第七章・三
ディブロスの執政館はかなり宏大なもので、立派だが、よく見るとどことなく纏まりの無い印象を抱かせる外観をしている。
これは海神の末裔三海将家が共通で使うことからくる必然であった。
つまりそれぞれの家の好みや特色が反映され、追加され、増築されたりした結果なのである。
一応三海将家は、それぞれがディブロス市内に独自の館を持ってはいる。
しかしそもそもが海将家がディブロスに来るというのは、執政職としてという場合が多い。
無論一時的な逗留の場合もある。彼らは海の民なのだ。
それでも海将家がディブロスに入ったとなれば、執政として入ったと見るのが普通である。
海将家とは海神の末裔グライアス氏族において、海王宗家に次ぐ格式を持つ家柄であり、他氏族で言えばヘカリオス、ゼメレス両氏族での鉄弓家などに該当する。
つまり彼らの上にはもう氏族宗家しかないわけで、名門中の名門、月並みな言い方ならば大貴族だと言える。
海将家もやはり海王グライアス家から直接に分かれた血筋であり、ミスタリア海に連なる三つの海をそれぞれに支配している。
則ち現在ではアナクシス家はエリュオーン海を、ベルギルス家はゼレーア海を、フィロディアス家はグラマナ海を支配域としている。
この支配は交代制であり、家ごとに支配する海域が定まっているわけではない。
各海将家は数十年ごとに支配海域を移動する。これは聖賢リュベイオーンが定めたと伝えられるが、はっきりとした証拠が残っているわけではない。ただそうだと言い伝えられているのみである。
リュベイオーンが何を考えてこの方式を定めたのかも判っていない。だがグライアス氏族は今に到るまで忠実にその定めを守っている。
そして海王宗家グライアス家はと言えば、当然、それら三海将家全ての上に立つことになる。
グライアス氏族がこの三つの海を支配することにより、ローゼンディア王国は大きな恩恵を被ってきた。
ただ、支配しているとは言っても、かつては盤石というわけでもなかった。
ベルガイアの戦いの例がある。そこが海と陸との違いとも言えた。
レメンテムの名将グリュッカーは見事にエリュオーン海を渡って見せたのだ。
この時の教訓からグライアス氏族は更に海上への支配を強め、今ではこの三つの海は完全に内海化していると言っていい。
つまり海上からローゼンディアを攻める場合、南からしか攻め上がることは出来ないわけである。
宿敵、西の大国レメンテムにとっては、これは物凄く都合が悪いことになる。
何故ならば陸路以外の方法ではローゼンディアに攻め込めなくなるからだ。
グライアス宗家は海王家、海王宗家とも呼ばれる。波の王とも呼ばれる。
海神ゼーフルから直系で神の血を引くというその権威は、ミスタリア海世界においては至高のものであり、ローゼンディア以外でも最大級の敬意を持って扱われる。
海神ゼーフルとはミスタリア海の神である。
ミスタリア海はゼーフルの海であり、その神話、伝承はローゼンディア王国だけに留まらず、広くミスタリア海周辺諸国に伝わっているのだ。
そのため、グライアス氏族にとってミスタリア海は特別な意味を持つ。
彼らにとってそこは、祖神そのものとも言え、海に出ることはその懐に抱かれるようなものだからだ。
しかし、だからといってミスタリア海を私物化できるわけではない。
ミスタリア海はあまりにも広い。そこにはいくつもの国や、それに類する集団が面しているし、それらは各々自由に海に出て来るし、それを全て支配することなど到底できぬからだ。
だから如何に海王宗家、グライアス家であっても、声高にミスタリア海を我がものであるなどとは言わない。
実質的には周辺世界で最高の海上支配力を持っていてもだ。
それに、それは不敬でもある。
何となれば、ミスタリア海を支配しているのは彼らの祖神ゼーフル、黒髪靡く、大地を支える大いなる神であるからだ。
海に生きるグライアス氏族は陸の支配にほとんど興味を示さない。領地も欲さない。
陸上に有する土地と言えば、拠点となる都市だけであり、それだけを聞くと、貧しい氏族のように感じるかも知れない。
だが実態は逆である。特に財力においては、グライアス氏族は王家を凌ぐほどの絶大な力を持っているのだ。
何故なら拠点となる都市とそれを結ぶ航路を握り、海上の交通を支配することは、直接に巨額の利益に繋がるからである。商売を支配することに等しいからである。
その意味でグライアス氏族とは商売の民なのだ。
ただ彼らは海を支配してはいるが、陸上のそれと同じようには考えていない。
海は陸のように線を引いたり、区画を切って支配できるものではないのだ。
それに海は陸と違って様々な貌を見せる。凪いでいたかと思えば荒れることもある。風があり、潮の流れがある。
陸とは違って、確かなものだと、堅固なものだと人が頼れるものがないのだ。
いや、一つだけはっきりしたもの、そしてある程度はしっかりしたものがあるにはある。
船の底板だ。しかし、その下は海である。底知れぬ海である。
これらの事実がグライアス氏族に特有の精神性や価値観を齎らしているが、不思議なことにそれは砂漠の民のものに似ているともいう。
砂漠とは、ただ四方見渡す限り拡がる岩と砂の大地である。そこにはどこか海に似たところがあるのかも知れない。
砂漠の民の多くは、その生涯を砂漠の中で過ごしている事だろう。おそらく海になど行ったこともないか、目にしたことさえない者が多いのではないか。
そして逆に、生活のほとんどを海上に生きるグライアス氏族も又、砂漠というものを知る事はないのだ。
多くの者が、砂漠を目にすることも無くその生涯を終える。
イェラオス・ニフティス・アナクシスもまたその一人である。
彼は生まれてから一度も砂漠を目にしたことは無い。その必要を感じたことも無い。
今までの生涯の内、大部分を海の上で過ごしてきた。むしろその身が陸にある時間の方が短いのだ。
そしていつの日かその魂は海の彼方へと帰る。彼はそう信じている。
グライアス氏族は他の氏族のように死後の世界を、つまり冥界を地下界としては捉えていない。
人の魂は海の彼方、海と陸との間の世界より生まれ、またそこに帰っていく。そう考えているのだ。
とは言っても彼らもまたヴァリア教徒であるから、死後の魂の行先は地獄か冥界であると信じてはいる。
しかし通常地下界として想像される冥界が、グライアス氏族にあってはそうではないのだ。
海神の末裔にとって、冥界とは海の涯に存在する世界なのである。
名門アナクシス海将家に生まれたイェラオスは、当然そう信じていたし、同じように次のことも信じていた。
つまり死後の世界には魂以外、何も持っていくことは出来ないということだ。
この世の財物、数々の特権、そうしたものは何も持っていくことはできない。
「生まれ、この世界に来たる時、あなた方は何も持たずにやって来た。だから去る時もやはり、何も持たずに帰るのだ」
聖賢リュベイオーンはそう記している。正しいと思う。この世の権勢は生ある間だけのこと。芝居の台詞ではないが人生は夢、世界は劇場なのだ。
しかしだからといって、人間、無欲になれるわけではない。
人は人の間で、この世で生きて行く。そしてグライアス氏族はいつ死ぬか判らない海の上で生きている。
これらの生活状況と信仰とが相まって、グライアス氏族には独特な文化、言うなれば人生観というか、処世術が発達した。
どうせ死後は魂だけになるのである。
だったら生きている時の気持ちや気分の方を大事にしようとでも言うのか、ある意味内面的な充実を重視するようになったのである。
面白いことにこの人生観は、商売を中心とする彼らの生活にあって、決定的に有利に働いた。
例えば彼らは、ある物品についての所有権と管理権と受託権を別々に扱えるし、しかもその権利に関する優先順位なども厳密に取り決めることができる。
曖昧さを残さず、自分と相手の内面的な状況がうまく噛み合う場所を徹底的に模索するからだ。
自分と相手の満足度を深く考察し続けた結果、何かの物品や財産を単純に所有するというだけでは飽き足らなくなったのか、それともそういうことを重視しなくなったのか。
いずれにせよ、持ってるだけで満足とか、安全だとかいう楽観性はなくなってしまったのだろう。
結果、物事に対する権利のあり方や、契約の仕組みの方を複雑に精確に発達させることになったのである。
言ってしまえばグライアス氏族の文化とは、相手と自分の内面に対する洞察や共感を中心にしているのだ。
ただし、そこに甘えは無い。甘えれば死ぬ。海の上では確実に。
イェラオスも当然そうした文化の中で育まれてきたのであって、そうしたものの考え方をするし、価値観を持っている。
それだけに、たった今ファナウス・メルサリスが持ち込んだ話は赦しがたいものであった。
王国の大貴族であり、現役の当主、海将である彼にとって、感情を露わにすることは恥ずべき事である。だから怒りを必死に抑えようとした。しかしそれでも握りしめた手が震えた。
イェラオスは癖のある長い黒髪と、同じく黒い目をしていた。
顔立ちには貴族然とした威厳のようなものが漂っており、長く海の上に在ったためにその肌は見事に日焼けしている。
体格は普通であり、とくに筋骨隆々というわけではないが、内に秘めた逞しさが感じられた。
その衣服はゆったりとしたローゼンディア式のものであり、美しい肩掛けを身に付けていた。
肩掛けは無地だが、高価な染料を用いた素晴らしいものであり、イェラオスお気に入りの品であった。
だが、おそらく今立ち去った来客はそんなことには気付かなかったであろう。怒りの中でイェラオスはそう思っていた。
応接用の部屋である。接見室と言ってもいい。
友人であり、親族であるフィロディアス侯爵から借りた部屋である。
彼なりの特別な理由と目的とがあり、執政職としての任期中ではないにも関わらず、こうして執政館の一角を借りているのだ。それは自分のアナクシス館にまだ人目を集めたくないという理由からであった。
部屋は広すぎず狭すぎず、程良い大きさであり、天井のみがやや高めに作られていた。
庭に面した一面の窓は全てが硝子である。
それも骨組みを極力細く、目立たぬように作り、その間に薄く透明度の高い硝子を嵌め込んであるのだ。贅沢な作りであった。
今の時間、明るい日射しが降り注ぐように室内に入ってきており、光に満ちた空間を生み出している。
室内には応接用の大きな横椅子と、イビドシュ杉の巨大な卓が置かれ、その他室内の家具、装飾いずれを見ても見事なものばかりである。
さっと室内全体を見た場合、いささか華美にも感じられるかも知れないが、悪趣味というほどではない。
そこら辺の抑制もまた絶妙であり、つまりは富裕な大貴族ならば通常備わっているであろう常識観のようなものが、そうした室内の装飾や家具などの配置から見て取れた。
窓から離れた壁際には、特別に用意させた酒を載せた移動式の卓もある。
ファナウスのために用意させたものだが、今の今までその存在すら忘れていたものだ。
入り口の扉が開いて彼の息子が入って来た。
正しくは戻って来たというべきだろう。
今の今までこの部屋に居たファナウス・メルサリスを送って来たのだ。
「礼儀の行き届いたことだな。ゼルヴィス」
皮肉を籠めて息子に声を掛けた。言ってしまってから少し後悔した。言うべきでない事だったと思った。
年甲斐も無いと自覚したのだ。だが仕方のないことでもある。通常、イェラオスの神経を逆なでするような事態などまず起こらないからだ。
ローゼンディア王国の大貴族であり、しかも海将家の当主である。彼を怒らせて得になることなどあろうはずもないのだ。
「お怒りなのですか?」
愛する息子からの静かな問いかけは、ますます今の発言、いや失言を後悔する気持ちを倍化させる。
無論その後悔の下では怒りの火が燃えさかっているのであるが。
イェラオスは暫く返事を保留した。ゼルヴィスも黙って父の言葉を待った。
「……不愉快ではあるな。たとえ筋の通った理がそこに在ったとしても、気持ちの方まで収まりはつかぬ」
他の相手であれば口にせぬであろう本音で答えた。それで失言の埋め合わせになるとは思えなかったが。
「どうかお気持ちを静められますよう」
「わかっている。だがな、お前は侮辱されたとは感じぬのか?」
「感じません」
即答である。ゼルヴィスの返答からは迷いの無さが感じられた。
人が好すぎると思った。イェラオスの見る所、彼の愛する息子は人が好すぎるのだ。
「……それは人が好すぎるというものだ。お前は怒っても良いのだぞ」
むしろ怒るべきだ。この問題を決める権利は最初からファナウスになぞ無い。それは全て、この自分イェラオス・アナクシスにあるべきものだからだ。
それが身分による秩序というものであり、つまりは正義なのだ。
イェラオスは当然のようにそう考えていたが、彼の愛する息子はそうではないようだった。
「ですが父上。ファナウス殿のご説明をお聞きになったでしょう? 誰も悪くないではありませんか」
予想していた言葉に、イェラオスは眉間に皺を刻んだ。
やはり息子は、ゼルヴィスは判っていない。自分の立場というものを。
これには二つの意味がある。
一つは、自分がアナクシス海将家の人間であるということへの理解。
もう一つは、自分がペルギュレイオン競技会の優勝者である事への理解だ。
この二つは配慮しなくてはならぬ事である。その責任がゼルヴィスにはある。
「お前は軽く見られてはならぬのだ」
またその話かという顔をゼルヴィスはした。こういう風に顔に出てしまうところもいけない。危うい。
「儂としても今ここでいつもの繰り言をしようとは思わぬ。お前にもいずれ判ることだからな」
ゼルヴィスが頷くのを待ってからイェラオスは切り出した。
「儂は今夜の宴には出ぬぞ。そのことはファナウスにも判っているはずだ」
その手打ちのために奴はここに来たのだろうからな。胸の中でそう付け加える。
ゼルヴィスは残念そうに目を伏せた。それを見てイェラオスは罪悪感を抱いたが、ここは折れるわけにはいかないのだ。
「お前が出ることまで禁じたりするつもりはない。好きにするがいい」
「私は出席します」
またも予想通りの言葉を聞いてイェラオスは手を振った。話は終わりだという仕草である。
ゼルヴィスは一礼して部屋を出て行った。
――上手くいかないものだ。
イェラオスはもどかしさを感じた。つい先日までは事態の推移に運命を感じ、大きな望みを懐いていたのだ。それがまさかこんな事で蹉くとは。
いや、まさに根源的なところで蹉いたのだから不思議なのだ。
自分が感じたのは運命ではなかったのか。祖神様のお導きではなかったのか。そんな風に疑いの念が湧いてくる。
もちろん、頭の中では自分の考えつく事は、おそらく全て自分から発しているのだろうとは思っている。
しかし心躍らせるものがあったのは確かなのだ。それだけに残念だった。
無論、このままにしておくつもりなどイェラオスには無かった。
*
ゼルヴィスは広間の一つに向かった。執政館にはいくつもの広間がある。
一度に多人数が集まることの出来る大広間はもちろん、少人数が集まって音楽会や芝居、賭博などの遊興を楽しめるような小さな広間もある。
ゼルヴィスが入って行ったのはそうした小広間の一つだった。
「まあ、ゼルヴィス様!!」
大袈裟に驚きと歓迎の意を表した若い女性は、リメルダ・ヴィオラ・ヴィングリスである。
フィロディアス海将家に連なる縁戚で、ヴィングリス家の令嬢である。
まだ独身であり、社交界での交友関係も広い。
海都サザロスでは幾度となく顔を合わせてきたが、そのたびにゼルヴィスに親密そうな態度で接してくるので、正直苦手な相手ではあった。
「ご機嫌ようリメルダ。まさかこちらにお越しとは思いませんでしたよ」
ゼルヴィスは相手の名を呼び捨てにした。同じグライアス氏族であるとはいえ、縁戚と言う程には血が近くは無いので、本来ならば敬称付きで呼びかけるべきである。
これは彼がペルギュレイオン競技会優勝者であるからであった。
四大競技会の優勝者には王族に対してすら、敬称を落とした呼びかけが許されているからだ。
これは特権であり、義務では無いので相手によっては行使しなかったりすることも出来る。そういう社交的な逃げ道も用意されてはいる。
個人的にはゼルヴィスはこの特権には興味が無かったが、父イェラオスからローゼンディア王と、グライアス宗家の海王以外の全てを呼び捨てにせよと命じられているのだ。
感心できないし、望むことでもなかったが、尊敬する父の言い付けである。
乗り気ではなくともゼルヴィスはそれに従うことにしているのだ。
「それはもう。今夜の宴と舞踏会をわたくし楽しみにしておりますの」
リメルダは笑顔を向けてきた。それほど親しくはない男に名前を呼び捨てにされて、笑っているとはどういう心境なのか。ゼルヴィスは少し不思議に感じた。
宴はともかく、舞踏会は中止になる可能性が高い。しかしゼルヴィスはそれを言い出せなかった。
「それで是非、その前にフェルメア様にお目にかかっておきたくて参りましたのよ」
そう言う割には、その広間にフェルメアの姿はなかった。おそらくまた一人で本でも読んでいるのだろうと思われた。
フェルメア・ファルマ・アナクシスはゼルヴィスの妹である。
十四歳であり、もう社交界に出ても十分な年齢なのだが生来引っ込み思案というか、内気なところがあって、中々外の世界に出ていけないようなのである。
大抵は本を読んだり、詩を書いたり、音楽を楽しんだりしているが、名門アナクシス家の令嬢がそれではいけないと、父母は心配している。
ゼルヴィスも気にならないではなかったが、心配という程ではない。
兄の目から見て、妹は中々しっかりしたところがあり、特に本人から請われない限りは余計な気など回さない方がいいと思えたからだ。
しかしリメルダはそんな彼女をよく誘い、何かと世話を焼いてくれているようである。
ゼルヴィスから見て、二人は趣味や性格なども全く違うと見えるのに、どうしてそんなに親切にしてくれるのか。
謎ではあったが妹も特に困った様子を見せているわけではないし、父母は感謝しているしで、ゼルヴィスとしても有り難いと感じてはいたのである。
「しかしそのフェルメアの姿が見えませんが……」
「ああ、彼女でしたらまだ別室で何か書き物をなさっていますわ。才能に恵まれたお方ですもの。きっと何か良い詞章が浮かばれて、それを急いで書き留めていらっしゃるのですわ」
「そしてあなたはいそいそとこの広間へやって来たというわけですね。フィア・ヴィングリス」
深みのある声で会話に参加してきたのは、ゼルヴィスより少し年上の青年である。
名はオルシオン・ロメス・グライアス。
則ち海王宗家の縁戚である。現海王の甥に当たり、ゼルヴィスとはその母を通じての従兄になる。
どこか力の抜けたような、一種文人的な雰囲気の美男子で、少し厚みのある柔らかそうな髪と、軽く整えられた髭が印象的であった。
フィアというのはローゼンディアにおいて独身の女性に付ける敬称である。普通は姓に付く。
「オルシオン様、敬称だなんて他人行儀な呼び方はお止めになってくださいまし。わたくし達は縁戚ではございませんか」
「それほど近いというわけではありませんからね。失礼があってはいけないと思いまして」
「失礼だなんてとんでもございませんわ」
「そういうことなら、私もあなたのことをリメルダとお呼びしてもよろしいのかな?」
「まあ! オルシオン様ったらご冗談がお上手なこと」
二人は笑顔でそんな言葉を交わした。
何だか微妙な空気が漂っているような気がしたが、別に問題は無いだろうとゼルヴィスは考えた。
「オルシオン。君は今夜の宴には参加できないと聞いたが」
彼は今日このディブロスを発つのである。
親しい従兄が宴に参加できないというのは、ゼルヴィスにとって何とも残念なことであった。
「ああそうだ。残念半分、楽しみ半分ではあるがね」
「楽しみ? どうしてだい?」
「それは簡単さ。君ご執心の姫君を見ることが出来なくなることさ」
「それがどうして楽しみなんだ?」
「楽しみは先に延ばしておく方がいいのさ。期待と想像力がそれを膨らませてくれる」
「君の言うことがよく解らないが……」
「いずれサザロスで花嫁となった姿を目にした方が喜びも大きいということさ。そこまで言わせるなよ」
呆れたようなオルシオンの言葉にゼルヴィスは頬を染めた。
サザロスは王国西部ゼフロシア地方にある。エリュオーン海の南方に位置し、グラマナ海に面した巨大な港湾都市である。
そこが海神の末裔の本拠地なのだ。海王の館があり、王国では広く海都と呼び習わされている。
「それも君次第だがね。良い風が君に吹くよう、海の上から祈ることにするよ」
ゼルヴィスの肩に手を置くと、オルシオンは歩き出した。
「また近い内にサザロスで会おう」
その言葉を残してオルシオンは広間を出て行った。リメルダがその背中をじっと見続けていた。
あまり好意的とは感じられないその様子を見て、何故だろうかとゼルヴィスは思った。




