第七章・二
荷物については船から降ろす時に数や重さの検品は済んでいる。
後はまあ、処分を急ぐ物や、特別な事情のある商品など、気になる物を確認するだけだが、どうしても必要な事というわけではない。
これも商会の者達に任せてしまって問題ないのだ。
だから荷物を見に行くのはアイオナの気分の問題と言えた。
それに積み荷の詳細な事情について知ろうとするならば、父ファナウスと一緒にやって来た手代の商会員から話を聞く必要があるのだが、それとて全てを知っているかどうかは判らない。
全てを知っている人は今さっき飛び出してしまったのでどうしようもない。
しかも飛び出した理由は「良いことを思いついた」である。頭が痛くなってくる。
商会の一階、店の奥で手代から話を聞いていると、ダーシュが近づいてきた。
「本当にもう動いて大丈夫なのか?」
「ええ、もう平気」
「そうか。ならいい」
ダーシュの顔に僅かだが、安堵を感じさせるものが浮かんだのをアイオナは目にした。するとまたむず痒いような気分になった。
「あなたこそ、元気になって貰わないと」
「俺はもう十分元気だが」
「はいはい。それはハドルメニス先生の所へ行ってから聞くわ」
「……気が重いな」
ダーシュは嫌そうな顏をした。それを見てアイオナは微笑んだ。
「アイオナ」
上から降りてきたシフォネが、こちらを見付けて近づいてきた。
「もう動けるの? ごめんなさい。無理をさせて……」
「いいのよ。もう大丈夫」
「お部屋に伺おうと思ったのよ。でもお祖母様がそっとして置いた方がいいと仰ったの」
「ええ、ええ判るわ。気にしないで」
微笑みかけるとシフォネはほっとしたような顔になった。
「それであなたはどうするの? 夜まで時間があるでしょう?」
「ええ、お祖母様が宿泊先を見ておきたいと仰るので、一度そちらに行ってからここへ戻って来ようと思っているの。夜には宴があるのよね?」
その問いにアイオナはすぐには答えられなかった。
「アイオナ?」
「うん。宴はあるわ。宴は開かれるべきよね。食材も無駄になっちゃうし」
「アイオナ……言っていることが変よ?」
「大丈夫よ。宴はあるわ。それよりもし時間があるなら市内見物に行かない?」
「市内見物?」
「ええ。なんと言ってもここはディブロスよ。珍しい物が一杯あるわよ」
「それは素敵ね」
シフォネが顔を輝かせた。故郷のマンテッサと、ここディブロスでは都市としての規模が違うというのもあるが、何よりもここは異国情緒あふれる場所である。
規模以前に都市としての貌が違うのだ。
「それと父様から聞いたのだけれど、世界座が来ているそうよ」
「本当? それは是非観に行きたいわ。今は何をやっているのかしら?」
「まだ公演は始まってないらしいわ。けど近い内に始めるそうよ。とにかく一度劇場に行ってみればいいわよ。それで何をやるのか判るだろうし。でも、世界座なら何をやっても外れはそうないでしょう」
「そうね」
二人がそんな会話をしていると大伯母イネスも上から降りてきた。
「アイオナ。もう動いて大丈夫なのですか?」
「はい。お蔭様で回復いたしました」
「そうですか。ですがまだ無理をしてはいけませんよ」
「はい」
「私たちはこれから宿泊先の家の方へ向かいます。夜には戻ります。お前も一緒に来ますか?」
「大伯母様。実はわたくし達は劇場へ行こうかと話していたのです」
「劇場へ?」
大伯母は怪訝そうな顔をした。
「はい。大伯母様もご存知でらっしゃいます世界座が、このディブロスへ来ているようなのです。近々公演を始めるというので、何をやるのか調べに行こうと思いまして」
「まあ。それは……」
「夜までは時間がありますし、せっかくなので……シフォネにディブロスを見せてあげたいと思いますし」
「仕方がありませんね。そういうことなら。いいでしょう。行ってらっしゃい」
アイオナとシフォネは小さな歓声を上げた。
「あなたはいいとして、あなたの夫はどうするのですか?」
大伯母はダーシュに目を向けた。シフォネと話している間ずっと黙っていたのだ。
「あなたも大姪と孫の市内見物に付き合うのですか?」
「そうですね。ここは人も多いですし」
「治安に不安でも?」
「いえ、治安は良いです。ですがなにしろとても人が多い。言葉が通じない者達もおります。夫としては付いていくのが当然だと考えます」
ダーシュの返答に大伯母は微笑んだ。
「なら三人で行かれるといいでしょう。私はそれまで休んでおりますから。夜にこちらでまたお目にかかりましょう。ではごきげんよう」
大伯母は馬車を用意して待っているケルスの元へと歩き去って行った。
「颯爽とした方だな」
「そうなのよ」
ダーシュの感想に答えていると、シフォネに袖を引かれた。
「市内に出るのならこのままの恰好では行けないわ」
「大丈夫よ。あなただって服は持ってきているでしょう? 他に要り用のものがあればわたしのを貸すわ」
「そう言ってくれると助かるわ。じゃあ早速準備しなくちゃ」
そんな話をしていると商館の裏手が騒がしくなってきた。何か荷物が来たようだった。
「来たわね」
アイオナは呟いた。予想していたものが、予想していたものたちが来たのだ。
「シフォネは先に部屋に上がっていて。わたしはダーシュに紹介しなくちゃいけないから」
「え? ええ、わかったわ」
何故だかシフォネは微妙な顔をして階段を上がっていった。
「何があるんだ?」
「前に話したでしょ? 父様が動物を連れてくるって」
「それか」
アイオナとダーシュは商館の裏手に回った。倉庫の一つまで歩く。
そこには商会の人たちと、荷渡しのための男衆が来ていて、幾つかの木の箱が置かれていた。
結構広い倉庫だが、何故か荷物が詰め込まれていない。まだまだ多くの物が置ける空間があった。
「ご苦労様」
「お嬢さん。これで全部ですぜ」
屈強な男衆の一人がそう言って、一覧が記された目録を差し出してきた。
アイオナは内容にさっと目を走らせると、署名をして懐から印章を出し、印を捺した。
すでに辺りには動物の臭いが立ちこめ始めている。
箱には檻が付いていて、一目で中に獣が入っていると知れた。
「おうっ、旦那様」
危うく王子様と言い掛けたに違いないホイヤムがそこに居た。
「ああホイヤム。どうした?」
「はい。何か動物が到着したと聞いたので見に来たのでございます。一体なんでしょうか?」
「ここの主人が飼ってる猛獣の類らしい。馴らされているとは思うが不用意に近づくな」
ダーシュの言葉にホイヤムはぞっとしたような顔になった。
「じゃあ檻を全部外して」
アイオナがとんでもないことを横にいる商会員に命じている。
「おい。大丈夫なのか?」
「大丈夫よ」
話している側から商会員達が檻を開けていく。と、その中の一つから小さな影が飛び出した。
一、二度弾みを付けるような動きをして、その動物はアイオナに飛び付いてきた。
ダーシュは緊張したがアイオナは何の危険も感じていない様子で、その動物を抱き上げていた。猿である。小さな猿だ。
「お久しぶり。ホロン。元気だった?」
アイオナに背中を撫でられて気持ちよさそうな声を上げている。別の商会員が腕に蛇を巻きつけていた。薄い青緑色の蛇で、目が紅玉のように赤い。
「ピッピ。あなたのお家を用意してあるわよ」
アイオナの言葉に反応するように舌先をちろちろと動かしている。
ローゼンディア人は本当に蛇が好きだな……またダーシュがそう考えていると、静かな圧力のような気配を横手に感じた。目を向けると、見事な模様を持った大型の猛獣がそこに居た。猫科の猛獣だ。だが獅子では無い。
「レアンドロスよ。刺激しない限りは危険は無いわ」
それは刺激したら危険だという事ではないのか? ダーシュはそう尋ねたかったが、何だか聞いても無駄な気がしたので言わなかった。
アイオナには全く緊張した様子が無く、よく馴れている感じがした。
ならば、大丈夫なのだろう。
ダーシュは知らなかったが、レアンドロスという名前はローゼンディアでは有名である。
彼は四大競技会の徒手格闘において十三度連続で優勝した伝説的な競技者であり、一般にはゼスタのレアンドロスと言われている。
一千の技を持つ勇者、エリュオーン海の美獣とも呼ばれ、生前から神の如く讃えられていたが、今なお彼を越える闘技者はいないと言われている。
つまりその名声は不滅のものなのだった。
甲高い猿の鳴き声がして、ホイヤムの怒鳴り声が続いた。
「儂の頭布を返せ! この猿めが!」
「そんな言い方では駄目よ」
アイオナは笑っている。ダーシュも笑った。
「グキキィ!!」
それが気に入らなかったのか、猿のホロンはダーシュに何か物を投げ付けてきた。
「む!」
身を躱したものの、良い気分はしない。投げてきたのは果実の種だった。船の中で食べていた物だろう。
ホロンはダーシュを威嚇するように歯を剥き出している。
「あの子は知らない人には馴れないのよ。ごめんなさいね」
「いや……相手を好きになれそうもないのはお互い様だ。文句を言う気はない」
「猿相手にムキにならないでよ」
アイオナは呆れたように言った。
「お嬢様」
檻の一つを見ていた商会員が意外そうに振り向いた。
「何かしら」
アイオナが側に行って檻を覗き込んだ。そして嬉しそうな声を出した。
「マルガレア!! 父様の言った通りね。でも、どうしてあなたがここに居るの?」
アイオナの指示で倉庫の入り口が閉じられた。光は窓から入ってくるが、それで大分薄暗くなった。
見ると倉庫の窓には全て鉄格子が嵌まっている。商品を置く倉庫なのだから当たり前かとダーシュは思った。
檻から出されたのは淡い桃色の大きな鳥だった。
なるほど。鳥を出すのなら入り口を閉じる必要があるなとダーシュも納得した。
鳥はかなり大きい。鷹くらい大きいが、どことなくずんぐりしており、精悍さとは無縁の外見をしている。
頑丈そうな大きな嘴は鍜治屋のやっとこのように見え、一応尖ってはいるものの、鷹のように相手に突き刺すような鋭さはなかった。
黒い大きな目で辺りを見ているが、何だか間抜けな感じで、猛禽では無いだろうとすぐに予想できる。
ダーシュはこの鳥を知っていた。
キコリーという鳥で、確か南大陸にしか棲息しない大型の鳥だ。
なんでも非常に知能が高く、王侯貴族が愛玩用に飼うことがあるらしい。
当然値は張る。庶民が買うなど不可能だし、そもそもそうした珍獣の類は飼育が難しいのが常だ。
王侯貴族の場合は飼育員や、飼育用の環境一揃い一式を用意して飼うわけだが、そこまでして飼う価値があるのかどうかダーシュは疑問に思う。
「うわああ……」
アイオナは本当に嬉しそうな声を出してその腕を差し出した。マルガレアと言われた鳥は用心深くそっとその腕に歩いて行って止まった。
その仕草にはアイオナを気遣う様子があり、ダーシュはそれだけでこの鳥の凄さを感じた。
「マルガレア、紹介するわ。こちらはダーシュ」
言われて鳥の黒い瞳がじっとダーシュを見る。
「ダーシュよ。わたしの夫なの」
鳥は首をかしげた。それから片足を持ち上げてダーシュに伸ばすような仕草をしたが、考え直したのか、またアイオナの腕の上に足を戻した。
鳥の足には大きな爪があるが、アイオナを傷付けぬように注意深くその腕を掴んでいた。
「俺にも紹介してくれないのか?」
ダーシュが尋ねると、アイオナはダーシュを見てちょっと微笑んだ。それからまた鳥に意識を戻した。
アイオナの様子には深い愛情が感じられた。間違いなくこの鳥は特別な存在なのだと思った。
「この鳥はマルガレアと言ってね。わたしの叔母なの」
「はっ?」
今度はダーシュが首をかしげた。
「俺にはお前は人間に見えるのだが」
「そう。ならあなたの目は正常よ。私は人間、マルガレアは鳥。キコリーというの。知ってる?」
「ああ、珍しい鳥だな」
「そう。とても珍しい鳥」
そこでマルガレアが声を上げた。ケェエーーー、という声が辺りに流れる。
「叔母君は何を言いたいのかな?」
「多分あなたに挨拶してるのよ」
「そうか? 猿のように俺が気にいらんのではないかな?」
「そんなことないわよ」
アイオナは優しく微笑んだ。
「だってマルガレアだもの。そんなことないわ」
「その鳥が大分大切らしいな」
「ええ。だってわたしの叔母だもの」
「そこら辺を説明してくれると助かるのだが」
ケェエーーー。またマルガレアが啼いた。
「母と一緒に育った鳥なのよ。わたしも小さい頃から色々と面倒をみて貰ってたの」
鳥が人間の面倒をみられるのかとダーシュは思ったが、それは言わないでおいた。
しかし一つ疑問が湧いた。
「お前の母親と一緒に育ったと言ったな。その鳥はそんなに長生きなのか?」
「普通に五十年以上は生きると聞いているわ。でも母様よりは少し年下の筈よ」
「なるほど」
それで叔母という理由が判る気がした。
「わたしやあなたよりもずっと年上なんだから尊敬しないと駄目よ?」
「尊敬……」
利発なアイオナとも思えない言葉である。相手は鳥だぞ?
「本当に大切な家族よ。あなたに紹介できたらと思っていたけど……こんな風に叶うなんて」
「貴重な鳥だからな。滅多に持ち出さないだろうさ」
「滅多にじゃなくて、マルガレアが出掛ける時はいつも必ず母様が一緒なのよ。だから変ね。母様はディブロスにいらしてないのに……」
当のマルガレア叔母様は辺りをキョロキョロと見回している。檻から出て余裕が出てきたのか、興味津々という様子だ。
「ねえ、母様はどうしたの? どうしてあなただけがここに来ているの?」
鳥に聞いても答えるわけが無かろうとダーシュは思っていたが、何とマルガレアは口を開いた。
「ア~イオナ……」
少し濁りのある、しかし高い声である。強いて言えば幼児の声に少し似ているかも知れない。
「ええ」
「アイオナー」
嬉しそうにアイオナの名前を呼んでいる。それからブツブツと何か呟いたがダーシュには聞き取れなかった。多分アイオナにも判らないだろう。
「人の声真似もするのか」
「歌だって歌うわよ」
それは凄い。なるほど高い値が付くわけだ。
「だが残念ながら会話の方は無理なようだな」
「皮肉を言ってるつもりでしょうけれど、マルガレアはちゃんと意思疏通できるのよ。あなたにはまだ判らないでしょうけれどね」
「まあ……お前がそう言うならそうなのだろうさ」
別に皮肉を言ったつもりはないのだが、アイオナにそう取られてしまったのなら仕方ない。
今までの様子でアイオナが相当この鳥に入れ込んでいるというか、この鳥を文字通り家族として大切に思っていることは伝わったので、ダーシュとしては余計な事は言わないでおこうと思った。
「……ダーーーアアシュ」
予想外の言葉がダーシュの耳を打った。
「……ダーーーアアシュ」
マルガレアがダーシュの名前を呼んでいた。
そんな馬鹿な。だって、今会ったばかりだぞ? どうしてこの俺の名を呼べる。まさか憶えたというのか? この短時間で。
「驚くには当たらないわ。だってわたしが紹介したし。あなたのことは理解してるわよ。今のは試しに名前を呼んでみただけだと思うわ」
「……随分頭が良いのだな」
「ちゃんと人を見分けるわよ。誰が誰だか全部判ってるんだから。凄いでしょ?」
アイオナは得意そうだ。
「……ダーーーアアシュ」
マルガレアはまたダーシュの名前を呼び、そして驚くべき事に笑った。それは笑顔としか表現できないような顔だったのだ。
「う、うむ。よろしく頼む……」
ダーシュは戸惑いながらも挨拶した。こちらも笑顔を作ろうとしたが驚きの余り引き攣ってしまった。
まさかそんな事までこの鳥に気付かれてはいまいな? ダーシュはそんな不安を持った。
「おおおおおお! キコリーでございますな!」
ホイヤムが感動したように声を上げた。右手にはやっと猿のホロンから取り返したと見える頭布を握っている。
「まさかまたキコリーを見ることになるとは思いませんでした!」
「知ってるの?」
「知ってるもなにも、私めはキコリーの世話をしていたのですよ」
「ああ、そういえばそうだったな」
ホイヤムは王宮で色々な雑事をこなしていたが、たしかにキコリーを世話していたことをダーシュは思いだした。
「この鳥は大変頭がよろしい。そして良く人に懐きますのです」
「そうなのか?」
「もちろんでございます。犬よりも遥かに賢いのでございますよ」
「ほう」
口真似もするし知能が高いのは判るが、犬より高いと言われる程なのか。
「ですから躾が難しいのでございますよ。ごまかしが効きませぬゆえ」
「なるほどな」
「大丈夫よ。マルガレアはもう何でも出来るから。その点については手は掛からないわ」
「この鳥は奥様の鳥でございますか?」
「いえ。母のよ。母が幼い頃からずっと一緒に育ってきた鳥なのよ」
「しかし、お母上のお姿が見えませぬが?」
「そう。不思議なのはそこなのよ」
「ははあ……それは問題かも知れませぬなあ」
アイオナとホイヤムでは話が通じているが、ダーシュには判らない。
「話の内容がわからんがどういうことだ?」
尋ねると、アイオナではなくホイヤムが答えてくれた。
「おう、旦那様」
また王子様と言い掛けて、ホイヤムは軽く咳払いして誤魔化した。
「この鳥は自分の主というか、相方を自分で決めて、その相手に特に強く懐くのです。そしてその相方が居ないと非常に寂しがるのでございます」
「犬と変わらんじゃないか」
「そうでございますが……そのう、もっと甚だしいのでございますよ」
「一応家族みんなに懐くように躾てはあるんだけれど、やっぱり母様が居ないと不安ね……」
アイオナは少し顔を曇らせた。
「きっと大切になさってるでしょうから、お母上は少し遅れてお着きになるのではないでしょうか?」
「そうだと思うんだけど……事情を知っている人はさっき飛び出してしまったし」
マルガレアはアイオナに抱き抱えられている。
時々アイオナが体を撫でてやると、嬉しそうに目を細めている。
「うーん……どちらにせよ暫く私たちで面倒をみるしかないわね」
「私めでよろしければ是非お手伝いさせて下さいませ」
「もちろんよ。あなたがキコリーの世話をしていたなんて嬉しい驚きだわ。頼りにさせて貰うわね」
「ははあ」
ホイヤムは深く腰を折って礼をした。
商会ではダーシュとホイヤムの出自を知るものは居ない。いや今さっき商会長には知られてしまったが、それ以外の商会員には知られていない。
であるからホイヤムの仕草は、主人に対する礼にしては大袈裟に過ぎる身振りに見えているだろう。
だがホイヤム本人が改めたくないと言うのでそのままにさせている。
「私めは、まずは旦那様に馴れさせるのが大事かと思いまする」
ここでホイヤムが言う旦那様とはダーシュのことである。
「そうね。私もそう思うわ」
「おいちょっと待て」
ダーシュはまた二人の会話が判らなくなった。
「俺の前にホイヤムに馴れる必要があるのではないか?」
「それは大丈夫でございますよ。私めは面倒をみてやるだけでございますから」
ダーシュには意味が判らない。世話をする人間に馴れさせるのがまず大事ではないのか?
「キコリーは世話してくれる者よりも、一緒にいてくれる相手、遊んでくれる相手に懐く傾向がございます。ですからおう……旦那様は、まずはなるべく一緒に居ることが大事なのでございますよ」
またうっかり「王子様」と言い掛けたホイヤムは、少しばつが悪そうにそう説明してくれた。
「私もなるべく一緒に居るようにするけれど、ホイヤムの提案は正しいと思うわ。そうだ。試しに今、腕に乗せてみる?」
言いながらアイオナはマルガレアをダーシュの方に向けた。
ダーシュは再び黒い円らな瞳と見つめ合うことになった。
「う、うむ……」
こうしてみるとやはり大きい。鷹くらいの大きさがあるが、鷹よりもずんぐりしているのでより大きく感じる。
マルガレアは半分口を開けたまま、じいっとダーシュを見ている。
その瞳はほぼ全体が黒眼なので何を考えているのか判らない。
ふわっと顔が膨らんだかと思うと、後頭部から冠のような毛が立ち上がってきた。真紅の羽帚のような毛先だ。
「おいおい。怒っているのではないか?」
「大丈夫よ。腕を出して」
言われるままに腕を出すとマルガレアはゆっくりと渡ってきた。大型の鳥の重みがダーシュの腕に掛かる。
立ってきた真紅の毛が、まるで尾のように上下に動いている。
「……これは何なのだ?」
「多分、興味津々というところじゃないかしら」
「怒ってはいないのだな?」
「大丈夫よ。それにマルガレアは人見知りをしない子なの。誰とでもすぐ仲良くなるのよ」
マルガレアはダーシュの顔をじっと見つめている。
暫く目を合わせているとまた笑った。鳥が笑うというのも妙な話だが、そうとしか言えないような顔をするのだ。
「一つ聞いていいか?」
「なにかしら?」
「この鳥、性格はどうなんだ?」
「素直で、とても良い子よ?」
どうしてそんなことを聞くのか。アイオナはそんな顔をしている。
「アアアア……」
マルガレアが声を上げ始めた。
「なあに?」
アイオナが優しく聞くと、今度はアイオナに対して笑顔を見せた。
「アイオナー……」
「はいはい」
マルガレアがダーシュの腕から、アイオナへ戻りたい素振りを見せたので、腕を伸ばしてやると、器用に歩いてアイオナの腕に渡り、また抱き抱えられた。
「……お前が一緒に居た方がいいんじゃないか?」
「話を聞いてた? もちろんなるべく一緒に居るわよ。けどあなたにも馴れて貰わないと。だってあなたはその……私の夫なんだし」
最後の方はもごもごとした言い方になった。そんなアイオナの様子を見てダーシュは何だか気恥ずかしくなった。
「……そうだな。努力しよう」
「でもマルガレアの鳥籠は別宅にあるのよねえ……」
アイオナは困ったように首を捻った。
「母様は商館に泊まることがあまりなかったから……だから市内の別宅の方に鳥籠を運び込んだのよね」
「だったらそっちに行けばいいではないか」
「そういうわけにはいかないわよ。だって……そんなことしたら、あなたと二人きりになってしまうもの」
つまりアイオナと、マルガレア叔母様と、ダーシュの三人になるということだろう。
叔母だとか言っておいて、なんだやっぱり鳥として数えているではないかとダーシュは思った。そして思うと同時に不満のようなものが胸の中に立ち上ってきた。
「……大丈夫だ。ローゼンディアの慣習は辨えている。マルガレアと二人きりになっても、俺はお前に対する誠意を守るさ。心配するな」
アイオナの気持ちを判った上で、わざとそういう口を利いた。
案の定アイオナは顔を赤くした。怒ったようだった。
「馬鹿! 馬鹿じゃないの! そういう意味じゃないわよ!」
「じゃあどういう意味なんだ?」
わざとらしく眉を下げてアイオナに聞いた。ダーシュはまたもやアイオナが墓穴を掘ったなと内心で思っているが、おくびにも出さない。
「そっ……それは……どうでもいいでしょ!」
「よくはない」
ずいと詰め寄った。
「冗談は抜きにして聞くが、俺はその鳥と揃いで、別宅とやらに押し込められるのか? それともお前も一緒にその別宅に来てくれるのか?」
冗談交じりではあるものの、ダーシュとしては結構切実な問いだったのだが、アイオナは顔を赤くするだけで答えてくれない。
「あのう……こうしたらいかがでしょうか?」
ホイヤムが恐る恐る手を挙げて提案したのは以下のような内容だった。
まず船旅で使っていた檻をそのまま取り敢えずの鳥籠にする。
その鳥籠はこのままこの倉庫に置く。
ダーシュは折を見てこの倉庫に来てマルガレアに馴れさせる。
その間に鳥籠をホイヤムが拵えるのだ。
「あなた鳥籠を作れるの!?」
「可能でございますよ。美しい物となれば無理でございますが、十分実用に耐えるだけのものを作れる腕はあると自負してございます」
「凄いわ! 凄いわホイヤム!」
「お褒めにあずかり恐縮でございます」
喜ぶアイオナに対して再び丁寧な礼をするホイヤム。実はそれは王子妃への礼式なのだが、ダーシュはアイオナに説明したことはない。
「これで問題は解決ね」
アイオナは満足そうだったが、実は大事な点が見落とされている。
ダーシュの意思確認が行なわれていないのだ。しかし不満は無かった。どちらにせよマルガレアを避けて通ることは出来ないのだ。
「もう一つ尋ねていいか?」
「何かしら?」
「お前には他に人間以外の親族はいるのか?」
この後、羊だの猿だの、そんな親族が次々出て来られたりしたら堪らない。
「いないわよ。どうして?」
「……それを聞いて安心した」
ダーシュは安堵の息を吐いた。マルガレアはそんなダーシュをじっと見ていた。
表の方から商会員が一人姿を見せてこちらに歩いてくる。何か話があるようだ。
「お嬢様よろしいでしょうか?」
商会員は困った様子でアイオナに話しかけてきた。
「何かしら?」
「はい。なんでも表に註文の品を持ってきたとかいう男が来ているのですが、旦那様がおられませんので、私共ではどうにも判断が付きかねまして……」
「註文の品?」
妙な話だ。荷物はもう倉庫へ運び込まれている。今更何か来るとも思えない。
不審に思って表へ行こうとすると、丁度この倉庫に荷物が運び込まれてくるところだった。
結構大きい。何と金属製の籠である。アイオナには一目でそれがマルガレア用の鳥籠だと判った。
普通の鳥に使うような木製の鳥籠だと、マルガレアが噛み砕いてしまうことがあるからだ。
きっと父が註文したのだ。何と手際が良いことだろう。
しかし何故、別宅に鳥籠があるのにもう一つ註文したのか? そこが謎だったが、考えるのは止めにして、今は鳥籠を受け取ることにした。
支払いはもう済んでいるという事で、男達は倉庫の床に鳥籠を置くと帰っていった。
「鳥籠を作る必要はなくなったな」
「はあ……」
ダーシュの言葉にホイヤムは少し残念そうだ。腕前を披露したかったのだろう。
でもアイオナとしてはキコリーの世話をしていたという経験の方に、より大きな期待を掛けているので、鳥籠作成の方にはこだわりがない。何より、こうして立派な鳥籠があるのだ。
さぞや高かっただろうと思うが、父母はもちろん、アイオナも文句を言うつもりはない。
見るからに確り作られた品であり、別宅の物と同じ職人の手によるものと知れた。
これは昨日今日で作れる物ではない。前もって註文していたのだ。しかし何故?
アイオナの頭の中を再び疑問が渦巻き始めた。
ケェエーーー。またマルガレアが啼いた。




