのだ。いつかはきっと良くなると」
そして彼はこの言葉通りに生きて、死んだ。
その言葉通り富貴を愛さず、その言葉通りに勇猛だった。英明にして公正であり、高い正義の心を持っていた。
「父祖の土地を守れ」
「妻子を守れ」
「己の魂を守れ」
「己が命を守れ。愛する者の悲しみを思え。無駄に死んではならぬ。お前が一日生きる事は、お前の敵にとって一日の恐怖となる」
「明日を守れ。己が軍列の隣にそれがある。団結こそが最大の力なのだ」
「苦しいときは故郷の野山を思え。そこで家畜を追っていた自分を思え。穏やかに満ち足りた日々のことを思え。そこがお前の魂の在処なのだ。決して、侵略者に屈してはならぬ」
「言葉は神に返る。呪いは己に返る。邪悪な生き方に救いは無い」
「顔を、上げるのだ。胸を張るのだ。何も恥じることなどない」
そして口癖のように言い続けたという。
「全てはきっと良くなる。いつかは全てがきっと良くなる」
史書は英雄ザフィスメルの言葉を、行跡を数多く記している。おそらくは手に入る限りのものを集めて記述されているのだろう。
だがそれほどの英雄でも、安定した王朝を築きあげることは出来なかった。
ザフィスメルの死後、リムリクは再び動乱の渦に呑み込まれていくことになったのだ。
それでもアウラシールの史家達からは、古代の大王グザルハビヌなどと並び、第一級の英雄として最高の評価を捧げられている。
その理由は明白である。ザフィスメルは史書に記述されるべき英雄としての条件を、悉く満たしているからだ。
強大な王朝を開くことは出来なかったが、彼が夢見たもの、その志は歴史書に記録された。
そして光芒を放つのだ。その輝きは今も人々を感動させ続けているし、この先千年の時を超えて尚、人々の心を震るわせることになるかも知れない。
それがアウラシールの歴史観であり、美学なのである。
ゆえにアウラシールの王侯は、史書にどのように自分が記述されるかということを気にする者が多い。
汚名を被れば、それは千年を超えて遺ることになるし、逆に尊崇を集めれば、やはり千年を超えて人々に讃えられ、愛されることになるからだ。
そのため小知恵の利いた王侯には、自分に都合の良い内容だけを書かせるために、お抱えの史官を持つ者もある。
しかしそうした努力もまた無駄な事に終わると相場が決まっている。
アウラシールでは、歴史において嘘は遺らない。今まで遺った例しがない。
己の都市の人民だけならば、嘘の記述で押さえ込めるかも知れない。
しかし宏大なアウラシール全土の人々を、長く騙し続ける事など誰にも出来ないのだ。
何よりも史官達は優秀である。そして多くの者が高い職務意識を持っている。
実際歴史書の中には、王命によって記述内容を変更せよと命じられた史官一家の話がある。その家では父も、息子達も皆史官であった。
王命を拒むたびに初めに父が、そして兄たちが殺されていったが、最後に残った末弟はそれでも筆を枉げることを良しとしなかった。最後には王の方が諦めたという。
史官達には真実以外は記述すべきではないという強固な信念があるのだ。
その姿勢の上に、異伝誤伝、何から何まで全て注釈付きで収録されるので、後世の者が容易に真偽を判定できるのである。
アウラシールの歴史は物語である。その中には知恵や道徳、処世術など多くの内容が含まれている。
だから学問と言えばアウラシールではまず歴史、次が神学法学ということになる。
それほど重要な歴史学ではあるが、無論教室での学問が紀伝体の英雄伝だけで終わるわけではない。
構文はもちろん詩学や韻律学、数学、そしてアウラシール得意の天文学などまで幅広い学問が講義された。
浴びるほどに。
浴びるほどにあらゆる知識と技芸がイシュタトには示された。どれを、どれだけでも、好きなだけ学ぶことが許された。
全てザハトの計らいである。あの日以来、イシュタトにとってザハトは神であった。
摂政の職にあるザハトは、とても忙しそうだったが、それでも時間を見付けるとイシュタトの様子を見に来てくれた。目を掛けられていると思った。教室には他の生徒たちもいた。
ほとんどの者が、イシュタトよりも遥かに年下である。
イシュタトの歳になって、新たに基本から読み書きを学ぶということは珍しいのだ。
このくらいの歳になると皆、生業を持っているか、下っ端の書記や神官などとして働き始めているのが普通である。
奴隷として売られるまでは、イシュタトもこうした教室で読み書き学問を学んでいたのだ。
失った時間を取り戻すようにイシュタトは勉学に励んだ。
教室にいる者達はイシュタトが特別扱いされていることを恐れ、近寄ってこようとはしなかった。
イシュタト自身は、元奴隷ということで侮辱されるのではないかと思っていたが、そうではなく、他の生徒たちはイシュタトに関わろうとしなかったのだ。
それはザハトが行なっている治政に原因があったのだが、イシュタトはそれを知らない。
だがそもそもそんな事は気にはならなかった。
教室は学問をしに行くところであり、それ以外の事は興味がない。イシュタトはそう思っていた。
そして学問が終われば剣が待っている。
剣。
それがこれほどに面白く、魅力的なものであるとはイシュタトも想像すらしていなかった。
剣の師にはザハトが引き合わせてくれた。
達人だという。
あのアンケヌでの政変、王位簒奪事件の際に、迫り来る敵の戦士達を鬼神の如く斬りまくり、孫と一緒に脱出したのだと聞かされた。
「……記録によればシュガヌ師お一人のために五十九人が斃されたそうだ。その全員が即死。みな一太刀で斃されていたという」
ザハトの説明は落ち着いたものであったが、秘められた驚嘆と敬意が感じられた。
一撃で人を斬り殺すのは難しい。それにはかなりの技量が必要なのだと教えられた。
しかも相手は武装した戦士である。加えて不意打ちでもあったという。
不意を打たれ、それでも孫を守りつつ、ヤンギル族の包囲を斬り破った。
五十九人もの戦士を、いずれもただ一太刀で斬り伏せたのだ。
尋常では無いのだという。
一体どれほどの人物なのか。
畏れにも似た緊張を抱いて対面したのは、マグヌハヌ・シュガヌという名の、杖を突いた老人だった。
ラド・バナアル・マグヌハヌ・クム=シュガヌ・ナブ・ワラディク・アヌン=エレビエリ。
シュガヌは尊称であるから、マグヌハヌ・ラド・バナアルが本名であろう。
体格も普通であり、筋骨隆々というわけでもない。
はっきり言って全然凄そうに見えない。粗衣を纏い、むしろ貧相にすら見えた。
本当に剣の達人なのかと思った。
しかし、ザハトが言うのだ。間違いがあるわけは無いとイシュタトは信じた。
「お前がイシュタトか」
見かけの割にはっきりした声と喋り方である。
場所は王宮の一画、中庭の隅である。寂しい場所と言えたが、それが人目を避けるためであるというのは後になって知ったことだ。
「剣を学びたいか?」
妙なことを聞くと思った。
「はい。剣技を身に付けたいと思います」
「何故だ」
イシュタトは少し考えた。
「……強くなりたいからです」
「ほう……では聞くが強さとは何か?」
漠然とした質問だと思った。どう答えればいいのか。
そもそも何故こんな事を聞かれているのか。これが剣に関係あるのか。
イシュタトの心は迷いと混乱に波立ったが、その波の中心には重い塊のような何かがあるのも自覚できた。
「戦うためです」
自分でもよく解らなかったがそんな言葉が出た。そもそも答えになっていない。自分は強さとは何かと聞かれたのだ。
だがこの言葉が最も自分の本心を表していると思った。
それを聞いてシュガヌ師は、少し考えるように黙った。
「……剣を持つということは足下に死があるということだ。それは判るか?」
人を殺す武器を持つ者は、自らも殺される場合があるということだろうか。何となくその話は判る。
だがそんな事が問題になるだろうか? イシュタトは不思議に思った。
こちらが武器を持っていても、いなくても敵は襲ってくる。
敵は強盗かも知れないし、他の部族の戦士かも知れない。それはどうでもよい。
重要なのは、敵は最初からこちらを殺すつもりで襲ってくるのであって、こちらの事情は元より相手の勘定には入っていないという事だ。
仮にイシュタトが武器を持たず、戦いを放棄するような生き方を選んだとしよう。
敵は大喜びで殺しに来るだろう。何せ、反撃を受ける虞が無いのだから。
「黙って殺されるつもりはありません」
「そうか」
シュガヌ師はまた考える様子を見せた。
そして暫く経ってから口を開いた。
「……復讎は、動機としては強力だが危険でもある。お前は危うい。だが剣はお前に円やかさを齎らすかも知れん。儂はそう信じて教えることにする」
何を言われているのか解らない。だが取り敢えず頭を下げた。シュガヌ師は頷いた。
「明日から教えよう。教室の学問が終わったらここに来い」
その言葉通り、剣術の稽古が翌日から始まった。
「先ずはこいつを振ってみろ」
言われて渡されたのは棒である。取り敢えず思う通りに振ってみた。
何回か振っているとシュガヌ師が話しかけてきた。
「判った。剣を振る前にやることがあるようだ」
教えられたのは体の筋を伸ばす体操だった。それと食べ物についても幾つか指示が出された。
「食べ物に関しては、料理人の方に儂から伝えておこう」
「剣は教えて下さらないのですか?」
「教えるさ。だが暫くは体をほぐすことに注意を向けねばならん」
イシュタトが答えないでいるとシュガヌ師は微笑んだ。
「不服そうだな」
「そんなことはございません」
「案ずるな。その内憶えきれぬほどのことを日々抱えて稽古することになる」
シュガヌ師の指示に従ってイシュタトは体をほぐす体操とやらをやり続けた。数日で痛みや張りを感じるようになり、按摩士の世話になることになった。
この按摩士もシュガヌ師が手配したもので、実に見事な腕を持っていた。関節技を掛けられているようで、初めの頃はかなりの痛みを感じることもあったが、それを過ぎると急に体が楽になっていった。
ちなみに摂政ザハトやシュガヌ師自身もこの按摩士の世話になっているのだとイシュタトが知ったのは、大分後の事である。
どうしてこんな事をするのかとシュガヌ師に尋ねたところ、奴隷としての労働で付いた体の固さや、強ばりなどの癖をできるだけ取り除いてから稽古を始めたいのだという。
「とはいえザハトの奴によれば余り時間はないということだからな。体をほぐしつつ剣の鍛錬もやっていかねばならん」
シュガヌ師は摂政閣下、すなわちザハトのことを名前で呼び捨てにすることがある。
そのことにイシュタトは強い違和感というか、反感の混じった複雑な感情を抱いていたが、当のザハトが呼び捨てにされることを一向気にしていないようなのだ。
何でもザハト自身、シュガヌ師の弟子であったからという。
まさか自分ごときが文句を言うわけにもいかないので、その事についてイシュタトは何も言わなかったが、もやもやしたものが胸の中にはある。
「どのみち剣の修行は体の強ばりや癖を取り除く作業よ。それは一生続く」
「お師様もそうなのですか?」
イシュタトはシュガヌ師のことをお師様と呼ぶことにしていた。
「当たり前だ。これは一生続けられる途方もない遊びなのだ。日々考え、工夫をしていく余地がある。きっと生涯完成することはあるまいよ」
そう言って笑った。悪戯でもする子供のような笑い方だった。
体をほぐす体操を続けながら毎日剣を振った。
要求されたのは絶対的な支配力である。
剣に対する支配力。
剣の動きを、完全に自己の意識内に収めるという規律がそこにはあった。
ただしそれはイシュタトが思っていたような剣とは、それとは明らかに違った。
大男が雄叫びを上げて剣を振り回すようなものを想像していたのだ。
あるいは逞しい戦士が目にも止らぬ速さで剣風を起こす様を想像していたのだ。
シュガヌ師が指導する剣術は、そういうものとは明らかに違っていた。
地味で、静かで、注意深い稽古なのだ。
「見てくれの良さや迫力などはどうでも良い。大事なのは自らは決して傷付かず、しかも一撃で相手の死命を制することだ」
確かにそれは理想であろう。だがそのためにはやはり力強さや、剣の速さが必要ではないのか?
「力は必要だが力強さは不要だな。太刀行きの速さについても同様だ」
イシュタトの疑問にシュガヌ師はそう答えた。
多少ぼやけた感じではあったが、それは自分の意見と一致しているようにイシュタトには思われた。
ならば何故このような稽古を続けるのだろう?
「力と、本当の速さを身に付けるためだ。その為には何よりもまず柔らかくなければならん。柔らかく、軽く、速くだ。見かけの速さなぞどうでもよい。求めるべきは動きの速さだ」
「動きの速さ……?」
「そうだ。いくら剣を振るのが速くとも、動きの速さを身に付けた者には及ばん。本当の意味での速い動きには全く対抗できぬのだ。何が起きたかも判らぬ内に殺されてしまうだろう」
イシュタトには意味が判らなかった。
「納得できんようだな。だがすぐに判るだろう」
精妙な、極めて静かな稽古が続いた。要求されたのは脱力。そして意識で体を、剣を動かすこと。剣先にまで意識を届かせること。
体の筋の一つ一つにまで意識を送り、注意して動く。
正解となる剣の軌道はいつもただ一つで、それをなぞることが出来るまで延々と同じ動作を繰り返す。
その間決して力んではいけないのだ。
「体を常に中正に保て。肩の力みを抜け。力むな。力を支配せよ。力に振り回されるな」
繰り返しシュガヌ師はそう言った。
神経を使う稽古だった。そして体の奥深くまでが疲れる。
言うならば骨に貼り付いたような細かい、小さな筋の一つ一つにまで「意のままに動け」と指示を下す練習なのだ。疲労は重く、体の芯に粘るようにこびり付いた。
僅かでも理に外れたところがあるとすぐにシュガヌ師は立ち上がって直してくれた。
イシュタトの体に触れてその誤りを正し、それから自分で同じ動きをやって見せた。
必要なときは自らの体をイシュタトに触らせて、体のどこが動いているか、どう動いているかを確認させた。
手取り足取りというのはこういうことを言うのだろう。イシュタトにとっては初めての経験であった。
奴隷として使われていた時代、仕事は見て憶えるものだった。
誰もやり方を詳しく教えてくれなどはしない。たまに短い助言や指示が与えられることはあったが、正しいやり方など誰も教えてくれなかった。
正確には教えようとしないのではなく、教えられないのだ。
誰もが殴られたり怒鳴られたりしながら見て憶えているのである。自分自身の自得が全てなのだ。
無論底意地の悪い者は仕事を憶えるのを邪魔したり、嘘を教えてきたりしてきたが、それはまた別の話であって、そもそも教授という方法自体が奴隷の世界には存在しないのだ。
少なくともイシュタトの知っている、グヌグの屋敷ではそうだった。
仕事は見て盗めと言われた。だからイシュタトもそう思っていた。
シュガヌ師にそれを告げたところ、鼻先で笑われた。
「天才ならそれでもいいだろうよ。天才ならばな。それでも一流一派を興すことは出来るかも知れん。だがそんな方法では粗雑に過ぎるし、何より効率が悪い」
「効率が悪いというのはどういうことでしょうか?」
「口で教え、動きで示し、実際に剣を振らせて教えた方が早いということだな。だがまあ、ただ動きだけを示し、あとは見て憶えよというのもわからんではない。ある意味最高の教え方かも知れん。しかしそれでは千人に一人も育たんだろうな。少なくとも教授という看板を掲げられるような教え方ではない。人間を使い捨てにし、流派だけを残すためならそれでも良かろう。千人の門人を取り、その中の一人の天才がまた次の世代で同じ事を繰り返す、それで流儀は伝わる。そういう在り方もあるだろう。だが儂は好かぬ」
使い捨てられる側の立場に立て、というのがシュガヌ師の意見であった。
「そんなやり方でも、見てくれだけの剣士ならばいくらでも作れるだろうな。あくまで見かけだけだが。そんな指導では、おそらく一度の斬り合いでも無事に潜り抜ける者はほとんどおるまい。完全に個人生来の才能頼みだからのう」
「私の居た屋敷ではそれでもみな仕事を憶えておりましたが」
「確かにな。だが出来るとはそもそもどういう事か。またそれぞれの出来ているというのは、どういう事か。お前はそれを考えたことがあるか?」
またわけのわからない話になってきたとイシュタトは思った。
そもそもこれは剣の話なのか。それともイシュタトの奴隷仕事の話なのか。
「目で見て同じでも実は違うということはある。また、ある人から見て良いと思えたものが、別の人からはいかんということもある。イシュタトよ、我々のやっているのは剣だ。剣では僅かな違いが生死を分ける。取り敢えず恰好だけは一人前、では困るのだ。大事なのは中身だ」
「中身とは?」
「稽古によって正しく身に付いた実力のことだな」
「それはどうやって判るのでしょうか?」
「戦えば判る」
素っ気ない一言だったがイシュタトはぞくりとした。そこには確かに、実際に剣で生きてきた老人の凄みが含まれていると感じられたからだ。
「そもそもこうして戦うための技を学ぶということを考えて見るがよい。もともと、修行としての剣など弱者のものなのだ」
「古の達人、戦士達は弱かったと仰るのですか?」
「そうだ。弱い」
シュガヌ師は言い切った。
「お前も、儂もまた」
だから剣を鍛錬するのだと。強さを知るために。
強さを身に付けるために。
強くなるために。
「見て、憶えろか……」
シュガヌ師は溜息を吐いた。
「見ることは大事だ。看取りは何よりも大事だ。だが看取りが出来るのは既に天才だということだ。そして自分を天才だと思う事ほど愚かなことはない」
それはイシュタトにも理解できる。
「そもそも天才自身、往々にして自分を平凡だと思っとるもんだ。天才にしてからがそうであるのに、況んや自らにおいてをや」
いつも、言葉を交わせばこんな感じなのである。
イシュタトにはしばしば目の前の老人が何を言っているのか、何について話しているのかが判らなかった。
自分は剣を学んでいるはずなのだ。戦うための技を修練しているはずなのだ。
正直、不安があった。ザハトを信じてはいた。その判断を疑うなどイシュタトには思いも寄らない。
だが目の前の老人は本当に強いのだろうか。
その思いが打ち砕かれたのは、ゴーサの傭兵達によってだった。
ある日、ゴーサの傭兵達が稽古場にやって来た。
「剣匠様。何卒我らにもその類い稀なき剣技をご教授下されたく……」
そんな風に辞を低くして言ってきた。
イシュタトは内心驚いた。ゴーサの傭兵達は摂政であるザハトが個人的に契約している傭兵団である。
その実力は折紙付きであると噂されていたし、実際、イシュタトから見ても彼らは屈強な、いわば想念通りの一流の戦士たちであったのだ。
それがこうして頭を下げて教えを請うている。
「摂政閣下のお許しはあったのか?」
シュガヌ師はそう問うた。さすがに誰に対しても「ザハト」と呼び捨てにすることはない。状況は辨えているのである。そうであって欲しいとイシュタトも願っている。
「無論。許しは戴いております」
「そうか。ならばそこの棒を取るがよい」
シュガヌ師はぶっきらぼうに言い放った。
「ちょうどイシュタトの稽古相手が欲しいと思っておったところだ」
そう言ってイシュタトを手招きする。
「怪我をさせるなよ」
「心得ましてございます」
頷くと、ゴーサの傭兵はイシュタトに向かい合った。
「試合だ。イシュタト。お前もしたかったであろう?」
シュガヌ師は意地悪く笑んで、イシュタトに試合用の木の棒を握らせた。
目の前には同じようにゴーサの傭兵が、木の棒を持って立っていた。
素振りもやったし、簡単な約束稽古もやっていたが、試合は初めてである。
イシュタトは緊張した。だがこういう機会を待ち望んでもいたのだ。
ところがそのいきなりの試合は、何が起きたか判らない内に終わった。
開始と同時にイシュタトは剣を、剣と言っても木の棒だが――を叩き落とされたのだ。
目にも止まらぬ速さの、そして腕の骨まで痺れる重い一撃だった。
さすがはゴーサの傭兵と思って腕をさすっていると、シュガヌ師が木の棒を持って立った。
「よく、見ておけ」
今度はシュガヌ師が立ち合うのだ。引き続き木の棒を持ったゴーサの傭兵と向き合う。
イシュタトは言われた通り注意して試合を見つめた。
シュガヌ師はただ突っ立っているだけに見えた。
突っ立つという表現がこれほど似合うのも珍しいと思える程に、シュガヌ師は突っ立っていた。
とても速く動けるようには見えない。
とても戦えるようには見えない。
だが何故だろう。イシュタトの胸は震えた。
――どう動くのか判らない。
そういう感じなのだ。全く動けぬようにも見えるし、どのようにでも動けるようにも見える。
――底が知れない。
そう思った。
それを見たゴーサの傭兵も剣を構えたまま動かない。
さすがは名の高いゴーサの戦士であると言うべきか。雰囲気を感じ取ったのかも知れない。すぐには動かなかった。
暫くシュガヌ師と向き合っていた。
やがてじりじりと機会を測るように摺り足で近づいて、一気に打ち込んできた。体全体で飛び込むような打ち込みである。
同時にシュガヌ師が動いた。イシュタトには二人の身体がぶつかったように見えた。
しかしゴーサの傭兵が地に投げ出されるように転がり、シュガヌ師の手には、相手の木の棒があった。
一瞬の内にゴーサの傭兵の手から奪ったのだ。
「遅い」
シュガヌ師は立ち上がってくる相手にそう声を掛け、それからイシュタトを振り返った。
それは力みも何も無い、何でも無いような様子だった。
とても試合をした直後の態度ではないのだ。
「わかったか?」
ぶっきらぼうにそう聞いてきた。
わかるわけが無い。何が起きたのか、どうしてこんな結果になるのか。イシュタトにはまるで理解できなかった。
だが身体が顫えた。やはりザハトは正しかったのだ。
マグヌハヌ・シュガヌという老人は、紛れもなく剣の達人だったのだ。




